カウフマン子爵領から

「息子よー!最近会いに来てくれなくて悲しいぞー!」


 馬車から降りた若子爵は死んだことになっている父親から熱い抱擁で拘束された。


「父上、客人が見ております。お控えください」


 やれやれ風に彼は話す用促しているが、まんざらでもない表情になっているのに女医は呆れてため息を吐く。


「いい齢ごろだろうに、義理の親子揃って似通るな」


 貶しているのか褒めているのか分からない口調で言った。ただし、後方に控える兵士たちへの警戒は解かない。


 その緊張感を受け取ったのかカイナ・カウフマンは瞬時に朗らかな顔つきから厳かな雰囲気を纏う。あまりの豹変にジュールは剣の柄を握った。


 ジュールの経験が警鐘を鳴らしているのだ。この男は強く、危険だと。


「ウォルター。王都の近辺で村々が襲われているのは耳に入っているな?」


「もちろんです。王の命により領軍の一部を治安回復に向かわせております」


「儂も兵に扮して賊退治に向かったのだが、あ奴らは賊ではない。女神の信者だ」


 女神、という言葉にドロシーとジュールの体が強張り強い警戒感を露にする。一方で若子爵と耳を曲げる女医は冷静である。


「女神ではなく王に従っていることを言い訳に村を襲っている。まぁ、もう全て切り伏せた。途中逃げた奴らの行方は知れんが……あの剣士を逃したのは惜しかった。ともかく、王の目が追っている。碌なことにはならない」


「一旦解決したと言う事ですね。しかし、王都周辺の治安が乱れるのはよろしくない。ただでさえ今は不安定、西につけいる隙を与えてしまった」


 父親は兵士の方に振り向き、何かの麻袋を貰って中身を探った。まだ話は続くらしく、ガロアの顔にどんどん影が増えていく。


「捕らえて尋問したら面白い名前を聞いてな」


 カイナ・カウフマンは取りだした飾り物の文字を凝視している。老眼の域に差し掛かっているためか、中々目を離さない。


「聖クリステファン。今は教皇になっていると聞いた。信者の中にはこの腐った王国に女神の裁きと祝福を齎す人物として叫んでいたな。儂にはただの人にしか見えんがそれなりの力を持つようだ」


 聖人クリステファン、ジュールはその名を聞くのは二回目だ。


 狼狽、動揺、錯乱。


 過去が語り掛けてくる。




 *




“ドロシーちゃん。聖人クリステファンって名前、知ってるかい?”


 倒れたジュールを子爵の屋敷の離れに運び込んだドロシーは不安な顔でジュールの傍に居た。


 彼女も日々カルノー酒場の店主が殺される悪夢にうなされているものの、ジュールと過ごす内に頻度は少なくなっていた。かといって、全て記憶が薄まるわけではない。強烈過ぎる経験は消えることなくずっと脳裏にこびりつき、ひょんなことで蘇るのだ。


 ジュールも同じようでふと夜中に目が醒めるとき、ジュールはいつも汗にまみれて贖罪の言葉を口にしからからに乾いた涙を流していた。


「まだ起きてるのか……寝ないと健康に悪い」


 ガロアが扉を開けて入ってきた。

 外は完全に静まり返っており、衛士の休憩所以外では火はない。


「私の、昔聞いた話を……聞いて」


 完全に横たわっていた猫耳は少しだけ持ち上がり、ガロアは椅子に腰かけた。


「私はちょっと前まで酒場で働いてて、看板娘って言われてて、たまに酔いつぶれた客の話を聞く。地元に残した愛娘の話だったり、神話だったり、最近の話題だったり」


 所謂、よくある話である。

 冒険者は初めて訪れた街でいのの一番に酒場を訪れる。それは酒場の人間が街の多くを知りえるからだと言われているが、本当は旅の疲れを癒しに飲みたいだけなのかもしれない。だが、情報の多くは冒険者組合よりも酒場で行き来する。


「破れかぶれの服を着て、でもお金はきっちり払う人だった。その人は普段酔うことはなかったんだけど、その日だけはすごい酔っぱらってたの」


 とても海が穏やかな日であったと記憶していた。


「ドロシーちゃん。聖人クリステファンって名前、知ってるかい?って、なんの脈絡もなく、他の飲み仲間のことも驚いてた。本当に唐突だったんだね」


「……」


 腕を組みながらガロアは聞いている。


“教皇三人目の息子、クリステファン。隠し子なのは当然で母親は異端審問にかけられた異端の娘。でも顔が良くて教皇の妾にされた。献上した地方の聖職者は昇格して異端審問官で気に入りそうな異端の女を送り込んでいるってな。ああ、クリステファンは異端者だ。女神に殺される異端者だ。二人の兄は何度もクリステファンを殺そうとした。そのたびにクリステファンは命辛々生き残って教皇に泣きつく”


「泣き虫クリステファン、異端のクリステファン」


“俺はあいつを尊敬してる。何度も何度も命を奪われそうになったのに女神への信仰を捨てなかった。いいや捨てれなかったんだろうな。頑固者、あきらめの悪い、猜疑心の塊。教皇の寿命が見えた時、長男が当然その椅子に座ると誰もが考えていた。でも違う。俺が読み違えたように、クリステファンはもう教皇の椅子に届く位置にいる。世界中のあちこちで異端を殺し、人を救って奇跡を起こし、女神の信奉者を連れ帰ってクリステファンの名を広める。代わりに二人の兄をふしだらな行為を世間に広めるとどんどん兄たちは追い詰められていった”


「聖人」


“いつの間にか、世俗の人々はクリステファンをそう呼んだ。異端狩りを産んだクリステファンは何百人どころじゃない。国一つ滅ぶほど人を殺した。ドロシーちゃん。それでも、非難する人間が居なくなるとあいつは正義なるんだ。聖人クリステファン、聖人クリステファン。耳を塞いでも聞こえてきやがる。あいつは聖人なんかじゃない。悪魔だ。女神が産んだ悪魔なんだ。長男を谷底に突き落とし、次男を糾弾して異端審問にかけた。兄たちを支援していた俺たちはみんな異端だ。異端だとクリステファンは言った。昨日まで話してた仲間が!女神を信仰する仲間が火あぶりにされてたんだ!逃げ出した、逃げ出すさ。粛清、粛清、俺が抜け出すまでに何千と死んだ。聖人だと?笑わせるな!クリステファンは聖職者を殺して成りあがった悪魔だ!悪魔なんだ!”


「あの人は、その日から酒場に来なくなった」


 何があったか、言うまでもない。あの酒場にはきっと信者もいたはずなのだ。


 ドロシーは窓から星の輝く空を見上げた。星の名前など分かるはずもないのに絢爛豪華な自然の河を眺め、感慨にふける。そこに煩わしい感情など一滴もなく、虚しさの裏返しが小さく傘を閉じていた。


「ジュールって毎回倒れてるから相当、無理をしてるんだと思う」


 女医は組んでいた腕を解いた。


「体はそれほど問題ない。流石冒険者。けれども精神はあたしじゃどうにもならない。身体を病んだり、ベットに一生縛り付けることになるかもねぇ。滅多に見ない患者だが、いないってことはない」


 そうなった患者は女神ですら救い出せない。精神は神聖な浄化の魔法でも浄化できないのだから、いや、そもそも壊れた心は特に汚染されていないのだから。


「しっかし、昨日起きたばっかりなのにすぐ倒れるなんて軟な人間だね」


 無理をしているのは誰の目にも明らかで、叱責よりもまず心配の声が出るはずが堪えて無理やり軟弱だと罵った。

 そうでなくては同情してしまう。微弱な警戒で周囲に網を張り、強者に恐れしかし立ち向かわんと剣を握る。


 女医は無謀なる勇気に全くの無縁であったが、それよか馬鹿にしてきたものであるが、カイナ・カウフマンへ向けた守護者の魂は誰にも真似できない感動すら覚えるものであった。


「早く寝なさい。倒れられたらあたしの負担なんだ」


「……はい」

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