百合山嵐
眞魚エナ
百合山嵐
「みゃーちゃん! おはよ!」
という声が後ろから投げられて、なんだろうって振り向こうとした途端に、背中にぶつかるみたいに誰かに抱きすくめられた。
「ひい!」
と上ずった変な声を上げたのはわたし。驚きのあまり胸の中で跳ね回る心臓。振り向いたら、わたしに抱きついている本人まで呆然とした表情のまま凍結していた。
勢いよくわたしから離れた向坂さんは、頭の中から飛び散った言葉をかき集めるみたいに両腕をわたわたと宙に遊ばせて、
「ご――ごめん! ごめん
何度も噛みながら矢継ぎ早に向坂さんは釈明する。その様子を見てわたしは少しだけ落ち着いた。
ある日、変わろう、って思った。そのために腰まで伸びた髪を学校がお休みの間にばっさり切った。
それで、お友達の
わたし、慎重に言葉を選んだ。
「えっと、わたしこそ、変に驚いたせいでびっくりさせてしまって、ごめんなさい」
「い――いやいやいやいや、和久井さんはなんも悪くないって! あたしが見間違えたのが悪くて……」
「あの、わ、わたし、気にしてないから……」
だからそんなに恐縮しないでって、伝えたかったんだけど。
「なにしてんの、まりこ」
「あっ!? みゃーちゃん」
廊下の向こうからやってきたのは当の宮井さんだった。
つい、髪を見てしまう。肩にかかるくらいの長さで、今のわたしもだいたい同じ。
「や、あの、あたし間違えちゃってさ! みゃーちゃんだと思ったらさ!」
向坂さんは早口にいきさつを説明する。宮井さんは呆れ顔。わたし、少し蚊帳の外。
「和久井さん、髪切ったんだ。似合うね」
ぼんやりしていたら急に宮井さんが褒めてくれて、準備していなかったわたしは少し言葉に詰まった。
「あ、ありがとう……」
照れくさくて、指で毛先をあそばせながら顔を背けてしまう。けど。
――向坂さんはどう思うんだろう。なんて、浅ましく視線が乞う。
「そ、そーいうことじゃなくて……!」
でも向坂さんはまだ全然落ち着いてないみたいで、宮井さんにすがりつくみたいにして、そんなつもりじゃなくてとか、みゃーちゃん聞いてよとか、色々とまくしたてている。
わたし、目を伏せてかたく笑みだけ浮かべる。
「あーわかったわかった、ごめんね和久井さん。うるさくて」
「もー! ちゃんと聞いてよ!」
「ちゃんと聞くほど大げさな話じゃないだろ……」
あしらう宮井さんに引きずられるようにして、向坂さんが教室に入っていく。それをかたい笑みのまま見送る。
冷たい廊下を朝日がはしっている。
ああ、と気づく。わたし、なんにも変わってない。
「髪なんか、切らなければよかった」
向坂さんに聞こえないように、口の中で呟いた。
⇕
「ち、近いよ……」
って言われたとき、あたしこと向坂
あたしの好きの表現はぜんぶスキンシップだった。生まれた時から仲良しのお姉ちゃんにいつもくっつき虫していたし、今でも眠る時はたまにお姉ちゃんのベッドにもぐりこむ。友達にはハグが挨拶だった。一緒に遊びに行くときは手を繋ぎたいし腕だって組みたかった。幼稚園から中学校まであがった現在まで、あたしの友情はぜんぶそれだったのだ。
ようは、それに付き合ってくれる人があたしの友達だった。
「急になにもしゃべんなくなるじゃん」
頭の上からみゃーちゃんの声がする。あたしは教室の机に突っ伏して、落ち込んでますよっていうふりをしていた。
いや、ほんとに落ち込んでるよ。落ち込んでるけどさ。根本的にあたしは甘えたがりで、あたりまえにこうやって友達がなぐさめてくれるのを待ってる。
わるい癖。だからみゃーちゃんは親友なんだ。優しいけど、ほどほどにあしらってくれるから。
顔をあげると、正面の席に座ったみゃーちゃんは鞄から教科書やノートを出して授業の準備中。自然と肩までに揃えた後ろ髪を見つめる。
「みゃーちゃん、髪剃って。ベリショにして」
「ふざけんな」
するどいつっこみ。あたしは今朝の記憶を一秒もはやく消したかった。なのに、未練がましくあたしはずっとさっきのことを思い出してる。
「なんで、よりによって、和久井さんと間違えちゃったんだろう……」
「髪さっぱりしてたね。そんなこともあるよ」
準備を終えたみゃーちゃんは振り返ってあたしの相手をしてくれる。
「でも、だって和久井さんだよ」
「絶対気にしすぎ。かえって恐縮させちゃうよそれ」
「それはやだ〜〜」
「じゃやめな」
あたしの駄々もぴしゃりとはねのけて、みゃーちゃんは枝毛なんか探してる。
和久井さんはあたしたちの共通言語。あたしと和久井さんのかつての話を、みゃーちゃんは知っててくれてる。
和久井さんはひとことで言って、ウソみたいな美少女だった。別に生まれてはじめて美人を見ましたっていうんじゃない。言ってしまえばみゃーちゃんだって整った顔立ちをしていると思う。
和久井さんはそれだけじゃなくって、些細な動作も言葉遣いも、全部がキレイだった。上品、っていうのかな。たぶん、毎日友達と遊んで家ではゴロゴロしてるあたしみたいな生活してると、ああいう女の子は完成しない気がした。
あんまりどこのグループにいるって感じでもなくて、いい意味で浮いてるように見えた。まるでカメラのフィルターみたいに、人混みの中にいても和久井さんだけは鮮明だった。
……みたいなことを前にみゃーちゃんに言ったら、「それ恋だよ」って言われた。ちがうと思う。
それで、あたしは中二に上がって同じクラスになってから結構すぐに和久井さんに近づいたのだ。もちろん、友達になりたくて。
和久井さんも最初は動揺して見えたけど、次第にはにかみながらあたしのおしゃべりに付き合ってくれた。あたしの想像したとおり、水族館みたいに静かできれいな人だって思った。
それであっさり、心の距離は縮まったって思い込んで。
みゃーちゃんにするみたいに、ちょっとした愛情表現のつもりでハグしてみたら、
「ち、近いよ……」
あれは、こう、頭をお寺の鐘みたいにごーんって叩かれた感じ。
本当に、初めて言われたのでフリーズしてしまった。それがあたりまえと思ってた。この時だって、あとからみゃーちゃんに「そりゃ軽々しく体に触られたくない人もいるよ」って教えてもらって、はじめて反省したくらいだった。
でも、今にして思えば。あたし、昔から色んな人と友達になりたくて、どんどんアタックして友達になってきたけど。別にその全員とずっと仲良しかっていえば当然そんなことはなくて、苦手だった子は何も言わずにそっと離れてったんだろうなって。
……あ、男子の友達にはしてないよ。さすがのあたしもちょっとダメなのはわかるよ。今は。(こういうことを言うと、みゃーちゃんには「してなかったか? ほんとに?」とつっこまれる)
それからすぐ和久井さんに改めて謝ったんだけど、気まずそうにしている和久井さんにあたしまで気まずくなっちゃって――それきり。あたしはそれ以上やらかして和久井さんに愛想つかされるのが怖くて、あんまり気軽に近づけなくなっちゃった。
そのくせあたしは未練がましく和久井さんを遠くから見てる。仲良くなりたいのに方法がわからなくて、あおくて分厚いガラスの水槽をのぞくみたいに、物欲しそうに見つめている。
そういう話もしているから、みゃーちゃんはあたしが落ち込んでる理由はわかってる。
人違いとはいえ、触れられるのが苦手な和久井さんにいきなり抱きついてしまった。
あたし、少なくともこれ以上嫌われないようにって距離を取ってきたのに。
――そんなことしても意味がないって、自分でもわかってる。けど、あたしは大好きなひとに一方的に甘えっぱなしで、返せるものなんて何もない。だからせめて、一緒にいて幸せだって思ってほしい。嬉しいとか楽しいとか笑えるとか、せめて「辛くない」とかでもいい。友達が悲しい思いをしないようにできることをしたい。
和久井さんはたぶん、あたしと一緒にいると疲れるのだ。怖くて、嫌な気持ちになるのだ。だから離れることしかできない。せめて嫌な気持ちにならないように。
そう思っていたのに。今朝ああやって、和久井さんを怖がらせてしまった。
どうすればいいのかわからない。謝ったけど、嫌われずに済むならもっと謝りたい。でも、そんなことしても困らせるだけだ。
なんにもしない方がいいのに、あたしの脚は走り出したがってる。嫌われたくないくせに、あの子に笑ってほしいって足踏みしてる。もうワケわかんないや。
また机に突っ伏して押し黙ってしまったあたしを見下ろして、みゃーちゃんが口を開く。
「まぁ、まりこが考えてやってることだからとやかく言わないけど」
みゃーちゃんはあたしの机に頬杖をつきながら言った。
「新しい髪型似合うねくらい、言ってもよかったんじゃない」
――あ。
そっか。あれって、みゃーちゃんのパスだったんだ。
少しでも和久井さんと楽しく話せるように、って。
「……あたし、ほんとにバカだぁ~」
「自分のことバカバカ言わないの」
みゃーちゃんが優しく頭を撫でてくれる。
甘えっぱなしだ、あたし。
でも、だったら、せめて――あたし、友達の前で笑ってたい。
あたしは意を決して言った。
「ねぇ、みゃーちゃん。とやかく言ってよ」
「やだよ。なんでよ」
「おねがい。頑張る力がほしいから」
よしよしって撫でてもらうだけじゃなくて、今は叱ってほしいんだ。それも甘えだってわかってるけど、今のあたしには走り出すための力になるから。
みゃーちゃんはまた机に頬杖をついて、考える素振りを見せる。
「私、和久井さんとのことでどうこう言うつもりは一切ないから」
「じゃ、それでもいいよ」
あたしがうなずくと、みゃーちゃんはひとつ息をついてから口をひらいた。
「じゃあ言うけど、私も別に人にベタベタくっつかれるの好きじゃないよ」
「ええ――――!?!?」
驚きすぎてあたしは椅子を蹴っ飛ばす勢いで立ち上がった。
さすがにそれは衝撃の事実なんだけど!
「言ってくれればいいじゃん!」
「普通にたまに言ってたよ、くっつくなとか暑いとか」
「それはそういうノリかと思うじゃーん……!」
小学校からずっと一緒なのに今更すぎるって!
でも、なんだか不思議だ。みゃーちゃんって、それでもあたしの友達でいてくれたんだ。ほとんど毎日みたいにあたしがくっついて行ってるのに、嫌いにならなかったんだ。
「ま、和久井さんの苦手は私とは違うから参考にはならないと思うけど」
と、みゃーちゃんは前置いて言った。
「今更なにを悩んでんだろ? っていうのが私の感想かなー」
照れ隠しみたいに爪の先を掻いているみゃーちゃんを見て、耳が熱くなった。恥ずかしくてじゃなくて、心がぽっとあったかくなって。あたしのオーダー通りに、頑張る力をくれた嬉しさで。
ほとんど無茶振りだったのに、やっぱりみゃーちゃんって天才。
――そうだね。友達ってすごい力なんだ!
「みゃーちゃん」
「んー?」
まだ突っ立ってるあたしを見上げたみゃーちゃんは、顔を見るなり噴き出した。よし。あたしはこの顔でにらめっこを負けたことがない。和久井さんには絶対見てほしくないやつ。
「なにしてんの」
「いひひ」
笑い混じりのみゃーちゃんに、あたしは嬉しくなって笑みを返した。
「あたし、あとで話してくる!」
「はいはい」
みゃーちゃんはひらひらと手を振った。
⇕
差し込む西日を避けるように、廊下を歩く脚が早まる。ひとりきりの自分の部屋に帰りたくて。
どこかで吹奏楽部のチューニングが聴こえる。開いた窓から風が入り込み、軽くなった後ろ髪を揺らしていく。なにひとつ変わってない自分を思い知らされる。
だからたぶん、この手を後ろに引くのは空虚な未練のはずだった。
「和久井さんっ」
振り返ると、向坂さんがいる。彼女はわたしのセーターの袖をつまんでいた。
「えっと、今朝はごめん。あ、今もごめん」
袖から手を離してひらひらと振り、向坂さんは苦笑した。
わたし、きっと困った顔してた。ただ謝るために呼び止めた雰囲気じゃなかった。
じゃあなんだろうと考えると、また浅ましい自分が顔を出す。なのに、弱いわたしはそれに抵抗できなくて、向坂さんの次の言葉を待ってしまうのだ。
視線を泳がせながら、向坂さんはわたしを上目遣いに見上げた。
「あのね、今さらかなーって思うけど。今朝、言い忘れてて」
そう前置いて、彼女は照れくさそうに頬を掻いた。そして自分でうん、とうなずくと、
「和久井さん、新しい髪型めっちゃ可愛いねって! 言いたかったの」
ロングも綺麗で好きだったけど、今の髪型もお顔が明るく見えて素敵だねとか。向坂さんは、坂を転がりだしたボールみたいに次々とわたしを褒めそやした。そういうことなら大得意っていうみたいに、はずむ声で。
黒いこころが、ふかく沈んでいく。
――ああ。
きらい。
嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い。
わたしは、あなたが――
「――あ、和久井、さん」
気がつくと向坂さんは声を落とし、真っ青な表情をしていた。その原因はたぶん、いつの間にかわたしの目からこぼれ落ちていた雫で、きっと次の瞬間には向坂さんは自分のせいだって顔で――
その前に振り返って、駆け出した。彼女の顔を見ていたくなかった。
わたしたち、これでおしまいだろうな。結局わたしはじぶんが嫌なことから全部逃げ出して、致命的な誤解を放り出して、ずうっとひとりきり。
髪なんか切らなきゃよかった。
そうだ、わたしは――
――背中からぶつかるみたいに、抱きすくめられる。
「……和久井さん、待って」
荒い息を絡ませて、向坂さんが背中で呻く。
廊下にいた他の学生たちの視線を感じる。耳打ちの声がやけに大きくきこえる。わたしを見ないで。
――わたしは、
「きらいなの」
やっと発した声は情けなく震えた。そんなことを伝えたいわけじゃなかった。
息を呑む気配。それでも、向坂さんは絞り出すように言った。
「……あたしが、きらいでも。せめて、もう一回、お話しようよ。あたし、まだ和久井さんのこと何もわかってない。あたしは和久井さんが好きだから、わからないまま嫌われるのは、つらいよ」
ぶるぶると首を横に振る。
「違う」
――わたしは、あなたが、
あなたが与えてくれるものを、小鳥のように待っている自分が――
「わたしは、わたしがきらいなの」
悔しくて、情けなくて。また廊下に、涙が落ちる。
「わたし遅いの、いつも」
しゃくりあげるわたしを見かねて、向坂さんは人気のない屋上前の踊り場までわたしを連れてきてくれた。
ふたり並んで階段に座って、濡れたハンカチをくしゃくしゃに握りしめて、やっとわたしが落ち着いたところで。
彼女に促されながら、わたしは少しずつ言葉をつむぐ。
わたしが、一番へたなこと。
「向坂さんが話しかけてくれて、うれしかった。わたし、人と話すのが苦手だから。……友達でもね、声をかけるのが怖いくらい」
自分のことを話すのはもっと苦手だった。卑屈で、卑怯なわたしのことを、誰にも知られたくなかったから。
「でもね、向坂さん好きだな、って気づいたのは、向坂さんを突き放した後のことだった」
ばかばかしくて、情けない話。何度も詰まりながら、それでもわたしは話した。罪の告白みたいに。
「最初はわたし、困ってた。向坂さんは明るくておしゃべりで、わたし苦手だなって思ってた。お話すると疲れちゃうなって。ぎゅっとしてくれた時も、それで怖くなって……」
でも向坂さんはわるくないんだよ、って注釈しながら。
「いっつもそうなの。わたしはいつも、誰かが離れていく背中を見ながら、もっと話したかったって思うんだよ」
また、涙が滲んでくる。鼻の奥がツンと痛む。
「……ほんとに……バカなの。悪いのはぜんぶわたしなのに、遠くからずっと向坂さんを見つめて、いつも隣にいる宮井さんにまで勝手にやきもち焼いて……最低」
これを伝えるのが、一番苦しくて辛かった。グロテスクなわたしの中身をさらけ出しているみたいだった。
向坂さんの顔を見るのが怖かった。でも、こんなに優しくしてくれた向坂さんからこれ以上逃げるのはもっと嫌で――わたしは横目に彼女の顔を伺う。
「そ……そうだったんだ……!!」
向坂さん、ふつうにびっくりしていた。そこに拒絶や嫌悪のニュアンスがないことなんて、わたしにでもわかるくらい。
拍子抜けっていうんじゃないけど。ほっとしてしまう、自分がいる。
肩にかかった髪を指先でつまむ。
「……髪はね、そういう自分が嫌で切ったの。変わりたくて。また向坂さんと話せるようにって。なのに今朝はなんにも話せないまま。結局わたし、向坂さんから何か言ってくれるのを待ってるんだなって気づいて……また自分が嫌になって」
「いや、それはあたしが悪いよ!」
遮るように向坂さんは声を上げて、わたしは当惑する。
「え、でも……」
「だってすごく緊張して、心の準備してたんだよね? なのにあたしがバカやったせいで全部ぐちゃぐちゃになって上手くいかなかったんじゃん。じゃあしょうがないよ~、あたしのせいだよ」
ぽりぽりと頭を掻いてまたごめんと謝る向坂さん。
わたしは目をぱちぱちと瞬かせる。そんなことないよって思う。わたしに勇気がなかったのがいけないんだ。
でも……ふしぎ。
ただそう言われただけなのに、羽みたいに心が軽くなった。自分を責めるような気持ちはまだ残っている。だというのに、黒い気持ちがどこかに消えてしまったみたいに辛くなかった。
魔法みたいな、ふしぎな力。
向坂さんは。消えてしまいたくなるくらい大嫌いなわたしを、子猫に噛みつかれちゃったみたいな顔で、あっけなく受け入れてくれた。
そっか、と。わたしの心を代弁するように、向坂さんは呟いた。
わたしはぼうっとしていた。踊り場の窓から覗く夕焼け空は嘘みたいに晴れていた。
静かな空間にすんと鼻をすする音が響いて、何気なく隣を見ると、わたしは顔から血の気が引いた。
向坂さんは泣いていた。今度こそわたしのせいだって思った。
「向坂さん、わ、わたし、」
ごめんなさい、と謝ろうとして、遮るように彼女は首を横に振った。
「ちがうよ。ちがうからね。ごめん」
そういって制服の袖で強引に涙を拭うから、わたしはかえって罪悪感にさいなまれる。
「でも……」
「うれしいの! これはうれし泣き」
鼻の頭を真っ赤にしながら、濡れた瞳で向坂さんは笑った。
「あたしもね、ずっと考えなしにひどいことしちゃった、嫌われたんだって、そんなことばっかり考えてたからさ。さっき和久井さんが、好きって言ってくれてさ……」
言葉は次第に震えて消えた。向坂さんは両腕に顔を埋めて、嗚咽を漏らし始める。
それは――やっぱり、わたしのせいだ。向坂さんはこんなに想ってくれているのに、わたしが言葉足らずで、あんなひどい突き放し方をしたから。辛い想いをさせてしまったなら、それはわたしの招いたことなんだ。
そんな言葉を口にしそうになって、やめた。それは慰めになんてならないって、やっとわかった気がした。
隣に座る彼女の肩にゆっくりと手を伸ばす。ためらって、手が止まる。
今さらだ。あんなひどい言い方で傷つけて、今さらわたしがこんな、
――頭の中の言い訳を並べきる前に、彼女の肩を抱き寄せた。
くぐもった嗚咽がいっそう大きくなる。わたしは両腕を回して、一際強く彼女を抱きしめた。
頬が彼女の横髪に触れる。いつの間にか、わたしも涙をこぼしていた。でも、きっとこれまでのような濁った涙じゃなかった。
バカだなぁ、って思う。
窓の外はあかね色、秋のそら。せっかちな遠くの雲が星を連れてきていた。
⇕
「真凜、おはよ」
という声が後ろから投げられて振り向こうとした途端に、背中からいきなり誰かに抱きすくめられた。
「ひぎゃ!」
とすっとんきょうな声を上げたのはあたし。驚きのあまり胸の中で跳ね回る心臓。振り向いたら、っていうか振り向くまでもなく、ゆかちゃんだった。
――あ、ゆかちゃんていうのは、和久井
「ごめん。びっくりした?」
ゆかちゃんはあたしの顔を覗き込んでくすくす笑った。
「ゆ、ゆかちゃん、おはよ~……」
一応笑顔を浮かべながらも、あたしは胸のあたりに回された手を握って、爆弾処理みたいにゆっくりほどいていく。
もう冬が近いこともあって、人の体温ってあったかくてうれしい。うれしいんだけど。
あたしはちょっと、困っている。
「……いやだった? 真凜」
ハグから逃れようとすると、ゆかちゃんが不安そうな顔をする。
爆弾処理、中止。あたしはどうすることもできなくて、曖昧に笑う。
「い、いやじゃないけどね」
ほら、周りにクラスのみんながいるし……とか、そういう言い訳をあたしが口にすれば〇.二秒で論破できることぐらいあたしにもわかるので、何も言えなくなる。
――最近のゆかちゃんは、こんな感じ。
別にスキンシップ大好きになったとかではないんだけど、友達には積極的に触れ合ってくれるようになったと思う。一度無理してないかって聞いてみたけど、むしろだんだん自分の中で抵抗がなくなっていくのが楽しいんだって。
どんどん仲良しになっていくみたい、って笑ってた。
わかる!
……って、前までのあたしならにこにこして言えたんだけど。
なんか……だって……違くない? ゆかちゃんはさ。
だってこうしてなすがまま後ろから抱きしめられていると、耳元にささやくような声で、
「こうしてると、心臓の音、きこえそう」
――とか言うのほらなんか違くない!?
あたしはほら、安心したり落ち着いたりしたくて友達とくっつくわけ。ゆかちゃんはなんか、ドキドキさせてくるのだ。恥ずかしいことしてる気分になる。あたしのハグとは全然方向性が違う。
元々あたしからゆかちゃんにくっつくのは遠慮してたのに、こんなだから余計にあたしからくっつくことも少なくなってしまった。たぶん、最近のゆかちゃんはちょっとそれが不服で、かえってあたしにくっついてくる。
でもしょうがないじゃん! 友達にぎゅってして一人でドキドキしてたらやらしい子みたいで嫌じゃん!
いてもたってもいられなくてゆかちゃんから逃れようともがいていると、廊下の向こうからみゃーちゃんが歩いてきた。
あたしたちを見るなり、ちょっと呆れ顔。
「あ……おはよう、
「おはよ、夕夏。朝っぱらからまたイチャイチャしてんの?」
「そ、そんなにいつもくっついてないよ」
指摘されてさすがに恥ずかしかったのか、ゆかちゃんはやっとあたしから離れてくれた。助かった! みゃーちゃん神!
……と思ったら、今度はゆかちゃん、みゃーちゃんに向かって両手を広げる。
「……遥もおはよう?」
「え~いいよ」
みゃーちゃんははにかんでそう返しながらも、抵抗もせずゆかちゃんの腕の中に収まった。
わ、わあ。
ほんと、ゆかちゃんは変わったと思う。以前はやきもち焼いてたっていうみゃーちゃんともすっかり仲良くなって、今じゃこんな調子。みゃーちゃんも嫌な時はすぱっと嫌って言うタイプだから、内気だけど暴走気味なゆかちゃんと相性いいのかもしれない。
誰が開けたのか、窓から吹き込む秋のからっ風がぬくもりの残るあたしの背中に吹きすさぶ。
ヘンなことに、気づいてしまう。
(なに)
なに。なに。なに。
なにこの気持ち!!!!!!!!!!
心の中にぐるぐるする気持ち。そう、ぐるぐる。たぶん、ほかのオノマトペで表現したらもっとわかりやすくなってしまうのでパス。ヒント、モヤ。
だめだよ真凜、おちついて、冷静に。二人はあたしの親友だし、仲良くしてて嫌なことなんてなんにもないんだから。だいたい他でもないあたしが友達同士のスキンシップに文句つけられるわけないじゃんね。
あたしが抱き合う二人を修行中みたいな神妙な面持ちでじーっと見つめていると、みゃーちゃんと目が合った。
みゃーちゃん、すまし顔であたしにピースしやがった。
むかつく!!!!!!!
あたしの方が先に好きだったのに!!!!!!!!!!
百合山嵐 眞魚エナ @masakana_ena
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