とある異端者の話

黒心

序幕

 村の少年エルトゥル、普段はエルトのあだ名で親しまれている。

 彼はいつも通り村の井戸から水を汲んで家の脇におく仕事が終わり、自由な遊ぶ時間になるとすぐさま太一を蹴って村の外れの森へ駆け出した。森と言っても薬草や木の実の採集をするために残された森で、狩人が獣がいないと安心するような森である。


 彼の目的は森で木の実を食べることでも、薬草を集めて売ることでもない。エルトは森を抜けた先にどうしても行きたい用事があった。


 いつも走り抜ける森はもはや庭といっても良いもので、木の根っこ、石、岩の形、全て記憶にある通りに配置され決まった動作で乗り越えていく。一つのあぜ道が形成されるほどにエルトはそこを通り抜け、森の奥へ奥へと進んで行った。


 走り続けて暫く、終に森を抜けた先の光が目に飛び込んだ。彼はさらに加速して飛ぶように森を横断する。

 もう森を抜ける。そう思った瞬間、エルトは腕を掴まれた。


「急ぐな。危ない」


 エルトが腕を掴む手の先を見ると、村の男衆よりは齢を取っていそうな、古ぼけた装備を抱える冒険者がいた。瞬き一つしない目、しっかりと腕を掴む腕力、乾ききった唇。村の滞在者にこんな風貌の人物はいただろうかと考えていると、腕を掴む力が緩くなった。


「近くの村の子供かい」


「えっと、うん。おじさんは誰?」


「……ジュール。冒険者だ」


 これが少年エルトと冒険者ジュールの出会いである。





 ジュールは村の長老よりも物知りで、ジュールは村の力自慢よりも強く、ジュールは村の医者よりも薬に詳しかった。


「エルト、この先は古戦場だ。スケルトンがうろついている。もう来ない方がいい」


「スケルトンなんて出ないよ。もっと面白いものあるんだ!」


「面白いもの?」


「僕が連れて行ってあげる!ついてきて!」


 エルトは初めての冒険者に興奮していたのかもしれない。いやきっとそうだろう。エルトは普段、村の誰にもその面白いものを隠していたのだから、ジュールにもまた内緒の筈だった。冒険者は怪訝な顔で重たそうな装備をガチャガチャと揺らしてエルトの後を追う。


 古戦場は中央に川が走る草原で、野花や野鳥の天国だ。時々、穴の開いた鎧や折れ曲がった剣、人骨が土から顔を出していることがあるものの、それ以外はただの平原。ジュールが言うほど危険ではなかった。


「ねぇジュール。コセンジョウってスケルトンが出るの?」


「ああそうだ。でも、有名な戦場跡地には聖職者がやってきて清める。だから湧かない。ここはまだ聖職者が来た記録がないからな、出るかもしれないぞ」


「聖職者って、ガチェ様のこと?」


「なんだ。小さい村だと思ってたが教会があるのか」


 大抵の辺境村には修道院も教会も、石造りの建物があることの方が珍しい。ただ、例外として聖職者がその村に住んでいる場合は教会が建つ。

 エルトの村に居るガチェは教えを広めるために村に拠点を置く生粋の聖職者だった。


「7日に一回、ガチェ様が女神について教えてくれる!ほら、太陽は闇を打ち払うけど夜は力を失うから外に出たら駄目とか、雨水は女神が慈悲の心で涙をながしたものだから清めずに飲んで良いとか」


 女神の教え、要は生活の基本となる言い伝えを分かりやすく纏めたもので人々のための教えだった。ジュールは聖職者教会が嫌いなのか、苦い顔をしながら少年の話を聞いていた。


「女神様は慈悲深くって、罪を犯した人でも毎晩祈れば許しちゃうんだ!」


 ほとんどの教会には地下に牢屋が付属されている。そこに閉じ込められ女神の教えを百回、二百回唱え地下牢が明るくなると許しを得たということになるらしいが、実際は松明の火をともしているだけで、付け加えると金を払って火をつけて貰っているのだ。


 聖職者教会に寄付をする貴族はそもそも宗教的に罪に問われない。ジュールは眩しい少年の信仰心を醜悪な現実で汚したくはなかった。


「エルト、かなり歩いたが……」


 古戦場の中央に差し掛かっており、これ以上はどんな危険があるかジュールでも予測できない。可能ならば今すぐ少年を抱えてきた道を戻らなければ危険だ。


「うん!ほら、あの黒い剣の下にあるの!」


 黒い剣と聞いてジュールは始め錆びによる劣化だと思ったが、実物をみた瞬間に背筋が凍っていく錯覚を覚えた。


 黒い剣、それは古戦場に漂っていた憎悪を一点に引き受けた聖剣であった。


「……黒い聖剣」


 ジュールが考えている間にエルトは剣の下に手を伸ばす。


「冒険者さん、綺麗でしょ?」


「緑色の宝石、エメラルドか……それにこの形は」


 エメラルドをみたジュールの記憶は過ちだらけの過去を引きずりだす。離れたいと思い遠く辺境の地に来たというのに、彼は思い出の呪縛から逃れること叶わず。エルトを抱き寄せて腰に刺してある剣を抜いた。


「おじさん?」


 ジュールは剣を地面に突き刺し、女神の教えとは違う祈りの形をとる。エルトは抱きかかえられたまま、どうしていいか分からず無言になる。


「……エルト、異端って知ってるか」


「危ない人たちのこと?」


 聖職者のガチェから教えられたことを思い出す。異端とは、女神の教えに背く危険人物たちのことで、見かけたら逃げるか殺さなくてはならない存在。


「こいつはその異端だ……俺の仲間でもある」


 ジュールは立ち上がり、少年を降ろしてつぶらな瞳を覗き込んだ。


「エルト、昔話をしないか。女神と異端の話、教会と俺の話を……」


 異端をみたら逃げろと女神は語っているらしいが、エルトに逃げる脅迫感は一切湧かなかった。それどころか、知らないことを知っているジュールに惹かれている。もとより、エメラルドを見せた少年はそういう運命だったのかもしれない。


「ここじゃない。遠くの戦場……俺は女神側について戦っていたんだ」

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