海の道筋
齢を食ったシュタウディンガー辺境伯は、船人の噂によるとカウフマン子爵に若い一人娘を嫁がせたらしい。巷で話題の、というやつだ。
「で、にいちゃんは子爵様のとんこにむけえてぇってわけだ」
船員のアルベルト、もしくは元海賊のアルベルト。見るからに破天荒な男は顔いっぱいに創傷を作って数多くの修羅場を潜り抜けてきたと一目でわかる。
「そんなところだ。これから栄えるかもしれない場所を見てみるのも悪くない」
「移民は受け入れてないがな!あの子爵俺たち海賊を雇って輸送に使うが傭兵紛いで、私掠船っていうらしいぜ。この船はもっぱら商人が使ってるけどな!」
アルベルトは船長らしき人物に呼ばれて船尾に向っていった。そのすぐ後に船酔いから回復したドロシーがジュールと並んで手すりに摑まる。
「いてっ」
海風は傷を負った肌に当たると痛む。錯覚だとドロシーに笑われたが、そういう彼女も傷が痛んで全身を覆う服を着ている。
「……こうやって海を眺めることになるなんて、昔の私がいたら笑うだろうなぁ。ありえないありえないって」
穏やかな海はつい昨日の出来事を溶かしてしまうほど情緒を揺蕩え忘却する。二人には強烈な記憶しか残らなくなり、それすら硬く精神の奥へ閉じ込められる。アルベルト以外の船員が二人に近付かないのは形容し難い憂鬱が漏れているからかもしれない。
笑顔が明らかに減ったドロシーにジュールはかける言葉が見つからなかった。
「そうだろう……な」
「ねぇジュール……このエメラルドを受け取って欲しいの」
唐突なことに彼は絶句した。しかし、よく見ればドロシーが祈りに浸かっているエメラルドとは形が僅かに違う。意匠は同じだが削りや切り口が異なっている。
「店長が売らずに置いておいた分で、私と一緒に入ってたやつなの、二つ持ってても宝の持ち腐れっていうかー?ジュールに持っていて欲しいから……ね?」
突き出さす手ともう一方の手にはいつものエメラルドが握られている。
「親の形見?」
「親よりもてんちょーが大切だったし、大切な人への贈り物が宝石ってロマンチックじゃない?って思ってさ」
惚気た口調はさすがのジュールでも裏に内包される意味が分かった。
エメラルドは太陽にかざすと内部で綺麗に乱反射を繰り返し、目に届くころには石全体が緑色に光っている。
ドロシーにもう一度お礼を言おうとして振り向くと教会とは違った形でドロシーが彼に祈っていた。
「不能なる神、このジュールを、深く見守ってくださりますよう申し上げます。ジュール、常なる神を受け入れますか?」
ドロシーの目は緑色に淡く輝いている。これは一種の儀式のようだった。
「受け入れよう」
女神の祝福は魂が洗い流される気分がするらしいが、異端の神の祝福はいかんせん何も感じない。力を与えてくれるわけでもなく、助言をくれるわけでもなく、ずっと隣にいるだけの神だ。だが力がない神ではなはずだ、現にドロシーは神聖魔法に属さない未知の体系の魔法を使うことが出来る。
「あとは、ジュール次第。私酔ってきたからちょっと寝るね」
やりたい事をし終えて彼女はふらふらと船室へ向かう。おそらく無理をして上がってきたのだ。
姿が見えなくなり再び海を眺めようとしたその時、けたたましい警鐘が鳴らされた。海賊か魔物か、取り敢えず船にとって碌でもない危険なものだろう。
ジュールは剣の柄に手を置いた。
「クラーケンだ!頭が見えたぞ!調子わりぃやつもたたき起こせ!オーナーと客は引っ込んでな!」
平時はオーナーである商人が船上でもっとも偉い立ち位置を占めているが、この非常時に限って海賊あがりの彼らが上になる。
クラーケン、何本もゲソを持つ化け物でジュールは一度も戦ったことが無かった。もしもの時のため、彼は慌ただしい船員に代わって海の一瞬を捉える監視役と自然に決まった。
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