第3話 歴史の無限性

 歴史というのは、その内容から、

「時系列においての、事件であったり、人間社会や風俗などを学ぶこと」

 といってもいいのではないか?

 もっとも、本当の定義としては、違うのかも知れないが、りえの方は、そんな風に感じていた。

 りえは、

「自分で書く小説は、フィクションしか書かない」

 ということで、

「時代小説は、書かない」

 と思っていた。

 ちなみに、

「時代小説」

 と

「歴史小説」

 と二つあるが、その違いというのは歴然としているようだ。

「歴史小説」

 というのは、

「史実はもちろんのこと、時代考証まできちっとしていて、基本的には、ノンフィクションである必要がある」

 というものである。

 逆に、

「時代小説」

 というものは、

「史実に関しては、どちらでもよかったりする、もちろん、時代考証も、基本的には間違っているというわけにはいかないが、物語のユニークさということで、わざと、時代考証はでたらめですという但し書きを書くことで、可能にしている」

 ただ、これを歴史小説でやってしまうと、その時点で、歴史小説ではなく、

「時代小説になってしまう」

 といえるだろう。

 つまりは、

「歴史小説は、ノンフィクションのドキュメンタリータッチ」

 のもので、

「時代小説というのは、史実に則っていてもいいが、あくまでも、読者を楽しませるという、フィクションによる、エンターテイメント性の高いものをいう」

 ということであった。

 りえは、

「読むなら、歴史小説、書くとすれば、時代小説だ」

 と思っているだろうが、さすがに、時代小説を書こうという気にはなれなかった。

 どうしても、

「時代劇というと、昔からある、ワンパターンともいえる勧善懲悪な話だ」

 としか感じないのだった。

「水戸黄門」

 であったり、

「遠山の金さん」

 などという、大御所的なシリーズはもちろんのこと、

「岡っ引き、あるいは、仕事人と言われる特殊な人たちが、庶民の味方になって、悪代官などの悪を懲らしめる」

 という内容に、皆、胸を躍らせている。

 ただ、それは、ほとんどが、中年以降の人であり、若い人には、あまり受け入れられないというのは、

「それだけ、社会というものを知ってきた人が、社会というものに失望していて、せめてドラマや小説の中では。勧善懲悪であってほしい」

 という思いから、時代劇や、時代小説に走るということであろう。

 そういえば、昔の戦時中など、出版にも、検閲があった時代に、戦前などには人気だった、探偵小説は、発禁になったり、発行されているものは、

「絶版とされた」

 という時代があった。

 それは、やはり、

「戦争遂行のために、当局が、ふさわしくない」

 と感じたことから、

「探偵小説や、ゴシップ小説、さらには、SF系などは、発禁にされたのだろう」

 と思えた。

 それに比べて。時代小説は、

「勧善懲悪」

 という、当時の日本の戦争遂行のスローガンである、

「大東亜共栄圏の確立」

 ということに近かったのだろう。

「大東亜共栄圏」

 というのは、それまで、欧米列強から、東アジアを植民地とされ、搾取されてきたという、

「黒歴史」

 に幕を閉じるという意味で、

「アジアから、アングロサクソンの勢力を駆逐し、その後に、日本が中心となって、アジア独自の新秩序を打ち立てよう」

 というものであった。

 これのすごいところは、

「アジアから、アングロサクソンを駆逐したところで、やめない」

 というところであった。

 これの見方として、

「これまでの列強に変わって、日本がアジアの盟主になろうとする野心が見え隠れしている」

 というところにあるのかも知れないが、少なくとも、アングロサクソンからの解放というのは、それぞれのアジアの国としては、一種の、

「悲願」

 ということであっただろう。

 そもそも、日本だって、鎖国を、アメリカによって、

「艦砲外交」

 というものによって、半ば強引に、開国させられたわけだ。

 もっといえば、

「条約を結ばなければ、戦艦で攻撃する」

 といって、大砲を、江戸の町に向けているのだから、開国しないわけにはいかないという状況だったのだ。

 それを思えば、

「日本が、朝鮮を同じやり方で開国させた」

 ということも、ある意味、日本としては。

「開国し、明治維新を成功させた」

 ということが自信になっているのかも知れない。

 もっとも、

「明治維新が成功した」

 といえるかどうか、分かったものではないが、ただ、時代は、着実に近代化していき、次第に、

「世界の大国」

 として君臨するようになったのも事実であった。

 だから、いち早く、不平等条約を解消し、

「独立国日本が、アジアで唯一、列強の仲間入りできた」

 というのは、ある意味、

「明治の元勲」

 と呼ばれる人たちの功績であることは間違いないだろう。

 そんな時代において、朝鮮が独立する際には、

「日本の明治維新に習う」

 という独立派の勢力があったというのも事実である。

 結果敗れて、それが原因で、日清戦争に突入したのだが、それも、無理もない、時系列だったといってもいいだろう。

 そんな日本がアジアに進出したのも無理もないことだろう。元々の植民地政策に後れを取ったという気持ちがあるからで、その頃の経緯もあることで、どうしても、

「日本のいっていることは、欺瞞だ」

 と言われるようになったのかも知れない。

 しかし、結果としては、日本が進出した国は、しっかりと、インフラも整備され、その後の独立戦争を戦うだけの力を手に入れたのも、

「日本による教育のおかげだ」

 ともいえるだろう。

「志なかばで、夢破れた」

 という形にはなったが、

「日本という国は、本当に大東亜共栄圏の確立を目指していたことだろう」

 それは、

「アジアが一丸となって、欧米列強の侵略を許さない」

 ということへの現れだったに違いない。

 だから、当時の日本は、

「立憲君主国」

 ということもあって、天皇を中心として、

「国防であったり、国の方針には、ある程度従わなければいけない」

 ということだったのだ。

 特に大日本帝国というのは、

「欧米列強から見れば、遅れてきた国」

 ということであり。しかも、

「致命的に、資源お少ない国だ」

 ということなのであった。

 当然、植民地政策を、

「遅ればせながらに欧米に、追い付け追い越せ」

 という気概を持つ必要があり、それが、そのまま、資源の確保に至るということだったのだ。

 満州国では、思ったほどの良質の資源がなかったことで、南方に進出することになるのだが、これも、

「アメリカに仕掛けられた」

 とはいえ。

「日本の事情が、許さなかった」

 という意味で。アジア進出に、軍が独走したというのも、無理もないことであった。

 大陸への進出は、中国が、日本に対して、相当な意識を持っていたことも大きな原因であろう。

 他の欧米列強には、義和団が台頭してきた、

「北清事変」

 の時に、当時の清国の君主ともいえる、

「西太后」

 が、何をとち狂ったのか、

「九か国もの多国籍軍」

 に対し、北京で宣戦布告などをしたことで、結局、列強に頭が上がらなくなったことで、日本に対して、大いに、敵対心を持ったのかも知れない。

 そもそも、

「対華二十一か条要求」

 というものなどのうっぷんが溜まっているのか、反日という感情は、かなりのものだった。

 特に。

「懲弁国賊条例」

 などというものがあり、これは、

「朝鮮人を含む日本人に対して、土地を売ったり貸したりすれば、死刑」

 というような法律であった。

 要するに、

「売国奴」

 ということになるということで、

「死刑もやむなし」

 ということになったのだろう。

 それだけ、日中の緊張はずっと大きなままだったのだ。

 そんな日中間において、

「日本国内の食糧問題」

 あるいは、

「日本の生命線」

 という問題が絡んできて、それが、満州事変という形で紛争になると、日本が、列強に配慮して、満州を、

「植民地化」

 ということにせずに、

「傀儡国家」

 という形で、表面上は、

「独立国家」

 としていたのに、それを、中国が国際連盟に提訴し、調査団が形成され、その、リットン調査団の報告により、

「満州国は傀儡国家」

 であり、

「満州事変は、日本が主張する自衛権の行使ではない」

 という結論にされたのだ。

 確かに、満州事変のきっかけとなった、

「柳条湖事件」

 というのは、

「日本軍による自作自演」

 という形であったが、その背景にある、

「反日運動」

 を中心とする、日本の居留民や、満鉄に対しての嫌がらせや、迫害。暗殺。強姦などという、ありとあらゆる、

「悪事」

 を当時の中華民国は行ったのだ。

 それに対しての、日本がいうところの、

「自衛措置」

 ということのはずなのに、調査団は、

「柳条湖事件」

 というものだけを切り取った結論にしか思えないのは、気のせいであろうか?

 日本は、そのあたりから、軍国主義というものが、あからさまになり、中国との泥沼の全面戦争に入ったばかりか、今度は、

「英米に対しての、戦争」

 ということで、資源獲得のためと、アメリカ側の最後通牒である。

「ハルノート」

 に対しての、外交断念ということで、世界大戦に引きずり込まれることになったのだ。

 本来であれば、

「途中で、いいところで矛を収める」

 というはずだったのが、勝ちすぎたりしたことで、やめるにやめられず、結果、さらに引きずり込まれ、最後は、国土が焦土となるまで続いたのだった。

 そんな戦争が、

「無条件降伏」

 で終わると、日本は、奇跡の復興などを経て、高度成長期を迎えた。

 どんどん、ブームは短期間で過ぎ去っていき。

 マスメディアとしての、マンガや、映像界は、最初は、

「紙芝居」

 から始まり、

「貸本屋」

 という時代を経て。雑誌の時代へと入ってきた。

 その時のブームというと、やはり、

「時代もの」

 であったり、

「戦記物」

 であったのだ。

 戦記物も、

「華々しい戦争の雄姿を描き、戦闘機のパイロットが、英雄となるような話」

 である。

 占領軍による、統治期間であれば、そんなものの発刊は許されなかったのではないだろうか?

 しかし、平和主義の日本ではあるが、なぜ、日本の軍国主義のような紙芝居や、マンガが許されるというのか?

 ある意味、当時の世界情勢が、許しているのかも知れない。

 当時の日本は、朝鮮戦争からこっち、米軍基地を抱えていたりして、社会主義国に対しての抑えとして、日本への利用価値は大きかった。

 それはやはり仕方のないことからなのか、日本という国が、軍国主義になることはないと思ったのか、それとも、アジアの社会主義化をそこまでして防ごうということだったのか、

 朝鮮戦争の後も、インドシナ問題から派生しての、

「アメリカによる、ベトナム戦争介入」

 ということが起こったのだった。

 こちらは、完全に、まわりの国が社会主義国になっているのを見て、

「このままでは危ない」

 ということになったのだろう。

 それを思うと、ますます、

「日本という国の位置的問題は大きい」

 ということになるだろう。

 また、そんな時代にも、

「いや、そんな時代にかかわらず、どんな時代であっても、発禁にならないのは、時代小説関係ではないだろうか?」

 やはり、勧善懲悪という考え方が、一番人の心を打って、それだけ売れるのであろう。

 そう考えると、戦記ものが発禁にならないというのも、

「単純に、売れているから」

 ということではないだろうか。

 当時の日本は、(今もであるが)アメリカに対しての気の遣い方がハンパではない。

 何といっても、かの戦争のことを、いまだに、

「太平洋戦争」

 というではないか?

 占領統治の時代であれば、

「太平洋戦争」

 という表記は仕方がないかも知れない。

 そもそも、

「大東亜戦争」

 という言葉は、閣議決定されたものであり、

「日本の戦争をする大義名分」

 だったのである。

 アメリカやイギリスとすれば、これから、戦争犯罪人を、

「勝者の裁判」

 として裁こうとするのだから、日本における、

「大東亜共栄圏の確立」

 などという大義名分があると、邪魔でしかない。

 したがって、

「勝者の圧力」

 でもって、その言葉を使わないようにしたのだが、それも、占領統治の間だけでよかったのだ。

 占領軍が引き上げていったのだから、晴れて

「大東亜戦争」

 という表現を使えばいいものをそれを使わないということは、どこかの権力が働いているのかも知れない。

「南京大虐殺」

 というものをでっちあげたと言われる、

「マスゴミの一部の力」

 というものが働いているのかも知れない。

 と、感じる人はたくさんいることだろう。

 そんな時代に思いを馳せながら、歴史を振り返ってみると、表記だけでなく、言われていることの中には、

「おかしいこと」

 あるいは、

「理不尽なこと」

 というのが、少なからずあるのではないだろうか?

「歴史が答えを出してくれる」

 という言葉があるが、これも、ある意味、胡散臭い気がする。

「226事件」

 というクーデターの映画があった時、このセリフがあり、志半ばで倒れた青年将校たちは、この言葉で、自分の正当性を訴えたいのだろうが、そもそも、この言葉には無理がある。

 というのは、まず、

「答えを出してくれるというが、では、その答えは誰が分かっているというのか?」

 しかも、それが、

「いつどこでなのかもハッキリしないわけで、自分たちが生きている間にその答えがあるわけではない」

 もっといえば、そのセリフを口にした青年将校は、

「そもそも、このクーデターの意味を本当に分かっていたのか?」

 ということである。

 確かに、

「意味を知っているから、クーデターに参加した」

 と思っているわけで、しかし、実際には、

「自分たちが目を覚まさせようとしている天皇が、自分たちを反乱軍とみなし、激怒しているということであるから、何が間違っているのか?」

 と思ったに違いない。

 そもそもが、天皇の側近にいて、下々の生活を見えないようにしている、

「君側の奸」

 という連中をやっつけるというのが、その目的だったはず。

 しかし。実際には、天皇が、ここまで怒っているとは知らないまでも。

「まさか、天皇が、自分たちを反乱軍とはしないだろう」

 と思っていたのは、かなりの確率であるだろう。

 何といっても、軍機違反というよりも、

「憲法違反」

 ということに近いことをやっているわけである。

 というのは、

「天皇は、陸海軍を統帥す」

 ということであるのだが、つまりは、陸海軍は、

「天皇の軍隊」

 というわけで、

 要するに、

「天皇の軍隊を動かせるのは、天皇だけなのに、それを勝手に反乱軍を組織して、クーデターを仕掛けた」

 ということで、

「銃殺刑」

 になっても、仕方のないことだったはずである。

 しかし、それをどこまで分かっていたというのかということであるが、いくら青年将校と言えども、それくらいのことは当然分かっているはずである。

「自分たちの決起趣意書」

 というのを見れば、分かってくれるとでも思ったのか、

 何といっても、暗殺候補者は、天皇の側近であり、

「政治に口出しのできない天皇が、裁可を行う際の、相談役という人たちばかりで、いくら、彼らが、君側の奸だと言っても、天皇がその言葉をうのみにするとでも思ったのか?」

 確かに、江戸時代であれば、

「直訴は死罪」

 ということになっているので、やるとすれば、クーデターしかないだろう。

 そうなると、クーデターを起こすのだから、それなりの覚悟があるだろう。

 その時、前述の、

「歴史が答えを出してくれる」

 と言った人は、天皇からの奉直命令が出たことで、

「兵を返す」

 と言い出したが、この人が反対した。

 元々慎重派だったのだが、皆が、強い気持ちでクーデターを起こすということだったので、自分も乗ったというのだが、

「奉直命令くらいで兵を戻すくらいなら、最初から決起などしなければよかったのだ:

 と言ったが、他の青年将校から、

「もういい。俺たちはやるだけのことはやった。せめて、自分たちを信じて立ってくれた兵の命くらいは救ってやろう」

 と言われ、彼も兵を返すことにした。

 その時に、いった言葉が、

「歴史が答えを出してくれる」

 という言葉だったのだ。

 だが、本人は、そのまま、自殺をしている。だから、何が答えなのか、分からずに死んでしまったということだ。

 もし、死なずに投降していたとしても、結局は、

「弁護人なし、上告なし、非公開での、全員死刑」

 という判決で、銃殺刑に処せられたということであった。

 それを考えると、結局、

「答えが、いつ出るのか?」

 ということは、正直分からない。

 もし、この事件が終結した時が、その答えだったのだとすれば、青年将校の行った行動は、

「まったくの無駄だった」

 ということになるだろう。

 しかし、逆に、この事件によって、軍部の力が大きくなり、世間で言われているように、

「泥沼の戦争にまっしぐらになった」

 ということであれば、その答えは、さらに悲惨だったということになる。

 答えは、

「戦争に負けたことでの、大日本帝国の崩壊にあった」

 ということであれば、この場合も、悲惨だったということであろう。

 ただ、考え方でもあるが、

「軍部の力が強くなろうがなるまいが、最後には、アメリカが、戦争に参戦したくて、日本を引きずり出そうとするのであれば、それは、軍部に関係のないことで、事件の答えであるわけはない」

 ともいえる。

 さらに、この戦争によって、敗戦を迎えたことで、そこが答えだとすると、歴史というのは、

「その答えを元に、さらに問題が提起され、どんどん続いていくものだ」

 ということであれば、

「その答えは、どんどん、周期が増えていき、結局は、そのまま、無限に続いている」

 ということになるのだ。

 ということは、

「ある地点に、事件の答えがある」

 ということだとしても、それは、事件の力として、もたらした結果が、答えだ」

 というわけで、あくまでに、原因に対しての結果が、

「歴史が出した答えだ」

 ということになるだろう。

 しかし、実際に、歴史の答えが、

「原因からの結果だ」

 ということであれば、

「答えは容易に見つけることができる」

 というものだ。

 しかし、この場合の青年将校が言った答えというのは、

「自分たちの理想や、求めていた目的が、いつの日にか達成できる日がくれば。それが答えだ」

 ということである。

 つまり、青年将校の言った言葉の意味は、

「答えありき」

 ということで、

「歴史が答えを出してくれる」

 というのは、答えでなければ、出してくれたわけではないというわけで。それは、達成されたことということで、それが、他力であろうが、自力であろうが、一つしかない答えに到達できるかどうかということである。

 だから、この場合は、答えが分かっていないわけではなく、答えは自分が決めた理想ということになる。

「その通りに世界が動いてくれる」

 というのは、実に都合のいい解釈であり、その考えは、時間が経つにつれて、どんどん小さくなっていくのだが、

「限りなくゼロに近い」

 という意味で、無限に広がっていくということであろう。

 したがって、答えが見つかるかどうか、分からないのだ。

 つまり。

「片方では、原因があって結果がある」

 ということで、事件が終結した時が、

「その答えだ」

 ということで、結果のない事件はないわけで、それが答えということで、制限されているということだ。

 しかし、もう一つの考え方としては、

「自分たちが求める結果にたどり着くかつかないか?」

 という発想は、ある意味、実に都合のいい結論を求めているのであるから、必ずしも、答えにたどり着けるかどうか分からない。

 そこかでたどり着いたとしても、それが、青年将校のいう、

「歴史が出してくれた答えなのかどうか、誰にも分からない」

 からである。

 結果という答えが、もし、青年将校たちの言った理想であったとしても、出てきた答えが、本当に正解なのかどうか、その答えは、結果が出てから、検証することで分かるというものだ。

 その検証がうまくいくかどうか、その答えは、

「無限の中にしかない」

 ということで、これが、

「歴史が出してくれる答え」

 ということにしかならないといえるだろう。

 これが、歴史の無限性ということで。フィクションによる、

「無限性」

 というものが、可能性であったということであれば、

 歴史の無限性というのは、

「あくまでも、都合のいい回答をもっていて、そこにたどり着けるかどうか」

 という、

「求めること自体が、そのおこがましさなのではないだろうか?」

 といえるのであった。


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