第29話 刺客 1


 「プリンス! 待ってください、プリンス!」

クラウスが足早にエドゥアルドを追いかける。

 ウィルンの町中。庶民の暮らす一角だ。王立大学のすぐそばまで来ていた。学生街だけあって、乱雑で騒々しい。

 こんなところを王族が……今上帝フランティクスの孫が歩いているなんて、まったくもって、信じられない。しかも、護衛もつけずにだ。

「プリンス、って言うな」

振り返って、小声でエドゥアルドがたしなめる。

「僕が皇族だって、バレるじゃないか」

 どこで手に入れたのか、エドゥアルドは、すすけた色のシャツを着ていた。頭ももしゃもしゃで、黄金の髪が霞がかったように見える。とてもではないが、高貴な身分には見えない。 

「ですが、」

なんとか追いつき、クラウスは小声で言った。

「危険です。いつ何時、あなたのご身分がわかってしまうか……」

「大丈夫だ。用事を済ませたらすぐ帰る」


 母マリーゼの不貞を知って、エドゥアルドは大変な衝撃を受けた。母が子を産んだのは、父オーディン・マークス生存中のことだ。アルベルク将軍との再婚は、前夫オーディンの死後だが、そんなことは関係ない。詳しく知りたい、とエドゥアルドは思った。

 マリーゼとの結婚は、アルベルク将軍にも二度目の結婚だった。最初の結婚の時にできた子が、ウィルンにいた。王立大学に在学中だという。エドゥアルドと同じ年齢だった。母の「不貞」をより詳しく知る為に、彼は、この息子と連絡を取った。

 結果は、絶望だった。

 アルベルク将軍が、自分の死に際に知らせてきた子ども二人のほかに、さらに数回、マリーゼは妊娠をしていた。いずれも流産だった。今日はその証拠の手紙を渡すと、言われて来たのだ。


 「そんなことをして、何になります、エドゥアルド!」

彼に追いつき、クラウスは必死で言った。

「あなたはあなたです。親のことはもう、放っておおきなさい」

「僕はお前とは違う」

立ち止まり、エドゥアルドは言った。

「お前は、父親なんて最初からいない方がいいという。女なんてそんなもんだと、突き放す。でも僕は、決して、そんな風には思わない。親子って……もっと温かいものなんじゃないのか?」

「ですが、知ってどうします? 母親の不貞の証拠など、」

「何かあると思うんだ。母上のお気持ちの一端でも……父上を裏切ったのではないという、何か、証拠のようなものが」


 裏切りを確信するだけなのに、とクラウスは思った。どうしてこの人は、人を信じることしかしないのか。

 その時、クラウスの目の端を影が過った。

 あの男。大きな鍔の帽子を被った、黒いマントの……さっきからずっと、二人の後ろを歩いている。黒い服の中で目を引くものがあった。太陽の光を受けてぎらりと光るそれは……、

「プリンス、危ない!」

力いっぱい突き飛ばした。

 ぐっと、腹が熱くなる。この感触は、知っている。ずっと昔、父から撃たれた時の……。銃弾を受けた時と、同じ……。

 エドゥアルドが、大声で何か叫んでいる。

 ……ああ、まずい。

 クラウスは思った。

 ……プリンス、そんなに大声を出されたら、人が集まってきます。

 ……あなたを守らなくちゃならないのに。

 ……どこか遠くへ。お願いだから……。

 意識が揺らいだ。

 ……許してください、ギルベルト。僕はもう、あなたを救えない……。

 薄れゆく意識の中で、クラウスは思った。



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