第24話 舞踏会 2
メリッサ大公妃をリードして踊りながら、エドゥアルドは気が気ではない。
さっきからクラウスの周りに、令嬢が集まってきている。穏やかにほほ笑むフラノ大公……メリッサの夫だ……を押しのけ、クラウスを取り囲んでいる。
いやがるクラウスを、エドゥアルドは強引に、この場に連れてきた。一緒に踊りたかった。居並ぶ人々に、美しい彼を見せつけてやりたかった。
そして、それ以上に差し迫った理由が、エドゥアルドにはあった。
舞踏会は、何日も何日もぶっ通しで開催され、それに合わせて、エドゥアルドの予定も細かく調整されていた。今回の舞踏会には、あちこちの国から貴賓が集まっている。オーディンの息子を決して「監禁」しているわけではないという、メトフェッセル政権のアピールだ。
その間、もちろんクラウスのレッスンは休みになる。舞踏会はブルク宮殿で開催されるから、彼と会うことさえ難しい。そんなに長い間、クラウスと離れていることは、エドゥアルドには耐え難かった。
だが、クラウスは同行を拒否した。華やかな場所は苦手だと言い張った。衣装を新調しようにも、採寸を拒絶し、エドゥアルドを困らせた。
最終的にクラウスを説得したのは、ディートリッヒ先生だった。夜通し踊り続けるなど、それを見ているだけでも、もう彼はまっぴらだった。でも、プリンスのことが、心配だ。自分の代わりにしっかりプリンスを見守るよう、ディートリッヒ先生はクラウスに命じた。
「エドゥアルド? 何をよそ見をしているの?」
胸の辺りで声がした。メリッサが彼を見上げ、むくれている。
「ああ、いや、……」
慌てて彼女を引き寄せ、床の上を滑る。
ちらっと未練の視線を投げると、令嬢の一人がクラウスの手を取っていた。
……一緒に踊るつもりか?
むっとした。
だが、クラウスは首を横に振っている。困ったように視線が泳いでいる。
エドゥアルドが常々思っていたことだが、クラウスはどうも、女性が苦手らしかった。シェルブルン宮殿においても、女官やメイドに対して、全然全く、興味を示さない。
エドゥアルドには、専属の女官はいない。だから彼付きの侍従たちは、たまに彼女らが姿を見せると、急にそわそわしだす。もちろん、表立って色めき立つことはしない。だが関心が女性たちに移ってしまって、仕事が疎かになる。
その点、クラウスは全く無関心だった。シェルブルン一の美女と評判のメイドがお茶を供した時も、本から目を上げもしなかった。あの分では、ティーカップを手渡してくれたのが女性だということも、多分、わかっていなかったろう。
だが、クラウスは、あれで意外、女性に人気があるのだ。
一度、練習帰りの彼に、メイドが忍び寄っていくのを見たことがある。彼女〜何か渡されそうになったクラウスは飛び退き、文字通り脱兎のごとく逃げて行った。物陰から一部始終を見ていたエドゥアルドは、ほっとしたのも事実だが、それ以上におかしさを
今も、胸の大きくあいたドレスの令嬢に強引に手を取られ、殆ど恐慌状態に陥っている。
……いったい、どうするつもりだ?
「エドゥアルド、ほら、ターンよ……」
はっと我に返った。
いけない。メリッサのパートナーを、完璧に果たさなくては。
ぎこちない笑みを浮かべ、ターンを切り替えるステップを踏んだ時、それが見えた。
会場の隅から、つかつかと歩み寄ってくる、細身の男。白の上下に、皇族を表す赤いサッシュ。痩せぎすの体に、鷹のように鋭い目。
フェルナー王子だ。
フェルナー王子は、強引に令嬢からの手からクラウスを奪い取った。あっけにとられて立ち竦む令嬢を差し置き、クラウスを会場の中央に連れだす。
彼だからこそ許される無礼、彼だからこそ黙認される強引さだった。
人々がどよめいた。
曲が、3拍子に変わった。軽快なワルツが流れ出す。
クラウスをリードし、フェルナーは力強いステップを踏んで踊りだした。目まぐるしくクラウスを回転させ、自分も回る。常識外れの激しさだ。
二人の周りで踊っていた人々が、次々と壁際へ引いていった。
呆然としているメリッサを導き、エドゥアルドも椅子席へと移動した。
そうせざるをえなかった。
人々の間から、拍手と歓声が沸き上がった。誰もかれも、この、男同士の迫力あるダンスを見たがっていた。大勢のカップルの間を回遊する踊りは、彼らにふさわしくない。
広くなった会場を、フェルナーとクラウスが踊っている。
靴が、きゅっ、きゅっ、と鳴る。激しい衣擦れの音。陶酔したように乱舞する。まるで狂ったようだ。
フェルナーが長い腕を伸ばし、笑いながらクラウスを振り回した。クラウスもそれにこたえ、くるくると目の回るような速さで回転する。黒い髪と黒い燕尾服の裾が、幻影のように弧を描いている。まるで、舞いすさぶ2つの蝶のようだ。
ぴったりくっついたまま、二人が反時計回りに回転し始めた。フェルナーの白い上着の裾が、はためくようにクラウスの腰を打ちつける。
激しい嫉妬を、エドゥアルドは感じた。
◇
ベランダには、他に人影はなかった。熱くなった体に、夜風が気持ちいい。
何曲、踊ったろうか。躍り出たフェルナー王子とクラウスを見て、歓声が上がった。
一曲終わると、熱狂的な拍手が沸き起こった。調子に乗った楽団が、次々とテンポの速いワルツを奏で始めた。
それに合わせて、二人は踊った。広いホールを息の続く限り回り、ステップを踏んだ。速度の速い回転に、我を忘れた。
歓声と拍手の鳴り止まぬ中、フェルナーは強引にクラウスの手を引いて、ベランダへ連れ出した。
「どうだい、先生。俺の踊りは」
フェルナーが問う。
精一杯、クラウスは頷いた。まだ、息が弾んでいる。
ベランダへ出る途中、給仕の盆から取り上げたグラスを、フェルナーが差し出した。赤い液体が、誘うように揺れる。受け取り、クラウスは一気に飲み干した。強い酒精が喉を焼く。
「あんたに言われた通りに、俺は踊ったろ?」
「ええ、たいしたものです」
くらり。眩暈がした。ワルツの、あの激しい回転でも平気だったのに。
「なら、ご褒美をくれ」
「ご褒美?」
いきなり抱きすくめられた。視線が近い。真っ直ぐに交差する。後頭部を抑えられ、茶色の瞳が至近距離で近づいてきた。目を見開いたまま、口づけられた。
頭がくらくらする。
何も考えられない。
……あの酒、
舌が、唇を割った。
唇に触れるだけの軽いキスは、今までもあった。だが、フェルナーがここまで仕掛けてきたことはなかった。
その時、クラウスの頭に浮かんだのは、ギルベルトではなかった。
金髪碧眼、年下の……。
あり得べからざる……、
でも、あれは、命令……、だから。メトフェッセル宰相の。
……もう、いいや。
頭がふらついた。何も考えられない。
全身から力が抜けた。
「何やってんだよ!」
強く腕を引かれた。誰かが、クラウスをフェルナーから引き離そうとしている。
クラウスは嫌だった。いつまでもこの口づけを味わっていたかった。
「離れろよ!」
後ろから乱暴に引っ張られた。
キスは美味だったのに。ご馳走から引き離され、クラウスはむっとした。今まで味わっていた唇を求め、力いっぱい抵抗した。
だが、彼を抱き寄せる力は強かった。両肩を抑え込むようにして胸に抱え込んでいる。
「行くぞ、クラウス」
後ろ向きのまま腕を絡め、ずんずん歩き始める。
クラウスは暴れて抵抗した。だが、容赦はなかった。ぐいぐいと、強い力で引っ張られる。
それは怒りだと、心のどこかで気が付いた。
誰かが自分に対して、激しい怒りをぶつけている……。
急にクラウスの全身から力が抜けた。引きずられるようにして、その場を連れ出された。
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