海の道筋
「一旦撒いたか」
アルベルトはカラトスを腰に刺して一息ついた。
甲板上の破壊された構造物たちをみて彼は見るからに落ち込んだ。商売道具や水食料は船倉にあるため航海は可能だが、縄や修理道具、マストの装置が壊れてしまったのは痛手だった。もちろん予備は積んであり、もう三回は甲板を一掃されても船倉さえ無事なら立て直せる。
大事なきなれども、金は恐ろしいほど掛かるのだ。
「はぁ、修理道具とってくる。お前は見張を頼む」
「任された」
「あ……私も行く」
「一人で充分だと思う。休んでくれ」
腹の中のものを全て出し切ったドロシーはもはや酔いに恐れることはないが、逃げ場が存在しない見張り台でもし酔ったときのことを考えると下にいるのが安全だ。ジュールがフォアマストで一番高いところに登っていくのを、寂しげな顔で見つめる。
「魔法使いさんや、回復魔法は使えるか?」
船長はこそばゆい丁寧さで尋ねてきた。
「はぁい。いけますよ?」
ジュール意外には猫を被ってしまうドロシーだった。
「あそこにいるやつを診て欲しい。鎮痛だけでもかまわん」
「はーい」
横たわって伸びきっている船員にドロシーは神聖さの欠片もない魔法で治癒する。頭部に物が当たって酷い傷だったが見る見るうちに船員の顔が良くなっていった。
「あんた、教会の人間か……大変なこった」
本来は聖職者の使用する神聖魔法でしか傷は治せない。
彼女にとって幸運だったのは、この船員が聖職者に神聖魔法を掛けられたことがないことだ。神聖魔法を知っていたらドロシーが異端者であると気付いたかもしれないのだ。
「まぁね、そんなところ」
魔法をかけて貰い安心したのか船員はウトウト眠ってしまった。
他に負傷者はいないかと周りを見渡すと、ドロシーの居る方向へ歩てくる女性を目に入った。記憶にはネッティと名乗っていたはずだ。
「よぉちっぱい嬢ちゃん。さっき盛大に戻してたよな。腹減ってるだろ」
「ちっぱ……まだ成長するかもしれないでしょ!」
ドロシーの目の前にいる彼女は確かに較べるのも失礼か可能性があった。
腹の虫がぐうと鳴く。
「ほらな、下に来いよ。さっきのバケモンの足しかないけどな!はっはっは!」
小分けにすればマストに登っているジュールに渡し小腹を満たせる。ドロシーは自分のジュールの両方を考え調理場に向かうことにした。
ただ調理場と言ってもドロシーの住み込みで働いていたカルノー酒場のような立派な設備は存在しない。やはり船上で簡易的なもので火の使うのは危険で、魔力を熱に変換する魔道具で調理するしかない。
コックは調理のたびに魔力欠乏症になりながら調理するため、コックの隣には比較的魔力をもった船員が付き添っている。
「おっ、焼きあがってる匂いが」
ネッティは砕けた木材を蹴り飛ばしながら言った。
ソースも何もかかっていない潮臭さが鼻をつつく。
「さぁ一人二本だ。オーナーは一本」
「極悪シェフめ。言及するぞ!しかし腹も減ってないから特別今回は許そうじゃないか……イカもタコも嫌いだからではないぞ」
「まぁまぁ、クラーケン焼きなんぞ食べる機会これからありませんからなぁ。次は船が沈むかもしれんしな」
「不吉なことを!」
オーナーは激高したが周りの船員は皆笑った。それが冗談で本気であれ、今のを笑い飛ばさなくては娯楽がなかった。
ドロシーはそんな光景に酒場の風景を重ねつつ、ジュールの分も受け取って四本で甲板に向かった。隣にはなぜかネッティがいる。
「どうしてついてくるんだって顔してんな。そりゃ、ちっぱいが女は女。慰みだってないわけじゃない」
「……」
「あと悲しい顔。せっかくクラーケンが食えるんだ。味わって食うんだな」
そういう彼女は豪快に一本丸ごと貪り食っている。鏡があればドロシーは自分の顔を覗いてみたかった。酷い顔に違いない。
これから何度も何度も酷い顔になる確信があった。酒場のあの明るい雰囲気はもう戻ってこず、誰かが食事で笑えば思い出してしまうだろうから。
「あんたの連れだろ?一番にクラーケンを切ったのは」
褒め讃えるような口調で言う。
「見てない……」
「そら損だ。五人で切りかかってようやくだったのを、アイツは一人でやっちまった」
ドロシーは大してジュールの昔話を聞いていない。凄腕の冒険者だったとは語らないし、過去に思い返せば脳無しだ脳無しだと震えて涙するばかり、切望の眼差しをもつネッティに返す言葉が見つからなかった。
甲板で補修をするアルベルトに励ましを投げつつ、ネッティは小さく言った。
「詮索はしないさ。訳ありだろ?流れ者ってのはそんなもんだ」
「……」
「最近の若いもんは何でもかんでも抱え込む。解決できると思ってやがる」
「そう、かな」
ネッティはまた豪快に一口でクラーケンの手を口に頬張る。数回咀嚼するともう胃の中に消えてしまった。
「頼るってことを知らねぇんだ。毎回毎回頼られたらそりゃうざったいがよ。見放す奴はそもそも助けねぇしな」
「わたしは……もう」
「……特大の爆弾でも抱えてなけりゃ子爵様がかばってくれるさ。冒険者を雇いたいって領軍が紙もってあっちこっち廻ってる」
「そ、それは!」
もしかすると、彼女は始めからそのことを言いたかったのかもしれない。安全な住処はドロシーの二番目か三番目に望むもので子爵の保護下はある程度安全だろう。しかし、教会が二人を差し出せと命令する可能性も捨てがたい。貴族の保身と利益で冒険者二人の命など簡単に勘定されてしまうのだ。
ドロシーがフォアマストを見上げるとジュールは紐で柱に摑まって遠くと近くを交互に監視していた。
「あたしゃ登ってくるよ。腹ごしらえもしたし、何より嬢ちゃんらは客人だからな」
ネッティはドロシーの目で追えないほど素早くフォアマストを登っていく。酒場の人に聞いた猿とはあんな生き物なのかと考えているともう頂上にいた。
その後ジュールが居りてくるが見比べるまでもない。
「おそ……」
ネズミの方がすばしっこいとドロシーは感想を持った。
「よい、せっと。さっきのクラーケンか?」
「うん。一人二本だって」
「ありがたい。腹減ってたんだ」
ジュールはドロシーから串を二本受け取り、早速一本の半分をかみちぎった。ネッティほど豪快ではないが、ドロシーには再現できない食べっぷりだ。
「おおっ。ドラゴンの肉より噛み応えがある」
「かったい、よく噛み切れるよね」
「ぐにゃっと捩じったら、そうそう」
ジュールの見様見真似でドロシーもガブリと一口、ミノタウロスの肉よりも硬く弾力のあるクラーケンの足は食べるのに苦労したが、何とか一口飲み込むと塩味の効いた美味しさに無意識で二口目に突入していた。
楽し気にクラーケンの食べている二人をアルベルトは遠巻きに、そして寂しく覗いていた。
ドロシーは二本目を食べきったあたりでジュールに親権な表情を向ける。
「どうした?」
「あのね」
ネッティから聞いた子爵の保護のことを話すと、ジュールは唸る。彼にも逃げながら守る術はなく、どうしても協会の異端狩りに鉢合わせ恐ろしい事態になることは考えなくても分かっていた。
「悪い話じゃない。でも子爵程度が教会の権力を弾き返せるかどうか……無理だ」
「私の異端を隠せばどうにかなる!」
「異端狩りがどうやって異端かそうじゃないかを見分けてるか判明してないんだ。ドロシーは集会に参加したわけでも布教をしたわけでもないし」
「それは……それはきっと。酒場の人が……」
信じたくはないが、あの陽気な酒場の人たちの中に異端を毛嫌いする人間がいたのだろう。ジュールは優しくドロシーの背に手を置いた。
「……」
だがジュールは慰める方法を知らない。酒場が人生の全てだったドロシーが酒場の人間に裏切られたのは確かに憐憫を手向ける口実にはなるが、軽い言葉で信用を砕いてはならず、重い言葉で酒場に恨みを向けるわけにもいかない。
「大丈夫、酒場はもう無いから」
「……も、申し訳ない」
「ジュールは私を守ってくれたから、てんちょーもきっと、きっと喜ぶよ」
二人の会話はそのまま夜までもつれ込み、子爵領で雇用してもらうことを願い出るしかないという結論に至った。幸いなことことに異端狩りは船に便乗しておらず、羽を伸ばして体力を温存できる。
子爵の軍が二人を異端狩りに密告する前に逃げ出せばよい。逃げ出せなくては死あるのみなのだ。
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