第5話 嫌われ者の凡才

あれから、私の願いもむなしくあいつはどんどん私に差をつけて前に進んでいった。

普段は私の隣でぼんやりと座っているだけなのに、瞬きをした瞬間にあいつは、随分前で笑っているなんてこともしばしばで、そのたびに振り返ってよ。と思ってみたり、こっちに戻ってくんなと思ってみたり。忙しかった。

とにかく私はあいつの隣にしがみついた。ここしか居場所がないと信じて。

馬鹿の一つ覚えのように、ドレミファソラシがかろうじて読めるようになった楽譜に今見ると読めもしない文字を書き込んで。謎に色ペンなんか使ってみたりして。


それでもなんとか選抜入りは一年間継続することができた私は、いわゆる同級生たちからは非常に「浮いて」いた。小学二年生だ。はぶるなんて言葉も知らない。ただ、嫌い。っていう感情に素直なだけ。嫌いな感情をまともにぶつけられていた私は、どうするのが正解なのか知らずにただ、ぼんやりと何もしていなかった。


不思議なのが同じ環境であるはずの彰人は全く「浮いていなかった」ことだ。今振り返っても私たちの何が違ったのか、説明することはできない。でも私が嫌う側だったとして、彰人は嫌う気も起きないのは少しわかる気がした。そのぐらいあいつは、違う世界の住人だった。私は運が良いだけの天才になりたい凡人だったから。


気づけば雪が散りだして、雪だるまなんかの話も雑にするようになっていた。

クリスマスがやってくる。私たちの合唱団もクリスマスコンサートへの練習が始まった。クリスマスの特徴は、身内会であること。学年ごとの演奏もある。高校生の男子たちは面白い余興もしてくれる。そんな完全なるパーティー形式。私たち小学二年生も学年での練習が始まった。幼稚園の頃から合唱団に通う同級生だけど「先輩」である人たちが練習を仕切る。そんな練習が始まってしばらくたったころ。


水穂「ねぇ(笑)」


学年でリーダーを務める、彰人の幼馴染で一期上の先輩が、楽譜とにらみあう私の肩をたたいた。


「はい」

水穂「初音ちゃんの歌ってさぁ、声震えててへたくそだよね(笑)」

「え…」


真っ黒い目がこちらを見て、三日月形に目を細める。へたくそと言ったとは思えない綺麗な笑顔。あ、私本当に嫌われているんだ。そう思ったそれ以上に、へたくそ。その言葉が私の中でぐわんぐわんと流れていた。


私へたくそなのかな…。やっぱりへたくそなのかな。


嘘か真かわからなくて。しかも、妬みという言葉を知らなかった当時でも、へたくそが私に対するいやがらせである可能性もわかっていたから。その言葉が、受け止めるのに時間がかかって。


「それ思ってた(笑)」


水穂の後ろから別の先輩が楽しそうに声を上げる。その笑いが伝染していって、気づいたら何個かの似た位置にある真っ黒の三日月が、こちらを見ていた。

その三日月がだんだん滲んでいく。


泣いたら負けだ。泣いたら。傷ついてなんてやるものか。


唇をかみしめる、俯いて楽譜を見つめる。楽譜は正直者。正しいことしか書いていない。だから楽譜の通りに歌えば、私は仲間なんていなくたってうまくなれる。

俯いて見えた足元に、見慣れた緑色のガキっぽいスニーカーがこちらを向いていた。

黙っていた男が、こちらを向く。

一人だけ、満月で、満月の中にたくさんの星を飼っている瞳が。

こっちをとらえた。


「それ俺も思ってた」


「…え?」

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