第4話 初めての名前
「アリアだったか?」
テオドール・ピストリーク伯爵様は私に向かって問いかけてくる。
(やっぱり、この伯爵様は、私の名前をアリアだと勘違いしているみたい)
私はきっぱりと返した。
「私は、アリアじゃなくてマリアです。マリア・ヒュドールと言います」
私の方をちらりと見た後、伯爵様は整った相貌を少しだけ歪めながら、ぶつぶつと私の名前を繰り返し唱え始めた。
ちょっと不気味な印象を受ける。
まさか彼から呪われでもしているのではないかと、私は怖くなってぶるりと震えた。
「マリア? アリア? マリア?」
彼は頬に人差し指を当てて、しばらくの間考え込んでいたけれど、私の方へとくるりと向き直った。
「お前は双子か何かなのか?」
私はぶんぶんと首を横に振る。
どうして双子という発想になったのかが、さっぱりよく分からない。
「違います、ピストリークス伯爵様。私には兄しかおりません」
テオドール様は頬から指を離すと、菫色の瞳で私のことをじっと見つめてきた。
顔が綺麗だから、どうしてもドキドキしてしまう。あ、いや、好みでは(以下略)。
「ピストリークス伯爵様と呼ぶようでは、我々が恋人同士だと周囲が思わないだろう。だから呼び方はテオドールで良い。遠慮は無用だ」
「ふえぇっ!?」
また年頃の女性らしからぬ、すっとんきょうな声が出てしまった。いけない、いけない。
「とは言っても、あまり会う人間もいないがな」
彼は少しだけ寂しそうな笑顔を浮かべたかと思えば、黄昏はじめた。
テオドール・ピストリークス様と言えば、街でも悪い評判の魔術師兼伯爵様だ。
あまり彼と積極的に会いたい人もいないのかもしれない。
そう考えると、なんだか可哀想だなとも思う。
(それにしたって……)
名前の話に戻る。
ほとんど人と会わないのかもしれない。
だけど、たまたま誰かに会った時に、私が彼を名字に様づけで呼んでいたら、恋人だとは思われないかもしれない。
ぼんやりしていて、ありふれた容貌にしか恵まれなかった私では、良くて彼の使用人にしか思われないだろう。
彼の話に納得した私は、思いきって彼の名前を呼んでみることにした。
「じゃ、じゃあ、遠慮なく……テオドール様!」
「様はつけるな」
鋭い眼光、低音の命令口調。
私の背筋がぴんと伸びる。
(やっぱり怖い人かも。それに、初対面の男性の名前を呼び捨てだなんて、さすがに恥ずかしい)
そういえば、私はもうすぐ成人の十七歳。
だと言うのに、男性を、いわゆる下の名前で呼んだことがないことを思い出した。
子どもの時、くすんだ金色に、すぐもつれるこの髪を、近所の男子達からよくからかわれていた。
(それが、今でもちょっとだけ心の傷だったりする)
そんなこともあって、お兄ちゃんとお兄ちゃんのお友達以外の男性と接するのは、初めてに近い。
しかも相手は貴族。平民が気軽に名前を呼ぶなんて滅相もない。
「ほら早くしろ」
テオドール様から促されたので、私は慌てて口を開いた。
「て、て、て、テオドール」
顔が火照ってくるのが自分でも分かる。
そこまで言ったけど、やっぱり恐れ多くて……
「……様」
結局、様はつけてしまいました。
テオドール様からは呆れたような視線を向けられてしまう。
(ひえっ、怖い)
びくびく子兎のように震えていたら、テオドール様がはあっとため息を吐いてから声をかけてきた。
「まあ、今は様づけでも良い。早く慣れろ」
「は、はい!」
びくびくしながら私が答えると、またテオドール様が眉をひそめた。彼の切れ長の瞳に鋭さが増していて、ますます私は怯えてしまう。
そんな私に対して彼が何か言いかけた、その時。
突然、ものすごい勢いで部屋の扉が開かれて、私は思わずそちらを振り向いた。
「坊っちゃん、数少ない家宝の壺が~~~~‼」
突然、部屋の中に甲高い男性の声が響き渡って、耳がきんきんしたのでした。
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