第二話
「……アン様、今日は第二食堂の方へ参りませんか?」
第一食堂の方から風に乗ってふわりふわりと食べ物の匂いがする。
「……別に構わないけど……珍しいわね、レアが軽食中心の第二食堂へ行きたがるなんて……」
足りるの? とコテンと首を傾げるアン様は今日も麗しい。……言ってる事はなかなかに失礼だが。
いや、確かに第一食堂は女学院にあるまじきボリューム重視ですが、本来であれば美味しいんですよ!
大体アン様だって、その見目の麗しさからかけ離れた健啖家ぶりを見せてるじゃないですか!!
わたしがそれ以上にがっつり食べてるから、バレてないだけですからねっ?!
むしろわたしの存在に感謝してくれていいですからねっ?!
そう頭の中で悶々としつつ、アン様の華奢なように見えて、意外にしっかりとした手を引いて第二食堂へ向かう。
……その日の夕方、第一食堂で食中毒が発生したとの報が寮を駆け巡った。
「仕事の方はどうかな?」
ふわふわとクッション性が高く、気を抜けば腰を取られふんぞり返って沈み込んでしまいそうな高級ソファに、なんとか背筋を伸ばしたまま座り続ける。……このソファ、ある意味鍛錬になるな? と詮無い事を考えながら、目の前の圧のある人物に視線を戻す。
といっても、相手を直視しないよう視線は落としたままだ。
そもそも、ソファの対面に座らせてくれるのだって、相手の爵位を考えれば破格の対応で、一介の田舎令嬢には過ぎた待遇だ。
……だから、目の前のテーブルに用意されているお菓子にもなかなか手を伸ばすことが出来ない。
ある意味わたしに辛すぎる拷問だこれ。
あぁ、あの真っ白な粉糖で飾られた丸いクッキーとか、ピンク色に染まったクリームをちょこんと乗せたカップケーキとか、ほんと美味しそうなんですがっ!! くぅぅぅっ!!
「報告書に記載した通り、ここ一週間では、暗殺者による襲撃が三回、毒物による襲撃が二回、あぁ、あと本日ご実家に戻られる際使用する予定だった馬車への細工が一回。こちらは先ほどの事でしたので、今お渡しした報告書には記載されておりません。
次回の報告書に記載させていただきます」
美味しそうなお菓子を前に、飢えたケモノのようになっている脳内を微塵も感じさせないように、淡々と報告する。
「なるほど? 流石はバタンデール家の秘蔵っ子だね。非常に優秀だ。ありがとう。我が
「……ご依頼に添えているようで何よりです。ティボー公爵様」
そう、わたしの目の前にいるこのお方。
短く整えた黒髪と、どこか既視感を感じる紅い瞳。僅かに目尻に寄った皺と少しだけこけた頬に、重ねてきた年齢を感じるこのお方こそ、わたしの依頼人にして、アラン様のお父君でもある、ジルベール・セレン・ティボー・ル・ロワ公爵様だ。
「……何も聞かないのかい?」
報告書のぺらぺらと捲っていた公爵様が、おもむろにぽつりと呟いや。
その言葉に、こてりと首を傾げる。聞く……とは? 何を?
「……何故、あの子が狙われているのか……とか」
気にならないのかい? とあの人にそっくりな紅の目がわたしをじっと見つめる。
……いや、あの人が目の前の方に似ているのか、と考え直す。
「……この度のお話は、正式な手順を踏まえて我が家に依頼されたものです。
ですので、わたくしは……アン・ティボー・ル・ロワ公爵令嬢様のお命を脅かすものから、この身を挺してお守りするだけの……ただの護衛ですので」
そうはっきりと伝える。……但し、視線は伏せたまま。
正直、気にならないと言えば嘘になる。
貴族令嬢を預かるという立場上、女学院の警備は厳重で、すり抜けるのだってかなりの労力を要する。
なのに頻繁に起きるアン様への襲撃。
今のところわたしの敵ではないが、それなりの手練れが投入されている。
手練れの暗殺者というのはえてして高額なものだ。それをここまで頻出させることが出来る相手……。
そこまで考えて、ふるりと
この依頼は正式な手順、すなわち王家からの依頼があって成立したものだ。
そして、依頼内容は犯人を捕まえるではなく、裏を探るでもない。ただひたすらアン様の御身を守る事だった。
ならば……わたしはそれを全うするだけだ。……全力で。
……例え護衛対象が女装した男性だったとしてもだ。
……多分。
……ちょっと自信が無くなったけど、まぁ大丈夫。うんうん。
余計な詮索は猫だって殺すって何処かの国の言い伝えにあったしね。
そこまで考えたところで、ふっと空気が揺れた気配がした。
ちらりと視線を上げれば、ティボー公爵が口元を手で覆っている。そして僅かに揺れる肩。
何か? と訝し気な視線を無礼にならない程度に送ってみると、何度か空咳を繰り返した後、ティボー公爵が口を開いた。
「……いや、我が息子は前途多難だと……思ってね」
……公爵様の息子……と言えば、絶賛女装中のアラン様の事だろう。表向きには隣国に留学中だという。
そりゃまぁ、ご子息が女装してれば前途は多難だろうなと思わず遠くを見てしまう。
因みにアラン様は今この屋敷のどこかにいると思う。朝、今日は実家に顔を出すっておっしゃってたから。なんでも月に一回は実家に顔を見せる約束らしい。
念の為という事で、公爵家から迎えに来た馬車をこっそり点検したら、まぁ案の定だったんですけどね。
車軸に細工がしてあって、あのまま走り続けていれば、公爵家へ辿り着く前に車軸は折れて脱輪していたであろう。
なので、アン様がお出掛けになる前に、馬車の再手配をしつつ、脱輪した時にでも襲い掛かるつもりだったらしい暗殺者を片付けるよう公爵家の護衛さんにお願いしたりと、何かと慌ただしかった。
そして、ご帰宅されるアラン様、いや女装中だからアン様か? の護衛をしつつ、公爵様への定期報告に上がった次第だ。
さすがに公爵邸の中までは護衛は必要ないだろうと言うことと、アン様の護衛の合間を縫って報告を上げるよりは、このタイミングの方がいいだろうと言う、
「アンはね……隣国に狙われてるんだ」
おもむろに公爵様が話し出す。
って、聞きたくないんですが? それ、下手したら国に関わる機密ですよね?
そんなわたしの内心を知ってか知らずか、公爵様のお口は止まらない。
「どうやら隣国は、我が国の王太子に王女を輿入れさせたいらしくてね。
で、一番の候補であろうアンを消そうと……色々手を出してくるんだよ」
困っちゃうよね、とくしゃりと目尻の皺を深くされても、わたしははぁとしか答えられない。
だって、アン様はアラン様なんだから……。
流石に王家はアン様がアラン様である事を知っているだろう。……知ってるよね?
そしてそんなアラン様がお世継ぎの必要な王太子の妃になるのは……正直難しいだろう。
……例えどんなにお二人が愛し合っていたとしてもっ!
そんな婚姻は、お世継ぎを迎える為に女性の側妃が必須となるし、そんな状況、様々な人間関係に影響を与える気がする。
……そもそも我が国の王家に側室制度ないしね。
「なるほど……? もし隣国の介入の証拠を望まれるのでしたら、探してまいりますが?」
見ず知らずの王太子殿下とアラン様の悲恋に、内心で涙しながらそう告げると……何故か公爵様は天を仰いでらした。
……つられて見上げてみても、美しい装飾の天井がみえるだけで、屋根裏に曲者が潜んでいる気配もない。
「息子よ……前途は多難だぞ? ……いやそれ以前にも色々越えなければならない
ぶつぶつと何事か呟き始めた公爵様。
耳は良いし、読唇術も得意なので、言ってる事は分かるが意味が解らない。
どうしたもんかと思っていると、控えめなノックの音が響いた。
「誰? いいよ入って」
公爵様の不用心な言葉に、思わずいつでも逃げ出せるようにする。
だって入ってきたのがアン様だったら、なんでわたしがココにいるのか説明するのめんど…じゃなかった、大変だし。
ちょっと緊張してたら、入室してきたのは男性使用人だった。
服装から見るに公爵家の家令さんかな?
「……お嬢様が女学院へお戻りになるそうです」
わたしの存在に一瞬だけ気配を揺らす家令さん。
ごめんなさいね、不審者で。
お宅のお嬢様のご帰宅に合わせて来ているもので……。お約束もせずにお邪魔しております。
そもそも玄関通ってきてないしね。
「なんだ、ずいぶん早いな。彼奴は何をそんな……」
「なんでも同室のお嬢様にお土産を渡したいから、早めにお戻りになるとのことでして……」
家令さんの言葉になんとなく視線を逸らすわたし。
あの……その……同室のって、もしかしなくともわたしのことですね?
「ふぅん……あの子にしてはずいぶんと懐いたものだねぇ。……その
公爵様からからかい混じりの視線が飛んでくる……。
いや、誰が同室かご存知ですよね?!
そんな公爵様と家令さんのやり取りを気配を消しながら聴いてると、にわかに扉の外からざわめきが近づいてきた。
「……あぁ、お嬢様がお戻りになる前に旦那様へご挨拶をとの事でしたので」
「……せっかちだなぁ。もうそこまで来てるんだろう?
慌ただしくなってすまないね。ではこれからもよろしく頼むよ」
公爵様のお言葉を合図に、わたしはその場から姿を消した。
……と言ってもアン様の護衛なので、そのままそっと潜んで、アン様が女学院へお戻りになる馬車に見つからないよう、陰ながらお守りしていたのは言うまでもない。
え? わたしの移動手段? 人間には立派な二本の足があるじゃないですか。
えぇ、人間鍛えれば自力で馬車を追走することだってできますよもちろん。
それに王都は人が多いですからね。道が混んでて馬車もそんなに速くないですし、余裕ですよ?
そんな感じて、陰ながらアン様を護衛して女学院に戻った訳ですが……。
「遅いっ! どこに行ってた?!」
部屋の扉を開けたらそこには腕組みで立ち塞がるアン様。
ご令嬢姿でそれは、さすがにちょっと……どうかと思うのですが?
「淑女の鑑はどうされました? アン様」
しらっとした目で見ると、流石に自分の立ち姿があまりに淑女らしくないのに気づいたのか、気まずげにもごもごした後チッと舌打ちを一つ。
いや、普通のご令嬢は舌打ちしないですからね?
「実家の料理人が菓子を大量に焼いてくれたから……食おうぜ」
そう言ってテーブルを指差すアン様。
そこには先ほど公爵様の前で、食べたくても手が出せなかった宝石の様なお菓子の数々が?!
「?! い、今お茶を淹れますね?! お菓子が甘いですから、お茶はストレートでいいですよね?!」
跳ねるような足取りで、部屋に設えられている小さな給湯スペースに向かう。
アン様の趣味で揃えられている、沢山並んだ紅茶の中から、あまり香りの強くないシンプルな茶葉を選ぶ。
鼻歌が出そうな勢いでお茶を淹れていると、背後からふはっと息が漏れるような音がした。
「何ですか? アン様? 違う紅茶が良かったですか?」
くつくつと肩を揺らすアン様に問いかければ、ふるりと
「いや? お前が選んだのでいいよ。それにしても……かわいいなぁ」
「? 何かおっしゃいました?」
アン様が口の中で転がすように告げたその言葉は、生憎わたしの耳に届くことはなかった。
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