第23話 舞踏会 1



 フラノ大公妃メリッサは、夫の姿を探した。

 今宵は、皇帝主催の舞踏会だ。舞踏会は、外国の賓客を招いて大々的に開催される。フランティクス帝は、普段は、悪口を言われるほど倹約家だ。だが、いざという時には費用を惜しまない。今回の舞踏会は、国際会議の慰労で開催されていた。


 2年前、皇帝は、遠くアメリア大陸に嫁いだ娘マリアンを亡くされた。

 マリアンは、エドゥアルドの母マリーゼと同様、外交のために「売られた花嫁」だった。二人は、宰相メトフェッセルに「売られた」のだ。

 とにもかくにも生きてウィスタリアに戻れた姉マリーゼと違い、マリアンは、薄幸だった。夫であるボルント王家の王子は精神的な起伏が激しく、妻であるマリアンに暴力を振るったと漏れ伝わっている。マリアンは、妊娠中に逝去した。

 それ以後、皇帝は塞ぎ気味だった。外交の場ではあるが、皇帝陛下がこうした晴れがましい席に臨席されたことを、メリッサは嬉しく思った。


 国際会議は、過去、何度か開催されてきた。

 初めの会議は、ウィスタリアの宰相メトフェッセル主催で、ウィルンで開かれた。オーディン・マークスにめちゃくちゃにされた秩序を、なんとか取り戻す為の会議だった。時計の針を逆戻しし、ユアロップ大陸をオーディン以前の封建体制に戻したのだ。

 今でも、定期的に各国首脳が集まり、会議が行われている。


 今回の会議は、波乱含みだった。

 ユートパクスにいるオーディンの残党と、今も残る革命の火種。ムーランドやベルルの独立問題。南のアイタリアでも、民族運動が巻き起こっていた。

 メトフェッセルの再建した体制は、次第に崩れつつあった。


 とはいえ、各国皇室及び、有力な政治家たちを饗応することは、大切なことだ。北の大国の皇帝から辺境の領主まで、招待客は多岐に亘る。

 供された食事は、豪華の一言に尽きた。若鶏の唐揚げクラッペン、ひき肉のパイ料理、 牛肉のロール焼きペシャメルソース添え。コンポートやブリオッシュ、各種ケーキなどのデザートも、後々の語り草になるほど素晴らしかった。


 晩餐会では、夫のフラノ大公は、確かにメリッサの横にいた。ところが食事がすむと、いつの間にか彼の姿は消えていた。

 これから、ダンスが始まる。1曲目は、夫と踊らなければならないというのに……。


 4年前、メリッサはこの国に嫁いできた。

 ウィスタリア皇帝の座は、長男による世襲が原則だ。次男である彼女の夫フラノに、皇帝になる資格はない。それは、メリッサとて、承知していた。

 ただ、皇帝の長男フェルナー王子……夫の兄……は、少しおかしいと言われていた。

 ……不出来な王子。

 そんな風に呼ばれている。彼に皇位を継承させるのは無理だと、声高にのたまう廷臣もいる。

 万が一、彼が即位したとしても、「おかしい」フェルナーに子をなすことは無理だろう。次世代皇帝への期待は、次男フラノ大公の子に寄せられることになる。フラノとメリッサの間に生まれる、長男に。それ以前に、廷臣の反対でフェルナー王子が即位できなかった場合は、一気に帝位に就く可能性だってある。これからメリッサの産む子が。

 宮廷の人々は、会うたびに、メリッサの腹をじろじろ眺める。妊娠の兆候を探しているのだ。

 メリッサが結婚したのは、19歳の時だ。それまではエルヌの薔薇と謳われ、大切に育てられてきた。もちろん、ぶしつけに彼女の体を眺め回す輩など、いるわけがない。

 それなのに。

 今日の舞踏会でも、いったいどれだけの人の目が、メリッサの平たい腹部に向けられたことだろう。もう、うんざりだ。

 今宵、もしダンスの一曲目を、夫と踊らなかったら? 口さがない貴族や廷臣たちが何と言い出すか、考えるだに憂鬱になる。彼らに、夫との不仲説まで囁かせるわけにはいかない。まして今宵は、皇帝主催の舞踏会だ。それこそユアロップ大陸中から、賓客が集められている……。

 メリッサは、決して諦めはしない。彼女の生む長男は、この国の帝王となるのだ。


 ようやく探し当てた夫は、部屋の片隅にいた。

 白の上着に赤いサッシュを肩からかけている。襟と袖口は金色だ。20代にしてすでに後退しかけた髪を撫でつけ、人の好い笑顔を浮かべている。

 彼は、野心のない男だった。王位継承には全く興味がなく、兄が即位してくれることを、むしろ喜んでいた。

 夫フラノの横に立つ人物を見て、メリッサは柳眉を逆立てた。なんと、あのクラウス・フィツェックではないか。シェルブルン宮殿のダンス講師だ。正式な身分は知らないが、どうせ吹けば飛ぶようなものであるに違いない。

 なぜこの場に彼がいるのか、謎だった。

 本来なら、フラノ大公……彼女の夫……の、近くに寄ることさえ憚られるような、下賤の者なのだ。それなのにまあ、夫のあの、嬉しそうな顔……。

 ぎりぎりと、メリッサは歯ぎしりをした。

 夫は、自分と一緒の時には、あんな風には決して笑わない。苦虫を噛み潰したような、つまらなそうな顔をしている。

 ……だからいつまでたっても、子ができないのよ!

 次期皇帝フェルナー王子もまた、このダンス講師と一緒の姿を、たびたび目撃されている。もっとも、フェルナー王子は頭がおかしいから、その挙動について、一々気にすることはないのだが。


 楽器の音合わせが終わった。会場内が、ざわざわとする。人々は次々とパートナーを見つけ、フロアに躍り出てくる。

 メリッサは焦った。今から夫を捕まえに行っていたら、間に合わない。しかし、最初の曲は、是非、踊りたかった。もはや相手が誰であろうと構わない。それは、エルヌの薔薇としての矜持でもあった。

 ……誰か、都合のいい人はいないかしら。

 血走った目が、青い上着の背の高い姿に止まった。

 ……彼だわ!

夫の甥だ。

 ……彼なら、皇帝陛下もかわいがっていらっしゃることだし。一緒に踊っても、ご不興を買うことはないだろう。

 「エドゥアルド」

彼女は呼んだ。 優雅に片手を差し出した。




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