第4話
翌朝、早速和真に電話をかけた。思いがけず声が弾んでいたことに驚いた。
「潜る気になったって、えらく急に心変わりしたんだな。いいよ、案内する」
和真は私が昨日から一転して龍神池のダイビングに興味を持ったことを不思議がっていた。目的を話すのは後にしよう。三十年前の指輪を見つけるために潜るなんて、あまりに突飛だし、照れくさい気がした。
「でも、初日はまず練習だな。龍神池は難易度が高いスポットなんだよ」
「えっ、池にドボンと飛び込めばいいんじゃないの」
その日に潜れると思っていた私は拍子抜けした。
「ロマンのない奴だな。海からアプローチするんだ」
海からでも池からでもすぐに潜れたらそれで良いのに、と思ったが指輪を探すこともロマンなのだから彼を笑うことはできない。
潜水の練習は午後からということになった。私は宝探しができることに心が弾んでいた。
和真は軽トラにダイビングの機材を積み込んでやってきた。白のTシャツにカーキ色の短パン、サンダル姿で実年齢より随分若く見える。
「あっ、私水着持ってない」
海で泳ぐつもりなど毛頭無かった。離島が好きな同僚は、私が帰省するときに泳がないと聞いて、しきりにもったいないと言っていたのを思い出す。
「ウェットスーツはレンタル用を持ってきたよ。インナーは水着があった方が良いな」
言われて行く道のスポーツ用品店でセパレートの水着を買った。派手なハイビスカスのいかにもな柄は気が引けたが、インナーとして着るのでこの際何でも良かった。
三台ほどの駐車スペースに車を停めた。手狭な簡易シャワーブースでウェットスーツに着替えた。和真は茂みの中で手早く着替えて準備万端だった。
「うう、きつい。お昼ご飯が出そう」
ウェットスーツのチャックを上げると締め付けの強固さに息が詰まりそうだ。
「昼は軽めにって言っただろ、何食べたんだ」
「もずく丼、ついお代わりしちゃった」
母の作るもずく丼は昔から変わらない味だ。ミンチ肉とにんじん、玉ねぎを刻んでもずくと和える。てきめんにご飯が進む。
「これ、ハーネスな。さらにキツくなるぞ」
ボンベを装着するための装備らしい。空気を圧縮したボンベを背負うとハーネスがずしりと肩に食い込む。
ぎこちない動きでヒルギの茂みを抜けて白砂のビーチに出た。目の前には陽の光を受けて輝くエメラルドブルーの海が広がっている。私には見慣れた色だが、島外からの観光客はこの海の色に憧れてやってくる。関西の友人は島の海を「不自然なほど綺麗すぎてまるで清涼系の入浴剤を混ぜたような色」と表現した。ユーモアたっぷりの比喩に思わず笑ってしまった。
和真に引き連れられて浅瀬を歩いていく。
「まずはハンドサイン、危険を感じたとき水中で叫び声は聞こえないから落ち着いてサインを送るんだ」
親指と人差し指で輪を作るOKサイン、親指を立てると浮上、手を首の辺りで水平にするとエア切れ、両手の平を突き出してストップ、など基本的な動作を教えてくれた。どれも直感的な表現なので、どうにか使えそうだ。
「耳抜きも大事だよ。一番簡単なのは鼻をつまんで唾を飲み込む。飛行機でも効果があるだろう」
潜る前にやっておくと水中でもスムーズに耳抜きができるという。
「水深が深くなると水圧がかかって耳が痛くなる。痛くなってからじゃ抜けにくいから頻繁にしておくといい」
和真は良いインストラクターだと思う。説明は丁寧で分かりやすいし、人懐っこい笑顔は緊張を解してくれる。水に潜るのは不安だが、一緒に練習をすることで気が紛れてきた。
「中性浮力、これは基本スキルのひとつで、龍神池に潜るには大事だぞ」
「中性浮力って」
聞き慣れない単語だ、私は復唱した。
「水中で浮きも沈みもしない状態、ホバリングのことだよ。中性浮力を自由に操れることでダイビングを快適に楽しめるよ」
和真は腰に手を当てて人指し指を突き出す。浮力調節装置の操作と姿勢、体内の空気量がミソだと力説する。
「実践で覚えるのが早いよ」
「うん、やってみる」
私は意気揚々と水に潜ってみた。目の前を色鮮やかな熱帯魚たちが回遊している。透明度の高い海に太陽の光が真っ直ぐに差し込み、レースカーテンのように揺らめいている。美しい水中の風景に見とれていると、耳がツーンと痛くなった。慌てて鼻を摘まんで耳抜きをする。ポン、と音が鳴った。耳通りが良くなり、音が明瞭になる。
龍神池に潜るために必要だという中性浮力をマスターすべく、潜水の練習をした。
気を抜くと知らぬ間に身体が浮き上がっていたり、思いのほか海底近くに沈んでいたり、浮力調節装置の具合が分からず苦戦した。
海から上がると、陸の重力に身体がずんと重く感じて一気に疲労感がやってきた。
「月から帰ってきた気分」
「大げさだなぁ」
和真は私のげんなりした顔を見て笑った。
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