第43話 あなたは味方


 「シュティフナーの本が、発禁になりました」

 学生の一人が報告した。シュティフナーは、小説家だ。

「なぜ? 彼は、日常に愛情を注ぐ作家だろう?」

ギルベルトが問う。

「直近の短編集です。『石ころ』というのですが、貴族や政治家を石に例えるとはけしからん、ということらしく、」

「ちゃんと読んでから、発禁にして欲しいものだね」

ぴしりとギルベルトは言った。

「よし。我々の手で出版しよう。印刷の手配はできるか、ミリィ?」

「まかせといて」

赤毛の女の子が頼もしく頷いた。

「よろしく頼む。……次に、危険思想の汚名のもと、大学を追われた、ルーベン教授の件だが……」

その時、頭上で、何かを床に叩きつけるような大きな音がした。

「!?」

 ギルベルト以外の、全員が顔を見合わせる。ギルベルトだけが、何もなかったように話し続ける。

 「獄中の彼と密かに連絡を取ったところ、」


 ……どすん!


「教授には、大学に復帰のご意思はあるようだ。あとは、なんとか、釈放の方向へ……、」


 ……だん!


「看守を抱き込み、裁判の日程を聞いた。有力な弁護士が必要だ……」


 ……だん! だん!


「……あの、ギルベルト」

たまりかねて、ミリィが挙手をした。

「上の、あの音……」

「気にしなくていい」

にべもない口調でギルベルトが答える。

「いや、めちゃくちゃ気になるぞ」

学寮長のヨハンが口を出した。

「さっきから、凄い音じゃないか」

 「……クラウスだ。彼が、家具を壊している音だよ」

溜息とともに、ギルベルトは答えた。

「クラウス!」

その場にいた全員が、驚きの声を上げた。


 その日は、ロッシの姿は見えなかった。声を潜め、ヨハンが言う。

「俺は、彼を殺すのは、反対だ。すでに彼は、宮廷から解雇されている。殺す必要はない。……だが、彼はまだ、ここにいるのか?」

「いるよ。縛り上げて、監禁している」

こともなさげにギルベルトが応じる。ヨハンの目が丸くなった。

「監禁!? あれからずっとか?」

「ああ。あれからずっとだ」


「ねえ。ギルベルト、あなた、さっき言ったわね。家具を壊すって……」

 ミリィの隣に座った娘が尋ねる。

 ギルベルトは首を横に振った。

「言葉通りだ。手の届く限りの家具をぶん投げ、布団を引き裂いている。おかげであの部屋は、使い物にならなくなった」

「……」

 みな、絶句した。

 沈黙を破ったのは、ヨハンだった。

「だって、ギルベルト。クラウスは、お前の息子も同じだろ? 或いは弟? それを監禁って……お前、よく……」

「仕方ないだろ。縄を解くと、逃げちまうんだから」

「逃げる? じゃ、やっぱり……」

「違うよ。恋人の元へ逃げ帰っちまうんだ。ろくでもない男の元へ」

「……」

 全員が無言で顔を見合わせた。

 中の一人が、念を押す。

「……クラウスは、革命のことは、何も知らなかったんだろ?」

「ああ」

「彼は、味方、なんだろ? 宮殿の内部情報を教えてくれた」

「もちろんだ」

ギルベルトは頷いた。

 すでに、政府高官のスケジュールに関する幾つかの情報が、クラウスから齎されていた。その情報は、全て、正しかった。

「……なら、どうして監禁なんか……」

 恐る恐るミリィが尋ねた。強い目で、ギルベルトが彼女を見据える。

「どうして? そんな男にクラウスを渡したくないからに決まってる!」

「渡したくない?」

「クラウスは俺のものだ。ほかの誰にも渡しはしない」

「だって、お前は、結婚してるじゃないか! それを、……、第一、クラウスは、」

叫ぶヨハンの袖を、隣のマイヤーが引いた。

「……あ」

全て腑に落ちたという顔で、ヨハンが続きを飲み込んだ。


 「じゃ、次の議題にうつる。隣のイェラ大学との連携の件だ……」

何事もなかったように、ギルベルトは、議事を続行していく。



 「……クラウス」

小さな声で呼びかけられ、クラウスは顔を上げた。

 部屋のドアが開いている。明るい廊下を背にして立っているのは、顔見知りの女子学生だった。

「ミリィ?」

「クラウス、大丈夫なの?」

 クラウスは、両手を縛られていた。足もロープを結ばれ、その先端は、柱に固く結び付けられている。前で縛られた両手は、血だらけだ。

 ドア近くに、壊れた椅子がばらばらの木片となって落ちていた。クラウスが壊し、投げつけたのだろう。ベッドの布団は破れ、中の藁がはみ出している。部屋のあちこちに、クッションや丸められた紙、服の切れ端などが散乱していた。横向きに落ちたインク壺から、青いインクが流れ出ている。

 ミリィは、絶句した。

「ひどい……」

 部屋に駆け込んだ。衝動的に、クラウスの両手の戒めを解こうとする。血を吸った縄は、固く結ばれていた。何か切るものはないかと、彼女は、きょろきょろ辺りを見回した。

「いいよ、ミリィ。君にまで、とばっちりをかけたくない」

 部屋を出てナイフを探しに行こうとしたミリィを、クラウスは引き止めた。

「これは、当然の報いなんだ」

「当然の報い? あなた、そんな、」

「僕が、もっとしっかりしてたらよかったんだ。もっとしっかり、自分の気持ちを表して、相手の気持ちを推し量って」

 ……でも、そうしてたら、エドゥアルドと会うことはできなかった。


 ミリィの目が、大きく見開かれた。

「クラウス、大丈夫なの? 怪我、してない?」

「怪我?」

「だから……ギルベルトに、強引に……」

ミリィは、顔を赤らめた。

「ギルベルトは、そこまでしゃべったのか?」

言いながら、自分の頬も紅潮してくるのを、クラウスは感じた。

「つまり、その……」

「いいの、黙って」

 ミリィが止めた。少しためらってから、決然と続けた。

「私が逃がしてあげる。だって、あなたには恋人がいるんでしょう? とっても大事な恋人が。その人のところへお逃げなさい」

「ダメなんだ、ミリィ」

クラウスは言った。

「ダメなんだよ」

「どうして?」

「彼は結婚するんだ。彼の為には、それが一番いいんだ」

「クラウス……!」

「僕がいたら、邪魔だろ?」

「そんなこと……」

ミリィの両目に、みるみる涙が浮かんだ。

「それじゃ、あなたが可哀想過ぎるじゃない」

「可哀想なんかじゃないさ。僕は男だし」

「男も女も関係ないわ」

「あるよ。僕には、彼の子どもは産めない。愛しても愛しても……限界がある」

「そんなことない!」

ミリィは叫んだ。

「絶対、そんなことないから!」

 ミリィは屈みこんだ。固い結び目を、なんとか解そうとする。

「いいから、ミリィ。もう行けよ。ここに来たのがバレたら、君まで、ギルベルトからひどい目に遭わされる」

「ギルベルトなんか、怖くないわ!」

「でも、仲間割れはよくないよ。僕は、君たちの革命を応援している。誰かが誰かの犠牲になっての平和なんて、要らないと思うから」


 エドゥアルドをウィルンから一歩も出さないことにより、各国の反乱の火種はかろうじて抑えられている。父の犯した戦争という罪を償い、エドゥアルドは犠牲になっている。彼は、自分の生を、思うように生きられない。このユアロップ大陸の平和の為に、今、エドゥアルドは犠牲になっている。

 そんなふうに、クラウスは思う。


 「誰かが誰かの……犠牲……」

 だがミリィはそれを、「民衆」が「貴族」の犠牲になっていると捉えた。

「そうね。富の分配は公平であるべきだわ。働いた者が、それに見合った対価を受け取ることができる世の中が来ることを、私たちは熱望している」

「……ミリィ。君達は、王族のことをどう思っているのだろうか? ウィスタリア皇族のことを?」

おずおずとクラウスが問いかける。

「あら、私たちは、フランティクス帝のことを敬愛しているわ」

寸分のためらいも見せず、ミリィは言ってのけた。

「佳き王、フランティクス。ウィスタリアの皇帝は、昔から自分を、国家の下僕と公言していらっしゃる。実際、その通りだと思う。私たちは、王政に反対しているわけではない」

「そう……」

「ただ、今のこのメトフェッセル政権に反対しているだけ。民を虐げ、私達の意思が一切反映されない政治にね。息苦しいじゃない、努力しても報われないなんて。思想や言論を厳しく弾圧されるなんて」

「その通りだね」

「クラウス。あなたは、私たちの味方よね」

「……うん」

 考えた挙句、クラウスは言った。

「僕は、君たちの味方だ」


 かすかな物音がした。


「ミリィ、もう行けよ。僕なら大丈夫だから」

「でも……」

「ギルベルトは、僕が説得する。説得して、縄を解いてもらうよ」

「本当に?」

「うん。大丈夫だ」

ミリィの顔が、ぱっと輝いた。

「わたし、あなたは味方だって、みんなに話してくる! ロッシだって、あなたが憎いわけじゃないのよ?」

「わかってる。彼には、辛い役回りをさせてしまった」

「あなたがそう言ってたって、ロッシに伝えるわ。彼、きっと、ぼろぼろ涙をこぼすわよ」

ロッシの泣き顔を思い出して、二人は、くすくすと笑いあった。





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