エピローグ 朝霧の町

 町は静まり返っていた。霧に包まれ、全てが灰色に染まった町。しかし、霧を突き抜けるように一筋の光が町へと差し込む。朝日だ。やがて、強い日の光を嫌がるかのように霧はその輪郭を失っていき、やがて消えていく。あっという間に町は霧から解き放たれた。

 そして、どこかの家で目覚まし時計の音が響くのが聞こえる。音とも言えない、人々の気配。町はその姿を取り戻し、人々は何も知らないまま日常へと戻っていた。

 同刻。とある一軒家。表札には「松田」と記されている。智樹の実家だった。その松田家の居間では智樹の母親が見慣れないスマートフォンを見つけ首を傾げていた。

「あなた、スマホ新しくしたの?」

「いいや、どうした?」

新聞を抱えながら智樹の父親が居間へ入ってくる。

「誰かのスマホが居間に落ちてて……。しばらくお客様もなかったから忘れ物って訳でもないはずよね?」

「見せてくれ……ううん、俺にも見覚えがないな。居間に?」

「ええ。……なんだか、不思議だわ」

「ともかく、近所の人に見覚えがないか聞いてみるか」

「そうね、そうしてみましょう」

 そんな会話が交わされる二階。かつての智樹の自室だった部屋は物置部屋となっていた。まるで初めから智樹の存在などなかったかのように。

 霧子はそんな会話を聞き流し、松田家をあとにする。彼女の姿を見とがめる人物は誰もいなかった。彼女もまた、そこに誰もいないように。霧子は町を歩き巡る。智樹の犠牲で救われた町。だけど、誰もそれを知らず、智樹の存在自体が人々から消えている。おそらく、叔父の日記からも智樹のことは消えているのだろう。そのことを悲しく思った。

 最後に、霧子は神社へ向かう。朝日の強い光は鳥居を抜け、拝殿へとまっすぐに差し込んでいた。その光は夜と霧の神を鎮めるように力強く。

 光の中を霧子は歩く。鳥居をくぐり、拝殿の前へ。強い日の光は霧子の体をも貫き通す。その強さにも関わらず、暖かくて柔らかい光だった。霧子は光の中で目を閉じた。遠くから、朝食を準備する音が聞こえる。人々の話す声に、子供の笑い声。町が息を吹き返す音。

 しゃんしゃんと、どこかで鈴の音が聞こえる。玲瓏なその音に耳を澄ませて。


 朝日が昇りきる頃、そこにはもう誰の気配もなかった。

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闇霧の呼び声 篠宮空穂 @lyudmilla

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