第55話 無血革命
エドゥアルドが眠ってしまうと、クラウスは病室を出た。長い廊下を足早に歩く。
こんな時に、呼び出しが掛かっていた。
ウィスタリア軍最高司令官、マレー将軍が、シェルブルン宮殿に来ていた。彼は、軍におけるエドゥアルドの上官にあたる。
「モーデル男爵。エドゥアルド・ロートリンゲン公爵の侍従だな」
クラウスが伺候すると、将軍は言った。
「明後日、公爵は、秘跡を受けられる」
「いえ、プリンスはお断りしたと」
「受けるのだ」
きっぱりとマレー将軍は言った。
「これは、決定事項だ」
「……」
……嘘だ。
……まだ何も決まっていない。
……プリンスが死ぬわけがない。
熱い怒りが湧いてきた。クラウスの体が震えた。
彼の心など全く忖度せず、マレー将軍は言い放った。
「お亡くなりになったら、直ちにお仕えしている者を解雇するように」
クラウスは絶句した。
「ロートリンゲン公爵家は、解体・消滅する。同家は、プリンス一代限りの家柄だからだ。これは、最初からの決め事だ」
ロートリンゲン公爵家。それは、反逆者オーディン・マークスを父に持つエドゥアルドに、祖父の皇帝が与えた称号だ。彼の身分を保証し、宮中での立場を安定させる為に。
一代限り。そんな風に、皇帝は定めなかった筈だ。
それなら誰が、決めたのか。彼の子孫を否定するようなことを。
「よいか。以下の手続きを進めるように」
淡々と、将軍は命じた。
馬は鞍ごと、副官たちに下賜せよ。公爵の身の回りのものは、側近たちに。その他のものは、自分、マレー将軍の指示下に入る。
命令は簡潔に、歯切れよく下された。
呆然と、殆ど己を失っているうちに、マレー将軍の姿は消えていた。
最後の秘跡。
冗談じゃない。
そんなものを、エドゥアルドに受けさせるわけにはいかない。
ロートリンゲン公爵家が解体?
どういうことだ、それは!
プリンスはまだ、生きている。生きているうちから、そんな話をするなんて……!
怒りを胸に、クラウスは宮殿を出た。
下宿の近くまで来た時だった。
不意に、赤い色が眼を射た。
それは、恐ろしく不吉な色だった。
クラウス目がけて、女の子が駆けてきた。
エマだ。
「ギルベルトが呼んでいる」
彼の腕を死に物狂いで掴み、彼女は言った。
◇
数時間前。
王立大学の革命軍は、各大学と連携し、一斉に蜂起した。ウィルンにある王立大学の学生たちは、ウィルンの町の人たちと合流し、ブルク宮殿目指した。
学生たちと町の人々は、王宮前広場に陣取った。要望を書いたプラカードが掲げられる。
いっせいに叫び始めた。
「パンを寄越せ」
「賃金を上げよ」
「平等な生活を保証せよ」
近衛兵が出てきた。彼らは整然と展開し、市民たちを追い払おうとした。
目指すは、無血革命だった。それなのに、頭に血が上った市民の誰かが兵士に食ってかかり、身の危険を感じた兵士は、銃の引き金を引いた。
あとはもう、混乱の一言に尽きた。あちこちで血が流れ、銃弾が飛び交った。
「おい、ギルベルト。そっちへ行くな。深入りはしない約束だろう!」
ロッシが叫んだ。
人々は興奮し、混乱し、もはや収拾がつかない。
「一度、大学まで引き返して、態勢を作り直すんだ!」
「状況が変わった!」
頭の上に振り下ろされた警棒を危うく躱し、ギルベルトは叫んだ。
……。
「ギルベルト。『黒い髪の若い男』について、聞かれたぞ」
何日か前、馬車屋のシモンは言った。
「あの男は、本当に死んだのかって」
「何?」
ギルベルトはぎょっとした。
どこからともなく流れ始めた、「刺された男は死んだ」という噂。その噂に、ギルベルトは便乗した。積極的に噂を肯定し、拡散に努めた。
それなのに、未だにその真偽を嗅ぎまわってる者がいる?
「誰が、そんなことを? 秘密警察か? 政府の役人か」
「いや、あれは、個人の付き人だな。俺に巻煙草をくれたよ。煙草入れに、家紋がついていた。……メトフェッセル家の家紋だ」
「……お前、話したのか?」
「確かに死んだって話したよ。だが、派手な事件だったからな。俺の他にも、目撃者は大勢いる。本当のことがバレるのは、時間の問題だ。……クラウス・フィツェックは刺され、重傷を負った。本来なら、致命傷だ。それなのに、あっという間に治癒した。彼は、今も生きている、……って」
「……」
「気を付けろ、ギルベルト。メトフェッセルは、彼を探している」
ギルベルトは悟った。
恐らく、メトフェッセル宰相は気づいたのだ。クラウスは「潜在的」なゲシェンクだと。プリンスの命を救うために、どこかに潜伏していると。
メトフェッセルは、プリンスの死を望んでいる。オーディン・マークスの血筋が永遠に絶えることこそが、彼の悲願だ。その宰相が、クラウスの存在を許すわけがない。プリンスを救うことができるたった一人の存在を。
また、クラウス自身が敵の手に落ち、利用される可能性も捨てきれなかった。エドゥアルド以外の誰かの守護として、生涯を利用されてしまうかもしれない。
クラウスが潜在的なゲシェンクだと知られてしまった以上、メトフェッセルには、口を噤んでもらうしかない。死んでもらうしか。
革命は、いい機会だ。革命さえも利用することを、ギルベルトは辞さなかった。
時期尚早との意見もあったが、蜂起を決行した。
……。
「そっちへ行くな。王宮の中へ踏み込んだら、生きて出ては来れないぞ!」
ロッシが叫ぶ。
「大丈夫だ。だが、今すぐ引き上げの合図を出せ。一人も死なせてはならない。俺は……」
「ギルベルト!」
ロッシが叫んだ。
城壁の上に、狙撃兵がいた。
彼の狙った射的は過たず、弾は、胸を抉った。
ギルベルトはその場に崩れ落ちた。
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