第三話

「ふんっ! あのお高く留まった公爵令嬢が大事にしてるっていうからどんなのかと思ったら、全然大したことないじゃないっ!」


 ……さようでございますね。

 アン様は確かに素晴らしいお方ですが、たかが同室なだけの田舎令嬢が素晴らしいかどうかは別問題だと思うし。


「髪の色も目の色も地味だしっ!」


 ……護衛職は地味な方が目立たなくていいんですよ? 

 貴女様の金髪は護衛職に向かなそうですね。ぐるんぐるんの縦ロールも目立ち過ぎです。


「顔だって平凡だしっ!」


 ……護衛職は平凡な方が……以下略。

 貴女様の派手なお顔立ちは護衛職に……以下略。ていうか、せっかく整ったお綺麗な顔なのに、元々ネコみたいに釣り目気味の目尻も、しっかりと整えられた柳眉もキリキリと上がっていて、幼子が見たら泣いちゃいそうなお顔になってますよ?


「タヌンそっくりだしっ!」


 うっせえわっ! 誰が害獣だっ!!

 ていうか、なんで一国の王女サマがタヌン知ってるのよっ!!


 と叫びたくても、口元を布で縛られているので声を出す事もできない。うーと唸るくらいしかできないし、そうするとますますケモノっぽくなってしまうので、とりあえず黙っている。


「ホントにこの女を人質にすれば、あのティボー家の女は言う事聞くのっ?!」


 いえ、聞かないと思いますよ? さすがに一介の田舎令嬢が攫われたからといって、たかだか同室なだけの公爵令嬢様が動くとは考えにくい。

 ……むしろ女装の秘密を知ってるわたしを、手を汚さずにポイ出来るから万々歳とか……って流石にソレはないか。

 そこまで薄情なお方ではないだろう。アン様は。


「もうっ! とりあえずあの女に道理をわからせるわよっ! この小娘はここに閉じ込めておきなさいっ! ……今はまだ……ね」


 そう言ってにやりと微笑む隣国の王女サマ。まっこと美人が台無しの、凶悪な笑顔であった。


 薄暗い部屋にいた人間がわたしを残して全員退出していく。

 ギギギと悲鳴のような軋みを上げて扉が閉まると、あっという間に周囲は真っ暗になった。

 そして、ガチンという大仰な錠前の落ちる音。


 ざわざわとした人の気配が去って行き……わたしはふっとため息を吐いた。


 さて、動こう。


 後ろ手にしっかりと拘束された手首を僅かに動かすと、あっという間に隙間ができ、拘束が緩む。

 ……この段階で、あの王女サマが引き連れていた人間の力量が判るってものだ。

 ちゃんとした騎士とかそう言ったなら、こんなぬるい拘束はしない。

 たとえどんなに相手が抵抗しそうにない無力なご令嬢に見えたとしても、ガチガチに抜け出せないように縄を掛けるものだ。


 それが一番単純な方法で縄抜けできるとは……相手の実力は推して知るべしだ。


 拘束を解き、少しだけ赤くなった手首をさすっていると、ふと冷たいものが指先に触れた。

 それは……アン様から貰った腕輪だった。

 アン様の瞳にそっくりな、親指の爪程の大きさの紅玉が、細かい彫金が施された金の腕輪に埋め込まれている。

 彫金の部分をなぞるように指を添わせ、ぽこりと半分ほど浮き出た紅玉に触れる。

 ……冷たいはずの貴石は、何故かほのかに温かかった。


 それにしても……。


「安直というか……愚直というか……」


 足首の拘束も、さるぐつわも外して、立ち上がる。

 彼女達が出ていくまで同じ姿勢でいたため、凝り固まった筋肉をほぐすように身体を伸ばす。


 じっと目を凝らしていれば、だんだんと部屋の中の様子も見えてきた。

 使いこまれている農機具や、藁なんかが無造作に積み上げられているここは……どこだろう?


 いや、地図上の場所は大体わかるんだけどねっ! 流石にどの建物かまではねっ?!

 

 そもそも、どうしてこうなったかと言うと……。

 まぁ、わたしが学園で攫われたからなんですが。


 え? 護衛の癖にあっさりと攫われるなよって? いやごもっともなんですが。


 でもね? 最近アン様への襲撃がホント酷くて……。女学院の警備に公爵家の護衛を追加してもらって……と色々対策しても収まらない襲撃。

 わたし自身が護衛だとはまだバレてないけど、それ以外の護衛については公爵様の方からアン様に伝えてもらった。本人に狙われてる自覚がある方が、いざって時に違ってくるしね。

 それに……命を狙われること自体は正直今までもあったらしい。

 それは『王太子の花嫁候補』って言うだけじゃなく、対外的には女性であるアン様を拉致して、身代金や公爵様の立場を危うくしようと動く者達の仕業だったりとか……。公爵様への逆恨みとかまぁ色々。

 高位貴族の宿命だよ、とはティボー公爵様の弁だけど、誰だって命を脅かされるのはストレスだ。


 なので、今回襲撃が頻繁に行われたことによって、アン様が精神的に少々参ってしまっても仕方なくて……。

 それはアン様のお心が弱いとかでは決してなくて。

 ……どんどん元気のなくなっていくアン様を見ていると……わたしもなんだか苦しくて。


 なのでっ!

 ティボー公爵様にもご許可を取って、こちらから打って出ることにしたのだ。

 証拠がないとか、隣国との関係が…とかそんなの、顔色の悪いアン様を前にしたら吹っ飛ぶというものだ。

 アラン様モードの時も、普段の傍若無人な態度(世間でアレは俺様系というそうな)は鳴りを潜め、なんだか静か過ぎて……わたしの調子も狂うしね。


 いっちょ本気出しますよっ!

 ……と思った矢先にわたしが襲われたので、これ幸いと攫われてみたわけです。

 恐らくわたしが拉致された事は公爵家の護衛の方も直ぐに気づくでしょうし、そしたら現場を抑えて言い逃れのできない状況に持っていければこちらの勝ちですからねっ!


 ……まぁ、まさか隣国の王女サマご本人が入国されているとは思ってもみませんでしたが。

 むしろこの場で捕縛できたら、言い逃れができなくていいのかしら?


 というか……やっぱりおかしい。

 今回アン様が狙われた件、色々おかしいのだ。


 突然持ってこられた隣国の王女の輿入れ……は、別にそんな事もあるだろう。

 お姫様と王子様のお話はよくあるしね。

 政治的なアレコレは田舎令嬢の関知する事ではないし。


 そしてアン様が我が国の王太子の婚約者候補……なのも、対外的にはおかしなことではない。

 アン様がアラン様なのは、公爵家の極秘だろうし、恐らく王家も承知の事だろうが、それ以外の人から見れば、アン様は淑女の鑑で立派な公爵令嬢で、紅い目をしたロアの名を持つお方だ。こう言っては何だが価値が高い。

 だからこそ、アン様が王太子妃、いずれ王妃というのは別におかしな話ではない。


 ……特に最近の王族に紅眼ロアがいないという現状を鑑みれば、なおのこと。


 正直数年前に成人を迎えた王太子殿下に婚約者がいないのは、アン様のご成人を待っているのだろうと言うのが一般的な貴族の見方だ。

 だからこその護衛任務だと思っていたものだ。

 ……例の事故でアン様の真実を知るまでは。


 だからまぁ、隣国の王女の輿入れに関して、アン様が邪魔だと思うのは自然な流れではある。


 だからといって、アン様を力づくで排除するというのはなかなか短慮で。

 その考えにあまりにも早くたどり着いてしまった、今回の隣国の動きは……正直言って異常だ。


 そして、その隣国からの度重なるアン様への襲撃だって様子がおかしい。


 女学院だって、大事な貴族令嬢を預かっている訳だから、警備は王城レベル……とまではいかなくとも、重要な施設並みの警備を敷いている。

 実際にわたしも確認したが、タヌン一匹見逃さない……は流石に大袈裟だが、暗殺者の侵入をそう易々と許すとは思えない程度には厳しかった。

 なのに度重なる女学院内でのアン様への襲撃。


 特に酷かったのは、第一食堂で起きた毒物混入事件だ。

 アレ、対外的には食中毒という事になっているが、しっかりばっちり毒物が使われていた。

 しかも隠す気ないな? という事で有名な毒物で、料理や飲み物に混ぜてもかなり強い臭いが残るので、わたしのような人間ならすぐにその混入に気づくという代物なのだ。しかも症状としてはお腹を著しく下すが、命に別状はないというもので。

 なんで、わざわざそんな毒を使ったのか、甚だ疑問でしかない。


 が、厳重な警備が敷かれる中で毒物が混入された事もまた事実で。


 随分と腕のいい暗殺者もいたものだと思いつつ、その割に使われた毒物は命を脅かさないという、なんだかちぐはぐな動きを見せる。


 何をしたいのか正直よくわからない。 

 それどころか、まるでタヌンが己より小さな動物を食べる訳でもなく甚振ってるだけの時のような、何とも言えない気持ち悪さを感じるのだ。

 アン様を甚振って……自ら王太子殿下の婚約者候補を辞退させようとしている? とも思うのだが、なんだかしっくりこない。

 胸がもやもやして非常に気持ち悪い。


 それもあって、ワザと相手方に攫われてみたのだが……。


「ちょっとっ!! 公爵家の騎士達が大挙して押し寄せてきてるじゃないっ!

 ちゃんと手紙に一人で来るように書いたんでしょうねっ?!」


 扉の外がにわかに騒がしくなった。

 金切り声を上げているのは隣国の王女サマだろう。


「一人で来なかったら、人質の命はないとも書いたのよねっ!? え? 田舎令嬢の一人や二人の命より、公爵家を脅迫した犯人を捕まえることを重要視した? ですてぇぇぇぇ!?」


 ……でしょうね。

 普通に考えて、自分より爵位の低い人間の命より、自らの家の矜持の方が大事だ。

 冷たいとか、人の命に代えられないだろうという意見もあるだろうが、貴族は高位になればなるほど、矜持を穢されるというのは不名誉だ。

 ていうか、絶対王女サマだって同じような立場になったら、同じように自分の矜持を傷つけたからって怒りそうなお人柄よね? 今までの態度を鑑みるに。


 それに……。


 そこまで考えて、一つかぶりを振る。

 太ももにくくり付けておいた短剣を構えて、コトに備える。


 ていうか、身体検査も何もしなかったなぁ……。

 田舎令嬢として甘く見られたのか、そもそもそこまで考える頭がなかったのか。

 考えても仕方ないかと、じっと扉に集中する。


 すっと耳を澄ませば、壁の向こうから剣戟の音と、何かが争う音が聞こえてきた。


「え?! もう来たの?! 早くないかしら?! えぇ? わたくしが尾行されていた?!

 気づいていたならどうして伝えないの?! ちょ……どこに行くの?!

 え? もう飽きたから帰るっ!? ちょっ!! どういうこと?!

 わたくしがこの国の王妃になるのを手伝ってくれるって……?!

 え……?」


 仲間割れ?

 というか、王女サマの話し相手って……だれ?


「ちょっと! 待ちなさいっ!! ちょ……?!」


「――――――にゃひゃっ」


 ?!


 あの声……まさかっ!?


 今すぐ王女サマの話し相手を確認したくて扉に飛びつくも、無駄に頑丈な扉はビクともしない。

 それどころか、音を出してしまった事によって、王女サマに気づかれたらしい。


「?! まさか起きてるの? ……まぁ、いいわ。

 もう……いいわ。人質を出してちょうだいっ! あの女の前に引きずり出して、その喉でも切り裂いてやれば、あの女も軽率な行動をとった事を後悔するでしょうよっ!!」


 アーッハッハッハァ! と狂ったような哄笑が聞こえてきた。


 それにしても……。どうやら、今回の不可解な動きの犯人は……。


 ガチンという大仰な音を立てて、錠前が上がる。

 ギギギと悲鳴のような軋みを上げて扉が開く……。


 短剣を握り直して、片目だけ閉じておいて……。


 開いた扉から徐々に光が射しこんでくる。


「早くしてっ! あの女の前に死体を転がしてやるんだからっ!!」


 王女サマ……。アレが関わったせいでこんなことになったのか……。

 いや元々素質がなければ、アレに引っかからないだろうし、アレも手を貸さないだろう。


 ……あの史上最悪の……『厄介な隣人』

 ソイツの正体は……。


 「っ!! レアっ!? どこだっ!!」


 ドンと音がして、いつもより低い……それでいて、悲痛で、切羽詰まった声がわたしを呼んだ。


「なにっ?! ちょ!! きゃぁぁぁぁぁぁぁっ!?」


 どかどかと騎士達のブーツが床を叩く。

 ドンとかドスンとか……時折ぐえっとか呻き声が混ざる。

 そして王女サマの金切り声も。


「レアッ?! ……っ?! ここかっ!!」


 随分と扉の近くで声がしたので、慌てて飛びずさる。あ、短剣も仕舞っておかないと……。


「レアっ!!」


 バターンと扉が開いて、飛び込んできたのは……アラン様だった。

 正確に言うと、騎士服を着て、男装したアラン様……、いやこっちが本当か。


「アラン……むぐぅっ!?」


 暗がりに沈んていたわたしの姿を見つけ出したアラン様が、わたしの腕を強く引いて……。


 気づけばアラン様の胸に抱きしめられていた。

 しっかりとした騎士服の生地を、跡がつきそうなほどの強さで頬に感じて、耳にこだまするのはドクドクと速いアラン様の心臓の音で。

 鼻腔を擽るのは、アン様の愛用している香水の香りと、それに混じる汗の匂い。

 ぐっと強く抱き締められて、さらに胸元に押し付けられて、ちょっと息が苦しい。


 だけど……。

 この鼓動がもう少し落ち着くまで……。


 このままで……いよう……(いたい……)


 心の奥で、本当に願った事は……気づかないふりをしながら、アラン様の胸に身を預けていた。


 「……っ……レア、怪我はないか?」


 ようやく少しだけ鼓動が落ち着いた頃。

 アラン様の腕から解放された。

 ……正直助かった。酸欠と、アラン様の匂いと、異性に抱きしめられる事実に気づいて、わたしの方が心拍数が上がっていたのだ。


「はい。特にはありません」


 少しだけ目線を上げて、アラン様の紅眼を覗き込めば、ふっと安堵したように息を吐かれた。


「……そうか……。縛られたりは……しなかったのか?」


 ふと、人質だったはずのわたしが、閉じ込められていたとはいえ、身体が自由だった不自然さに気づいたのだろ。

 訝し気な表情を浮かべたアラン様が首を傾げた。


「あー……。手首の方の拘束が緩くて……」


 嘘ではないが、本当でもない事を伝えると、アラン様がわたしの手首に視線を走らせた。


「……赤くなってるな。家に戻ったら治療しよう」


 ぎゅっと手を掴まれて、そう宣言される。アラン様の方が辛そうに顔を歪めている。


「そんな……すぐ治りますよ」


 へらりと笑ってみても、アラン様の眉間の谷間が戻らない。

 どうしたものかと思案しながら、そっとその谷間に手を伸ばす。


 はっと息を呑むような音がして……。


「あ……ごめんなさい」


 妙に近づいていた二人の距離と、その端正なお顔に触れようとしていた怖いもの知らずな自分の指に気づいて、一歩後ずさる。

 

 ……も、伸ばした手をきゅっと掴まれて。

 ぐっと距離を詰められて。


 無事で良かった……なんてちょっと低めの掠れた声を耳に吹き込まれたら。


 しゅわりと頬が熱を持つのも当然てものだ。


 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る