第25話 舞踏会 3


 気が付いた時、ベッドに寝かされていた。

 いや、寝かされているというよりは、運んできて、そのまま投げ出されたといった感じだった。服も夜会服のままだし、靴も履いたままだ。タイが喉を絞め、息苦しい。

 ……ここは?

 見覚えのあるような、ないような、あやふやな感覚。

 大きな天蓋付きのベッドは、もちろん自分のものではない。広い部屋のどこかに、あかりが灯されているようだ。ぼんやりと明るい。

 頭の芯が、鈍く痛む。

 フェルナー王子と踊ったことまでは覚えていた。だがその後の記憶がどうもあやふやで、思い出せない。

 ベッドはメイクされた状態で、カバーをかけられている。

 ……ここは、シェルブルンだ。シェルブルン宮殿のプリンスの部屋……。

 肌寒さに、クラウスは身震いした。起き上がろうとして、驚いた。

 体の自由が利かない。よく見ると、両手が頭の上で拘束されていた。

「目が覚めた?」

傍らで声がした。

 何か言おうとして、声が出なかった。喉が焼け付くように乾いている。

「ああ、喉が渇いたんだね。わかった。水を上げよう」

 誰かの手が瞼を抑えた。作られた闇の中、柔らかい感触が唇に押し当てられる。 無言でぐいぐいと唇を割ってくる。

 ……誰かの、唇?

 とろとろと、生温かい液体が流し込まれ、クラウスはむせた。瞼の手が、ぱっと離れた。青い目が、じっとのぞき込んでいる。

「エドゥアルド王子……?」

 だが、その表情は、ひどく固かった。血の気のない、青ざめた顔をしている。

「……どうして? 手、」

 プリンスは無言でクラウスを抱き起した。髪を掴み、顔を近寄せた。まともに目を射すくめる。

「お前は僕のものだ。僕だけのものだ。誰にも渡さない」

 言い終わるなり、乱暴にクラウスを裏返した。うつ伏せに押し倒し、のしかかってくる。

 ……。



 胸の中にプリンスがいた。クラウスの胸にぴったりと顔をつけ、眠っている。

 ……今なら、逃げられる。

 思った途端、青い目がぽっかりと開いた。クラウスの心を読んだように、素早く起き上がる。

 両肩を掴まれ、ベッドに押しつけられた。ぎゅっと首筋を強く吸われた。抓られたような鋭い痛みが走る。

っ!」

思わずのけぞった。

 エドゥアルドは無言だった。有無を言わさず、再び踏みにじられる。

 クラウスの頬が紅潮した。

「いやだ!」

「黙って!」

 何かを耐える顔をして、プリンスが短く叫ぶ。まるで叱りつけているようだ。

 クラウスは委縮した。ダメなのだ。大声を出されたり、感情を込めた声を聞かされると、心が縮む。強大な敵を前にした小動物のように、体が竦んで動けなくなってしまう。どうしても抵抗できない。

 それは多分、幼い頃の、父親の思い出が……、

 クラウスの目じりから、涙がこぼれた。

「あ……」

 プリンスの動きが止まった。

 重なったまま、びっくりしたように、クラウスの目から流れる涙を見ている。

「なんで、こんな、」

のろのろと手を上げ、指でクラウスの涙を掬った。

「違う。こんなんじゃない……」

「違わない」

クラウスは言った。

 うんとひどくしてほしかった。滅茶滅茶になるまでかき回してほしい。

 全部……、

 幼い日々の折檻の痛みも。恋する人に捨てられた悲しみも。なにより、今こうして抱かれていること、それは、裏切りの証だ。

 ……それら全てを、忘れてしまえるから。

 クラウスは、縛られたままの両手をエドゥアルドの背に回した。強く引き寄せる。

 ……。



 クラウスの上で、エドゥアルドが四つん這いになって起き上がった。クラウスの両手を縛っていたネクタイを外し、赤く擦りむけた手首にキスをした。汗で顔に張り付いた黒い髪を、そっと払う。

 閉じていた瞼を、クラウスは開けた。

 「やさしくしたい」

エドゥアルドは言った。

「お前に、優しくしたい。こんな風に抱き合うのではなく……、お願いだ、クラウス。優しくさせておくれ」

 苦しかった。

 悲しかった。

 ……自分はプリンスの敵だ。

 メトフェッセルと内通し、彼の将来をぶち壊している。まさに、彼に抱かれることによって。

 ……「王子にを、教えてやるがよい。女を抱こうという気など、金輪際、起こさせぬほどを」

 メトフェッセルの言葉が蘇る。

 これでは、宰相の思いのままだ。プリンスは、自分とこんなことをしていては、いけない。

 顔中にエドゥアルドがキスをしている。

 暑い。息苦しい。

 ふい、と、クラウスは横を向いた。

 しおしおと、エドゥアルドが起き上がった。クラウスをベッドに残したまま、身支度を整えている。

「僕は行かなくてはならない。しばらく戻らないから、お前はここにいていい。でも、……お願いだから、僕が戻ってくる前に、この部屋から出て行ってくれ。さもないと、僕はまた、お前をぼろぼろにしてしまう」

 振り向きもせず、部屋を出ていった。クラウスは、気を失うように眠りに落ちた。




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