見つけたのは原石
古間木紺
見つけたのは原石
なんかしっくりこない。
貴瀬に楽譜を渡したのは一昨日だから、譜面に苦戦しているのかもしれない。きっとそうだ。
安積の入学した音楽大学の作曲科では、前期と後期に作品を提出し、実際に演奏することになっている。ほとんどの一年はピアノソナタを作り、自分で演奏するという。
しかし安積はそうしなかった。自分はもっと上にいるからと、四手連弾のピアノソナタを作った。
四手連弾は四つ手を必要とするため、もうひとり演奏者を見つける必要があった。ただ、ピアノ科の同級生に声をかけても、ピアノ科の試験に支障が出る、と断られてしまっていた。
そんな中、貴瀬だけは了承した。学内随一の実力者と組めたのは幸運だと思った。なのに今はどうだろう。全く聴こえない。
結局第一楽章の三分の一のところで、ふたりとも手を止めてしまった。
「……お前、どう思ったの、この演奏」
安積の顔も楽譜さえも見ずに、貴瀬は吐き捨てた。彼の中で、この演奏がひどいことは確定事項のようだった。
「……貴瀬は練習時間もっと欲しかった?」
「は?」
ぎろりと貴瀬ににらまれる。少しだけ怖気づくが、ここで止まらない。
「貴瀬が弾けないから聴こえない演奏になってんだろ」
「それは違う」
ぴしゃりと貴瀬は言いきった。正解はひとつで、今のは間違いらしい。
けれど安積には分からなかった。自分は最高の作品を作った。あとは奏者が完璧に演奏すればいいだけのことだ。奏者のひとりである俺は作曲者だから完全な演奏ができる。今最悪なのは、貴瀬の責任でしかない。
そう返すと、貴瀬は深いため息をついた。そんなに肺活量があったら声楽科でもやっていけそうだと思った。
「お前はメロディーが聴こえないのは俺のせいって言いたいのか」
「そうだけど」
貴瀬は凍てつくような声色で言ってきた。これはさすがにプライドを傷つけてしまったか、否、こっちだって最悪の作品にされている。
「奏者は演奏するだけだから、楽譜が頼りになる。どことどこに関連があって、ここはどういう風に演奏した方がいいのか、楽譜を読んで判断して演奏にしている」
じゃあ俺のでもそうすればいい! 言おうとする前に貴瀬が再び口を開いた。
「お前のはどうだ。構成上こことここは関連を持たせなきゃいけねぇのに、どうなってる」
貴瀬が楽譜を顔面に突きつけてきた。
「スラーが、ない」
「一点」
師事している先生よりも厳しい。本当は両方つけなければいけないのを、安積は見逃していた。
「そもそも後半の方だけ連符になっているけど、それ意味あんのかよ」
「……一楽章の最後だからそうしただけで」
貴瀬が不機嫌丸出しの舌打ちをした。
「お前のメロディーに連関が見えねぇ。だから聴こえねぇんだよ」
そういう貴瀬だって言葉が足りないけどな。安積は喉元でこらえた。
とはいえ、貴瀬の言うことに嘘はない。たびたび先生に指摘されていたことだった。君は技術を見せびらかしているだけだ、と。
「……せっかく聴こえるメロディーを見つけられると思ったのによ」
貴瀬の呟きを聞き逃さなかった。楽譜から顔を上げる。
「もしかして、貴瀬ってメロディーが聴こえないことがあんの?」
眉をひそめるだけの貴瀬に、続きを促される。
「さっきから聴こえないって何度か言ってたよな。でもお前は耳が遠いわけじゃない。聴こえないメロディーがあるってことだろ」
やっと貴瀬と目が合う。思い当たるふしがあるのだろう。
「有名な作曲家の曲でも、人によっては聴こえねぇ。だから、聴こえるメロディーがもっと欲しい」
だからか。安積は腑に落ちた。練習時間がほとんどなくても引き受けたのは聴こえるメロディーが欲しかったからで、つべこべ言ってきたのは、安積の作品に光を見いだしているからなのだろう。素直じゃないけど根はいい奴だ。安積は口角を上げた。
「貴瀬、手を組まないか」
「……なんでお前と」
「俺もメロディーが聴こえないことがある」
初めて貴瀬の表情に変化があった。切れ長の目を見開いている。
「音として把握はできるけど、メロディーとして聴こえないって貴瀬もだろ」
「ああ」
貴瀬の反応がいい。そのまま続ける。
「俺が聴こえるメロディーを作って、貴瀬がそれを演奏するんだ」
「……それ俺にメリットねぇだろ」
「ある。同じ感覚持ってるんだぞ? 俺は貴瀬の満足する曲が書けるし、貴瀬は演奏で俺を満足させる。これは俺たちにしかできない」
せめて卒業試験までは頼む。そう言うと、貴瀬はため息をついた。ただしそれは深くなかった。
「言ったからにはちゃんとやれ。俺を満足させろ」
見つけたのは原石 古間木紺 @komakikon
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