第27話 前進


◆エドゥアルド18歳 クラウス26歳



 ユートパクス国首相ターランから、ヴィスタリア国のメトフェッセル宰相の元へ親書が届いた。

 オーディン・マークス亡き後、ユートパクスは、再び王制を敷いていた。ルマン王朝、オーディンが処刑した王家の復興王朝だ。

 ターランは、ルマン家の皇女9歳のソフィー・ルイーズと、エドゥアルド・ロートリンゲン公爵との結婚を打診してきていた。


 「

 公爵の大叔母君マリア・アンナ様は、先の皇帝クルル16世に嫁がれました。また、母君マリーゼ様も、ユートパクスに嫁がれております。ユートパクスとウィスタリア王室の浅からぬご縁を考えれば、……

 」


 ふん。メトフェッセルは鼻で笑った。そのマリア・アンナ内親王を断頭台で処刑したのは、どこの国だ。そして彼女の姪マリーゼ内親王が嫁いだのは、革命王オーディン・マークス、ルマン王朝の敵ではないか……。


 エドゥアルド・ロートリンゲン公におかれましては、母方の血筋はウィスタリア王家ではございますが、父方の血筋は、間違いなくわがユートパクスのものでございます。出自において、女系より男系が優るのは、いずれの国においても常識、……


 だから、プリンスを、ユートパクスへ寄越せと? オーディン・マークスの息子を、ユートパクスへ帰らせろと?

 とんでもないことだと、メトフェッセルは嘲った。ユートパクスの民衆を喜ばせるようなことはできない。革命だの戦争だのそうしたものは、どこの国であろうと、今後二度と起きてはならない。

 その為の、王制復古だ。


 民衆とは、愚かなものだ。放っておけばすぐ、争いを起こす。不満にかこつけ、蜂起する。しかし、彼らを治める優れた王さえいれば、それで世界は丸く収まる。

 王族には、伝統という枷がある。それを、このウィスタリア王家は具現している。 積み重ねられた伝統の重圧に逆らうことが、この国の王族はできない。受けてきた教育の呪いといってもよい。自由に生きることと引き換えに、彼らは国を動かしている。

 朕は国家第一のしもべなり。

 ウィスタリアには、かつてそう言った王がいた。この言葉が生きてある限り、正義は王政、即ち旧体制にある。それが、唯一絶対の真理なのだ。

 高潔な王の尊き犠牲の上で、平和は守られる。民衆は、余計なことをしてはいけない。日々の仕事をなし、ただ安穏と生きていけばよい。自分と家族だけの小さな幸せを考えて、国民は満足しているはずだ。

 高貴なる王と、少数の優れた政治家と。それ以外は、政治に手を出すべきではない。


 「

 プリンスを差し出すわけにはいかない。

 貴国は、敗戦国であることを忘れたか。


 辛辣な返事を、メトフェッセルは書いた。

 それに……。

 ペンを置いて、メトフェッセルはほくそ笑んだ。

 プリンスは、9歳の女の子になど興味は持つまい。そんなものより、ずっとよい玩具を与えてある……。



 とん、と、クラウスの肩先に何か当たった。小石が下に落ちた。驚いて振り返ると、ぱっと赤い色のスカートが翻るのが見えた。クラウスに石を投げつけたのは、10歳くらいの女の子だ。一目散に逃げていく……。



 「へえ、かわいいな」

よちよち歩き回る子どもを見て、クラウスは言った。

 ……もう何回も言った。

 ……ほかに、ええと、誉め言葉は……。

 身近に子どものいない身としては、子どもの話は辛い。かわいいのだが、どう誉めていいのかわからない。うっかり父か母のどちらかに似ているなどと言うと、それが他方の逆鱗に触れたりする。

 「ああ、かわいいだろ?」

 ロッシが目を細めた。大学で助手をしていた頃の同僚だ。

「だがな。ハロルドは、とにかくやんちゃで」

「男の子だろ? ほっとけばいい」

「そういうわけにもいかん。放っておけば、すぐに表に飛び出してしまう。そしたら、川に落ちる。馬に踏まれる。さもなければ、馬糞を口に入れようとする」

「はあ。そんなものか?」

「そんなものだ。おかげで嫁さんは過労気味でな。だから、子守を雇った」

「子守」

「近所の子だ。親にちゃんと金を渡してる。子持ちの薄給にはきついよ。……エマ。こっちへ来い」

 呼ばれてきたのは、さっきの女の子だった。ここへ来る途中、クラウスに石をぶつけて逃げて行った子だ。

「あ? 顔見知りか?」

「いや」

 クラウスはとぼけた。

 女の子は、真っ赤な顔をしている。

「エマ、こちらはクラウスだ。俺の友達だからな。覚えとけよ」

「はい」

 素直に女の子は答えた。小さなハロルドは、彼女を見て大口を開けて笑っている。その手を引いて、外へ出て行った。

 

 「あいかわらず、ロレンス先生の所へは、顔を出していないのか?」

クラウスの前に白湯の入ったカップを押しやり、ロッシが問う。

 妻は、今、買い物に出ているという。ちょうどよかった、とクラウスは思う。

「新婚家庭にお邪魔するのも、申し訳なくて」

「俺の家庭も新婚だが」

「お前は別だ。友達だろ?」

「うん。まあ、ロレンス先生は、お前の親みたいなもんだったからな。親の再婚家庭を訪ねるような? そりゃ、気兼ねだわな」

ロッシは一人で納得して頷いている。


 本当は、今日もギルベルトの姿を見ている。遠目にちらりと、歩いている姿を確認した。背の高い姿が少し猫背になり、速足で歩いていた。

 懐かしさがこみ上げた。でももう、駆け寄って抱きしめたいとは思わなかった。

 クラウスは、何度もギルベルトの様子を見に来ていた。

 病気や怪我をしていないか。考えるのも恐ろしいことだが、万が一、死の床にあったら? クラウスによる救済を必要としていたら?

 幼い自分を救ってくれたゲシェンクへの義務を、クラウスは忘れたことがない。ギルベルトを、不死の苦しみに突き落とすことはできない。

 だが、以前ほど頻繁に来ているわけではなかった。遠目にギルベルトの姿を見て、激しく動揺することもなくなった。これなら、ギルベルトが妻と肩を並べて歩いている姿を見ても、平静を保てるかもしれない。

 もう少ししたら。

 或いは。

 時の癒しなどではなかった。それは、はっきりとしている。エドゥアルド王子のお陰だ。

 もちろん、いつまでも続く関係ではないことはわかっている。メトフェッセルに脅されて始まった関係だ。自分は、プリンスを裏切っている。そのことを忘れてはならない。

 逆を考えよう……クラウスは思う。プリンスの身近にいて、彼が無事でいられるよう、気を配るのだ。メトフェッセルの信頼を逆手に取って。


 「なんだか、吹っ切れた顔してるな」

ロッシが微笑んだ。

「すごく……なんというか、いい顔? してる。女でもできたか?」

「女?」

「あ。お前、女嫌いだったな。だからって、そんな嫌そうな顔をするなよ」

「仕事が楽しいだけだ」

クラウスは言った。

「それだけだ」



 ロッシの家を辞して歩いていると、目の端に、赤いスカートがちらちらした。

「エマ」

呼ぶと、店先に積み上げられた樽の陰からあの女の子が出てきた。

 「ごめんなさい」

泣きそうな顔をしている。石をぶつけたことを謝っているのだ。

「いいよ。いたずらしただけだろ?」

 子どもは時として、意味もないいたずらをする生き物だ。自分もかつて子どもだったから、そのくらいのことはわかってる。

 「ロッシさんに言わないでくれて、ありがとう」

女の子は言った。

「うち、お金がいるの。だから、ロッシさんを怒らせたら困るの」

「そう」

 しっかりしている、とクラウスは思った。ふと、いいことを思いついた。

「君、ロレンス先生を知ってる? ロッシさんのお仕事の人。ギルベルト・ロレンス先生」

「ハンナの旦那さん?」

女の子が尋ねた。

 ぎり。

 心が軋んだ。

 無防備に油断していたからだ。まさかこの子の口から、ギルベルトの妻の名が出るとは……。

 精一杯、微笑んだ。

「そうだよ。あのね。もし彼に何かあったら、僕に知らせてほしいんだ。何か……大きな怪我とか病気とか。風邪なんかじゃなくて、命にかかわるようなこと。そしたら、君にお駄賃を上げよう」

 女の子は首を傾げた。

「このことは、僕と君だけの秘密だ。誰にも言ってはいけないよ」

「わかった」

大きな目を見開いて女の子は頷いた。


 馬鹿げている、と思わないでもなかった。でもこれで、足繁くギルベルトの様子を見に通わなくても済む。

 第一、ギルベルトはまだ若い。こんなにちょくちょく見に来る必要はないのだ。

 万が一の場合は、この子に頼んでおけば……自分は少しだけ、前に進めそうな気がする。

 クラウスは彼女に、連絡先を教えた。




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