第7話 草むしりは三文の徳


 テオドール・ピストリークス伯爵様の住まう屋敷に住み込みで働くようになって、はや数日が過ぎた。


 今日の私の仕事は、屋敷の庭の草むしり。


 先ほどまで、執事のオルガノさんも一緒に仕事をしていたはずだったのに、なぜかいなくなってしまい、私は一人でひたすら草をむしっていた。土のむせ返るような匂いが、鼻腔をくすぐってくる。手は泥だらけ、草で何度か切ってしまって、細かい傷がついていた。


(素手だから肌に傷がついちゃった)


 ひざ丈の黒いワンピースに白いフリルのついたエプロンを、いつものように私は着ている。ただ、今日は普段とは違って、もつれがちなくすんだ金色の髪をポニーテールにしてまとめていた。


「オルガノさんは、一体全体どこに?」


 日も傾きつつあるので、だいぶ外の風が涼しくはなってきていた。

 だけど、ずっと作業を続けていたのもあって、全身を汗が流れていく。

 額の汗を私は拭おうと、自前のハンカチを取り出そうとしたのだけれど……


「は! オルガノさんがケガした時に渡したままだから、ハンカチがいつもより少ないんだった!」


 先日、割れた壺の欠片でオルガノさんがケガをした際に止血のためにハンカチを貸したのだ。それ以来、ハンカチが一枚不足していたことを思い出す。

 ここ数日、あいにくの雨続きだったこともあり、晴天の今日になってやっと干すことができたのだった。


「仕方ないから、このまま作業を続けようかな」


 あと何度か草をむしれば、終了の予定。このまま汗が流れたまま頑張るしかない。

 決意をかためる必要があったのかは分からないけれど、決意を固めた私が作業を再開しようとしたところ……


「アリア」


 背後から、氷のように涼し気な声が聞こえた。

 びっくりして振り返ると……

 

「テオドール様!」


 私の背後にテオドール様が立っていたのでした。

 まあ、私の名前はアリアじゃなくてマリアですけども……

 もう何回目?


「日差しを浴びても大丈夫なんですか!?」


 私が目を丸くしながら話しかけると、テオドール様からは低い声で返事があった。


「俺をなんだと思っているんだ、まったく」


 テオドール様はいつも屋敷の中で、やれ実験だの研究だのと引きこもっていらっしゃるので、私の肌よりも白いんじゃないかというぐらい色白なのだ。


(てっきり、伝承の血を吸う魔人を思い出したとか、そんなことは言えない)


 たじろぐ私に、テオドール様が「もう良い」とだけ答えた。


(また呆れられたかもしれない)


 私が突拍子もないことを言って、彼が呆れる図式が段々と出来上がってきている気がするのだ。


「オルガノから、これをお前に返してほしいと言われて渡しに来た」


 テオドール様が紺碧のフロックコートの懐から取り出したのは、私の白いハンカチだった。


(オルガノさん、自分で渡せば良いのに……というか、ご主人様を小間使いのように利用するなんて、なんて恐ろしい人なんでしょう)


 まあしかし、オルガノさんならやりかねないなとも思ったりした。


(というよりも、テオドール様が素直というか、まじめすぎるというか)


「アリア、お前は素手で草を抜いていたのか? ハンカチを返したかったのだが……」


 テオドール様が至極真面目な表情で私に問いかけてきた。

 彼の視線は、私の土にまみれた両手に注がれている。

 汚れた手を見られてしまい、私はなんとなく恥ずかしくなった。

 

「はい、もちろんです。貴族のご令嬢ではないので、手袋をつけることはできませんから」


 基本的にメイドは手袋をつけない。なぜならば、手袋をするということは、すなわち家事労働をしていないことを指すからだ。

 とはいえ、気恥ずかしくて、私は顔を上げられなくなってしまった。

 左手を右手で掴んで、俯いていると……


「こういう作業を、わざわざお前がする必要はない」


 気づけば、テオドール様の右手が、私の右手を掴んでいた。


「テオドール様! 汚れてしまいますよ!」


 綺麗な顔をした男性に手を掴まれていることよりも、私は彼の手が汚れてしまうことを危惧して叫んでしまった。

 だけど、テオドール様は……


「泥など後で洗えば良い。せっかく綺麗な手なのに、細かい傷が入ってしまっているな」


 私の手に草むしりの際に細かい傷が入ったことを気にしてくれたようだった。


(そ、それよりも、き、綺麗な手って……!)


 顔が沸騰したように熱くなっていくのを感じる。


「テオドール様!」


 感謝を伝えようと思っていたら……



「テオドール様! 大変です! ばあちゃんが!」


 

 テオドール様と私の前に、朽葉色の髪と瞳をした執事のオルガノさんが、慌ただしく現れたのでした。



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