第五話

「……何か言い訳はあるか?」


 ティボー公爵家の豪奢なタウンハウスの一室。

 足を高々と組んで、我が家には絶対になさそうな豪奢な椅子にふんぞり返って座るロベール・アラン・ティボー・ル・ロワ様。


 というかそんなに足を高く組まれると、スカートの中が見えて……あ、今日はご令息のお姿なので大丈夫ですね。はい。

 そして、一応わたしも令嬢なんで、椅子の前……と言うか、下で正座するのはできれば止めたいのですが?

 って、この状況、既視感ありますね?


「……いったいなんのことか、わかりかねますが?」


 だらだらと冷や汗を流しながら、つぃぃっと目の前の御仁から目を逸らす。

 

 ……ガシリと女性にしてはしっかりとした、男性らしい指先がわたしの顎を掴む。

 そのまま正面を向かされ、視界一杯に広がったのは……。

 綺麗な紅眼に不機嫌な色を乗せ、これまた不機嫌そうに歪んだ、アラン様のお顔だった。


 ……こんなお顔をさせる為に、頑張った訳じゃないんだけどな?


 チクリと胸を刺す痛みは何処から来るのか……。


 顎を掴まれたまま、立ち上がるよう促されて、そのまま流れるようにアラン様のお膝の上に横座り……ってなんで?!

 距離感おかしくないですか?!


「距離感おかしくないですか?!」


「……問題ない。婚約者同士のふれあいだからな」


 スパンと断言するアラン様。

 って、そのお話、まだ納得していないんですが?!


「……いいのか? お前が俺の婚約者だったから……今回の件、お咎めなしなしになったんだけどなぁ」


 不本意が顔に出ていたのだろう。

 アラン様がそのお美しい顔を意地悪気にニヤニヤさせて、わたしの顔を覗き込む。て、近い近い。


「それは……そうかも……しれませんが……?」


 そう、結局わたしは隣国の王族殺しとして処罰を受ける事はなく、むしろ公爵家の人間を守ったという栄誉を賜ってしまったのだ。



 どうしてそうなったかと言うと……



 あの日、王女サマのご遺体と、王女サマに付き従っていたして、王城へと報告に上がったのだ。

 ……残念なことに、回収した中に生者は一人もいなかった。


 わたしが直接手に掛けた王女サマは兎も角、王女サマのお仲間は、捕縛された段階では生きていた。

 にもかかわらず、王女サマが絶命したのと同じタイミングで、まるで何かから生気を吸い取られたかのように急速に干からびて……全員絶命した。

 遺されたのは抜け殻のように乾涸びた人間のカタチをしたナニカだけだった。


 それが『厄介な隣人』の仕業であると知っているわたしは兎も角、この非現実的な展開に、アラン様も公爵家の護衛の皆さんも全員が絶句して、気味悪げに顔色を悪くしていたのは言うまでもない。


 触れるのすら躊躇するようなその遺体を回収し、なんとか王城まで運んだのはよいが、アラン様も護衛の皆さんも、暫く食事が喉を通らなかったらしい。……まぁ、しょうがないよね。

 

 得体のしれない状況は、得体がしれないからこそ、人の心に深く沈むものなのだから。

 

 とまぁ、顔色の悪いティボー公爵家の面々を引き連れて王城へ戻ったところ、王太子殿下が血相を変えて飛び出してきた。


「レリアーヌ!! 無事だったかっ?!」


「……我が国の小太陽にご挨拶申し上げます」


 一応高貴なるお方なので、定型文でもある挨拶をしながら礼をとる。……血まみれだけど。

 顔に付いてた部分は拭き取ったけど、流石に攫われた身では着替えとか持っている訳もなく、血まみれの女学院の制服のままだ。


「……その図太さはレリアーヌで間違いないな。早馬で報告は受けたが、詳しく聞きたい。移動しよう」


 わたしに対する王太子殿下の態度に思うところあるのか、なにやら不機嫌な表情になるアラン様。

 まぁ、そりゃ田舎令嬢如きが王太子殿下に名前を呼ばれたり気さくな態度を取られたりすれば、おかしいと思うだろう。


 ……だからって、囲い込むように人の腰に腕を回して歩くのやめてもらっていいですか?

 いやね、わたし罪人ですけどね? 逃げも隠れもしませんからね?

 ていうか、逃げるんだったらとっくの昔に逃げてますからね? こう見えて逃げ足も速いんですよわたし。




 そんなことをつらつら考えていると、到着したのは王太子殿下の私室だった。

 私室といっても寝室とか本当に私的なお部屋ではなく、機密性の強い内容を話し合ったりする特別なお部屋の一つだ。


 部屋の中へ入ると、そこには既に先客がいた。

 国王陛下と、ティボー公爵様、普段は王太子殿下の護衛についているわたしの次兄も部屋の隅にいて、油断なく気配を探っている。

 その視線がちらりとわたしを見て、一度逸れて……勢いよく戻された。それはお手本のような二度見だった。

 まぁ、わたし血まみれだしね。しょうがない。本来であればこのような姿で陛下の前に出るのはどうかと思うが、緊急時だからご堪忍いただこう。


「おぉ! レリアーヌ! 無事だったとは聞いているが、本当に怪我はないのか?」


 開口一番、陛下がわたしに声を掛ける。

 その様にアラン様がぎょっとしている気配がした。


「……我が国の太陽にご挨拶申し上げます」


 そう言って淑女の礼をとる。摘まんだスカートは血まみれだけどねっ!


「よいよい。私と其方の仲ではないか。この場では堅苦しい態度は不要だ」


「いや、どんな仲ですか!」


 アラン様が思わずといった感じで叫ぶ。でも確かに……どんな仲なのかわたしも伺っていいですか? 陛下。

 だけど今はそれどころじゃない。報告が先だ。


「国王陛下にご報告申し上げます。此度の案件……『厄介な隣人』が関わっておりました」


 礼をとったままそう告げると、しぃんと部屋の中が静まり返った。

 はっ…と誰かが息を吐く音と、ごくりと誰かが嚥下する音が、静まり返った部屋に響く。


「……それは……誠か?」


「……はい。バタンテールの名にかけて。

 関わった者達のご遺体を検めていただければ……それは確かかと」


「『厄介な隣人』?」


 再び沈黙が降りた部屋に、思わず漏れたといった感じのアラン様の小声が嫌に大きく響いた。

 本人もそれに気づいたのか、慌てて口を手で塞ぐ。


 そんなアラン様にちらりと視線を向けて、ふぅとひと際大きく陛下がため息を吐かれた。


「……まさかな。わかってて……関わってきたのか?」


 誰に聞かせる訳でもなさそうな疑問が、陛下の口から零れ落ちた。


「……いえ、まだ見つかってはいないはずです。

 というかアラン。お前軽率にその姿になるなと言ってるだろう?」


 何故かティボー公爵様の矛先がアラン様に向いた。

 チラリと視線を向ければ、男装中……と言うか本来のお姿のアラン様。

 まぁ、隣国に留学中の公爵令息様が国内をふらふらしているのは、確かにまずいか?


「今回は不測の事態で、致し方ないではありませんか、父上。

 私は自分の花嫁を取り返しに行っただけですが?

 それよりも父上? レアの事……何かご存じなんですね?」


 語尾は疑問系だけど、確信を持った強い言葉でティボー公爵様に詰め寄るアラン様。

 アラン様に言葉を返さず、ちらりと陛下に視線を向けるティボー公爵様。

 それを見てニヤニヤ笑う王太子殿下に、我関せずと周囲を警戒するお兄様。


 ……いいなぁ、お兄様。その立場変わってくれないかなぁ?


 ぼんやりとお兄様を眺めていると、ぐっと腰を強くひかれた。犯人は勿論アラン様だ。


「……父上?」


 もう一度アラン様が声をあげる。


 ティボー公爵様の視線がもう一度陛下に行って、コクリと陛下が僅かに頷いて……。


 おもむろに陛下が口を開いた。


「アランよ。そなた、バタンテール辺境伯家についてどこまで理解している?」


 突然の陛下の問いかけに、アラン様が不思議そうにしながらも答える。


「……辺境を守護する一家で、その戦闘技術は他の追随を許さないものだとか……。その実力は確かで、バタンテール家の人間一人で騎士五人分の働きができるとか……」


 嘘か誠かは知りませんが、バタンテール辺境伯家の実力は確かなのでしょう。とちらりと我が家の次兄に視線を投げるアラン様。


「……バタンテール辺境伯家の人間全員がそれだけの実力を持っている事は?」


「……それも伺っておりますが、流石に一族の女性までは……」


 途中で言葉を呑み込むアラン様。その視線はじぃとわたしに落とされる。


「……全員は全員だ。バタンテール辺境伯家の人間であれば、女子供は関係ない」


 いや、流石に子供は鍛錬中ですからね。そこまでではありませんよ? と口を挟みたくなったが、そんな空気ではないので黙っておく。……お兄様から黙ってろよ? って殺気が飛んできたからではない。ないったらない。


「でしたら……レアも?」


 信じられないという思いと、先程王女サマの喉を切り裂いたわたしの姿を思い出して、葛藤しているらしいアラン様。

 そりゃ……初対面で躓いて、うっかり公爵令嬢様の秘密を暴いた粗忽者が、騎士よりも強いとか言われても納得できないだろう。多分。


「レリアーヌ嬢は、現状三人いるご当主の子供たちの中で一番強いそうだ」


「っ?! レアが?!」


 信じられんという表情で、わたしと次兄の間に視線を行ったり来たりさせている。

 まぁね。初対面で躓いて……なわたしが次代最強とは思えないですわよねー。いやホントあの時躓くつもりはなかったんですって! 勝手に床が浮き上がったんですよきっとっ! 何のためにとか聞いちゃダメですってば。


「それもあって、レリアーヌ嬢が女性の身である事から、の護衛を頼んだんだよ」


 なのに、早々に女装がバレてるし、愚息はレリアーヌ嬢を嫁にしたいって言いだすし、ホント君達何やってるの? とティボー公爵様。

 何やってるんでしょうねぇ? ホント。そして嫁云々のお話は初耳なんですが?


「とりあえず、公爵家のめでたい話を現実のものとする為に、話を進めようか」


 陛下がこほりと空咳をしたので、居住まいを正す。


「さて、今回の件、レリアーヌから『厄介な隣人』が黒幕であるとの事だが……」


「はい。間違いございません。姿は確認できませんでしたが、あの特徴的な笑い声が聞こえてきましたので。

 それに例え姿を見ていたとしても、『厄介な隣人』にとって姿は何の確証を与えるものではありません。

 更には隣国の王女殿下の変容、あれは『厄介な隣人』が手を貸した結果だと思われます。

 ……さすがに、普通の人間ではあのような変容を与える事など出来ますまい。

 そして王女殿下に付き従っていた人間の有様から鑑みるに、あの状態は『厄介な隣人』が手を貸した代償として生気を奪っていった結果だと思われます」


 そう、随分と昔からその存在が語り継がれている『厄介な隣人』は、不思議な力を持つと言われている人外だ。

 享楽主義で人々を混乱の渦に巻き込む為だけに、理不尽にその不思議な力をふるうという、文字通り『厄介な隣人』なのだ。


 その姿は、現れた時々によって全然異なっていて、本人かどうかは見た目で判断するのは難しい。

 ただ、その特徴的な笑い方と、銀の瞳の色だけが『厄介な隣人』を見分けると、我が一族には伝わっている。

 そもそも我が一族がこの国の配下にくだった理由も、『厄介な隣人』の存在が大きいと言われている。


 それだけ『厄介』な存在なのだ。


 そんな愉快犯のような存在が、何故今回隣国の王女サマを唆してアン様を狙ってきたのか……?


「そうか……」


 沈痛な面持ちで陛下が深く椅子に背を預ける。


「……ここ何年かは静かなものだったのですがね」


 ぽつりとティボー公爵様も呟く。

 

「……隣国の王女の変容は……それほど酷いものなのか?」


 陛下に問われるも、一瞬だけ答えを躊躇する。

 耳元まで裂けた口、野生動物の鉤爪のように変容した手、わたしがかどわかされた直後に王女サマが誇っていた美貌は、見る影もなく。


「……はい」


 ……そして……わたしが切り裂いた喉元。

 本当に……見る影もない。

 

 ふーと深く息を吐く陛下。


 その顔には苦悩が満ちていた。


「……これは内密の話だが……。隣国では近々代替わりが行われる事になっていてな。王女を寵愛し、甘やかすだけ甘やかした現王を退位させ、王女とは腹違いの、正妃腹の王太子が即位するそうだ。

 ……今回の件は、仲の悪い異母兄が即位すると、これまでのように奔放に振舞えないと危機感を抱いた王女が、我が国への輿入れを無理やりに希望した事から……恐らくそこで『厄災』に目を付けられたのだろう……」


『厄災』とは『厄介な隣人』の別の名だ。それ以外にもいくつか異名がある。

 異名の多さこそが、アレが長い間沢山の人々の前に姿を現し、厄介事を振りまいてきた証左に他ならない。


「『厄災』の力を借りて、王太子の婚約者候補筆頭だと思われているアンを亡き者にしようとしていたのだろう。

 少し調べれば……アンが候補ではないとわかったであろうに」


「……いえ、『厄災』に目を付けられた者の仕業であれば、狙われたのがアンでかえって良かったのかもしれません。

 他家の令嬢だと……恐らく対処するのは難しく、その命を奪われていた事でしょう」


 表情を曇らせたティボー公爵がそう告げる。とはいえ、命を狙われて憔悴しているアン様を見ているだけに、そのお考えには素直に納得できないが……。

 まぁ、王家と繋がりのあるティボー公爵家でなければそもそもバタンテールを動かすことは難しく、わたしがアン様の護衛に付いていたから、今回の件も甚大な被害を出す前に片を付けられたとも言えるだろう。


 ……ていうか、いつからこうなる事が分かっていたんだ?

 わたしがアン様の護衛に付いた段階で、『厄介な隣人』の介入の気配はあったのかなかったのか……?


 その疑問が顔に出ていたのだろう。

 ちらりと陛下がこちらを見た。


「レリアーヌ、其方にも苦労を掛けたな。まさかこんな形で其方の力を借りることになるとは……」


「……発言を」


 わたしの言葉に、こくりと陛下が頷かれる。


「皆様は、わたくしをアン・ティボー公爵令嬢様の護衛に付けた段階で、『厄介な隣人』の介入を想定されていたのですか?」


 わたしの言葉に、複雑そうな顔をする陛下と公爵様。

 何となく何かを察しているらしいアラン様は、不機嫌な様子を隠さずに、むすりとした表情を浮かべている。


「……いや、なんといえばいいのか……。『厄災』とティボー公爵令息の間には、今回の件以外にもちょっとあってな。

 それもあって、レリアーヌにの護衛を頼んだのだ。

 ついでに、レリアーヌとの相性を見て、いずれは二人を婚約者にと……。

 女学院の中で互いの為人を知っていけばと思っていてな」

 

 十八になれば、アンはアランに戻るしな、と陛下。

 て、突然話が飛躍したな? アラン様の女装は成人までってこと?

 そりゃまぁ、アラン様はティボー公爵家の嫡男だし、いずれは女装をやめなきゃならない日が来るんだろうけど……。


 それよりも……。

 

「わたくしが……公爵令息様の婚約者……ですか?」


 いや、無理だろう。田舎令嬢には荷が重い。


「……嫌なのか?」


 何やらじっとりとした視線が隣から向けられた。


「嫌というか……難しいのでは? 「何故だっ?!」 いや何故って……」


 粗忽な田舎者ですし? 地味で目立たないですし? むしろ女装したアランアン様の方がよっぽどお綺麗ですし?


「本当は、俺の妃にしようと思ってたんだけどなぁ」


「「はぁっ?!」」


 王太子殿下の爆弾発言に、陛下の御前なのに大声を出してしまう。

 その声が二重になっていたのは気のせいか?


「レリアーヌはバタンテール辺境伯の令嬢だから、王家に嫁ぐにしても問題ないしな。

 俺を見て怖がらないし。レリアーヌはタヌンみたいで可愛いし!」


 だから害獣を引き合いに出されても嬉しくないんですが? ……そんなに似てるの? わたし……。


「どうだ? 王太子妃になるか? 昔『おにいちゃまのおよめさんになってあげよーか?』って、そっちからプロポーズしてくれたことだし……」


あー、ありましたねそんなこと。殿下が我が家の鍛錬にさりげなく交ざってた頃のお話ですね。


「っ!! やらんっ!! レアは俺のだっ!! 貴様にはやらんっ!!」


 ぼんやりと過去の記憶をあさっていたら、ぴょいと抱き上げられた。犯人はもちろん隣にいたアラン様だ。


「えー?」


 人を揶揄う時に浮かべる笑みを浮かべた王太子殿下の顔が、少し高くなった視界に映った。 


「レア! お前も何か言ってやれっ!!」


 えー?

 

「王太子妃の座は、田舎令嬢には荷が重いので、謹んでご遠慮致します」


「ほら見ろっ! 行くぞレアっ!!」


 いや、未来の公爵夫人も荷が重いので、できれば解放していただけると嬉しいのですが? あ、聞いてないデスね?


 こうして抱き上げられたまま、わたしはティボー公爵家のタウンハウスへと持ち帰られ、話は冒頭に戻る。

 ていうか、陛下のお話最後まで伺ってないし、隣国との対応とか、そもそもわたしの罪とか……どうするのこれ?

 

 

 

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