第36話 露顕


 慌ててシェルブルンへ帰ったエドゥアルドを待っていたのは、しかし、ディートリッヒ先生ではなかった。部屋の中に入り込んでいたのは、叔父のフェルナー王子だった。

 「クラウスは去ったぜ」

エドゥアルドの姿を見るなり彼は言った。

「は? どういうことです、叔父上。まさかあなた、また、クラウスを……」

「俺じゃない。フリッツ大公だ」

「フリッツ大公?」



 「エドゥアルドに妃をと、考えている」

伺候してきたクラウスに、フリッツ大公は言った。

 「凡庸」と評されるフランティクス帝と違って、彼の弟フリッツ大公は非凡な人物だった。長男が帝位に就くことが原則でなければ、間違いなく彼が即位していただろう。それほど、臣下の人望も厚かった。先の戦では、自ら軍を率いて戦っている。

「相手は、エルヌ王家の皇女レティシア姫だ。メリッサ大公妃の末の妹だ」

「……」


 クラウスは深く頭を垂れたままだ。


 「メリッサにも困ったものだ。夫である俺の弟を差し置き、エドゥアルドと遊び歩いてばかりいる」

傍らからフェルナー王子が補足した。彼は、エドゥアルドの控えの間から、フリッツ大公の元へ向かうクラウスについてきていた。

「メリッサとエドゥアルドの間に、悪い噂が立つのも時間の問題だ。でも、彼女の妹とエドゥアルドが結婚する為の画策をしていた、というのなら、言い分もたつ」


「フェルナー、お前は黙っていろ」

 フリッツ大公が甥を制した。頭を垂れ、服従を表しているクラウスに向き直る。

「エルヌの王族からは、皇帝あにうえも3番目の妻を迎えている。今の皇妃だ。エルヌ国は、ウィスタリアとは縁の深い国だ。だが今回は、レティシアがウィスタリアへ輿入れしてくるのではない。エドゥアルドが、エルヌ王家へ入るのだ」

「……」

「それしか、あの子を、メトフェッセルの支配から逃れさせる道はない」

 はっとクラウスの肩が動く。それに気づかず、フリッツ大公はため息をついた。

「私は、姪のマリーゼを可愛がってきた。此度こたびのアルベルク将軍との間の隠し子発覚の件では、皇帝陛下はいたくご立腹だ。なんとかお許しを頂けるよう、私からも兄上を説得しているところだ。マリーゼの子のエドゥアルドのことであれば、これはもう、その幸せを願うのは、当然」

「……」

 さらにフリッツ大公は続ける。

「なんでも、ユートパクスのルマン王朝の、マリア・アンナ姫との縁組みを、メトフェッセルが独断で握り潰したとか」

 渋面を作った。

「宰相は、エドゥアルドを、ウィルンから一歩も出さぬ気だ。それどころか、結婚もさせぬつもりでいる。それでは、エドゥアルドがかわいそうだ。人の暖かさに触れずに飼い殺されるのは、あまりにむごい。……だから私は、エルヌ王家との婚姻をあの子に勧めた」


 「それが、エドゥアルドのやつ、いとも簡単に、断ってきたんだ」

 またもや、フェルナー王子が割り込んだ。今度は、フリッツ大公も諫めない。淡々とフェルナーは続ける。

 「他に好きな人がいるから無理だって。あいつは、それが誰かは、とうとう口にしなかった。でも、そんなの、まるわかりだ。……クラウス。お前のことだ」


 深い沈黙が落ちた。


フリッツ大公が口を切った。

「そもそもダンス講師は、メトフェッセルの人選だったと聞く。そうだな、フェルナー」

「御意」


 再びの沈黙。


「汝は、この宮殿を去れ」

今回も沈黙を破ったのは、フリッツ大公だった。

「エドゥアルドを誑かしたことは咎めない。だが、これ以上は許さぬ。汝は、ここから、永遠に去るのだ」




 「馬鹿な!」

 エドゥアルドは叫んだ。即座に走り出そうとする。

「待て。どこへ行く」

フェルナー王子が立ち塞がった。

「あいつなら、いないよ。もう、お前の手には戻らない」

「なんで、なんで、そんな。とにかく、」

エドゥアルドは、フェルナーの横をすり抜けようとした。

「クラウスを探しに行かなきゃ」

「やめておけ」

「そこをどいて下さい」

「そうはいかないね」

「どいて下さらないなら、いかに叔父上といえど……」

 腰の剣に手をやる。フェルナーは動じない。

 「メトフェッセルの秘密警察には、こちらの手の者もいてね。いわゆる逆スパイというやつだ」

エドゥアルドの肩をぐいと押し戻した。その目を覗き込む。

「クラウスは、『潜在的なゲシェンク』なんだって?」

「……」

思わず、エドゥアルドは息を飲んだ。


 フェルナーが畳みかける。

 「秘密警察は、ユートパクスからの刺客にお前が襲われたことまで把握している。それをかばって、『黒髪の若い男』が、刺されたことも。……ここで、クラウスが無事でいることがわかったら、ただではすまされない」

 フェルナーを突き飛ばし、駆け出そうとしていたエドゥアルドの動きが止まった。

 ゆっくりと、フェルナーは続けた。

「ゲシェンクは人の命を救える。死にかけた人を生き返らせることができるのだ。致命傷を負わされたクラウスが、今現在、生きているとしたら、やつには、ゲシェンクがついている、ということになる」

「それがどうしたというんだ。クラウスは、普通の人間だ」

 思わず言い返し、エドゥアルドははっとした。これでは、クラウスがゲシェンクに救われたのだと、認めたようなものだ。

 フェルナーは、全く動じなかった。暗い目をして、先を続ける。

「何よりまずいのは、あいつが、『潜在的』だということだ。守護すべき対象が定まっていない……つまり『潜在的なゲシェンク』は、非常に有益なこまとなる。たとえば……」

じっとエドゥアルドの顔を見た。

「今、メトフェッセルの娘が、病気で死にかけている。そいつに、クラウスの血を飲ませる。あるいは、俺……時期国王が暗殺されかけた時に。そうすれば、俺は蘇生する。無能な王を担いで、メトフェッセルは、いつまでもこの国を牛耳ることができる」

「なんだって!」

「いらねえよ、そんなの。俺は、自分の運命を受け入れる。だが、メトフェッセルは、そうは思わない」

エドゥアルドが唇を噛む。

「そうなれば、クラウスの生死は、やつに握られてしまう。クラウスを生かすも殺すも、すべて、メトフェッセルの胸ひとつだ。殺すも……永遠に苦しめ、死なせないのも」

「……」

エドゥアルドは息を詰まらせた。

「今、クラウスは死んだという噂を流させている。あいつが『潜在的なゲシェンク』などではなかったと、信じ込ませる為に」

 青ざめたエドゥアルドの顔を、フェルナーは、冷たい表情で見下ろした。

「お前、この計画を台無しにする気か? クラウスがどうなってもいいのか?」

「クラウスは、無事なんだな?」

「さあな」

フェルナーは言った。

「だが、少なくとも、宮廷にいるより、ずっと安全だと保証するよ。あとは、運次第だ。お前が邪魔さえしなければ、あいつはもっと、普通に生きられる」

「普通に?」

「ゲシェンクになど、ならずに。『潜在的』なままでいられる。普通の人間としてい生きて、そのまま死ねる。お前は……、」

腕を握りしめ、ぐいと顔を近づけた。

「自分の病のことを忘れたか」


 エドゥアルドの顔色が青ざめた。彼は、あとずさろうとした。だが、フェルナーが腕を掴んで許さない。


「お前が高熱を出したのは、11歳の時だったか?」

「子どもの頃の話だ。今はもう、すっかり治った!」

「治ってなんかいるものか。いいか、エドゥアルド。あれは、不治の病なんだ。治ったように見せかけて、今もお前の体の中に潜伏している。そしていつか……」

 空いているほうの手を、フェルナーは、大きく広げた。不気味な笑いを浮かべ、襲い掛かるようなしぐさをしてみせる

 ひるまず、エドゥアルドは彼を睨み返した。


 笑っていたフェルナーが、真顔に戻った。

「ここにいれば、いずれまたクラウスは、お前の命を救おうとするだろう。いや、必ず救う。そしたら、あいつを殺せるか? お前にはあいつの最期を司る、勇気があるのか」

「クラウスは、ゲシェンクにはならない。僕が、させない」

「ふうん」

フェルナーは言ったが、納得していないのは明らかだった。それでも彼は、少しだけ目線をそらせた。

「探しに行くって、やみくもに探しても見つからなかろう。それともお前、心当たりでもあるのか?」

「……」

 唇を噛みしめ、エドゥアルドがフェルナーを睨みつけた。何かを悟り、フェルナーは、にんまりと笑った。

宮殿ここを追い出され、クラウスは今頃、そいつのところかもな」

「違う」

噛みつくようにエドゥアルドは答えた。

「必要のない時には彼のところには行かないと、クラウスは約束してくれた!」

「どうかな? お前も、そいつにだけは適うまい。手のかかるお前と違って、長きにわたって、クラウスを守ってきたんだ。恐らくこれから先も、ことあるごとにクラウスを救い、護るのだろう。お前は、逆立ちしたって、そいつには適わない」

「そんなことはない! あなたはただ、僕を不安に陥れようとしているだけだ! ただ、子どもっぽい幼稚な嫉妬から……」

「フハハハハハッ!」

耐えきれないといったように、フェルナーは大笑した。

「子どもに子どもっぽいと言われるなんて! これはおかしい。そうだよ、エドゥアルド。俺はお前に嫉妬している。子どものくせに、俺の獲物をかっさらったお前に」

「クラウスはあなたのものなんかじゃない! それから、僕はもう子どもじゃない!」

 強く腕を振って、フェルナーの手を払いのけた。脇をすり抜ける。一直線に、走り出した。

 駆けていく背中に向かい、フェルナーが言い放った。

 「エドゥアルド。クラウスは、な。メトフェッセルから命じられて、お前と寝てたんだよ」

ぴたりと、エドゥアルドの足が止まった。

「え……?」

「言葉通りだ。……愛なんかじゃない。同情ですらない。単純に、この国の宰相から命令されたから、あいつは、お前と寝た」

「嘘だ」

「嘘なものか」

「そんなこと、信じない」

「お前に嘘をついて、俺に何の得がある?」

 大声でフェルナーは笑った。凍り付いたように立ち竦んでいるエドゥアルドを追い抜き、悠々と立ち去った。






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