第47話 閲兵式
ウィルン王宮前広場。
華やかな楽団の音が流れている。夏の暑さが残るこの日、閲兵式が行われていた。
閲兵式は、一般の観覧も許されていた。大勢の人が、見物に詰めかけていた。有名な、オーディン・マークスの息子を、ひと目、見たかったのだ。背が高く金髪碧眼のハンサムだという、その貴公子の姿を。
馬に乗った連隊長を先頭に、兵士たちが行軍を始めた。各部隊、色とりどりの旗が、観客達の目の前を通り過ぎていく。伝統ある音楽隊が、鼓笛の音も華々しく通過していった。
その後ろからやってきたのは、双頭の鷹、ウィスタリア王家の旗だ。
旗の元には、馬に乗った連隊長の姿があった。白いズボンに青い上着。黄金に輝く髪をなびかせた、噂にたがわぬ美青年だ。腰には、父親……あの、革命王オーディン・マークス……から譲られたという、オリハルン風の反り返った刀を帯びている。
だが、彼には、どことなく生気が感じられなかった。ひどく辛そうで、今にも馬からずり落ちそうにも見える。
楽の音が止んだ。行軍は止まった。
「捧げ筒!」
連隊長が命じた。
いや、命じた筈だった。だが、その声は掠れ、一番近くにいた観客にさえ、届くことはなかった。
◇
ウィルン王宮すぐ近くの邸宅。
薄暗くした部屋で、メトフェッセル宰相は、ウィスキーの入ったグラスを回していた。
閲兵式の後、ロートリンゲン公爵は、馬から落ちるように地面に倒れこんだ。即座に皇帝から、シェルブルン宮殿への帰還命令が出された。
エドゥアルド・ロートリンゲン公爵がテュベルクルーズ病であるというのは、もはや、覆い隠すことのできない事実だった。
「テュベルクルーズか……」
メトフェッセル宰相は、一人、つぶやく。
「あれは、怖い病だ。現れては隠れ、隠れては現れる。だが、決して消え去ることはない……」
最初の妻。子どもたち。この20年の間で、彼の家族の6人が、この病で死んだ。
……オーディン・マークスの息子だけが、無事で済まされるなどということは、決して許されない。
グラスに酒を注ぎ足す。
「最初に感染させた年から数えて、今年で、ちょうど十年……」
今まで、プリンスのテュベルクルーズ感染には、厳重な緘口令が敷かれてきた。
「長かった……」
だが、もうすぐだ。もうすぐ、「喉に刺さった棘」は、抜ける。プリンスは、死ぬ。
ベルヌ国皇女との結婚。プハラでの軍務。フリッツ大公や皇帝が知恵を絞って、彼をウィルンから逃そうとした。それらを悉く、メトフェッセルは潰した。
今までの経緯を、メトフェッセルは振り返る。
レティシア姫との結婚に、プリンスは難色を示した。だが、見合いを断ることは、フリッツ大公が許さない。
ベルヌ国からの押しは、凄まじかった。見合いの後、レティシア姫はおろか、母の王妃までが、色よい返事を、と急かしてきた。そのうち、父の国王からも催促状が届くようになった。密偵によると、バークの温泉へ出立直前に、メリッサ大公妃が母国に手紙を送ったということだった。メリッサ大公妃は、プリンスと仲が良い。恐らく、彼の誇大評価でも書き送ったのであろう。
こうなると、宰相権限で断ることはできない。あの時は、本当に手を焼いた。
だが、プリンスの健康に関するちょっとした事実を知らせてやると、途端に、ベルヌ国からの催促はなくなった。
婚儀は、白紙に戻った。
プハラでの軍務の件は、もっと簡単だった。皇帝に、王子がオーディン・マークスの残党にさらわれるかもしれない、と耳打ちするだけでよかった。
メトフィッセルは、もちろん、プリンスが軍に入るのに反対だった。オーディン・マークスの息子に、
皇帝が、孫の希望を叶えてやりたいなどと言い出したから、話がややこしくなったのだ。子どもの頃からプリンスは、軍人を目指していた。父と同じ軍務に就きたがっていた。
だがこれで、プリンスが戦場に出る道はなくなった。オーディンの息子には、式典の時だけのお飾り将校がお似合いなのだが、彼は閲兵式で無様な姿を晒した。
あとは……。
オーディン・マークスとの思い出話を得意げに語って聞かせるマッツリ将軍には、母国にお引き取り願った。
プリンスに学ぶ喜びを与えるアルトン・ウスティンも遠方へ飛ばすべく、手を回した。
喜びや希望など、無用だからだ。そんなものがあったら、人は、不必要に長生きしてしまう。
プリンスを憎んでいるわけでは、決してない。
その父、オーディン・マークスも。否、彼のことは、歴史上、最も魅力のある人物だと思っている。
ただ、ユアロップ大陸には、平和が必要だ。戦争は、国を疲弊させ、人々を不安に陥れる。メトフェッセルは、戦争のない世の中にしたかった。
佳き王、良き政治家が治めてこそ、平和は保たれる。そう、このウィスタリア王家の輩出する皇帝のような。彼に、有能な補佐役がいてはじめて、真の平和は実現される。
民衆はただ、安穏と己の幸せを噛みしめていればよい。自治とか権利とか、余分なことは考えないことだ。
平和と安寧のためには、犠牲もやむをえない。革命王、オーディン・マークスの血統は、永久に、絶たれねばならない。
ひとつだけ、気になっていることがあった。
クラウス・フィツェック。黒い髪の、あの青年だ。
彼は死んだと、警察長官は報告してきた。だがメトフィッセルは、信じていない。 もし本当に死んだのなら、プリンスが、あのように淡々としていられるわけがない。彼の名を一切出さず、まるで忘れたようにしているのが、一層、引っ掛かった。
……黒髪の青年は、生きている。
そして彼だけが、プリンスを、死へのカウントダウンから解き放つことができるのだ。
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