第28話 砲台の向く先は


 宮殿はざわついていた。普段は姿を見たことのない官僚の姿も見える。近衛兵までうろうろしていた。

 「何か、あったのですか?」

 クラウスは、家庭教師の一人フォルスト大尉を捕まえ、尋ねた。

 約束の時間になっても、練習場にプリンスが姿を現さない。ひどく心配になっていた。

「あ……。まだ、聞いていないのか?」

フォルスト大尉は、彼には珍しい憂え顔をしていた。

「ええ。何があったというんです?」

「プリンスが、行方不明なんだ」

「なんですって!?」

 クラウスの頭に浮かんだのは、いつかのムーランドの革命家のことだった。他にも、ユートパクスに残るオーディン・マークスの残党が、プリンスを寄越せと言ってきているという噂がある。

 「まさかプリンスは……」

「いや、そっちじゃない」

即座にフォルスト大尉は首を横に振った。

「むしろ、その方がどんなにマシかと思うよ。プリンスの為にはね」


 ……。

 朝のことだった。

 エドゥアルドは、皇帝に呼ばれ、ブルクの宮殿に伺候していた。

 祖父の皇帝は沈痛な顔をしていた。心の痛みが、そのまま表れたような表情だ。

「アルベルク将軍が亡くなられた」

人払いをし、二人きりになると皇帝は言った。

 エドゥアルドは絶句した。

 アルベルク将軍は、エドゥアルドの母マリーゼの護衛官である。母とともに南の荘園に下っていた。エドゥアルドも、何度か会ったことがある。マリーゼがウィルンに来た際、彼も同行していた。

 「お母様は随分、お嘆きになっていらっしゃることでしょう」

「うむ」

 皇帝は頷いた。喉の奥で咳払いをする。

「実は、将軍が亡くなる直前に書いた手紙が届いてな。エドゥアルド。驚かないで、聞いてほしい」

「……はい」

「アルベルク将軍には、子どもが二人いた。マリーゼとの間に生まれた子だ。マリーゼとアルベルクは、秘密裡に結婚していたのだ」

「えっ!」

 皇女と護衛官が結婚。しかも子までなしている。彼女の父親である皇帝さえ、まったく寝耳に水だった。

 「上の子の年齢は12歳、下の子は10歳だ」

「12歳……10歳……」

エドゥアルドは素早く計算した。

「二人とも、まだ、父上が生きていらっしゃる時じゃないですか!」

 子どもが生まれたのは、いずれも、エドゥアルドの父オーディン・マークスが、アベリア海の孤島に幽閉されていた時期と重なった。

 頭痛を堪えるような顔で、皇帝は頷いた。

「由々しき事態だ。だが手紙には、結婚は、オーディン没後と書かれている。重婚の罪は犯していない、と」

 重婚は、神に対する重罪だと見做されている。子どもが生まれたのは確かに前夫オーディンの生存中だ。しかしマリーゼとアルベルク将軍が正式に結婚したのは、オーディンの死後だという。

「詭弁です!」

思わずエドゥアルドが叫ぶ。

「お前の気持ちはよくわかる。わしもはらわたが煮えくり返るようだ。だが、これはすでに起こってしまったことなのだよ。他の誰かから聞かされるよりはと思って、祖父のわしが、直接お前に話した」

そういう皇帝の口調からは、エドゥアルドへの深い愛情が感じられた。重く湿ったため息をつく。

「死んだアルベルクは、子どもたちをなんとか皇族に参列させてほしいと言ってきている。これもまた、一種の親心なのであろう」


 エドゥアルドがシェルブルン宮殿に帰ってきたのは、それからしばらくしてからだった。

 事情はすでに、早馬で知らされていた。

「プリンス……」

何と言っていいかわからないディートリッヒ先生に向かい、プリンスは一言、

「不愉快だ」

と吐き捨てるようにつぶやいたという。

 ……。


 「殿下は、それ以上は何もおっしゃらなかった。マリーゼ様は、お子様であるプリンスの、尊い感情を失われたのだ。それは当然の報いとはいえ……」

フォルスト大尉は言葉を詰まらせた。

「幼い日に父君を亡くされ、プリンスは、今また、母君もなくされた。……精神的にね。なんと、おいたわしいことであろう」


 クラウスには、意外だった。 

 そんなが、こんなにも、エドゥアルドの心を傷つけるなんて。たかが、母親の情事が。しかも、何年も会っていない母親だ。

「それで、今、プリンスはどこに!?」

じれて、彼は尋ねた。

「馬に乗って出て行かれた。侍従が随行しようとしたが、追い返されてしまった。プリンスにも、心の整理が必要だ。我々は、シェルブルン宮殿ここで、あの方がお帰りになるのを、ひたすら待っているところだ」



 宮殿の人たちは、なんて、呑気なんだ!

 クラウスは、腹が立って仕方がなかった。

 プリンスを狙う輩は大勢いる。彼を王に据えようというだけなら、まだいい。中には、オーディンの息子を憎み、害したいと思っている者どもだって、大勢いるというのに。

 馬を駆って、外に出た。エドゥアルドを探し出さなくてはならない。せめて自分は、自分だけは、お傍に付き従っていなくてはならない。いざという時、彼の楯となる為に。


 いると思った場所に、彼はいた。

 ウィルンを見下ろす丘の上。例の、蔦に覆われた砲台のある所だ。エドゥアルドは砲台のレンガの土台に座り、顔を覆っていた。

 「お前か、クラウス」

顔を上げずにエドゥアルドは言った。

「はい」

答え、クラウスはエドゥアルドに近づいた。

 砲台は、緑の草に覆われていた。凶暴な勢いで生い茂るそれらの雑草の中で、エドゥアルドは、なんとよるべなく見えたことだろう。

 クラウスは、胸を衝かれた。

 宮殿で、帰ってくる彼を迎えてあげればよかった。一緒に、馬を駆って出かければよかったのに……。いつか彼が自分の鬱屈を晴らしてくれた時のように。


 「僕は、アルベルク将軍のことは嫌いではなかった」

まるで一人語りのように、エドゥアルドは話し始めた。

「あの人は、僕のことを随分とかわいがってくれたよ。初めての狩りに連れて行ってくれたのも、彼だ。7歳の時のことだ。ウズラや野兎なんかしか、仕留められなかったけどね。でも、とても楽しかった。あんまり僕が楽しそうにしていたから、その年のシーズンに、ディートリッヒ先生達が狩猟会を主宰してくれたほどだ。僕が、鉄砲の音にも動物の血にも驚かなかったんで、先生方はびっくりしてたっけ……」

くすくすと笑った。

「アルベルク将軍は片目だった。戦争でなくしたんだ。ユートパクスとの……僕の父上との戦争で」

僅かに声を震わせた。

「明るくて、とても陽気な人だった。ちょっと、偽悪的な? わざと悪ぶってる感じがした。でも幼い僕には、とても魅力的に感じられた。詩や音楽にも詳しく……母上はそこに魅力を感じたんだろうね」


 しばらく、無言でいた。

 クラウスも何も言わなかった。

 遠くで、刻限を知らせる鐘の音が聞こえた。


「母上が、来る来ると言ってて、なかなかウィルンにいらっしゃらなかったのは……身籠っていたからなんだね。やっとわかったよ。そんなお体で、2週間の馬車の旅はきついものね。僕は……」

 そっと近寄り、クラウスはエドゥアルドの腰に手を回す。エドゥアルドは、彼の胸に顔を埋めた。

「僕はいいんだ。僕にはお前がいる。でも、父上は……遠くアドリア海の孤島で、たった一人で死んで行かれた父上は……。父上がお亡くなりになった時ね。僕は、母上に傍らにいらして頂きたいと、痛切に願った。父上の愛情を分け合った、この世に残された、たった一人の家族である母上に。……でも、その時にはすでにもう、母上は、子をなしていたのだ。父上以外の男との間に!」

「女なんて、そんなものですよ」

クラウスは言った。

「何を驚くことがあります?」

「クラウス……」

 エドゥアルドが顔を上げた。クラウスをじっと見つめる。

「前から思っていたのだが……お前、大変な女嫌いだね」

「そんなことはありません」

「いや、ある。まあ、その方が、僕は安心だが……」

「殿下」

 クラウスは何か言おうとした。何か……家族にまつわる告白を。

 でも、言えなかった。

 自分の家は、オーディンのせいでばらばらになった。戦争で没落した父を見捨てた母。すべてに絶望し、父は猟銃自殺した。幼かったクラウスを道連れに。

 だが、それを教えて何になる? 彼を傷つけるだけだ。


 「ここに一人でいらっしゃるのは、もう、おやめ下さい」

クラウスは言った。

「必ず私が、お供致しますから。……プリンス。そろそろ父君のことを、心の真ん中に置くのはお止めになったらいかがです?」

「それはできないよ」

 エドゥアルドが驚いたように目を上げる。

「クラウス。それは、できない。僕は、父上を尊敬している。父上のような立派な軍人になりたいんだ」

 クラウスはエドゥアルドの体を離した。立ち上がり、苔むした大砲に近づいていく。

「この砲台は、ユートパクス軍が最初にウィルンを占拠した時に造られました。あなたがお生まれになる5年前のことです」


 その年、クラウスの母は、ユートパクスの兵士について家を出た。戦争の犠牲になったのは、彼の家だけではない。国は荒廃し、大勢の人が死んだ。

 今、あちこちの民衆が、エドゥアルドを王として戴きたがっている。クラウス自身も、エドゥアルドにはその力があることを知っている。

 だからこそ、彼に知っておいてほしい。自分の父親の、真実の姿を。


 「たとえば、です。大砲の筒先は、どこに向かっていますか?」

見晴らしのよい丘の下には、ウィルンの街並みが広がっていた。

「メナン川の向こう岸だ。これは、ウィルンの街を守る為に作られたものだからな」

「そう。ウィルンは、川に添って発展した都市です。西から入るには、メナン川を渡らねばなりません」

「大砲は、川を渡って攻めてくる敵軍を滅ぼす為のものだ」


「2度目に、ウィスタリアとユートパクスが戦火を交えたとき、」

 ……ギルベルトと出会った年。

 ……父が自分を、猟銃で撃った年……。

「川の向こうに陣を張っていたのは、ウィスタリア軍でした。総大将はフリッツ大公。皇帝陛下の弟君です。フリッツ大公は、前回の戦による首都陥落で、ウィルンを追われていました。フリッツ大公だけじゃない。皇帝陛下も皇后陛下も、あなたのお母様マリーゼ内親王も、国内外を逃げ回っていたのです」

 エドゥアルドの瞳に戸惑いが浮かんだ。

 心を鎖し、クラウスは続ける。

「一度目の戦争で、ウィスタリアは大敗を喫しました。首都ウィルンは、ユートパクス軍に占拠されてしまいます。でも、ウィスタリアも負けてはいなかった。兵を集め、力を蓄え、首都奪還を企てました。そして、二度目の戦争が起きました。おわかりですね? その時ウィルンに駐留していたのは、占領軍ユートパクスでした。そして、川向うから攻めてきた軍隊こそが、ウィスタリア軍の軍隊だったのです」

 ……ギルベルトのいた軍だ。

 ……彼はその戦で大怪我を負った。

 ……瀕死の重傷で……ゲシェンクだった戦友に助けられ……彼を、殺した。

「この大砲が造られたのは、一度目の戦役の後です。占領国ユートパクス皇帝にして総司令官であったオーディン・マークスの命で造られました。ですからこの大砲が狙っていたのは、ウィスタリアの敵ではありません。川向こうから攻めてくる敵……まさにウィスタリア軍そのもの、貴方の大叔父君フリッツ大公の軍隊だったのです」

 エドゥアルドは、蒼白な顔でクラウスを見上げた。

「父上は、ウィスタリアの兵士を撃とうとしたというのか」

 クラウスは何も言わなかった。言えなかった。自分がひどく残酷なことを教えてしまったのではないかと、恐れた。

 はっと、エドゥアルドが息を飲んだ。

「クラウス。お前は、ヴァグムの出身だったな。ウィルンの川向かいの。そしてお前の父親は没落貴族だと言った。猟銃自殺をしたと。まさか……」


 その時、ぼんやりとした霧の中に、突如、光が差してきたように、クラウスは感じた。

 自分一人では、決してわからなかったろう。エドゥアルドの不安と悲哀に満ちた声が、彼に真実を悟らせた。

 クラウスは、今、はっきりとメトフェッセル宰相の目論見を見抜いた。

 ヴァグムは、ウィスタリア軍とユートパクス軍の最後の戦闘があったところだ。大変な激戦だった。町は破壊され、民間人を含め多くの人が殺された。メトフェッセルは、それを考慮に入れたのだ。

 先祖代々の荘園を失い、母は出奔。父親は猟銃自殺。最初に提出した履歴書にはそう書かれている。

 メトフェッセルは、クラウスのオーディン・マークスへの激しい憎しみを計算に入れた。その上で、プリンスの身近に雇い入れた。

 プリンスを篭絡し、決して外に出さない為に。その子孫を作らせず、血筋を断絶させる為に。オーディン・マークスの子孫を残さない為に。

 それなのに、エドゥアルドは……。

 ……「好きだ、クラウス。本当に、大好きだ」


 クラウスは、エドゥアルドの足元に身を投げ出したかった。できることなら、その足を両手で抱え、許しを乞いたかった。……自分は、あなたを騙している。

 だが、そんなことはできない。なぜなら、真実を告げたら、この人にきっと嫌われるから。疎まれ拒絶され……。

 仕方がないと、覚悟はしている。それだけのことを、自分はしている。だが今は、もう少し、この人のそばにいたい。この人が宰相の支配を逃れ、安全な場所で生きることができるまで。


 にっこりと、クラウスは笑った。

「考えすぎですよ、プリンス。私の父が没落したのは、変わっていく世の中を見通せなかったせいです。財産なんかなくていいんです。この身ひとつの方が、気楽に生きていけます。あなたが心配するようなことは、なにひとつありません」

「本当に?」

「本当に」

エドゥアルドの顔に安堵が浮かんだ。

「僕はね。……一生、ウィルンから出られなくてもいいと思ってるんだ。お前がそばにいてくれるなら、むしろその方が幸せだ」

「殿下。そんなことをおっしゃってはいけません。あなたに期待している人は大勢います」

「重すぎる期待だ。しかし、クラウス。お前と一緒なら……」

「はい」

「教えてくれてありがとう、クラウス」

くるりと背を向けた。

「やることがある。帰るぞ」

 その背を力いっぱい抱きたいと、クラウスは思った。

 もちろん、そんなことはできない。クラウスは黙ってプリンスに従った。




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