第5話 罪状
そう、中学のあの時、
それをハッキリと覚えているのは、
「その後、自分の身の上に何が起こったのか?」
ということが、分かっていたからに違いない。
「私が初めて感じたデジャブ」
というものほど、印象深かったデジャブはなかった。
それ以降でも、何度もデジャブを感じたのだ。
それも、定期的に、そして、頻繁にであった。
「これを、堰を切ったかのように」
という感覚だというのだろう。
ということを、りえはか案じていたのだ。
その日、りえに起こった身の上というのは、本当に自分の中で一瞬だった。
前述の、黒い影が自分に襲い掛かったということであるが、それが車だったのだ。
「あっ」
という悲鳴を上げたような気がする。
最初は、自転車のバランスを崩して、道からはみ出してひっくり返るんだろうと思った。その先にあるのは、小さな土手から先に見えている田んぼであった。
そこに滑り落ちるくらいであれば、受け身さえしっかりしていれば、
「大きなけがに繋がることはない」
と思えた。
しかし、りえは、次の瞬間に、
「熱い」
という思いを感じた。
その熱さは、身体の間隔を一瞬、マヒさせるようなもので、次第に、意識が薄れてくるのを感じた。
その時、身体がちぎれるかのような痛みを感じたと思ったのだが、一瞬のことで、自分でも分かっているわけではなかったのだ。
痛みのその強さを感じると、
「熱さというものが、この痛みから伝わってきたものだ」
と感じた。
だから、感覚がマヒしてきたのであって、元々の、
「痛みのメカニズム」
というものを、その時理解できていたと感じたのだ。
だが、気が付けば、一瞬にして意識を失ってしまっていたようで、気が付けば、病院のベッドの上だった。
りえが気が付くと、ベッドの脇には、心配そうに見つめている良心がいた。目が合った瞬間、安心した表情になったのが分かったのだ。
「お母さん」
と、りえは、両親ともいたにも関わらず、母親の方しか見ていなかった。
「やっぱり、お父さんはいつも家にいないから」
ということを気にしていたようで。母親は、りえが帰ってきた時には家にいたのだった。
母親は正社員で働きに出ていたが、帰りの時間は、いつも結構早い時間にしてもらっているので、帰りついた時間というのは、いつも、りえよりも早かった。
といっても、最近では、学習塾に行っているのは、週に三回あるので、その曜日だけ、っ残業をしているようだった。
そしていつも帰る時間が分かっているということで、それに合わせて、母親も帰ってきているようだった。
父親の会社は、就業時間に容赦はないようで、下手をすれば、りえが寝静まってから、帰ってくることも多く。さすがに、母親も待ちきれなくなって眠ってしまうことが多かったので、食事だけを一人で食べている父親がいたのだ。
それを見て、
「そんなにまでして頑張ってくれているんだ」
と思っていたのだが、実際には、毎日が残業というわけではなかったようだ。
確かに、週に2回くらいは残業があったようだが、それ以外は、同僚と飲んで帰ったりしていたようだが、それでも、
「日数が合わない」
と、母親は思っていて、ここまでくると、さすがに、りえにもその理由が分かった気がした。
母親もそう思って洗濯ものとかをチェックしていたようだが、
「ああ、やっぱり」
ということうぃ自分でも分かっていたようだ。
「そう、これは完全に浮気であり、不倫というものなんだ」
ということを、りえも分かっていた。
りえも気にしていたので、父親の行動パターンが分かるようになっていた。その日は、ちょうど、浮気相手のところに行っているという日のはずだったので、電話か何かで緊急連絡があって駆け付けてくれたのだろう。
そういう意味では、
「感謝をしている」
と感じるのだが、それ以上に、
「許せない」
という思いが日ごろからあったせいで、いまだに自分の頭の中が混乱しているのであって。そのせいで、余計にしh地親が憎たらしかったのだ。
だから、父親の顔を見ることをせずに、
「この際だから、思い知らせてやろう」
と思ったのだ。
りえは、女なので、母親の味方だった。
というよりも、
「自分がされて嫌なことをするのを、本末転倒だ」
と思っていたので、
「母親を苦しめる父親を、許せない」
という思いが強かった。
しかし、この感覚は、
「勧善懲悪」
という感覚とは違うもので、もっと、
「生理的なもの」
という感覚で覚えていた。
つまり、
「不倫というのが汚いもの」
という感覚を絶えず覚えていて、その思いが、父親に対して強く持っていて。
中学生になってから、クラスの男子に対して、あまりいい気持ちを持てないという理由だった。
クラスの男子というと、いつも、自分たちを、いやらしい目でしか見ていないと思い込んでいた。
それは、りえも、
「思春期の真っただ中」
ということであるが、それだけではない。
「男子も真っただ中だ」
ということであり。
「男も女も真っただ中」
ということであれば、
まるで、磁石における。
「S極とS局であれば、反発しあう」
という感覚に似ているように思えたのだ。
反発しあう力の強さは、
「自分の思春期の力に、さらに相手の力が加わる」
ということで、自分の思春期の力というのも、
「たいがいなものだ」
と思っていた。
さらにそれ以上の力となると、距離がどんどん離れていかないと、耐えられないということを示しているかのように思うのだった。
りえは、それを、
「男女の間の関係って、そういうものなのかも知れない」
と思った。
もちろん、これは、
「思春期だからだ」
と感じるからであって、その証拠に小学生の頃の、異性をまったく異性として意識していないという時期であれば、まったく、そんな距離を感じることもなかっただろうと思うのだった。
そもそも。小学生の頃は、男女の意識はほとんどなかった。
なかったというのは、ウソであるが、それは意識したといっても、無意識に近いというくらいのもので、
「自分が男性だったとしても、別に」
としか思わないと感じるほどであったのだ。
りえは、まったく意識していないと思った男子の中でも、仲が良かった男の子がいた。
その子は、りえと一緒にいて、
「楽しい」
と言ってくれたことが、りえにとっては、この上ない悦びだった。
それは、相手が、同性である女性からでも、同じ感覚ではなかったかと思うのだが、
「私は、いずれ、男性を好きになるのかしら?」
と感じたほどだった。
実際に、中学生になって、
「気になる男の子」
というのは、いるにはいるが、
「好きだ」
という感覚はなかった。
むしろ。
「好きだ」
というよりも、
「気になる」
という思いの、
「それ以上でもそれ以下でもない」
という感覚だったのだ。
「これが、中学時代だから、そうなのだろうか?」
と感じた。
確かに思春期というのは、
「大人の階段を上る時」
という、まるで歌の文句のようなセリフを、いやみなく聞けていたように思えたのだった。
ただ、思春期というのは、
「嫌なことも、まともに受け入れてしまう時期だ」
ということで、いい意味でも悪い意味でも、
「大人の階段を上っている」
ということだった。
だから、楽しいと思う時もあれば、辛いと感じる時もある。この感情が、自分の中での、「ウソがつけない」
という思いになるのだろう?
と、りえは感じているのだった。
りえというのは、中学に入ってから。身体の発育に、必要以上敏感だった気がする。
胸が膨らんできた時に感じたのが、
「母乳が出るかも知れない」
と真剣に思っていた。
「子供ができたわけではないので。母乳が出るなどということはありえない」
ということを分かっているはずなのに、
「意識が強すぎると、そんなことだってあるかも知れない」
と思っていたのも、事実だった。
実際に、何かの医学書で、かつて、
「子供もいないのに、意識が強すぎるせいで、母乳が出た」
という話を幾度となく聞いた気がした。
それが、同じ人によることなのか分からなかったが、
「これだけたくさん書かれていると」
と思ったのは、それが同じ人であろうがあるまいが、件数が人数と合わないというだけで、それほど意識することはないと感じたからだ。
この逸話を聞いているから、
「想像妊娠」
という言葉を聞いた時、納得がいったのだ。
「子供ができないことを気にしている女性がいるとして、あまりにも、その奥さんが、妊娠を意識していることで、妊娠もしていないのに、まるで、子供ができた時と同じような現象に陥ることであった」
といううのが、
「つわり」
であったり、
「すっぱいものが食べたくなる」
などと言った、
「妊婦特有の、味覚変化」
というものではないだろうか?
そんなことを考えていると、そこにあるのが、
「人間の自意識過剰」
あるいは、
「思い込みによる、錯覚」
というものではないかと感じるのだった。
父親が、いかに家族に対して、
「どんな罪があるのか?」
ということを考えると。
「その罪の重さは、その罪の範囲」
ということでも決まるのではないか?
と感じたのだ。
実は、病院に入院する前、これは実に偶然ではあったのだが、友達と話している時、
「ひき逃げ」
というものに対しての罪状について会話をしたことがあったのだ。
その内容というのが、
「ひき逃げって、罪が重いじゃない」
といきなり友達が言い出した時だが、
「ええ、そうよね」
というと、
「ひき逃げということで、例えば、その人がひき逃げしたことで死んでしまった場合」
ということになると、
「どうなるのか?」
ということであった。
友達がいうには、
「ひき逃げをした場合というのは、一つの行為、あるいは結果で、いくつかの犯罪が成立することになるのね、たとえば、ひき逃げの場合だけど、一つは、歴然とした結果からだけど、殺人罪ですよね? そして、もう一つは、被害者を放っておいて逃げているということで、救護義務違反というのがあるの。そして、もう一つは、警察に届けなければいけないことに対して、それを怠ったということでの、報告義務違反ですよね? まだほかにも、死体遺棄であったり、細かいことはあるんでしょうけど、裁判になったら、それをすべて加味しての判決になるんだけど、裁判では、それらの重複した犯罪があった場合は、一番重い財形に処すというのが、刑法では決まっているようなの」
という。
「それって、軽いように思うけど」
というと、相手はそれには答えずに、
「犯人が翌日にでも、家族や身近な人に連れられて自首してきた場合などが、どうなるかということになるんでしょうね?」
と友達が言ったが、りえは考えるに、
「それって、自首って言えるのかしら?」
と言った。
「どうしてそう思うの?」
と友達が利くので。
「だって、罪の一つに。救護義務違反というのがあるでしょう? もし、その時まで被害者が生きていれば、この救護義務を怠ったということが重大であって、義務違反をしているのに、自首としていいのだろうか? って思いません?」
というと、
「ええ、その通りなのよ。これで自首ということにしてしまうと、それはそれでまずいのよ。だって、被害者は、車に当たった瞬間に死んでいるわけではないので、殺人罪で立件はできない。そうなると、救護義務違反を怠ったことで、死んだのだから、傷害致死罪になるわけでしょう? それを殺人罪との因果関係として、殺人に匹敵する罪にしようと思うと、自首を認めるということは断じてあってはいけないことだと思うのよ。だから、あとからでも。警察に行けば、すべてが自首扱いになるなんてバカなことはないといってもいいんじゃないかしら?」
というのだった。
それを聞いて、りえは。
「それはもっともだ」
と感じたし、口でもそう答えた。
それを考えると。りえは、ひき逃げに対しての思いが少しずつ分かってきた気がしてきたのだ。
「一つ気になるのが、どうして、犯罪行為一つに罪が重複した時、その罪の一番重たいものが優先されて罪状が決まるということなのかしらね?」
と、りえがいうと、友達は、一瞬考えたようだったが、すぐに答えた。
「確かにそうよね、ひき逃げにしても、ひき逃げじゃなかったにしても、結局、その人が即死だったとすれば、罪状は、殺人罪ということになるでしょうね。でも、それは、あくまでも、犯罪の根底となる罪が決まるということで、例えば、殺人罪というもの一つをとっても、その罪によって、情状酌量というものがあるでしょう? だから、刑罰には、
〇〇年以下の懲役または、〇〇円以下の罰金ということになるんですよ。私が思うに、この刑罰というのは、実際に一番重たいものが優先されて、そこから、どんどん減算されていく。つまりは、刑罰は、最大公約数でできていて、一番重たいところから、情状酌量などで、どんどん刑が下がっていくでしょう? だから、最初に検察からの求刑というものがあって、それまでに、求刑に対してのたくさんの証拠であったり、陳情があったりして、それを材料に、裁判官たちが、それを考慮に入れて、判決を決めることになるということになるんでしょうね。それが裁判であり、法治国家なればこその判決が決まるということなんでしょうね」
というのだった。
「でも、そのわりには、その判決に対して、いろいろいう人もいるわよね?」
と、りえがいうと、
「それは、しょうがないところがあるでしょうね。たとえば、事件の中には、理不尽とも思えるような犯罪がある。若い子が、暴行されて、犯人が未成年だったりすると、その弁護人が、被害者に対して、恫喝まがいのことをして、起訴を取り下げるということになることも少なくないわよね。何といっても、強姦罪というのは、今は違うけど、親告罪だったので、被害者が取り下げれば、それで終わってしまう。警察は民事不介入なので、示談にでもなれば、刑事で争うこともしない。弁護士というのは、依頼人の利益を守るのが仕事で、別に、勧善懲悪じゃなきゃいけないというわけではない。だから、訴訟を起こそうとしている相手に対して、どんなことでもする」
といって、ふっと息をのんだ。
それを聞いて、まるで、苦虫をかみつぶしたような、気分が悪いと思っていた状況に、一瞬の間を置いた感じであった。
彼女は落ち着いたのか、話し始めた。
「弁護士がまず口にするのは、費用対効果ということね」
というので、りえは、すかざず、
「費用対効果とは?」
と聞いてみた。
「費用対効果というのは、主に民事の場合なんですけどね。裁判に至るまでに、まずは、こちらも弁護士などの相談したり、探偵を雇ったりして、相手のことを調べたりするでしょう? もっとも、これは強姦に限ったわけではなく、詐欺などの場合なんですけどね。それに掛かった費用と、被告が罪に問われて、相手の罪状を考えた場合、弁護士費用などの方が相当お金がかかって、相手は、たかがかかっても数万ということであれば、費用的に、こっちが赤になるのであれば、そこまでして、訴訟を起こすかという意味での、掛かる費用と、相手がこうむる損害。つまり、こちらが起こした効果との比較だということですね」
それを聞いて、りえは、素直にうなずいた。
さらに、彼女は続ける。
「その次に問題になるのは、被害者が、法廷で聞かれることに耐えられるか? ということですね」
という。
「どういうことです?」
と聞くと、
「相手の弁護士は、当然、依頼人のことを守ろうとするから、ズケズケと聞いてくる。例えば、実は合意ではなかったのか? ということを聞きたいので、被害者がただでさえ、思い出したくないことをズバズバと聞いてくるものだから、もし、せっかく忘れたいと思ってある程度まで立ち直っていたとすれば、それを逆行させることになるので、それを被害者側が望むかどうかですよ。まわりは、当然皆被害者に対して、腫れ物に触るように、十分に気を遣うでしょうね。でも、裁判に入って尋問されれば、それまでの努力も苦労も水の泡ということになるんですよ。それで、いいのかどうか? それが一番の問題なんでしょうね」
というのだった。
これに関しては、まったく異論はない。それくらいなら、示談にしてしまおうと少なくとも当事者全員が考えることであろうと、りえは納得したのだった。
「なるほど、だから、減算法での罪刑が決まるということね。分かった気がするわ。要するに、プラスから見ると、マイナスって、正反対だということになるのね?」
と、りえがいうと、
「うん、そういうことよね。プラスとマイナスというのは、ゼロという線を挟んだ、まったく逆の効果があるの。だから面白いわけで、私はそこに挟まっている、ゼロの線というのが、逆に気になっているんだけどね」
というではないか?
「えっ? どういうこと?」
と、何度目であろうか。彼女のいっていることに何度となく同じリアクションを示しているのであるが、そのうちに何が違うのかということを、自分の中で、何となくであるが、分かってきているような気がしているのだった。
「私は、時々思うことがあって、それが、ゼロというものへの考え方なのよね? というのが、例えば、無限ということを考えた時、まず、発想するのが、「合わせ鏡」というものなのよね。この合わせ鏡というのが、どういうものなのかって、分かりますか?」
と言われて、正直、聞いたことはあったが、どんなものなのかということは知らなかった。
りえは、興味があることを、自分から進んで調べようということはしなかった。
「女性というものは、控えめな方がいい」
と思っていたからで、最近では、それが自分の勝手な思い込みだと考えるようになったことで。次第に考え方が変わってきたことを感じていた。だから、最近は、いろいろ知りたいと思って。本を読んでり、ネットで調べてみたりしているが、いまいち要領を得ていないので、時間が掛かったり、ぎこちなかったりしていたのだ。
しかし、それも、
「そのうちに、慣れてくるわ」
という、どちらかというと、考え込まないところがあり、それがある意味、
「一番のいい性格ではないか?」
と思うようになった。
そう思うようになってから、遊びの部分というか、気持ちに余裕が出てきた気がして、その分、いくらでも、臨機応変に対応できるということが、
「自分にとっての武器だ」
と思うようになってきたのであった。
それを考えると、人から聞いたことを吸収する楽しみも生まれてきて、それが、今の彼女の、
「コミュ力」
というものを作っているのだと感じさせるのだった。
りえが、
「合わせ鏡って、聞いたことはあるけど、実際にはよく分かっていないのよ」
というと、友達は、おもむろに説明を初めてくれた。
「合わせ鏡というのは、自分の前と後ろ、あるいは、左右にそれぞれ、等身大の鏡を置くことなんですよ。そうすると、例えば、前後に置いた場合を考えてみると、目の前に、まず、自分が写っているでしょう? すると、その向こうには、鏡が写っていて。その鏡には、背中から映った自分の姿が見えるのね。そして、その向こうには、また鏡があって、今度はこっちを向いているというように、徐々に小さくはなっているんだけど、ずっと果てしなく続いているということになるのよね」
と友達がいうと、りえは、その話を聞いてその光景を想像していたのだが、何か奥歯にものが挟まってしまったかのような、不可思議な感覚になっているのだった。
それを見て友達が、
「どうしたの?」
と聞いてきたのだが、その顔が、
「私には何でも分かっているのよ」
といっているようで、マウントを取られているはずなのに、実際にはそこまで感じていないという不思議な感覚になっていた。
「だんだん小さくなっているのに、無限に続いていくんでしょう? そんなことって、普通に考えてありえないような気がして」
と、りえがいうので、友達も納得したかのように、一度大きくうなずくと、興奮したかのように、
「うんうん、確かにその通り、でも、それが、この仕掛けの思うつぼといってもいいところなのよ。というのが、この発想が、いわゆる、「限りなくゼロに近い」という感覚を持っているということになるのよ」
と、身を乗り出すようにしていった。
この日一番の友達が興奮した瞬間だったのだ。
「そうなのよ。この問題は、無限ということを前提にして、小さくなっているにも関わらず、決してゼロにならないということを、不思議だと思うところから始まるといってもいいって、私は思っているの」
と、友達がいう。
りえは、口には出さないが、またしても、表情で、
「どうしてなの?」
と聞いている、
そう聞かれるのが、彼女としては、快感なのかも知れない。一種の異常性癖に近い感覚ではあるが、別に悪いことではないと、りえは思っていた。
その話を聞いた時、
「私も、友達のような発想に目覚めたのかも知れないわ」
とばかりに、自分がどこかで、
「何かを覚醒したのかも知れない」
と感じるようになったのだった。
覚醒というと、恰好いいが、最近では、あまりいい意味に使われないという場合もあったりする。それを考えると、必要以上に考えてしまう自分がいて、
「面倒くさく見られるかも知れない」
と感じたが、だが、それは自分の思い過ごしで、友達が話しているのを見ると、
「自分もあんな風に人を説得できるようになりたい」
と思うのだった。
しかも、彼女のように、相手に、
「自分が説得されようとしていない。まるで、洗脳されているのではないか?」
という感覚がないということが、どれほどの心地よさを与えてくれるかということが分かったからだった。
だから、りえは、友達の話を聞くのが好きだったし、
「いずれは自分もあんな風になれたらな」
と考えるようになっていたのだった。
「それって、限りなくゼロに近いものということなのかしらね?」
と聞くと、
「そうそう、まさにその通り。だから、今あなたが不思議に思ったのが、今あなたが感じた。限りなくゼロには近いけど、ゼロになることはないと感じたことと、プラスのマイナスの間には、絶対的なゼロというものの存在を考えたからなのよね、つまりあなたは、今までゼロを何もないものとして意識をしていた。だから、合わせ鏡のような発想だと思うのよ。そして、それが未来に対してのプラス思考になるのよね、あなたは、マイナスを過去と重ね合わせてみているから、過去は変えられないというもので、勉強はできるけど、直接変えることができないということを分かっている。だから、私が言ったマイナスという思考に違和感を感じた。今まで感じなかったことだからね。でも、それは、あなたが、意識して感じなかっただけで、その存在は分かっていた。だから、ゼロという発想も分かっている。だけど、それを認めると、自分が考える、無限というものを自らが否定することになり、それは許せなかった。それがあなたのジレンマとなり、あんな、苦虫をかみつぶしたかのような顔になったんでしょうね」
と友達は、まくし立てるように言った。
それも、先ほどよりも、どうかすれば、興奮度は高かった。それは、鼻息の荒さというもので分かるといってもよかったくらいだ。
「私にもその発想が分かる気がするわ。確かに、マイナスと過去を重ね合わせていたというのは、言われて初めて分かった気がするんだけど、本当にそうなんだろうか? それを思うと、今まで感じていたかも知れない、マイナスという世界を、今一度覗いてみたい気がするのよ」
というと、友達は、今度は冷静に、いや、冷酷に聞こえるほど声のトーンを低くして、
「あなたは、やっぱり一度マイナスの世界というものを見たことがあるのよね?」
というので、
「いつのことだったのか分からないんだけどね」
というと、
「それは、分からないのか、それとも意識して分かっていないつもりでいるのかは分からないけど、あなたが、それが夢だったということで片付けようとする自分がいるのを分かっているんでしょうね。確かに、夢ということで片付けてしまうと、これほど気が楽なことはないといってもいいでしょうからね」
と友達の声は、まったく震えていなかったのだ。
「まるで、地獄の底から話をしているかのようだった」
と思えてならないからであった。
実際に、りえを轢いた人は、しばらくしてから捕まった。その人は、年齢的には30代の男性で、事故があってから、数週間での逮捕となった。
事故としては、悪質なものだったので、新聞にも、テレビのニュースにも、実名入りで報道された。
もちろん、地元のニュースとして、少しだけ載っただけなので、関係のない人はすぐに忘れていったようだが、その男の人生は、ほぼ終わったといってもいいかも知れない。
会社は首になり、近所でも、噂になり、引っ越さなければいけなくなった。
奥さんから離婚され、子供の養育費と、奥さんに対しての慰謝料も取られることになった。
踏んだり蹴ったりとは、まさにこのことで、
「あの時、ちゃんと警察に通報さえしていれば、最悪、保険で何とかなった問題なのかも知れない。
実際に、被害者はぴんぴんしているのだから、下手に出ていれば、保険会社の方で、ある程度はうまく交渉してくれたはずだ。
それを思えば、その場から逃げたことがいかに、ひどい行為だったのかということが、あらためて思い知らされるということだ。
それを思うと、
「あの時に、戻ることができれば」
と思いたくなるのも、無理もないことだろう。
しかし。
「過去は変えられない」
という言葉も、本当で、ただし、その後には、
「未来は変えられる」
というではないか?
要するに問題は、
「その男がこれから、どのような人生を送るか?」
ということである。
一度犯罪を犯した人間は、また引き起こすとも言われているが、この男は、どうだろう?
犯罪の種類としては、同じような犯罪としては、
「性犯罪者」
「暴行、傷害」
さらには、
「薬物関係の取締法違反」
などというのは、かなりの高い確率で再犯するという。
しかし、このひき逃げ男のような場合はどうだろう?
裁判では、有罪ではあったが、執行猶予がついたので、まだ、マシだったということであろうが、その代償の大きさに、しばらくは、立ち直れなかった。
もっとも、それくらいの犯罪だったわけで、いきなりの懲役を食らわなかっただけでもよかったというものだ。
仕事の方も、裁判が結審してから、少しして決まったようで、少しずつ、
「社会復帰」
というのができてきたようだ。
果たして、この男にとっての未来は、変えられるのだろうか?
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