第29話

 ナハトはふと目を覚ました。背中には柔らかいベッドの感触がして、目の前には見知らぬ天井が広がっている。

 どうやら自分はどこかに寝かされているらしい──そう気付いたナハトはゆっくりと身体を起こす。

 見ればすぐ側の椅子にバルダックが腰掛けていた。どこかの病室なのだろうか、こじんまりとした家具のない無機質な部屋に、ベッドだけ運び入れてナハトを寝かせていたようだ。


「よう、目が覚めたか」

「……目が覚めて最初に見る顔がお前だと、気が滅入るなバルダック」

「開口一番切れのいい毒舌なこって」


 バルダックの軽口が、妙に懐かしい気がした。

 そうだ、ナハトは一体どれくらい意識を失っていたのだろうか。


「俺は……どうなったんだ……」

「お前さんはロランスとやり合った後、無理がたたって三日三晩寝込んでいたのさ。あんな無茶二度とするなって、医者が怒ってたぜ」

「三日……そんなに寝てたのか」


 ナハトは軽く身体を揺すったり腱に力を入れたりして、身体の具合を確認する。傷の痛みは全くないが、長い間寝ていたせいか身体の節々が軋むような感覚を覚えた。


「お前が寝てる間、結構な騒ぎだったんだぜ」

「聞かせてくれ」

「まずお前さんが倒したロランスの事だが、お上にも伝わっているが緘口令が敷かれている」

「だろうな」


 大貴族が裏で手を引いて皇太子暗殺を企てたなど、世間に広まれば混乱は避けられまい。内政の不安を露呈し、諸外国から攻められる好機となるかもしれないのだ。緘口令が敷かれて情報規制がかかるのは仕方のないことだろう。


 それと──とバルダックはそれまでの愚痴っぽい言いぐさから一転、喜色満面で続ける。


「俺たち七番隊の評判はうなぎ登りだ! 殿下暗殺を防いだ英雄って、帝都中で話は持ちきりさ。フェリスちゃん隊長なんて、元々社交界でも有名だったのに今じゃ超人気者で、帝都で知らねえ奴なんていねぇくらいなんだぜ⁉」

「彼女は美人だからな、人気が出るのも不思議じゃない」


 やや興奮気味のバルダックに対して、ナハトはさして驚いた様子もみせない。フェリスの美貌も強さも、そして気高さもナハトはよく知っている。人気が出るのは何の不思議でもない──少なくともナハトはそう思っているので、特段驚くことでもなかった。

 むしろ、


「ついでにお前も有名になってるぞ」


 とバルダックが続けたその一言に驚いた。


「……へ?」


 ナハトは阿呆のようにポカンと口を開けた。バルダックの言っていることがよく分からない。


「なんで俺が?」

「おいおい、最後まで殿下たちの馬車の前に立ち塞がって、何度斬っても甦る強敵と大立ち回りやってたのはお前なんだろ? 今じゃお前は帝国の未来を守った英雄だって持てはやされてんだぜ」

「……冗談だろう?」

「残念ながら大マジだ。守銭奴から大出世じゃねぇか英雄様」

「…………」


 からかうバルダックにナハトは何も言えず、開いた口が塞がらないまま固まっていた。


(俺が……英雄? ────マジで?)

「大怪我で寝込んでて表に出て来なかったせいか、余計に美化された噂が流れまくってるぞ。曰く、長身の美丈夫で誰よりも気高く清貧を貫く騎士だとさ」

「勘弁してくれ……」

「ひゃははははははっ!」


 ナハトは金欲しさに剣を振るう守銭奴に過ぎない。自分とはかけ離れた人物像がひとり歩きしていると知ってナハトは頭を抱えてしまい、そんなナハトを見てバルダックは可笑しくて仕方ないというように腹を抱えて大笑いした。


「──って、そんな事より家はどうなったんだ? 子供たちは?」


 立ち退きを要求の件は何も進んでいなかったはずだ。そもそもロランスが家を吹き飛ばしてしまったので、あの子たちには住む家がない。どうなったのかと気が気ではなかった。


「心配すんな。立てんだろ? とりあえず起き上がって部屋を出ようぜ」


 ニヤリと笑ってバルダックが扉へと促す。ナハトは若干ふらつきながらも立ち上がり、ゆっくりと扉に向かう。


「ロランスの事、緘口令が敷かれているって言ったよな」

「ああ」

「で、エスメラルダ家は取り潰しを免れたが、持っていた財の殆どを政府に取り上げられてな──その財の中からお前に褒賞が与えられてよ」

「えっ?」


 バルダックが扉を開ける。ナハトが一歩部屋の外へ出ると、そこには広々としたリビングになっていた。豪奢な装飾の施された大きなテーブルと椅子がずらりと並び、大きな窓からは柔かな日差しが差し込んでいる。


「聞いて驚け。なんとこの家はナハト、お前さんの物だ」

「ここが──俺たちの家?」

「スゲェだろ? 街の一等地にある貴族の別宅がお前のモンなんだぜ」

「…………」


 目の前の光景が信じられず、ナハトは口をパクパクと動かした。


「この家だけじゃねぇ。お前んとこの子供たちにも、ちゃんと市民権と戸籍が与えられて、その気になれば学校にだって通えるらしいぞ。あと褒賞金も結構出たって。銀行の兌換券もらったリーナちゃんが目を白黒させてたぞ」

「──俺、妖精に化かされてるのか?」


 想像だにしていない事態に、ナハトは混乱していた。余りにも都合のいい事が起こり過ぎて、現実感がない。

 ナハトが呆然としていると、


「あっナハト兄だ!」

「ナハト兄が起きてるよ⁉」


 別室で遊んでいたらしい子供たちが、ナハトを見つけて寄ってくる。

 続いて現れたリーナは、ナハトの姿を見た途端に涙を浮かべ、そのままナハトの胸に飛び込んだ。


「──ナハト‼」

「すまんリーナ、心配かけて」


 リーナを抱き止めて、ナハトはその頭をそっと撫でてやる。この五歳年下の妹分には、随分と心配をかけてしまった。


「全くよ! こんな心配させないでちょうだい‼」

「悪かったって……」


 そのままナハトにくっついて泣きじゃくってしまうリーナに、ナハトは困ったように頭を掻いた。


「目が覚めたんだなナハト」


 風鈴のような玲瓏な声色が響く。その声が無性に懐かしく感じられた。


「フェリスさん──」


 リビングの入口にフェリスが立っていた。子供たちとリーナに囲まれているナハトを、フェリスは優しく微笑みながら見ていた。

 守るべき子供たちとリーナがいて、頼れる悪友のバルダックがいて、尊敬できる存在であるフェリスがいる。住処に困って不安になることもない。

 その幸せを噛みしめ、ナハトはくしゃっと顔を歪めて笑った。


「へへ……なんだか夢みたいだ」




 ──ひとしきりナハトが目を覚ましたことを皆で喜んだ後、ナハトとフェリスは家を外から眺めながら、二人で話していた。

 隊長と副隊長として、話したい事があるらしい。

 フェリスは躊躇いがちに口を開いた。


「これからどうするんだ?」

「? どういう意味ですか?」


 質問の意図が分からず首を捻るナハトにフェリスは続ける。


「住処の問題は片付いたし、子供たちもちゃんと教育を受けられるようになった──もうそなたが衛兵を続ける必要はないのではないか……?」


 そういうことか──とナハトは腑に落ちた。

 確かにナハトが衛兵団に入ったのは子供たちの生活費を稼ぐためであり、高邁な理想がある訳でもない。

 褒賞金もたっぷりとあるし、今なら衛兵団を続ける必要性も低いのは確かだ。


「もし衛兵を辞めたいというのなら、私は手を貸してやれるが……どうする?」

「う~ん……」


 ナハトはポリポリと頬を掻いた。無理をしてこれ以上戦う必要はないと分かっている──分かっているのだが……。


「確かに諸々の問題は解決しましたけど、それでも貯えがいつまでもある訳じゃありませんし……俺には剣しかないから、このまま衛兵を続けて金を稼ごうと思います」

「──そうか」


 フェリスのこぼした「そうか」という一言には、安堵の色が含まれていた。このままナハトが衛兵団を去ってしまうのではないかと、一番寂しく思っていたのはフェリスだったのかもしれない。

 そう思うとフェリスのいじらしさが可愛らしくて仕方がなかった。

 だからだろうか。


「それと──」


 ナハトは自分でもらしくないと思いながら付け加える。


「どうもフェリスさんと俺は相性が良いようだ。フェリスさんと会ってから色々と好転したことが多いですしね──だからもう少しあなたの傍にいます」

「まったく現金な奴だ」


 フェリスは小さく笑った。

 これはナハトと付き合ううちに分かったことだが、この凄腕の剣士は照れ隠しに銭を使うところがある。

 銭儲け、金のため、そんな言葉で露悪的に振舞い、本当に思っている優しいところを見せないようにする癖があることをフェリスは知っていた。

 口先で金のためと言いながらも、ナハトが衛兵団に残ることを選んでくれたのなら、それだけでフェリスの頬は緩み続けてしまう。


 ふとフェリスは顔を上げ、真正面からナハトを見据える。


「そうだナハト、ひとつ頼みごとをしてもいいだろうか」

「何でしょう? フェリスさんのお願いなら、大抵のことは首を縦に振れますが」


 訝しむナハトフェリスは微笑みかける。


「私といる時は敬語や敬称を使わなくていい」

「──はい?」

「私たちは共に死線を乗り越えた──いわば戦友だ。であれば対等に扱ってほしい。もちろん他の者がいる時は、隊長副隊長として節度ある言動をしないとならないが、あまり丁寧な物言いをされると、なんだかその……距離があるようで、その…………少し寂しい」


 いつもの堂々としたフェリスはどこへやら、まるで幼子のように口ごもる。そんなフェリスにナハトは思わず笑いだしてしまった。

 フェリスは顔を真っ赤にして怒る。


「わっ笑うなナハト!」

「思いしもしない可愛らしい事だったので……つい」

「か、可愛らしい⁉」


 フェリスは言葉に詰まって固まる。もう怒っているのか、照れているのか、フェリスの顔が赤すぎてよく分からなかった。


(本当に真っ直ぐで可愛らしい人だ……)


 込み上げる笑いをなんとか押さえ、ナハトは新居へフェリスを促した。


「みんなが待ってる、戻ろう

「ッ! ──ああ!」


 嬉しそうに答えたフェリスの無垢な笑顔が、ナハトの瞳に焼き付いた。



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本作を最後まで読んで下さり誠にありがとうございます。

この作品はどこかのラノベの賞に出そうと考えておりますので、

・ちょっとここが分かりづらかった

・もっとこうした方が良いんじゃないか

等々、改稿する際の参考にしたいので、感じたことはなんでもコメントしていただけたらと思います。

何卒よろしくお願い申し上げます。         

                            十二田明日


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いずれ剣聖にいたる帝国の守銭奴 十二田 明日 @twelve4423

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