シェビークリスタルにて ……
宿屋の主人はジュールが二人で帰ってきたのを見越していたかのように部屋を改めていた。シングルベットであったはずがツインベッドに変わり、朝食も二人分がすでに机に並べられている。お湯の入った風呂桶も二つあり、完全に二人用の部屋へと様変わりしていた。
「お帰りなさいませ。料金は変わらずでございます。ドロシー様」
「てんちょーの知り合い?」
「ええ、カルノー様とドロシー様には仕事の疲れを癒してもらっておりました。どのような事情があるか、いえ、不粋というもの、今までのお礼と思いこのようにさせていただきます。ジュール様、これは返金でございます」
そう言って宿屋の主人は小袋をジュールに手渡し、部屋から廊下へ軽やかに消えた。
「……みんな、優しいね」
「辛くなる」
「また異端狩りがこなければいいけど」
「あいつの部下は残らず切った。この町から信者を集めて襲い掛かってきたとしても、冒険者組合に逃げ込めばいい。あそこなら宗教は関係ない」
実際のところ救ってくれる確率は半半といったところだった。冒険者の中には市に近いこともあって信仰深い人間も多く、庇う以前に切り殺される問題がある。一方で現実主義で宗教嫌いの冒険者が多いのも事実。
ジュールは助けられる確率があるならそちらを選ぶ。
「ってことは、次はどこに向かうか、だね」
「大きめの港町があるのは、カウフマン子爵の領地。この子爵は港に力を入れてて治安もそれなりに良い」
ジュールは持ち物から地図を取りだした。冒険者の頃に浸かっていた書き込みの激しい古い地図である。国境や領地は変わっているところもあるが大抵は昔のままだ。
ウォルター・カウフマン子爵の領地は以前よりも大きくなっている稀有な例で、ジュールは赤で領地拡大をメモしている。
「子爵の領地が広がったのはここ数年。いくつかの男爵領を飲み込んで拡大してる。今一番の時勢に乗ってる人なのは間違いない。陸地側のシュタウディンガー辺境伯も治安はよかったはず」
「うーん。もっと遠くに行く?」
「それだと路銀が足りない。道中で依頼をこなしていかないとな……」
「子爵様のとこしかないんだ」
「子爵が教会に入り浸ってるとは聞かないし、教会の数は増えてないとは思うけど。三年前の話だしな」
陸路であればいくつかの領地まで歩いて行けるかもしれないが、船を使った方が遠方まで足が届くものである。商人に渡す金も一回で済むため経済的でもある。
悩む二人は結局のところカウフマン子爵の領地で潜伏することにした。路銀についてはジュールが依頼をこなしつつ、ドロシーもまた冒険者になる試験を受けることとなった。
翌朝、まだ太陽が力を取り戻しきっていない時刻に鍛冶職人の店に訪れたジュールは鍵の開いたままの店内で寛いでいた。荷物がいかに負荷軽減の背嚢に入っているといっても重いものは重いため、椅子に腰かけて荷物を地面に置いていた。
「……よう。早かったな」
気付かぬうちに寝ていたジュールは職人の太い声で目を覚ました。
「聖職者に浄化してもらいたかったんだが、どいつもこいつも協会に居なくてな。代わりにエメラルドを使って抑え込んである。エメラルドが割れたら寿命だ。大人しく買い替えるんだな」
「ありがとう」
新しくなった相棒は触れば切れてしまいそうな諸刃で、持ち手に大きなエメラルドがはめ込まれている。
彼は踵を返して店を出ようとすると、職人が待てと言った。
「ジュール。冒険者組合にキュリーってやつからパーティーの依頼が来てたぞ。王都にいるらしい」
「……俺は戻らない。伝えてくれたことは感謝する」
今度こそ彼は店を出た。
朝日が顔を覗かせる。
出発の日だ。
異端狩りから逃れ、隠れながら生きる日々が始まろうとしている。
ジュールは感慨深いとため息を吐いたが、すぐに気を引き締めた。この感情を得る原因は自分自身にしかなく、決して安堵してなどいけない。
「ジュール!どうかな?」
彼が振り向くとすっかり冒険者姿になったドロシーがいた。魔法使いとしての適性があったおかげで非常に手早く冒険者の証を手に入れることができた。魔法で生き延びてきた経験が生きたのだろう。
「すっかり冒険者になったな」
「……違うよ。ジュール」
家々の隙間から朝日が差し込む。
「私は異端だよ。もう決めたから」
ドロシーの両目が怪しく緑色に光る。
「……俺も今決めた」
何かおかしいと思っても口にした言葉は取り消しようがない。
港から鐘が鳴る。航海への合図だ。
「君を守らせてくれ」
片膝をついて剣を立てる。
まるで騎士の誓いだった。
紅潮するドロシーは全く、否定の言葉など毛頭浮かばなかった。
太陽の光が二人を包む。
「守ってください。私を」
「ああ、俺の人生に賭けても」
剣は煌めき、鐘が鳴る。
風が吹き抜け、鳥が飛ぶ。
ドロシーは片膝をつくジュールを優しく抱擁し、手を持って引き上げた。
「いこっ」
「もちろん」
港への道に二人を遮るものはない。
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