第一章
1.星々の議
五万の星が瞬く……
銀河帝国元老院議員ミ=クニ・クアンタは、その星々に意識を委ねながら議会の開会を待った。
歳を重ねるに従って、この元老院議会への参加は辛くなって来ている。
いかに機械生物の力を借りているとはいえ、無理矢理意識を拡張し、五万数千もの参加者と意見を戦わせ、すり合わせ、結論を得るのは年寄りの仕事としてはきついものだ。
だが今日は、ある意味勝負をかけなければならない議が控えていた。帝国の命運を左右するであろう、大きなうねりの中心となる議が。
やるべきことは、これまでと変わらない。じっくりと時間をかけて、何も見落とさず何も聞き逃さず、その上で言うべきことを言うだけだ。それで概ねことはうまく運ぶ。
もちろん、その前の根回しは重要だ。だが、今日はそのゆとりがなかった。
唯一、
何より、クアンタの心中にはいつもと違う、すっきりしない漠然とした不安が澱のように沈んでいた。これまで経験したことにない全く新しい状況だからか……
顔を囲むように浮かんでいる石の円環、
意識に浮かんだ星々が次第に光を強め、一部は群れをなすように集まって違う色を放つ星雲となる。銀河皇帝の
星々の中心に一際大きな輝く光が現れ、星空に
続いて元老院議長レ=イ・ツェガール大公が開会宣言の祝詞を唱える。
「アーマス・トラ・ガラクニタ・サスタト……」
五万の声がそれに唱和し、議会が始まった。
まず俎上に上る議題は決まっている。
新銀河皇帝の即位の承認だ。
即位自体はすでに成っていた。
紆余曲折はあったが、領外辺境惑星出身の名も無い少女は〈
銀河皇帝アサト=ネイペリア・エンドー一世。
クアンタ自身がその儀式の立会人であり、証人だった。
いくつかの偶然が重なり、銀河帝国最高の権力の座についた平凡な少女……クアンタは、これもいくつかの偶然によって彼女の後見人的立場となった。
本来、銀河皇帝の後見となれば、その地位も帝国では最上級の高みである。だが、新皇帝は帝国に寄って立つ瀬を何ひとつ持っていなかった。皇位継承を巡る戦いの中で、領外母星の故郷や家族すら全て失っていたのだ。
〈
銀河皇帝とネープの結婚……
驚いたことに、〈
それが前例として皆無だったのは、
一万年を超える帝国史上で初めて成された婚姻だったのだ。
何故、ネープの首脳部でこの結婚を認める判断がなされたのかは大きな謎だが、今追求すべきことでは無かった。
それでもアサトの立場は帝国の支配者として、あまりにも寄るべないものだった。その後見とは、誰もやりたがらない政治的苦労を背負った貧乏くじの汚れ役と言えた。
さらには、一族の出である前皇帝をアサトの手で殺された第一公家……ラ家がどう出てくるかもわからない。
クアンタはアサトの帝国への帰還を前に、様々な露払いをすべく先行して帰ってきたのだ。今、彼はまだ帰路の船上にあり、高次空間通信網上の元老院議会場に意識だけを展開していた。
難儀なこったなあ……
傍目に、クアンタにとってのアサトはあまりに重い責務を強いる主君だった。この立場から逃げようと思えば、逃げることも出来た……のだが……
クアンタはあえてその立場に立つことを選んだ。
それは、アサトが皇位継承者の道を選んだ時の話を聞いたからかもしれない。
絶望のうちにすべて投げだし死を選ぶことも出来た時に、未知の宇宙に飛び込むことを決めたアサト。
何も知らずに下した決断とはいえ、そこにはひとかけらの勇気が必要だったはずだ。
もし、銀河皇帝としての彼女の立場が確たるものとなれば、そのひとかけらの勇気が帝国にどんな変化を起こすか、起こさざるか……それを見極めたいというのも一つの動機になっていた。
不遜にも、銀河皇帝を放っておけない孫娘のように見ているだけかもしれないが……
とにかく、即位は成った。
すでに帝国の行政システムには、ドロメック(高次空間通信で情報を送信できる機械生物)のネットワークを介して取得されたアサトについての情報が、インピッド(帝国の行政を担う昆虫型人類)たちの手により共有され、最高レベルのセキュリティアクセス権が与えられていた。
つまり、アサトの生体情報は銀河帝国で最も強力な鍵となったのだ。
彼女はその体を失わない限り、帝国宇宙軍司令部の中央作戦室から、辺境惑星の村役場に入っている食堂の厨房までフリーパスで立ち入ることが出来るのだった。
元老院における即位の承認はそれこそ一つの儀式に過ぎず、今や何人も皇帝の地位と安全を脅かすことは出来ない……
……はずだった。
「では、新皇帝の今次即位についての承認決議を行います」
ツェガール大公の声に応じ、いくつかの色の星雲に固まっていた五万の星々が白一色に染まり始める。
ほぼ全ての元老院議員が「意義なし」の意向を示したのだ。
が、その時……
暖色系の色に鈍く輝いていた星雲の一角で、赤い星が明るく瞬いた。
「ルージィ卿?」
太公議長が呼びかけ、赤い星の主がクアンタの意識空間で像を結んだ。
歳若い細面の青年である。
東端部星域惑星連合に属する
黒い短髪に隠れた小さな角と赤銅色の肌は、ギム・ガン系種族の特徴を示している。
「議長閣下、議員諸兄に敬意を表し、ここに発言をお許しいただきたい」
朗々たるテノールが意識の議場空間に響き渡る。
「私は先日、
クアンタは薄い眉をひそめた。
「新銀河皇帝の即位には疑義があります」
白一色の星雲が震えた。一部では色が暖色系に傾きつつある。
「アサト一世陛下の皇位継承資格について、ということですかな?」
太公の質問に青年が首を振った。
「我々はその資格にばかり注視し過ぎていました。領外の未確認種族の少女が銀河皇帝になれるのか……ご存知の通り〈
「では何が問題ですか?」
「皇位継承のプロセスに問題があります」
青年の像を取り巻く星々が、渦を巻くように輝き出した。その色は様々に散っている。クアンタの意識には一つひとつの輝きが声となって届いていた。そして、それを余すことなく理解出来る。これこそ
声は割れていた。即位の承認、否、撤回……そのどちらも事実の追求を求めている。
ルージィ卿の声が続いた。
「銀河戦略情報局は、いくつかの疑問について調査を進行中です。一つは、アサト一世はなぜ辺境宙域から直接〈青砂〉へ向かわず、〈
「最後の疑問については説明出来ます」
クアンタは初めて口を開いた。議長大公の許可を得る前に口を出せるのは、長老級議員の特権だった。星々の渦が一斉にクアンタを取り囲む。
「私はアサト一世陛下の〈即位の儀〉に立ち会いました。陛下の母星へ向かうのに使った船の機関部には、ネープによる新技術が使われていました。その結果、陛下の母星への到着、ならびに即位は思いのほか早く成った……と断言できます」
事実はこれより多少混みいっていたのだが……少なくとも今の発言に虚偽はない。だが、クアンタは先ほどから感じていた不安が、胃の底でぐつぐつと煮え始めたのを感じていた。
目の前に立つ青年は笑みを浮かべ、訳知り顔で目を伏せた。
「ミ=クニ・クアンタ卿のお言葉は傾聴に値します。なぜなら、最後の疑問のみならず、今お話しした疑問全ての焦点に、クアンタ卿の存在があるからです」
星雲の動揺が大きくなった。
全ての参加議員の声が、はっきりと個々の意味を持ってクアンタの意識を苛む。
ツェガール大公の声が響いた。
「確かに、即位の立会人であるクアンタ卿は全てを見守っていた唯一の人物であられる。いかがですかな、クアンタ卿。あとの二つの疑問について、ご意見は?」
一瞬、クアンタは眉根を寄せてから言った。
「実は本日……」
口調には何の変化もなかったが、内心には凄まじい緊張と集中があった。
これは罠だ。
ルージィと情報局は明らかにクアンタを誘導し、アサトの即位を根底から揺るがそうとしている。それを防ぐために出来ることは、事実を包み隠さず明かすことだ。
例えそれが元老院を……帝国を混乱の渦に叩き込むことになったとしても。
「……本日、新皇帝即位の承認議決後、元老院の名の下に一つの調査を提議する予定でした。帝国軍によるアサト一世の皇位継承に対する妨害行為についてであります」
星々の動揺は混乱に発展し、奔流となってクアンタとルージィの間を流れた。
さて、この逆襲がどこまで銀河皇帝の……アサトの助けになることやら……
クアンタの禿げ上がった頭には、脂汗が滲み出ていた。
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