第62話 sleeping beauty


 皇族たちが訪問している間、留守をしていたクラウスが返ってきた。

 パン、チーズ、骨付き肉。彼が持ち帰った食べ物に、エドゥアルドは旺盛な食欲を見せた。

 病み上がりのエドゥアルドには、栄養のある食べ物が必要だ。けれど、昨日まで瀕死の重病人だったのが、突然、普通に食事を採り出したら、変に思われるに決まっている。ゲシェンクに救われた件は、まだ明かすわけにはいかない。だから、王宮の調理場からではなく、町から食料を調達する必要があったのだのだ。


 「殿下、いっぺんに召しあがると、胃がびっくりしてしまいます」

 嬉しい反面、今までろくな食事もできなかったのだ、心配になったクラウスが口を出すと、エドゥアルドは、不敵に笑った。

「太らないと、お前、やらせてくれないんだろ? それじゃ困るから」

 日陰の花が太陽を避けるように俯き、クラウスがぼそぼそと言う。

「明日は、もう少し、マシなものを調達してきます」

「いや。これで十分だよ」

 エドゥアルドは、まだ開けてない袋に目を留めた。クラウスが中から、焼き菓子を取り出す。

「素朴なお菓子だね。どこで手に入れたの?」

「知り合いが焼いたものです」

 エドゥアルドの口の端についた菓子の粉を、クラウスが拭う。屈みこんだ彼の服の間から、くるくる丸めた紙が滑り落ちた。

「なんだそれは?」

エドゥアルドが素早く拾い上げる。

「あっ、見てはいけません。あなたがご覧になるようなものではございません!」

「そんなことを言うと、余計に気になる」

「ダメですったら! 返してください!」


 奪い取ろうとするクラウスの手を、エドゥアルドは、高い位置でなんなく躱した。なおも取り返そうとするのを振り切り、紙を広げる。

 そこには、エドゥアルド自身の姿が、淡い色調で描かれていた。

 軍服姿だ。頭の下に二つ、クッションを当てて横たわっている。静かに目を閉じたその顔は、眠っているように安らかだ。まさに眠れる森の麗人スリーピング・ビューティーといった風情だ。

 だがそれは、寝姿などではなかった。白い手袋をした両手が、胸の上で組み合わされている。

 臨終の姿絵だ。

 エドゥアルドは、絶句した。


「申し訳ない。お見せするつもりは毛頭、なかったのに……」

 しょんぼりとして、クラウスが詫びた。

 宮廷教会の前で売られていたという。自分の死が、既に公然のもとして受け取られている事実に、エドゥアルドは愕然とした。

宰相メトフェッセルが声明を出したのです。貴方は死病に罹っており、もはや助かる見込みはないと。それで、このような似姿が、町のあちこちで売られるようになり……」

「お前、買ったんだ」

「なんだかひどく……、うつくしかったので」

顔を赤らめた。

「えと、煽情的な? すごく、その、……」

「うん。変にいろっぽいよね。死んでいるのにさ。いやになるな」

 クラウスは、伏し目がちだった。

「死んだ絵姿を買うなんて、不吉だし、悪趣味だと思ってるんでしょ? でも、大勢の人が買っていたし、実際、この絵には不思議な魅力があって……。第一、あなたは死んではいない。だから僕は……」

「言い訳はいいよ。怒ってない。……で、いくらで買ったの?」

「20クロイツァー」

「安いな」

 エドゥアルドは紙を裏返した。

「エンダーが描いて、シェルバーが彩色したのか」

 エンダーもシェルバーも、著名な画家である。特にエンダーは、ウィルンのアカデミーの教授も務めている。

「仕事が早いな。あっという間に描き上げちゃうんだ」

「それ、返してください」

 クラウスが手を伸ばしてきた。絵の端を掴む。エドゥアルドは、ぱっと紙から手を放した。


 「この服装、知ってます」

 奪い取った紙を、クラウスは大切そうに筒状に巻く。

「以前、街中に出回っていたポートレートと同じ、軍服姿です」

「うん。ハガリー第60連隊大隊長に任命された時の軍服だ。ほら、勲章をふたつ、してるだろ? あの時、記念に肖像画を描いてもらったんだけど、それが複製されて、大変な売れ行きだったと、アルディーヌが教えてくれた」

「アルディーヌ?」

「遊び友達だよ」

「女性の?」

「そうだ。クラウス、見たことあるんだ」

「ご、ございません! 殿下の女友達なぞ、」

「僕のポートレートだよ」

「は? い、いえ。いえ、……ええと……」

「あるんだな。もしかして、そっちも、買った?」

「う……」

「ふうん。買ったんだ」

「殿下……」

思い詰めた口調だった。

「殿下。お教えください。軍服のお襟……緑のと赤いのと、どちらが本当の殿下なんですか?」

「は? 軍服の襟?」

「ええ。……あ! もしや、色の塗っていない絵のが、本物の殿下? オリジナルの絵には、色が塗ってなかったとか?」

 そんなに何種類も自分のポートレートが出回ったのかと、エドゥアルドは呆れた。宮中で描かせた元絵の写しに、少しずつ手を加えたものだろう。

「全部同じポーズなんだろ? 立って腕を、胸の下辺りで組んでる……そんなに違いが、あるのか?」

「ええ」

うっとりとした目を、クラウスはした。

「赤のお襟の殿下は、おすまししていらして、ちょっと近寄りがたい感じです。でも、女性には人気でしたよ。僕は、緑のが好きです。赤より子どもっぽいけど、からかうような目が、とても殿下らしい。色のついていないのは、流し目が、どきどきしてしまって。3枚並べては、どれが本当の殿下なんだろう、って、いつも考え込んでしまいます」

「全部、買ったのか!?」

「えっ? ええと、その……」

みるみるクラウスの顔が、赤く上気していく。

 「そんな同じような絵を何枚も集めて……クラウス、お前、僕のこと、大好きなんじゃないか」

 言い終わるなり、クラウスを抱きしめようとする。クラウスは慌てた。

「ダメです。だから、今はまだ、」

力いっぱい、その体を押しやる。

「なんで? 僕はもう、元気だし、」

「そんな、羽を毟られたウズラみたいなお体で言われましても、」

「羽を毟られた? ウズラ? ひどいな。もう少し肉がついてるぞ。確かめてみる?」

 再び、抱きつこうとする。

「いいえっ!」

 椅子にけつまずき、クラウスは逃れた。倒れた椅子を、エドゥアルドが起こす。

「ひどいよ、クラウス。先日は、お前の方から僕に乗っかってくれたのに」

「なっ」

血が頬に上っていく音がわかるような勢いで、クラウスは赤面した。

「ですから、その件に関しては、謝ったじゃないですか!」

「謝る必要なんかない。あれは、すごく、……」

「殿下っ!」

なんとかエドゥアルドを黙らせようと、クラウスは絶叫した。

「あれは、殿下に、さんざん誘惑されたからっ!」

「なら、今度は、お前が誘惑したんだろ? 僕は知らなかったぞ。お前が、僕のポートレートを買い集めていたなんて!」

「け、」

クラウスの喉から声が漏れた。

「け?」

「権利ですからっ! これは、ウィスタリア国民の、当然の権利ですからっ!」

 広げられた腕をかいくぐり、クラウスは、赤い顔のまま、まくしたてた。

「殿下の絵姿は、宝石箱や、葉巻入れなんかにも加工されているんです。そして、ウィスタリアだけじゃなくて、エルヌ国やユートパクスにも輸出されて、人々は先を争って買い求めている」

「うん、死に装束の絵も、さぞや大量に出回ってるんだろうな」

「殿下、」

 何か言いかけたクラウスが、はっと言葉を途切らせた。のろのろと続ける。

「一流の絵描きが。完成度の高い絵を。短期間で。しかも、大量に印刷まで済ませて。……まるで、前から用意していたように」

「考えすぎだろ」

 「殿下」

 静かにクラウスは、エドゥアルドに歩み寄る。



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