簫索たる灰燼

Ecarlate

プロローグ

 八月二日、遂に俺は二十歳の誕生日を迎えた。

 それに気付いたのは晩飯を食べ終えたときで、母親が冷蔵庫の中からショートケーキを一切れ取り出したタイミングだった。

母親は淑やかな笑みを浮かべたまま、俺の前へ綺麗に造形されたそれを差し出し「おめでとう」と口にすると、空になった食器を片付け始めた。

 そんな言葉、もう何度も言われ慣れていたはずなのに、俺はそのとき_____

 涙を零さないよう、堪えることに精一杯だった。





「昨日の満月見た? すっごく大きかったよ」


 少し蒸し暑い深夜二時頃、長い月白色をした髪が、窓から射す月明かりに照らされ緩やかに肩から流れ落ちる。

 友人はそれを気にすることなく、ベッドの上から意気揚々と語り続ける。

 この部屋は現在俺が借りている部屋で、友人の部屋はちゃんと別にある。個室で、そこそこ広い方の部屋がこのすぐ横に。だというのに友人は今日もこの部屋のベッドにアホ面のまま何気なく潜り込んでいる。

 まぁそもそもここは友人の家であり、先ほども述べた通り、この部屋も俺のものではなく、誰よりも心優しい友人の兄が貸してくれた部屋なので、そう簡単に出ていけなどとは到底言えないが……それにしても、少し黙っていて欲しい。


 左手に持っていたペンを机に置き、書いていたレポートを丁寧に机の中へしまう。

 夏休みの楽しみ方は人それぞれだし、正直なところ、自分もまだこの短期留学中にインターンシップやボランティア以外に何か成し遂げたわけではないが、呆れたあまり乾いた嗤いが口から漏れる。


「あっもう、またそうやって笑う」


 白いシーツを握りしめながら不服そうな声でそう言い、緑色の目でジッとこちらを睨みつけている。

 睨んでいるのか微妙なラインだが、多分本人はそのつもりなんだろう。河豚のように頬を膨らませ分かりやすくいじけている。

 一発はたいてやりたいと思う顔だ。


「だって、月なんか見て歩いてたから転んだんだろ?」


「違うよ。 転んだのは狸を見てたからだもん」


 なんにせよ馬鹿げた理由じゃないか。見ていたのが月だろうがなんだろうが、狸はお前だ、間抜けめ。山羊のようなとぼけた顔を晒しやがって。そうやってボーっとしているからいつもあの気に喰わない兄に怒られるんだ。

 心の中でそう貶していると、友人は続けてくだらないことを言葉に並べる。

 今日の朝はいつもより早く起きられただとか、夜ご飯のお味噌汁が特に好きな味で美味しかっただとか、バイト先のファストフード店で少し面白い客に会っただとか、明日は今日以上に晴れるかだとか。

 俺が晩飯を作っていたとき天気予報を見ていたから知っているはずなのに、相変わらず不思議なことばかり話す。きっと楽しからなのだろうが、俺には分からない。


「そんなこと考えてないで早く寝れば」


「えぇ? 今のうちにもっとお話ししておこうよ」


「日本に帰ってもスマホで連絡できるじゃん」


 そう言うと山羊のような間抜け面から一転し、「チッチッチッ」と海外ドラマのようにわざとらしく舌を鳴らしながら左手の人差し指を立て得意そうにする。

 気取った顔のまま言葉を並べる友人の髪を掴んで何発か往復ではたいてやりたいと思う顔だ。見ているだけで腹が立つ。


「同じ場所で話し合うことが大切なんだよっ」


 この友人は、よく共感できないことを言う。でも、そのおかげで誰とでもすぐに打ち解けられてしまうんだろう。他人を不愉快にさせない程度に感情的で明るい性格をしており、勉強も運動も中の上くらいにはできるからか友達も多く、簡単に言えばクラスの人気者だ。

 それでも馴染みやすいのは、少し抜けていて掴み難い部分もあるからだろう。

 それが友人の個性であることを、みんなは理解している。


「なんでそんなことが大切なわけ?」


「……だって、せっかく同じ場所に居るんだよ? 近くで声が聴けて、目が見れて、それって話すのにとっても良い機会じゃない」


 友人は握っていたシーツから手を離すと、細い腕を伸ばしギュウっと枕を抱きかかえ、こちらを伺うように言った。

 シーツにはしわの跡が強く残っている。どれだけ強い力で握っていたのだろうか。


「ビデオ通話じゃ駄目なの?」


 素直に疑問を投げる。


「君は顔写さないタイプでしょ」


「正解」


間髪入れずに言い当てられてしまっては、何か言い返す気にもならない。友人は思っていたよりも他人ヒトのことをよく見ているらしい。意外であって、そうでもないような気がする。


「でもさ、そこまで俺のことを分かってくれてるんなら、そろそろ自室に戻って早く寝てくれないかな」


「ふふっ、はぁーい。 それじゃあソウシ、良い夢を」


「メンデスもね。 おやすみ」


 話始める前まで読んでいたのであろう分厚い本を抱え、モフモフのスリッパで音を立てながら自室へ戻っていく友人のメンデス。メンデスはあの本をいつも大事そうに持っているイメージがあるが、俺はメンデスがそれを読んでいるところをあまり見たことがない。

 まぁ、メンデス自体もあまり視界に入れないようにしているからなのだが……。


「あとソウシ、人が大切だと思ってることに対して『そんなこと』って意地悪な言い方しないでよね。 傷付く人も居るんだから」


 キィと音を立てて閉まりかけていたドアを静かに足で押さえ、いつものように誰かにとって親切な理由で小言を口にする。正当な理由なんだろうが、そんなことを言っていたら他人を喜ばせる言葉以外誰も何も言えなくなってしまうだろうに。

 できる範囲でという意味なら、俺には絶対に無理だ。


(……そう、絶対に無理なんだ)


 小学校中学年辺りから、他人の喜怒哀楽がハッキリ分かるようになった。

 幼いながらに魔法の力を手にしてしまったのではないかと、もしかしたら自分だけの力なのではないかと、俺一人だけが知っている大きな秘密を特別な何かだと思って、その頃は期待と興奮で胸がドキドキと弾んでいた。


 と思った相手のことは、特段よく分かった。

 目で見るような、声を聞くような、そんなふうに感覚として遊び半分でも手に取るように他人の考えていることが感情伝えに分かった。

 そして、と思えば思うほど、この力は成長していった。

 中学生では「期待」、「感謝」、「好き」、「嫌悪」が分かるようになった。

 高校生では「安心」、「憧れ」、「驚き」、「焦り」が分かるようになった。

 大学生になった今では、全部で12の感情が鮮明に分かるようになった。


 そうして他人に対してのは、音もなく死んでいった。

 もちろん、この力には感謝している。ありがたいとも思っているし、やはり何か特別な力であるとも信じている。俺はただ、この力に相応の対価を払ったに過ぎないだけなんだ。


「ソウシ、お返事は?」


 知ろうとさえ思えば相手の意思が全て分かる俺には、メンデスのような間抜けで親切な友人以外には優しくできそうにない。メンデスが俺のことを友人と思っているかどうかは分からないけど、それは今はまだ知りたくないことだ。

 だけどもし、いつか知ってしまったら、そのときは_____。


「……どうもすみません」


「あっそれ知ってる。 ミスターハヤシヤだ」

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