青い監獄

湖上比恋乃

青い監獄

 一

 男にくだった判決は、死ぬほどではなかったが、気楽に構えられるほど短い刑期でもなかった。その残り六年の刑期を六ヶ月にできる、という話を持ちかけられたのが春先のことだ。一年や二年でもなく、ましてや半分になるわけでもない。たった六ヶ月で釈放される。

 そんなうまい話があってたまるか。いや、でも。

 大幅な刑期短縮に男の心は揺れた。詳しい話は行けばわかるの一点張りで、六ヶ月間とある場所で労働すればいいだけだと言う。いかにもな怪しさに躊躇したものの、「この場で返答しなければなかったことに」の言葉が決め手となった。


 後悔と期待を繰り返しながら一ヶ月あまりを過ごした男は今、手足に枷をはめられてプロペラ機に乗り込んでいた。

 移動距離はかなりのもので、これの前に乗った飛行機の中で一泊した。故郷から遠くなるにつれ、だんだんと男の耳慣れない言語で話す人々が増えていき、ついには周囲の会話が全く聞き取れないものになった。

 プロペラ機を降りてから乗り込んだ車は揺れがひどく、男は何度も頭を打ちつけた。乾いた空気、近く感じる太陽、彼にとっては見慣れない人々の衣装と街の様子。窓の外をぼんやり眺めていると、移送車が街の出口で停車した。

「ここか?」

 ひさしぶりに出す声は掠れていた。

「まだだ。一人乗せる」

 助手席にいた男が車を降り、店の前に座る青年に声をかける。店の壁には、男には読めない文字で「代わりに荷を運びます」と張り紙がしてあった。

 そうして歩荷の青年が道連れになった。


 街を出て、山の合間を縫うように進む。丈の短い草だけで覆われた山々に、木は一本も生えていない。所々に岩肌が見える程度で、窓の外はほとんどずっと同じ色だった。空の青と、草の色。

 やがて車が停まると、今度こそ、と男は思う。

「ここがお前に六ヶ月間を過ごしてもらう山だ」

 歩荷の青年が先に降り、車の後ろへ回る。手枷と足枷をした男が最後に降りた。強い日差しの眩しさに目を細める。乾いた空気で肺を満たした。喉が渇き軽い頭痛に襲われていたが、枷を外されると、随分体が軽くなったように感じた。

「何をすればいい」

「行けばわかる」

 監獄で尋ねたときに返ってきた言葉そのままだ。どこに行くのか、そこで何をするのか、何一つ情報は与えられなかった。

「頂上に家がたっている。一人住んでいる者がいるから、従うように」

 指さす先には、確かに建物が見えた。

「こんなところに一人で住んでいるのか」

「家までは彼が案内してくれる」

 男が車の方に振り返ると、荷物を背負った青年がいた。彼の背中に積み上がった箱は五つ。

「もしかして俺もこれをやるのか」

「行けばわかる」

 同じ答えだった。



 二

 故郷よりはるか太陽に近く、丈の短い草しか生えていないこの山に、私は一人で住んでいる。頂上に建てられた家では、風が子守唄にも目覚ましにもなった。

 家から出て「今日はめずらしく晴れたな」などと空を眺めていると、眼下で光を反射するものがあった。車だ。そうか、歩荷の彼が来る日だったか。

 同時に、人の形が四つあることにも気づく。そうなると登ってくるのは二人だろうと検討がつき、深く息を吐いた。生まれた感情に名前がつくまえに、吐いて逃したかった。喉がひりつく。一度家の中に入り、洗ってある器をつかむ。甕に差し込んで水を掬った。口に含んで少しずつ飲み下していく。揺れる水面と喉を通っていくぬるさに、気持ちが落ち着いた。また、外に出る。

 休憩中の彼らの姿は小さく、到着にはまだまだかかりそうだ。歩荷の彼だけであればあっという間にやってくるが、連れがいる日はそうもいかない。きっと夕方近くになるだろう。いつも通りの仕事をしながら待つことにする。


 予想していた時間に彼らはやってきた。

「いつもありがとう」

 荷物を下ろす歩荷の彼に声をかける。目が合うと小さく頷いた。同じ言語で話すことはできないが、私の言葉を聞き取ることはできるらしい。私が話しかけて、彼が身振りで返すのがいつものコミュニケーションだった。

「そして」連れ立ってきた男に向き合う。

「ようこそ、と言っても不快ではないだろうか」

 疲れたのだろう。外壁にもたれかかって座り込んでいる。

「私のことは青藍と呼んでくれ。あなたのことはハナダと呼ぶ。いいね?」

「は? 俺の名前はハナダじゃねえ」

 眉を顰めるが、睨んでいるのではなくて頭痛がするのかもしれない。どちらも、というのは大いにありそうだが。

「あなたがどこまで説明や指示を受けてここに来たかは知らないが、私に従うように、ということだけは必ず伝わっているはずだ」

「むしろそれしか聞いてねえな」

 歩荷の彼が、また箱を背負う。今度は下に降ろす荷物だ。

「私の青藍だって通称名のようなものだ。ハナダという名もそう。ここに来れば皆同じ名前になる」

 山を降りて行こうとする背中に「よろしく頼む」と言葉を投げかけると、横顔が見える程度に振り向き、また小さく頷いてくれた。

「さあ、中に入るといい。まずはその頭痛に効く薬を出そう」

「医者なのか?」

「医者ではないが、薬を研究している。ハナダはその手伝いでここに寄越されたのだよ」

 多少は信頼してもらえるといいのだけれど、と思いながら家の中に入る。ドアは開け放しておいた。ついてくるにせよ、そのまま外壁に体を預けているにせよ、薬は提供するつもりだ。ここに連れてこられる人たちは皆そろって高山病になるので、対症療法にはなるが、頭痛に効く薬は常備してあった。

 ひとまず居間の机に水を掬った器を置き、薬棚のある部屋へ向かう。土を蹴る音が聞こえたので、「椅子に座って待っているといい」外に向かって声をかけておいた。

 薬包紙に丸薬をのせて渡すと、やはり怪訝そうな顔をする。

「飲みたくないというのであれば構わない。自然治癒する場合もある。ただ治りそうになければ下山してもらう。その場合、あなたに出された条件は全てなかったことになる」

 それだけで済めばいい方だ。殺される可能性もあるだろう。

 ハナダは諦めたように手を伸ばし、薬を飲み込んだ。どういう条件を出されているのか知らないが、よほどイイハナシだったようだ。

「飲めたら家の中を案内しよう。そしたらもう寝るといい。明日の朝よくなっていれば早速仕事をしてもらうからそのつもりで」

 入ってはいけない部屋だけを簡単に伝え、ハナダの寝室へ案内すると、もう限界とばかりにベッドに倒れ込んだ。

 

 一人になったとたん、いやに静かに感じた。この家にハナダがくるといつもそうだ。昨日も今日も居間に一人なのは変わりないというのに。

 研究室に入り、机に向かう。新しい日誌の表紙に「縹五〇」と書いた。



 三

 ハナダが来てから二ヶ月がたった。何事もなく穏やかに日々が過ぎていくのが不思議なようで、よく「ほんとにこんな仕事でいいのか?」と尋ねてくる。私も毎度律儀に「十分やってくれている」と答えるが、納得した様子はない。

 キノコの採集、水汲み、炊事洗濯、依頼したことはきっちりこなしてくれているのだ。何の問題もない。

「今日もキノコの確認をよろしく頼む。生えていればいつもの籠に入れて持ってきてくれ」

 家の裏にはキノコの栽培園があり、そこに生えてくる特定の種〝縹〟を研究、販売している。縹は細い軸を上にのばし、青く透きとおったような小さな傘を開かせる。栽培園は四つに区切られてい、それぞれ「縹四七」「縹四八」「縹四九」「縹五〇」と札が立ててある。山のわずかにある平らな土地を利用しており、ひと区画の大きさはあまり広くない。

 今は「縹四九」が採集時期だ。ただ念のため、ハナダにはどこの区画で採れたものかがわかるように、と頼んであった。

「青藍、採ってきたぞ。いつもどおり四九ってところだ」

 額が汗ばんでいる。晴れているために気温が高いのだろう。

「ありがとう。助かる」

「四八とか五〇とかから生えることってあるのか?」

「四八と四七はないかもしれない。念のため、と初めに言っておいたはずだ。五〇は」

 受け取ったキノコを見つめる。

「これから、だな」

「そうか。そういえば五〇の場所に穴を掘るって言ってたな」

 言いながら、折っていたローブの袖をのばし、腕を抜いた。暑いのだろう。腰のところで袖を結ぶ。この土地の衣装がよく似合うようになった。

「ああ。晴れていれば明日から頼む。少しずつで構わない」

 急がなければならない作業でもない。ハナダが元気なうちにやってもらえればそれでよかった。



 四

 夜になって気温が下がってくると、ハナダは外に出る。晴れた日は飽きもせず星空を眺めているらしい。

 私といえば乾燥室でカラカラにしたキノコを粉末に加工し、薬包紙に包んでいた。少ししかないので、すぐに終わってしまう。包みをトントンと弾いてから光に透かした。

 このわずかな粉で、一体いくらになるのだろう。考えても仕方のないことであるし、私には知る由もないことだが、時折思い出したように気にかかる。そういうときは正気に戻っているのかもしれなかった。

 不老長寿の効能なんて摩訶不思議なものをよくもまあ信じられるものだ。


 仕事が終わると、ハナダを追って外に出た。家のまえに仰向けに寝転がりぼんやりとしている。

「青藍か?」

 足音で気付いたのだろう、視界に入る前に声をかけられた。

「私とあなた以外には誰もいない」

 隣に腰を下ろす。ハナダは空を見上げ、私は山裾や遠くの街に目を凝らした。

「ここにいると、俺がやっちまったことが全部妄想だったんじゃないかと勘違いしそうになる」

「監獄から来たのだったか」

「刑期が短くなるっていうからどんなキツイことをさせられるかと思えば」

 薄明かりの中で視線を感じた。

「キノコ狩りに水汲みに飯の用意、それも二人分だけでいい。受けるかどうか悩んだ一瞬さえもったいなく思える」

 返す言葉を持たなかったが、ハナダには必要なかったようだ。

「俺はしばらくしたら帰っていくが、あんたはこれまでもこれからも、ずっと居続けるんだろう?」

「そうだな」

 前任者のようにハナダに殺されるか、山を降りて監視者に殺されるか。私がここから消えるときは、そのどちらかだろうと思う。

「この山はあんたの監獄なんだな」

「……そうだな」

 ハナダにとってこの山での生活は随分心地いいものに感じられるらしい。しかも期間が満了すれば釈放されて家に帰ることができる、と思っているからなおのことだ。

「山が気に入ったか?」

「ああ。何もないが、それがいい」

「そうか」

 土地に馴染む者は、土地から気に入られやすい。するとなぜか進行も早まる。栽培園に穴を掘る話を早めにしておいてよかった、と思った。そう思うしかなかった。



 五

 縹五〇に浅い穴を掘ってもらってから二週間がたった。縹五〇の日誌にはハナダが来た日を一日目として日数を記録している。それによると今日がちょうど七十日目だった。

 ハナダが起きてこなかった。

 そろそろだろうとは思っていた。第二段階である。十日前から発症していた咳が第一段階だった。

「ハナダ、開けるぞ」

 部屋のドアを開けると、ベッドに臥す姿がある。呼吸が荒い。

「どうした。起きてこないから心配した」

 我ながら白々しい。

「すまん。なんだか体が怠くてな。熱もあるかもしれん」

「わかった。薬を煎じよう。食事も用意するから、そのあとに飲むといい」

「助かる」

 抵抗すればするほど、いいものができるのはすでに研究済みである。だからきちんと、倦怠感と発熱を和らげる効能のある薬を選んだ。咳に対応するものは数日前から処方していた。

 大麦を団子状にしてあったものを柔らかく煮て、崩す。これならば食べられるだろう。今までのハナダもそうであった。

 そして自身で栽培園に赴き、縹四九の区画から青いキノコを採集する。隣の縹五〇には、彼が掘った穴が空いていた。さほど深くなく、広くもない。籠を傍に置き、穴へ近づく。大きく一歩を踏み下ろして中に入ってみた。膝を抱える。そのまま横に倒れてみる。視界にはパラパラと今にも崩れ落ちてきそうな土の壁がある。音が小さく遠く聞こえる。目を閉じる。開く。また閉じる。下敷きにした右腕が土と擦れて痛くなってきた。目を開けて起き上がり、右半身の土埃をはたき落とす。また大きく一歩を踏み出して穴から出た。

「これくらいでいいのか?」

 彼の声が聞こえた気がした。ああ、十分だ。ちょうどいい広さだった。


 ハナダが寝込んでから二日後に歩荷の彼がやってきた。荷を下ろしながら何かを探すような仕草をする。

「ああ、もしかしてハナダを探しているのか?」

 そうだ、と頷く。

「昨日、おとといだったかな。山を降りていったよ。役目が終わったらしい」

 寂しそうな顔をして見せた。言葉が通じなくとも、よく話をしていたからそう感じているのかもしれない。

「また誰かが来るまで私一人だ。今日上げる荷も減っていただろう?」

 確かに進行が早そうだと報告していたが、ここまでピタリと時期を合わせてくると気味が悪い。話が合わせやすくて助かる部分もあるにはあるが。

 歩荷の彼には何も知られたくなかった。私に関わる人間のなかで、彼だけが、私の罪を知らず、また私の罪にもならない。

 あのハナダはもういないと信じた彼が山を降りていく姿を見送る。降りきったあとで振り向くのを知っているからだ。家の前に椅子を出してきて、腰を落ち着かせた。

 家の中ではハナダが苦しそうにしていて、私は日差しとゆるい風を浴びながら歩荷の彼を見つめている。そして彼はちらりちらりと私の様子をうかがいながら、淡々と歩みを進めていく。

 山裾で大きく手を振る姿に、同じようにして返した。力の抜けた頬は、椅子を運び入れたときに再びかたまった。私はいま、正気だろうか。



 六

 日誌に八十五日目と書いた夜のことだ。ハナダはもう会話することができなくなっていた。昨日の朝から部屋のドアは全て開け放っている。いつ、その時がきてもおかしくなかった。ハナダの部屋に椅子を持ち込み、座って眠ることにした。

 彼には不老長寿の薬のもとになる青いキノコ、縹が寄生している。縹を採集してもらう仕事は、寄生する機会を増やすためであった。幾度めかのときに付着した菌糸が彼の中に侵入し、時間と過程を経て、体全体に菌糸のもとが蔓延する。すると宿主が死亡するのだが、縹はその前に体を動かし、自ら栽培園に向かうのだ。そう、このように立ち上がって。

「始まったか」

 ベッドの上に立ち上がったかと思うと、軽い音を立てて床に足を下ろす。そして迷いなく歩き、開け放たれたドアを二つ潜って外に出た。月が明るい。そのためにハナダの好きな星は数を減らしていた。

 先日の私がしたように、大きく一歩を踏み下ろして穴に入る。膝を抱えて横たわると、目が閉じられた。

 一、二、三、四、五……十五、十六、結ばれていた手が脱力し、解ける。呼吸を確認。死亡が確定した。

 穴に入ってから脱力までの秒数を日誌に記入するため、一度屋内に戻る。このあと衣服を脱がし、宿主に土をかけなければならない。蔓延した菌糸のもとが全て菌糸に変化するまでにやり遂げる必要があった。

 パラパラと乾いた音を立てながら、宿主の体に土が積もっていく。遺体から発生するキノコははじめ、主に耳や口といった孔からのびる。その後は目、喉と順に範囲を広げ、足首から発生する頃が採集の最盛期となる。

 土をかける行為は、それを見届けることから逃げるということに他ならない。

 すでにその段階の記録は残しており、観察する必要がない。

 縹一、縹二、縹三、縹七の体からキノコが発生している様子をすぐに頭に浮かべることができる。記録だけでなく記憶にも残っているのだ。だから改めて観察する必要はない。


 土を被せ終え、研究室に入る。卓上の隅にあった空の薬瓶に〝縹五〇〟と書いたラベルを貼った。



 七

 風が窓を叩き、朝を知らせる。目が覚めたのは研究室の床だった。いつの間にか眠っていたらしい。固まった体をのばすのに少し時間を取られた。

 居間にある籠を抱えて栽培園へ向かう。これまで通りであれば縹五〇の区画にキノコが発生しているはずだ。

 やはり、あった。土から細い軸をのばし、瑞々しく透きとおった青い傘を開かせている。ぷつ、ぷつと採集する。

「この字はなんと読むのか、と聞いたな」

 立て札の文字に触れ、キノコのなくなった地面に話しかける。あの時は、青い色を表す漢字らしい、とだけ答えた。

「ハナダ、と読む」


 縹五〇は縹四九と区別して乾燥され、一本を残し粉末になった。形を残した一本はラベルを貼った薬瓶に入れる。そうしてから、研究室にある造り付けの木製棚を開けた。

 ずらりと並ぶ薬瓶。その数、四十九。どれもに白いラベルが貼ってある。縹五〇を四九の横に置き、扉を閉めた。

 宿主それぞれが記憶に残らないように、と共通してハナダと呼んでいるのにもかかわらず、生きている時の姿を五十通り鮮明に思い出せてしまう。縹五〇も忘れることができないだろう。忘れるどころか曖昧になることさえないような気がする。四十九回ともそうだったのだから。

 宿主特異性により、残念ながら私に寄生することはない。またいずれ宿主になれる要素を兼ね備えた人物が探し出され、この山にやってくるだろう。それまで縹に触れるのは私だ。

 今日も私のための監獄で、青いキノコを採集する。私の体質が変容し、縹に寄生される日を夢見て。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

青い監獄 湖上比恋乃 @hikonorgel

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ