第45話 あるいは今の無関係


 「小説家のシュティフナー先生から、同意を取り付けた。発禁になった彼の小説を、地下出版する」

ギルベルトが言った。

「印刷所の準備はオーケーよ。紙やインクも、手配済みだわ」

誇らしげにミリィが付け加える。

「よし。続く報告は?」

 ロッシが挙手をする。

「メトフェッセルが、3度目の結婚をした」

集まったメンバーがざわめいた。

「相手は、ハンガル地方の名家の娘だ。メトフェッセルより、31歳も年下だ」

「なんともうらやましことだな」

「ほんとにな」

「やはり、同郷のよしみということだろうな。同じハンガルのエステル家も、いい思いをしている」

 がやがやと声が上がる。

「おい、静かに。この情報は、クラウスによるところが大きい。彼のサジェストで、ハンガル貴族をマークしていたんだ」

重々しく、ロッシが付け加えた。


 クラウスは、部屋の隅に控えていた。

 暑い日だった。それなのにクラウスは、長袖の袖を下していた。襟付きシャツは、第一ボタンまできっちり留められている。

 硬い表情で、クラウスは頷いた。


 ぱんぱんと、ギルベルトが手を叩いた。

「別ルートからの情報では、ゲイン秘書長官が、メトフェッセルから離れつつあるそうだ。意見の深刻な対立が見られるという」

ゆっくりと一座を見回した。

「革命後の新体制のことを考えておこう。一斉蜂起後、中央政府を制圧し、ただちにウィルンを管理下に置く。そして皇帝陛下に、退位を進言する」

「なんだって!」

 叫び声が聞こえた。

 その場の全員の目が、クラウスに向けられる。

「フランティクス帝に、退位を迫るのか? ミリィ、話が違うのでは?」

「どう違うのかわからないが、」

何か言おうとしたミリィを制し、ギルベルトが言った。

「王政が諸悪の根源だとは思わないか? クラウス」

「一度、権威を取り上げるの」

ミリィが説明した。

「その上で、代表を選出する。もちろんそれが、フランティク帝であってもかまわない」

「ウィスタリア国民は、皇帝を敬愛しているからな。なんらかの形で、皇室は残すつもりだ」

ヨハンが付け加えた。


「いや。彼は年を取りすぎている」

「このままいくと、第一王子のフェルナーが跡を継いでしまうな」

「おい! 彼はうつけと評判だぞ。また、ぞろ、メトフェッセルのような傀儡政権が息を吹き返してしまうじゃないか」

 集まった仲間達が、いっせいに意見を述べ始めた。

「次男のフラノは、妻に頭が上がらないし。そうなると、妻の実家のベルヌ国が、絶対、口を出してくる」

「つまり、今の王家には、ふさわしい人材がいないと?」

「フリッツ大公がもう少しお若ければ」

「フリッツ大公? あの方は、皇帝の弟君だからな。もっと若い世代の方でないと」


「ロートリンゲン公爵はどうだ?」

 誰かが言った。

 クラウスの体が硬直した。

「ああ! オーディン・マークスの息子の」

 人々は頷きあった。

「年齢も、ちょうどいい頃あいだ。オーディンの息子が、ウィスタリアで立派に成長していると、各国で話題になっているらしい」

「ほかの国に行かれるくらいなら、いっそ、われらの国の代表にしてみてはどうか。ギルベルト。お前が言っているような、象徴皇室? そんなんじゃなく」

問いかけられ、ギルベルトが答えた。

「いや。代表は、民意の総体という形で選出したい。もし、彼に本当の実力があるのなら、必ずや自分自身の力でのし上がってくる筈だ。父親のオーディン・マークスのように」


 厳粛な沈黙が、一同の上に落ちた。


 「……だが、彼は結婚したのではなかったか? 結婚して、国を出たのでは?」

小さかったが、クラウスの声は意外と響いた。

「何を言ってる、クラウス」

マイヤーが眉を上げた。

「そんな話は、聞いたことがないぞ」

「そうだよ、クラウス。ロートリンゲン公の結婚なんて、噂話もないぜ」

 「……破談になったのか?」

クラウスの唇がわなないた。

「彼は、断ったんだな。なぜ教えてくれなかった。ギルベルト!」

 煮えたぎるような目で、クラウスは、ギルベルトを睨みつけた。眼力だけで、焼き殺してしまいそうな目だ。

 平然と、ギルベルトがその目を見返す。不意に目をそらせて横を向いた。傍らのミリィへと意味ありげな目線を送る。ミリィは、ぽかんとしてクラウスを見つめていた。

 「……」

 言いかけた言葉を、クラウスは飲み込んだ。

 ミリィに悟らせるわけにはいかない。ロートリンゲン公爵エドゥアルドと、自分との関係を。あるいは、今の、無関係を。


 「ロートリンゲン公爵……いいかもしれないな」

左官屋の男が大きくうなずいている。

「今度、軍隊に入ったろ? 彼は、一般の兵隊たちと同じ訓練をして、今では同じ兵舎で寝起きしているそうだ。俺の義理の弟が、その部隊にいるんだ。驕ったところの少しもない、素晴らしい方だと言ってた」

「オーディン・マークスの息子だしな。対外的にも潰しが効く」

「ロートリンゲン公は、長い間、メトフェッセル政権に苦しめられてきた。幼くして母親と引き離され、ご自身は、ウィルンから一歩も外へ出してもらえなかったのだ」

「うん。いいかもしれないな。広告塔として、これ以上の人材はいない」


 「いや、彼はだめだ」

町で仕立て屋をしている男が言った。

「彼は……ありゃ、テュベルクルーズだ」

 テュベルクルーズ。最終的に肺をやられて死ぬ病のことだ。 

「けれど、彼はあんなに元気だったじゃないか」

「忘れたか。この病は、罹患から発病まで時間差がある。つまり、体内に病を内在させていても、普段と変わらず過ごすことができるんだよ。けれど、体が弱った途端に、猛威を発揮する」

医学部の補佐官が思い出させる。先の戦争の前、この病は大流行し、多くの人が亡くなった。今では下火になっているが、未だにその病を体内に隠し持つ人は多いと言われている。

 中の一人が、恐る恐るその病の名を繰り返す。

「テュベルクルーズ……」

 治療薬はなかった。テュベルクルーズに罹れば、治ることは絶対にない。そして発病すれば、近いうちに死が訪れる。

「ああ。俺は、軍の訓練を見に行ったんだ。ロートリンゲン公は、ひどい咳をしていた。頬もこけて、体は針金みたいにやせ細っていた。長くないね、あれは」


「嘘だ!」

 クラウスが叫んだ。蒼白な顔をしていた。

「プリンスがテュベルクルーズなんて……そんなわけない!」


「でも、町の奴ら、みんな言ってるぜ? 公爵の病気は悪くなる一方だって」

「唯一の治療法は転地だか……メトフィッセルが、断固としてそれを許そうとしない。彼は、オーディンの息子を国外に出したくないんだ」

「ああ、その噂なら、俺も聞いたことがある。革命王オーディン・マークスの息子は、メトフェッセル政権にとって、喉に刺さった棘だ。宰相はずっと前から、オーディンの息子が死ぬのを、じっと待ってるんだと」


 ぱっと、クラウスが立ち上がった。


 「どこへ行く? クラウス」

静かな声で、ギルベルトが制した。

「お前、彼と顔を合わせることができるのか?」

 クラウスの体から、力が抜けた。へなへなと彼は、椅子の上に崩れ落ちた。

 ギルベルトがくすくすと笑う。

「どんなヘマをやらかしたのか知らないが、クビになったんだろ? シェルブルン宮殿での仕事を。そんなお前が、ロートリンゲン公爵の心配をするなんて」

 「クラウスは、義理堅いからな。だが、偉い人というのは勝手なものだ。忠誠心など、無駄なものだよ」

宥めるように、誰かが言った。

 そうだそうだと、全員が頷いた。







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