第25話 縁結び廟の道士

  美雲が姚妃に招かれて後宮に訪れると、部屋に通された。倚子に腰を掛けて待っていた姚妃は、すっかりお腹も大きくなっている。生まれるのは来年だ。

「姚妃様がお元気そうで安心いたしました」

 美雲は挨拶を済ませてから、姚妃に促されて隣の倚子に座る。お茶とお菓子はすでに用意されていた。

「ええ……あなたがくれたお守りの効果かしらね」

 姚妃は優しい表情で、お腹をさすっている。そんな幸せそうな様子に、美雲も微笑んだ。

「陛下も心配して、何度も様子を見に来るのよ」

「それは、そうでしょう。きっと、待ち遠しのです」

「ええ、そうね……世継ぎが生まれるのを望まれているのでしょうけど……私は女の子の方がいいわ」

「そうだとしたら、きっと姚妃様に似て美しい公主様になられますね。でも、なぜ女の子の方が?」


 皇帝陛下も、百官も、姚妃の親族も、世継ぎをと願っているだろう。今の陛下にはまだ男子が生まれていない。

「世継ぎだと……宮廷の争いに巻き込まれてしまうもの」

 姚妃は視線を開いている窓の外に向けて、ほんの少し顔を曇らせて呟いた。

 人の思惑や欲、妬みや嫉妬とは、無縁ではいられないのが後宮という世界だ。姚妃がそう思うのも当然だろう。


 後宮の外にいて、無関係に生きている美雲には、何もできない。ただ、その子が無事に生まれてくれることを願い、祈るだけだ。


「陛下は跡継ぎが生まれぬことを心配していらっしゃるのです……その時のために、志勇に縁談を勧めているのですが、その気にならぬようで」

「志勇さんに縁談……ですか?」

 美雲は驚いて、思わず聞き返した。

「ええ、そなたにも話していないのですか?」

「いえ……何も……」

 先日、雨に打たれながら廟を訪れた志勇の姿が頭を過る。様子がいつもと違っていて、悩んでいるようでもあった。


 あの占いは――縁談相手の方との相性を知りたかったから?

 占いの結果は、悪くはなかった。結ばれるまでには困難もある関係ではあったけれど、互いを心から思いやれる良い縁だと出ていた。それこそ、運命的な。


 美雲は視線を下げ、膝の上で両手を握る。

 志勇に縁談が来るのは当然だ。今の皇帝に男子が生まれぬままであれば、皇帝の弟である志勇とその妻となる女性に、その役目を期待される。そうしなければ、皇帝の血筋を存続できない。


 志勇が皇帝の弟であると知っていても、あまり実感がなかった。いつも気まぐれにやってきて、雑談して帰っていく。いつも気楽な態度で接してくれるものだから忘れそうになるが、やはりあの人は特別な人なのだ。


「きっと、いい人に巡り会えますよ……志勇さんはいい人ですから」

 美雲は呟いて、少し無理に微笑んだ。



 後宮を後にした美雲は、夕日に染まる道を歩いて帰る。廟の前まで辿り着くと、門の前に車が止まっていた。志勇の車だ。

 足を止めて、美雲はその車を見つめる。

 

 門を入ると、志勇は庭の倚子に腰掛けて桃の木を見上げていた。美雲を見ると、「遅かったじゃないか」といつものように笑う。

 

 人の気も知らないで――。


 美雲は「今日はなんです?」と、素っ気なく尋ねた。

「ああ、まあ……その、お祈りにね」

「……心配しなくても、きっとうまくいきますよ。縁談のことなら」

 視線を合わせづらい。志勇は一瞬黙ってから、「聞いたのか」と小さな声で言う。

「今日、後宮に行っていたのです……姚妃様にお会いするために。この前……占いをしにいらしたのは、縁談のことを聞きたかったからでしょう? 良い結果だったのですから、心配ありませんよ。きっと、いい方です。お会いしてみたらどうです?」

「姚妃に、頼まれたのか? 私に縁談を勧めるように」

 志勇の声は少し怒っているように聞こえる。笑みもしまっていた。


「いえ……私はただ……志勇さんが迷っていらっしゃるようだったから」

「君にはいい縁談だと思えるわけだ」

 皮肉っぽい言い方に、美雲は苛立ちを覚えた。

「ええ、そうですよ。いけませんか?」

「そうか。私がどこかの誰かと政略結婚させられようと、君には関係ないってわけだ。私の気持ちなんて知ったことじゃない。きっと、どうでもいいと……」

 投げやりに言われて、美雲は「思っていませんよ!」と思わず声を大きくする。

 びっくりしたように、志勇は無言になっていた。


「幸せになってほしいんです……っ! 私は志勇さんのことを、友人だと思っているんです……友人の幸せを願うことがおかしなことですか? あなたはいつか、誰かと結婚してしまう。そうしなければいけない人ですもの……相手の方がいい人であってほしいと思うのは、おかしなことですか?」

  

 願うこと、祈ることしかできない。

 友人でいることしかできない。

 本当に、自分の無力さが嫌になる。


 ボロボロ涙がこぼれてきて、美雲は手で頬を押さえた。志勇が驚いて立ち上がり、そばにやってくる。

「私の言い方が悪かったんだ。泣かないでくれ……」 

 志勇は困った顔をして、美雲の首に手を伸ばしてくる。引き寄せられて、額と額とがコツッと当たった。

「嫌いです……志勇さんなんて。早く結婚でもなんでもしてください……そうすれば、もうここには用がないでしょう?」

 涙ぐんだまま、美雲は強がるように言う。涙が止まらなくて、声が詰まった。きっとひどくクシャクシャな顔になっているだろう。


「それは困るな……この前、占ってもらったのは、お見合い相手との相性なんかじゃないよ。そんなもの、どうだっていいさ。どのみち、断るつもりなんだ」

「こ、断る!? どうしてですか!?」

「……どうしてって、私にその気がない」

「断っても、いいのですか?」

 そんな重大なことを、志勇の一存で決められることなのだろうか。跡継ぎ問題だって、絡んでいるのに。


「そうだな……たぶん、怒られるだろう」

 志勇はいつものように、飄然と笑っている。

「それなら、やっぱり……」

「断るよ。兄上や重臣たちが何を言おうと、こればっかりは私の問題だ。他人に決められるものか」

 それは面白くないのだと、志勇は唇を少し曲げる。意地になっているような顔だった。


「どうするんです……結婚しないつもりですか?」

「するとも。だから、君に占ってもらったんだよ。ある人との相性をね。困難はあるかもしれないが、結ばれる良い縁だと君が教えてくれた。だとしたら、その困難とやらは乗り越えるだけだ。そうだろう?」

 

「あ…………ある人?」

 美雲は困惑して尋ねる。心臓の鼓動が速くなっていた。

「そう、ある人だよ。私が熱心に口説いているのに、少しも意識してくれないちょっと鈍感な人で、妖怪退治が得意なんだ」

「私は、妖怪退治が専門ではありませんってば!」

「だけど、君の恋愛成就のお守りもお祈りも、あまり効果がないみたいだ」

 そう言いながら、志勇は懐からお守りを取り出す。それは以前、美雲が彼に頼まれてあげたものだ。

 

「君の占い通りにいくならば、うまく結ばれるはずなんだ。運命の相手なんだから。そうじゃないとしたら、君の占いはインチキ占いってことになる」

 お守りを揺らしながら、志勇はニヤッと笑っていた。

 

 あの日の占いの結果は――。


「私とのことを……占ったんですか?」

 潤んだ目をして志勇を見上げながら、信じられないようにきく。

「君は最初に占った時も言ってくれたじゃないか。良い縁に巡り会えるって……その通り、私は君に出会った。だったら、この前の占いだって当たるさ。そうだろう?」

「うまくいきませんよ……誰が許してくれるんです?」

「許されなかったら……そうだな。皇族なんてさっさとやめて、ただの人になって、君の廟に居候させてもらうさ」

 そんなことができるはずもない。前代未聞だ。

 志勇がそうしたくても、周りの者たちが許しはしないだろう。 


「勝手なことを言って……」

 呆れて言いながらも、笑みがこぼれた。

 志勇がいうと、本当にそうなるような気がする。


「きっと……大変ですよ」

「その時には、一緒に逃げればいい。そうだな。妖怪退治でもしながら暮らそうか」

「お断りします。私は妖怪退治は専門外ですから」

 美雲は素っ気ない口調に戻り、クルッと背を向ける。「えっ、断るって……妖怪退治の話だろう? 私の申し出を断ったわけじゃないよね?」と、焦って後を追ってきた。


 祭壇の前に行くと、静かに見下ろしている月花真君の神像を見上げた。この先、どうなるかなんて、きっと占ってもわからない。

 

 月と地上ほど離れていても、結ばれる恋はある。

 だとしたら、いつか叶う日を夢見て、静かに流れに身を任せるのも悪くはないのだろう――。

 

「まったく、この神様はインチキだな。なかなか、結ばれないぞ」

「きっと、お祈りと真剣さが足らないんですよ」

 隣に立って不満そうな顔をしている志勇をチラッと見てから、美雲はククッと笑ってしまった。


 





 

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月仙廟の花婿 妖怪退治は専門外です 春森千依 @harumori_chie

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