シェビークリスタルにて
「神聖魔法……なら!」
空を暗くする魔法が神聖であろうかと疑問に思うが、現実は確かだ。雲が無いというのに空は暗く、星は消え、街から全ての光が消えている。
ジュールは自分の手足すら見えない闇を全速力で走り抜ける。
魔物の巣くう洞窟に比べると奇襲されないだけ警戒せずに済む。加えて怪しい松明の火が視界に入るのだから、未知さえ覚えていれば恐れることはない。
「間に合え、間に合え」
奇しくも松明の火はカルノー酒場を取り囲むように輝いている。
近付き、近づく。目視で酒場を確認できる距離に来ると宗教服に身を包んだ人々が酒場をぐるりと取り囲んでいた。数は多い、見えるだけで五人、見えない人数を含むと十人以上はいるだろうか。
彼らはジュールが叫ぶ前に一斉に松明を酒場に向かて投げた。
「ドロシー!!」
外野の数人がジュールの方向に振り向き短剣を取りだす。
「邪魔だぁ!異端狩り!」
彼もまた鋭く研がれた剣を抜く。魔物も人も、あらゆる命を刈ってきた相棒である。
「異端を殺せ、私がこいつを足止めする」
長剣と短剣、技量によってはどちらも有利不利ともいえない勝負、ジュールは大きく振りかぶり異端狩りは小さな動作で回避する。
刹那、突き出される短剣は確実にジュールの首を捉えていた。しかし、彼も修羅場を潜り抜け続けた猛者であった。筋肉が急速な回避運動に悲鳴を上げるがアドレナリンで無視、手を捻り真一文字に剣を振るった。
「くっ。やるな」
「アイスブレイク」
短剣で長剣を受け流したとも思った異端狩りは言葉も出ないほどに驚き目を見張った。
アイスブレイク、魔法で氷を生成し破裂させるだけの初級魔法である。氷の大きさによっては目くらましにもならない。だが、長剣よりも軽く何より不意打ちであれば絶大な威力を発揮する。
短剣は中空に飛んでいき、無防備になった異端狩りは容赦なく長剣によって体を引き裂かれた。
「キュぁ」
「アイスアロー」
ジュールは正確に異端狩りの喉を氷の矢で潰す。暗闇で見えないものの、異端狩りは致命傷を負っている。回復魔法を使えないとなるとあとは死を待つばかり。ジュールは手を伸ばす異端狩りを無視して燃える酒場に突入していった。
「ドロシー!ドロシー!」
酒場の中は地獄のような業火だった。ランプの鯨油や魔力に引火して燃え広がったのだろう。
「ドロシー!!!ドロシー!!!」
手のひらで水を生成してみるが、ジュールの魔力量では焼け石に水そのものだ。彼はまだ燃えていない床を進んでドロシーの名前を叫び続ける。
その時、視界の端に異端狩りが倒れるのが見え、彼は肌を焦がしながらその方向へ突き進んだ。
「来ないでよ!フィリュール!」
ドロシーはまだ生きている。聞いたこともない魔法を使い、彼女は必死に抵抗していた。
「ドロシー!助けに来たぞ!」
魔法を放とうとしていた異端狩りを一人切り殺し、ドロシーの元へ駆け込んだ。
彼女は満身創痍で身体中から血を流し、傍には店主の死体もある。
「ジュール!ジュール、ごめん。信じられなくて」
ドロシーの声色は恐怖で震えている。
「俺だって自分が信用ならない。でも、今はここを抜け出そう」
店主を一瞥し彼は剣を突き立てて祈った。
死へ報いることを誓った。
ジュールが顔を上げると煤だらけのドロシーもエメラルドを握りしめて祈っていた。目から流れる涙はすぐに蒸発し、彼女の肌も焦げ始めている。
「……ジュール」
退路を防ぐ炎をどうやって切り抜けようか考えているジュールの耳に、涙声のドロシーが優しく語りかけた。
「ジュールって魔法が使えるから、一人だけなら抜け出せるよね。私の魔力はもうからっからで……」
何が言いたいのか、ジュールは理解した。
目線の先で天井が抜け落ちる。
「俺は……」
自分の体の周りだけを守るプロテクションを使えば確実にジュールはこの炎に焼かれながらも死なない程度には向こう側へ抜けることができるだろう。しかしそれは、ドロシーを見捨てた場合だ。
ジュールは迷った。
迷ってしまった。
「くそっ!」
もはやジュールは自分自身が憎かった。守ると決めた相手を見捨てる選択肢を自然と捨てることが出来ない自分に恨んだ。
「俺は絶対、ドロシー、お前を守ると決めたんだ!」
「っでも!」
「この壁を突き抜ける」
燃え盛る炎の壁を直視した。ドロシーの炎に包められる中では冷たく感じる手を握り、彼は魔法を唱えうる。プロテクション、と。普段以上に魔力を注いで効果範囲を拡大させるが、疲れ切った体では相当の負荷がかかった。
「ジュール……血が」
「だい……じょうぶ、だ」
口から血が溢れる。
「はし、れ!」
ドロシーは頷き、ジュールは床を蹴る。二人は炎に向かって突き進み、突入する。四方八方の視界は全て火に包まれ、肌が焼かれる感覚が脳に警鐘を鳴らす。少しの時間でも間違えれば二人は火に耐え切れず燃え尽きるだろう。
「ジュール!」
気を失いかけるジュールに代わりドロシーが引っ張る形となる。建物の構造を把握している分、ドロシーが彼の手を引くのが良い。
ジュールの握力がどんどん小さくなっていく。
「ジュール、耐えて!もうちょっとだから!」
彼女だってもう限界だった。魔力が尽き果てて力の入らないのを無理やり根気で耐えているのだ。
見守るだけの神に祈った。
ずっとそばに居る神に祈った。
役に立たない神に祈った。
「神様!」
角を曲がり、ようやく裏口へと到達した。ドアはまだ燃え始めたばかりだったが、ドロシーとジュールの体重を掛けるといとも簡単に道が現れた。
身体中を蒸し焼きにしていた炎が消える。ドロシーはすぐさま立ち上がり、ジュールに声を掛けた。
「ジュール!ジュール!」
酒場の外は星明かりもない真っ暗な夜だった。鯨油ランプや魔力ランプの光もない、本当の闇だった。唯一の光は燃え盛る酒場の火で、加えて不自然なほど静かだ。
「ジュール!!!ジュール!!!」
ちりちりと髪の毛が燃えているだけで、ジュールは一向に目を開けない。
「その目は異端ですか」
「……ジュール」
いつの間にか周りを黒い宗教服の人々が囲んでいた。彼らは一様に女神の象徴である彫り物を首から下げている。
「その目を捨てるなら、命までは取りません。異端でなければ、我々は命を奪わずに済むのです」
「嘘、てんちょーは異端じゃなかった」
ドロシーはジュールから目を離さない。
「異端をかばうのも、罪なのです。女神様は常に、異端とその協力者を罪深いと断じでおります」
「……ジュールだけは殺さないで、私が勝手についていっただけだから」
「いえ、聖職者を殺した人間です。裁かねばなりません」
「……じゃあ。もういいよ」
「残念です」
「ウィック・リ・ルリフ」
魔力のないドロシーではもう魔法は使えないはずだが、今だけなら出来る気がした。森羅万象の理を超えて、たった一つの願いを届けることが出来る気がした。
「……やりなさい」
数人から一人、前に進み出て短剣を振り下ろす。
刃がドロシーに突き立てられる寸前、見えない壁によって阻まれた。短剣を振り下ろした聖職者は藻い一度、凶器を突き立てる。
短剣を持ったままの両腕が人々の視界を支配した。
「俺が守ると、決めたんだ……」
神足のごとくジュールはその血濡れた剣で聖職者の首を撥ね切る。
「これは……初めて見る異端の魔法ですね」
ジュールは声のする方向に振り向いた。聖職者は片目を失った男で、憎悪の感情もまして慈愛の感情も見受けられない。無機質な人間だった。
「引きますよ皆さん。足止めをよろしくお願いします」
「ちっ、待て!」
主犯格と思われる聖職者は闇に紛れて見えなくなり、残りの聖職者は行く手を阻む。
「とまれ、あの方の傍には――」
何人もの聖職者が喉から声帯を震わせる前に首と胴が二つに分離した。一瞬、それはドロシーがわずか数回瞬きする間に終わったのだった。
暫く、ジュールとドロシーは声を掛け合うことも出来ず地面にへたり込んだ。ただ体を寄せ合い、お互いに倒れないようにするだけで精いっぱいだった。
そうしている内に星は力を取り戻し、海の向こうから帆船の灯す光が見え始まる。燃え盛る酒場に気付いた街の住民たちが俄に騒ぎ始め、ドロシーとジュールは隠れるように移動するしかなかった。
たどたどしい足で向かった母屋の角で二人は力なく倒れてしまったのだった。
*あとがき
後悔した。泣きたい。
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