往復乗車券 過去行

@pianono

往復乗車券 過去行

「あっつい。」

 もう何度目かわからない「暑い」がこぼれ落ちた。もう夕方だというのに、暑さは怯む様子を見せない。こんな田舎の駅に冷房の利いた待合室などあるわけもなく、全身汗でびしょびしょだった。もはやここは日本じゃない、と心の中でぼやきながら、手の中で若干湿ってしまった切符をもう一度確認した。

 色褪せ黄ばんだ紙に、昭和レトロな事態で「過去行 往復乗車券」と印字された切符は、おばあちゃんからもらったものだ。

「昔、興味本位で買ってみたはいいものの、結局乗る機会がなくてね。私はこれからも使わなそうだし、裕理にあげるよ。」

 おばあちゃんはこれで本当に過去に戻れると信じているようで、「戻れたら感想を聞かせてちょうだい」と、切符をくれた。

 そんなおとぎ話、起こりっこない。そうは思うのにどこか、完全に否定できない自分がいた。たった一枚の小さな紙きれの存在が、始終頭の片隅でちらつく。そのたびに、「もしかしたら」なんて、どきどきする。

「……これで、本当に過去に戻れるなら。」

 おばあちゃんの家でまる一日過ごせる最後の日。私は切符と必要最低限のものをもって家を出た。

 切符の裏には薄くなってしまってはいたが、説明がなされていた。乗車駅はどこでもよく、切符の指定する時間に駅にいれば、切符を持つ人だけに見える電車が現れるのだそうだ。それ以外にも何か書いてあるようだったが、文字が薄く、読み取ることができなかった。

 私がもらった切符で乗れるのは17時の電車。あと15分もすればやってくるはずだ。というか、来てくれないと困る。

 私が戻りたい過去は、朱莉を怒らせてしまう前。私は朱莉の「一緒に帰りたい」というお願いを断ってしまった。その日は急いでいて、他の友達と話し込んでいた朱莉を待てなかったのだ。それをきっかけに、朱莉は私とは口をきいてくれなくなった。

 ぼんやりとあの時のことを思い出していると、突然音もなく、古びた電車がホームに滑り込んできた。こんな電車、見たことない。すぐにこれだ、とわかった。

「お客様、切符はお持ちですか。」

「あ、はい。」

 運転席から出てきた車掌さんに切符を渡す。車掌さんは受け取ると、そのまま切符をじいっと見つめて動かなくなってしまった。

「あの、どうかしたんですか。」

 不安になって尋ねると、車掌さんは、ああとか、なるほどとか、ぼそぼそ言ったあとで、

「申し訳ありませんが、お客様はご乗車いただけません。」

と、淡々と告げ、切符を差し出した。

「ええっ、どうしてですか!?」

「こちらの切符、古くて読めなくなっていますが、実はこの部分に『本当に後悔している方のみ』という条件が記されているんです。もし条件に当てはまるなら、切符が光るはずです。……失礼ですが、お客様が戻りたいのは『本当に後悔している過去』ですか。」

 当たり前じゃない、という叫びはのどのところでひっかかり出てこない。ドクンドクンと、鼓動が体中に響く。

 私は本当に、朱莉と友達に戻りたいのだろうか。あれは、本当に私が悪かったのだろうか。思い返せば、私はいつだって朱莉の顔色を窺っていた。嫌われないように、いつだって言うとおりにしてきた。でも、朱莉が私の気持ちを聞いてくれたことは、一度でもあっただろうか。

 朱莉とのやり取りが頭の中を駆け巡り、ひとつの、今まで目を背けてきた答えを形作る。

 朱莉にとって私は、都合のいい取り巻きの一人に過ぎなかった。彼女のお気に召さない私ははじかれた。私がいなくなったって、代わりはいくらでもいるのだから。

 たぶん、わたしはちゃんと気づいていた。それでもすがりたいと思ってしまったのは、今までの自分を否定するのも、一人になるのも怖かったからだ。でももう、そんなのどうだっていい気がした。あの子のために自分を押し殺す方が何倍もつらい。

「すみません、ありがとうございました。」

 私が切符を受け取ると、車掌さんはさっさと電車に乗り込んでしまった。そして電車は音もなく、ゆっくり動き出したかと思うとすうっと消えていった。

 私はそれを見届けると駅を後にした。相変わらず暑い。でも、ちょっぴり冷えた風が肌を滑る。なんとなく、来る時よりも足取りは軽い。見上げた空には、美しいグラデーションが広がっていた。

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