第60話 外国の王族の来訪
その日一番に面会に訪れたのは、意外なことに、アルト・ウスティンだった。大使に任命され、教皇領に派遣になった少佐だ。
「ウスティン少佐! どうしてここに?」
エドゥアルドの目が喜びに輝いた。
「休暇を取ってきたのですよ。プリンス、貴方がご病気だと聞いて。でも、噂は間違いだったようですね。貴方はとてもお元気そうだ」
彼には連れがいた。水色の髪をした小柄な人物……ウテナ人だ。
「彼は、ウテナのジウ王です」
エドゥアルドの目線に気づき、ウスティンが紹介する。
「ウテナの! それははるばるとよく、お越し下さいました」
ウテナ王国は、メドレオン海に浮かぶ島国だ。
安楽椅子から立ち上がり(クラウスから言われたように、軽々と立たないように気をつけた)、エドゥアルドが頭を下げる。するとジウは、見るからに居心地悪そうにもぞもぞした。
「死の床にある貴方に嘘は言いたくない」
瀕死の状態を装って賓客を騙していることへのエドゥアルドの罪悪感は、続くジウの告白で、驚きと嬉しさあまり霧消した。
「実は私は、ジウではないのです。いえ、体は間違いなくジウですが、中身が……。私は、エドガルド・フェリシン。ユートパクスの亡命貴族です」
「エドガルド……フェリシン! 父上のライバルですね! 学生時代の!」
ぱっとエドゥアルドの顔が輝く。彼のことなら知っている。図書室にあった本で読んだ。
「エドゥアルド」は、ウィスタリア読みだ。同じつづりを、ユートパクスでは「エドガルド」と読む。自分の名前は、彼由来なのではないかと、エドゥアルドは密かに考えたものだ。つまり、ライバルとはいえ、それほど彼は、父オーディンと親しい間柄だったということになる。
ウスティンが大きく頷いた。
「だから、ディートリヒ先生の許可が下りたんですよ。貴方と面会する。たとえ嘘でも、オーディン・マークスの関係者に会えば、プリンスが元気になるかもしれない、と言って」
「嘘なんかじゃない。俺は、エドガルド・フェリシンだ」
むっとしたようにジウが言い返す。エドゥアルドは首を傾げた。
「けれど、フェリシン大佐は亡くなられたのでは? エイクレ要塞包囲戦で」
「おや、ご存知だったか」
ジウは満足そうだ。
「最初から話しましょう」
ウスティンが言った。
「プリンス、ゲシェンクをご存知ですか?」
息が詰まるかと思った。ゲシェンク。それは、クラウスだ。彼は、エドゥアルドに己の死を委ねた。エドゥアルドを守護する代わりに、普通の死を死ねなくなった。エドゥアルドが彼を殺さない限り。
彼の、そして己の身に降りかかった運命の過酷さを思うと、いつだってエドゥアルドは、言葉を失ってしまう。
「教皇領に赴任してからも、私はオーディン・マークスの研究を続けました。そして、ある書き付けを発見したのです。そこには、オーディン・マークスはゲシェンクだと書かれていました」
更なる爆弾をウスティンが落とし、エドゥアルドは驚愕した。
「父上が、ゲシェンク! まさか! まさか、そんな……」
「残念ながら、事実だ。君の父上は、ゲシェンクだ。なぜなら、彼が生涯をかけて救ったのは、この俺だったから」
ジウ……エドガルド・フェリシンが言った。呆れるほど静かな声だった。
「学生時代、俺は、樹に上って下りられなくなった仔猫を助けようとした。ところが上った樹の枝が折れて、落ちてしまったんだ。運が悪いことに、下には尖った杭があって……」
瀕死の重傷を負った彼に、オーディン・マークスは自分の血を飲ませた。
「その時一度きりだった。俺が彼の加護を受けたのは。だって俺たちはとても仲が悪く……」
「エドガルド……、失礼、ジウ陛下が王党派であったのに対し、オーディン・マークスは革命派だったからですね」
ウスティンが説明すると、エドガルドは頷いた。
「あの当時、主義の違いはいかんともしがたいものだった。それに、ゲシェンクについての理解も乏しかった。あの馬鹿野郎は、ゲシェンクについて、何の説明もしやがらなかった。だから、大怪我は夢だったのではないかとさえ、しまいには思うようになった」
「あるいは、オーディン・マークス自身、知らなかったのかもしれません」
生真面目な顔で、ウスティンが付け足す。
「俺の連れはそうは思っていないが。あいつはそれを、オーディンの愛情だと思っているよ。だが、まあいい」
連れ? 誰のことだろう。それに、愛情って?
エドゥアルドには意味を取りかねた。だがそれ以上の説明はない。
「そして、革命が起きた。貴族の出身だった俺は、王に従い国を出た。王家の旗の元、亡命貴族軍を結成し、ユートパクスに戦いを挑んだ。ところが、同じ貴族でありながら、
ジウの姿をした彼は、そこまで年配には見えない。ウテナ人は実年齢より若く見える民族だが、未だ青年のように見える彼が、対等の立場で父の思い出話をしているのは、とても奇妙だ。
「オーディン・マークスの軍はツアルーシの大氷原で大敗し、オーディン自身も瀕死の重傷を負いました」
ウスティンの言葉に、エドゥアルドは息を飲んだ。
オーディン・マークスは、アベリア海の孤島で死んだことになっている。実際に、10歳の時に家庭教師にそう告げられ、エドゥアルドは教師らと共に、喪に服した。
ツアルーシで重傷を負ったオーディンが、その後も絶海の孤島で生きていたのだとしたら?
エドゥアルドは目の前にいる人物に視線を戻した。
エドガルド・フェリシン。父と敵対した亡命貴族。父の学友である一方、ライバルでもあった……。
「その時あなたは、ゲシェンクへの義務を果たさなかったのですか?」
強く責める声色を抑えることができない。
色素の薄い異国の瞳に悲哀が浮かんだ。
「俺だって手を尽くしたのだ。オーディンが重傷を負ったと聞くと、すぐにツアルーシまで飛んでいって、彼にとどめを刺そうとした。けれど……」
「彼にはできなかった」
言葉を詰まらせたジウに代わり、ウスティンが続けた。
「転生したことが影響したかどうかは、前例がないのでわかりません。とにかくジウ陛下には、オーディン・マークスを死に至らせることができなかった。オーディンの怪我は重く、死の苦しみに喘いでいた。それは、永遠に続く苦痛だ。見かねたツアルーシの皇帝が、彼を氷に鎖したのです」
「では……では、父上は……」
「今でも生きている。ツアルーシの氷に閉じ込められてね」
静かにジウが言った。
「ところでプリンス。なぜ
◇
講師控室へ顔を出したクラウスに、フォルスト大尉が、貴賓控室にお茶を運ぶよう命じた。
「ディートリヒ先生が、外国からのお客をもてなしているのだ。私は心配で……」
そこまで言って、実直な体育教師は目を泳がせた。
いったい何が心配なのだろうと、クラウスは不審に思った。普段、お茶出しくらいなら、フォルストは気軽に引き受ける。それなのに、わざわざクラウスが来るまで待っていたなんて。
メイドが丁寧に入れてくれた香り高いお茶を運んでいったクラウスは、フォルストが自分に押し付けた理由がよく分かった。
貴賓控室には、ディートリヒと客人が、大きなテーブルに、ぽつんぽつんと離れて座っていた。向かい合った位置関係ではあるが、あまりに離れすぎていて、目線を合わせることはない。いや、むしろ絶対に視線を合わせまいと強情を張り合っているようだ。
二人の間は、絶対的な無視の気配で鎖されていた。気まずい雰囲気のまま、二人して正面の壁を睨み据えている。
砂糖壺はひとつしかなかった。散々迷った末、クラウスは、二人の間に置いた。しかしこれでは、どちらも手が届かない。
「砂糖はこっちに寄越せ。俺は客だぞ」
この言葉が戦闘開始の合図になってしまったようだ。だん、とディートリヒがテーブルを叩いた。
「客なら客らしくしろ」
「してるじゃないか。客らしくもてなしを要求したところだ。お粗末なウィスタリアの接待をな!」
「はんっ! ウィスタリアのおもてなしは天下一だ。風雅なまごころは、ユートパクス革命軍将校なんぞには、絶対にわからんだろうがね」
「風雅? まごころときた! よく言うよ。オーディン・マークスの息子を幽閉しているくせに」
客人が言い返す。白い筋の混じった濃い色の髪を背中に長く伸ばし、地味な旅行着姿だ。両頬に恐ろしい銃創がある。
「馬鹿な! 我々はプリンスを保護しているのだ。狂信的なユートパクス人にさらわれないように」
「はんっ、ユートパクス人には彼を頂く権利がある。オーディンの息子はユートパクスのものだ」
客人は立ち上がって壺を引き寄せ、カップに砂糖をばんばん入れている。あんなに入れたら甘すぎて飲めたもんじゃなかろうと、クラウスは心配になった。第一、お茶の風味が台無しだ。
ディートリヒの目がぎろりと光った。
「殿下はウィスタリアのものだ。われらが陛下の孫だからな。その上、ろくな教育もできないユートパクスと違って、我々が立派な教育を施した。プリンスは、ウィスタリアの貴公子だ」
「なにぬかす。彼はユートパクスの王族だ」
「ユートパクスには元の王朝が復古したろうが。相変わらず不人気のようだがな」
ディートリヒが言い放つと、案外素直に客は頷いた。期せずして、二人の意見は一致したとみられる。
「だが、いいか。俺の連れは返せよ。オーディンの息子みたいに、ウィルンの
言い終えるなり、お茶を一気に飲み干した。
「熱い!」
当たり前だ。さっきまで熱湯だったのだから。噴き出さなかったのは上出来といえる。
「あの方は、いったいどなたです?」
クラウスはディートリヒににじり寄り、耳元で囁く。
「シャルワーヌ・ユベールだ。ユートパクスの元将軍で、今はウテナ国の守備隊長か何かをやっている」
渋い顔のまま、ディートリッヒが答えた。
「そんな人が、なぜ
「知るか。アルト・ウスティンが連れて来たのだ、ウテナ王を。ジウ陛下は、プリンスの見舞いに来て下さった。ユベール将軍は彼の護衛だ」
ウスティン少佐の名を聞き、クラウスの胸がささくれだった。あの男は、プリンスをさらおうとしている。イリータの王にしたいと願っている。
危険な男だと思う。けれどエドゥアルドは彼を絶対的に信用しているから、自分も信じるしかない。
シャルワーヌが目を上げた。
「もう1時間は経った。エドゥを返せ。違った、ジウ陛下を今すぐ、ここへ連れて来い!」
エドゥ。それは、プリンスの愛称でもあることに、クラウスは気がついた。自分はまだできないが(果たしてそう呼べる日が来るのだろうか)、メリッサ大公妃は彼のことをエドゥと呼んでいる。
「王族の接待に、時間制限などない!」
即座にディートリヒが言い返す。
シャルワーヌは憤懣やるかたないといった風情だ。
「だいたいなぜ、俺が同席しちゃいけないんだ? エドゥの護衛だぞ?」
「うちのプリンスは重病人だからな。がさつな軍人を病室に通すわけにはいかないね」
「ウスティンとかいう少佐ならいいのか? あれも軍人だろうが」
「ウスティン少佐が来ると、プリンスは途端に元気になるんだ。背に腹は代えられぬ」
「だからって、エドゥを巻き込むな! わざわざウテナまで迎えに来やがって。せっかく島国に隠しておいたのに」
「ウスティン少佐には、何か考えがあるんだろうよ。現に、プリンスは生気を取り戻された」
「俺には最初から元気そうに見えたが? 顔色なんか、つやつやしてたぞ」
シャルワーヌが言い、クラウスはもぞもぞと落ち着きなく動いた。彼の顔色がいい原因に、心当たりがあったからだ。
「とにかく、だ。エドゥは関係ない。エドゥを返せ! 今すぐに!」
エドゥを連呼している。クラウスはさらに落ち着きを失い、ディートリヒは決壊した。
「うるさい! 黙れ、鬼畜ユートパクス!」
「そっちこそ永遠に沈黙させてやる、このへなちょこウィスタリアが!」
黙って牽制し合っていた方が、まだマシだった。
革命戦争時代の舌戦を繰り返す二人を背に、クラウスはそっと貴賓控室を後にした。
________________
※
やった~! ついに念願のクロスオーバーです
「転移した体が前世の敵を恋している」
https://kakuyomu.jp/works/16817330665612772654
オーディンがゲシェンクだった件をウスティンが伝えました、だけでよかったんですけど……
お付き合い頂き、ありがとうございます!
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