序幕 聖人クリステファンの討伐

 山稜の雪が見下ろす一面銀世界の盆地の一部に赤い絨毯、黒い点々が浮かんている。人の住むことが出来る北限の地、試される大地と言われる極寒の極地にジュールはいた。白い息を切らしながら向かってくる異端者を切り倒し、前へ前へと進んで行く。


「者ども!悪魔崇拝はもう終わる!眼前の石碑を破壊するのだ!」


「「「おおっ!!!」」」


 ジュールは仲間と数人で冒険者、もとい傭兵として教会に雇われ戦地で戦っていた。信条のほどはつゆ知らず、冒険するのも生きるにも金が無限にかかった。街に張り出されていた教会の怪しい求人に捕まったのもパーティーが行倒れになる寸前だったこともある。


 街に点在していた異端者の建物を破壊することから始まり、集会中だった人々を切り殺した。仕事をするたびに麻袋に入る金貨の量は増え続け、パーティーは汚い仕事であろうと金に目が眩んで引くに引けなくなった。


「ジュール!誘い込まれてるっぽい!退かないと!」


「分かった!おい、ラジアン! ザイツェフ!」


 声を掛けた二人はすでに傷だらけで装備の留め具も千切れそうなほど損傷している。ジュールはキュリーの助言を聞き入れるさらなる確信を得た。


「誘い込まれてるらしい、移動する!」


「りょうかっ。くそっ、あぶね」


「敵が多すぎて退けるか分かんねぇぞ」


 教会側はある時から何ヶ月も行軍し、その都度冒険者ないし傭兵を雇い入れ街ゆく街で信仰深い信者を軍団に加えても戦えば数は減り、抜けていく人がいる。さらに心身ともに疲弊して十分な力が出ない者もいるのだ。


「私が隙を作る!みんなどいて!」


 キュリーは一体どこにそんな魔力を遺していたのか、真っ青な氷の巨大な球を杖の、その空中に浮かべていた。戦場にいる人々は直感的にそれが危険なものと理解し、敵も味方も関係なく氷から逃れるように走り出す。


「やれ!キュリー!」


 ジュールは加害範囲に見方が少なくなったのをキュリーに伝え、彼女が声を頼りに杖を振り下ろすと青い砲弾が雪原にゆっくりと落ちる。


 瞬間、神々の尾根は目撃した。


 氷の砲丸が破裂し銀世界を白く染め上げたことを、青い光が世界を暗くしたことを。


 ジュールは気を失ったキュリーを抱え、仲間は自分の足で必死に後方へ退避する。彼女の生み出す魔法が如何に殺傷力に優れているかを最も身近で捉えてきた経験、敵味方関係なく術者本人にも害を為す魔法は彼らが地面に伏せた瞬間に破裂した。


「ぷ、プロテクション!」


「耐えろボロ盾!」


「ウォール!」


 戦場にいる全ての存在が各々の防御法で魔法攻撃を退けようとする。

 過剰な炸裂光が周囲を照らし、パラパラ、カツカツ、盾や防御魔法に衝突する氷の破片。ジュールが顔を横に向けると防御が間に合わなかった信者が氷の欠片と共に体が吹き飛ばされるところを目撃した。


「隙どころじゃないだろ!!!」


 しかし、彼の発言は撤回される。

 周囲を警戒しようと防御魔法から顔を覗く。そこは雪と氷の靄が平原を覆っていた。


「なる……ほど」


「ジュール!聖職者がなにか魔方陣を展開してる、逃げるぞ!」


「そっちもかよっ!」


 三人はまさに尻尾を撒いて逃げ出した。

 教会の聖職者が使う魔法は女神から授かった神聖な魔法である。だが、使い方次第では惨く、残酷で、非道である。


「石碑の障壁を打ち破る!構えよ!」


 横目に無数の信者と聖職者が集まって巨大な円陣を組んでいる。その中心には恐らく今回の遠征の立案者がおり、他の聖職者よりも高級な服装からかなりの高位と分かる。


「放て!」


 ジュールや起きたキュリー、ラジアン、ザイツェフが目にしたのは神とは思えぬ悪魔の所業だった。赤い熱線が平原に深く積もる雪を溶かし、直進線上の味方も敵も焼き尽くす。さらに、熱線から飛散った炎に触れた人は一瞬で燃え上がった。


 目標である石碑に固まる異端者たちは何を思っていたのか、知る者は誰一人いない。


 何故なら石碑は、跡形もなく消し去られたのだから。


「女神の……弓矢……」


 抱えられたままのキュリーはそう呟く。

 気付けば戦場にいる人は戦いを止めていた。膝をつく者、勝利の雄叫びをあげる者、放心する者、十人十色の反応があったが、主格の聖職者たちは高位の人間を除いて真っ赤な血を吐いて捲りあがった地面に突っ伏している。


「あんなの神聖魔法でも何でもない、生贄の儀式。人の力を吸って放出してるだけじゃない……」


「けっ、だから神聖さは嫌いなんだ。ジュール、よく見ておけよ。あれが神の所業ってやつだ」


 信仰心はなくとも子供のころから触れてきた女神という存在が生んだ戦場、ジュールは腕に刺さった骨すら気にする余裕がないほど動揺していた。見渡せば広がるのは地獄である。試される大地は起伏の多い平原に代わり、雪は解けて真っ黒な土が露出し倒れた人間がまるで石ころのようにアチコチに転がっている。


 ラジアンは言った。


「金に目が眩んだが、二度と教会の依頼は受けねぇ」


 ザイツェフも同意した。


「まだ若いジュールにゃ刺激が強すぎた。適当に魔物退治で路銀をかせぎゃ良かったんだ。すまねぇ」


 キュリーを抱える力がなくなり、彼女は地面に荒く落ちた。アドレナリンが放出さえていたおかげで痛くはなく、キュリーは逆にジュールの心配をした。


「ジュール、大丈夫?その、顔が怖いよ?」


 三人は彼の気持ちの深層を理解したが、同時にやるせない感情がふつふつと湧き上がる。起こってしまったことはどうしようもないからで、乗り越えるのは自分自身の力だからだ。


「そうか、俺は……俺は、俺は」


「ジュール?」


「俺は!!」


 三人が勘づいたときにはもう遅かった。


「傭兵でも、冒険者でも、異端狩りでもない」


 三人とも待ての言葉を口によりも早くジュールは思考する。


「ただの脳無しだ。何も考えず教会に従って虐殺の手助けをして、仲間を危険にさらして」


「金が必要だっただけだ。ジュール」


 ラジアンは必要性を説く。


「他にも選択肢があったはずだ」


「依頼はこれしか残ってなかった」


 キュリーは不可避性を解く。


「いいや、多分いつもの魔物退治がもうちょっとで張り出されるはずだった」


「俺たちは金で脅されたんだ」


 ザイツェフは強迫性を解く。


「俺が金に飛びついただけだ」


 彼は疾うに正の方向への物語が描けなくなった。閉じ込めてきた考えが終わりと共に解放されたためか、他の考えを圧し潰して表層に躍り出た。


 三人はパーティーの中で最年少のジュールの精神に気を配っておくべきだったと後悔したのだろうが、すでに手遅れである。


 ジュールはふらふらと覚束ない足取りで戦場の外へ向かう。


「おいっ。どこにいく」


「……ほっといてくれ」


「待て!」


「ザイツェフ、よせ。キュリーも行くんじゃない。今はどう頑張っても無理だ」


 ラジアンは時間をかけるしかないと言った。


 暫くして、街の冒険者の集う酒場で一つの噂が流れたのは当然のことだ。曰く、また一つのパーティーが解散したと。


 ジュールは多めの路銀を背嚢に詰め込んで拠点としていた町を出た。冒険者としては余りにも小さい背中に見送る仲間たちは一筋の涙を流していたという。それは朝、まだ風が冷たく地平線から薄っすらと光が漏れ出でる程度の早い時間帯であった。

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