第20話 夜伽 2


 ……ギルベルト。

 クラウスの顔がゆがんだ。


 「好きだ、クラウス。本当に、大好きだ」

 熱に浮かれたようにエドゥアルドが囁いている。破れたシャツがむしり取られた。

 「……」

 息を飲む気配がした。次の瞬間、まるで獣のように胸の突起に齧りついてきた。

「つっ」

 クラウスの顔が一気に紅潮した。痛い。それなのに、疼痛の奥から、痛みではない、別の感覚が湧き上がってくる。

 エドゥアルドが、夢中になって吸い付いている。舐め、齧り、遠慮のない力で吸い上げる。そうしながら、もう片方の胸に手を伸ばした。指の間に挟んで、こねくり回す。両方とも自分のものだと、主張している。

 クラウスは、抵抗しようとした。

 でも……。


 ……自分の命を救わなければ、ギルベルトは、普通に死ねた。ゲシェンクにならずにすんだ。その上、王宮での仕事を引き受けたのは、この自分だ。自分のせいで、ギルベルトを危険な目に遭わせるわけにはいかない。


 自分は女じゃない、と、クラウスは思った。だから、誰に何をされても平気なんだ。たとえそれが、憎いオーディン・マークスの息子であっても。

 全身から力が抜けた。

 正直に言うと、ギルベルトの為に、というのは間違っていた。それは、違う。クラウスの体が、エドゥアルドの愛撫に反応し始めたのだ。

 手探りの、がむしゃらな愛撫だった。技巧も思いやりすらもなく、ただ突き進むだけ。

 だが、行為に秘められた思いだけは本物だった。エドゥアルドは、真剣な愛情をぶつけてきた。一途で、必死で、迷惑なくらい純粋な……。

 クラウスの体の奥底から、何か熱いものが湧き上がってきた。無意識のうちに、エドゥアルドの熱に応えようとしている。何かを期待し、待ち焦がれる気持ち……。ただ彼は、それを認めたくなかった。

 エドゥアルドは、この機会を逃さなかった。素早くクラウスからズボンをはぎ取り、自分の衣類も脱ぎ捨てた。

 切羽詰まった口調で囁く。

「お願いだから、そばにいさせて。僕を一人にしないで」

「待っ!」

 クラウスはのけぞった。ずり上がり、懸命に逃れようとする。

「……」

エドゥアルドの瞳に傷ついた色が浮かんだ。

「そうじゃなくて……」

クラウスは言った。

 もう、何が何だかわからなくなっていた。

 ただ、受け容れたいと思った。相手の熱い想いを。

「……優しくしてほしい」

 すぐに後悔した。

 低い唸り声が聞こえた。信じられないくらい固いものが、体の中心を貫いた。



 辺りは真っ暗だった。深いまどろみから、クラウスは引き戻された。体が痛い。べたべたする。横になっているのが辛い……。

 次の瞬間、いろいろなことが、洪水のように思い出された。慌ててクラウスは、飛び起きた。

 ぎしり、と、体が軋む。

 ……体を拭いて、服を着て。

 早朝の薄明かりに、部屋の調度が、ぼう、と浮き上がって見える。

 ベッドを出ようとして、バランスを崩した。右の肘下辺りに、錘がぶらさがっている。

 錘ではなかった。プリンスだ。

 クラウスの右腕を、両手で抱え込むようにしてしがみついている。

 横向きにこちらを向いて、胎児のように体を丸めて眠っていた。

 思わず、クラウスは、自分の腕に絡みついた両手をはたき落とした。

「……」

 ぽっかりと、青い目が明いた。

「クラウス……どこ行くの?」

「起きるんです」

「まだ早い。もう少し、このまま……」

そう言って、クラウスの腰のあたりに腕を回した。

「ちょ、朝になったら人が来ます。それまでにこの部屋を、」

 片付けなくちゃ、まで言えなかった。

 再び寝床に引きずり込まれた。胸に取りすがるように顔を埋めてくる。

 プリンスの体はあたたかった。その温かさが、クラウスを安堵させる。

 全く、思いがけないことだった。

「ね、もうちょっと……」

 そう言って、ぴったりと身を寄せてきた。

 逃げようにも、腰の後ろに腕を回され、がっちり抑え込まれている。クラウスは観念して、力を抜いた。

 太ももの辺りに違和感を感じた。

 はっとした。

「ダメです」

 起き上がろうとした。

 抑えつけられた。

「大丈夫。わかってる。こうしてるだけ。ね?」

 言葉通り、プリンスはそれ以上、仕掛けてはこなかった。クラウスの胸に顔を埋めたまま、じっとしている。

「ねえ、クラウス……」

くぐもった声が聞こえた。

「はい」

「いや、いい」

「?」

 しばらくおとなしくしていた。

 胸に、熱いため気が吐き掛けられた。

「あのね、クラウス」

「なんです?」

「だから、その……、やっぱりいい」

「はっきりおっしゃい」

ぴしりと言われて、エドゥアルドはもぞもぞと半身を起こした。

「前に、ルードルヒ・エステルから聞いた。は、大変だって。……僕はお前に、とんでもない無理をさせてしまったんじゃなかろうか」

 エステル家の子どもたち……。宰相メトフェッセルが言っていた。同郷の貴族で、彼の忠実な、股肱の一族だ。

 思わずクラウスは、鼻で笑った。何を誤解したのか、エドゥアルドが真っ赤になる。

「だって、一回じゃ、とても最後までいけないって……。それを僕は、つい、夢中になって……」

「あなたは、悪いお友達と付き合ってますね、エドゥアルド。それにだ」

 クラウスは起き上がった。縋りついてくる両腕を、すげなく外す。

「ちょっと待って、ねえ、クラウス!」

必死の声が聞こえた。


 ベッドから降りようとして、クラウスは振り返った。青い目が大きく見開かれ、強く何かを訴えている。

「僕は、嫉妬しなくていいんだね? 誰にも、お前を取られる心配をしなくて、いいんだよね?」

「……」

クラウスはじっと、エドゥアルドを見つめた。重ねて、エドゥアルドが尋ねる。

「今、お前には、僕の他にはいないよね? つまりその、こういうことをするような……」

 クラウスは答えなかった。

 腕を伸ばし、人差し指で年下の男の頬を撫でる。

「この傷……まずいですね」

 ゆうべ、クラウスが引っ掻いてできた傷だ。そういうクラウスの唇も、ひどく腫れていた。



 シェルブルン宮殿中庭。

 夜もまだ明けきらぬ中、蠢く二つの影がある。

「殿下。止めましょうよ。犬に罪を着せるなんて、そんな……」

押し殺した小さな声で、クラウスが囁く。プリンスは泰然としていた。

「大丈夫だよ。僕が可愛がっている犬だよ? 酷い目になんて、遭わせるものか。それよりクラウス、お前、足を引きずってる?」

「いいえ」

「僕はお前に、無理をさせてしまったんだろうか」

「まさか」

 誇らしげな心配は、すぐにきっぱりとした拒絶にあった。プリンスは、ほんの少し項垂れ、すぐに話題を戻す。

「シェルブルンの狩猟官とは仲よしなんだ。僕の言う事なら大概、聞き入れてくれる」

 きい、と音を立てて、犬小屋の戸が開いた。くうん、と鳴く声が聞こえる。甘えた声だけど、犬小屋にいたのはどれも、思わずクラウスが身を引いたほど、大きな犬ばかりだ。

 一番近くにいた犬の頭を、わしゃわしゃとプリンスが撫でた。

「さあ、おいで。お前たちにひと働きしてほしいんだ」



 翌朝。

 王宮の猟犬係は、エドゥアルド王子付きの侍従からひどく叱られた。檻に鍵がかかっていなかったのだ。

 夜中に犬たちが小屋から抜け出し、王子の寝室に紛れ込んだのだという。王子と家庭教師に飛び掛かり、あちこちに傷を負わせたらしい。部屋もめちゃくちゃになった、ベッドの上までひどい有様だった、と、侍従は、憤懣やるかたない。

 猟犬係は、不服だった。犬の躾けは完璧だ。この自分が、小屋に鍵をかけ忘れた? 馬鹿な!


 その日、偶然、王子と家庭教師が庭を歩いているところを見かけた。

 王子は、頬に引っ掻き傷があった。白い肌に、殊更目立つ傷だ。家庭教師の方は、唇を真っ赤に腫らしていた。おまけに少し、足をひきずっている。但し、王子に気づかれぬよう、気を使っているようだ。

 ……申し訳ない。

 猟犬係は思わず、心の中で二人に詫びた。

 依然として、ゆうべもきちんと檻に鍵を掛けた覚えがあった。それでも、懺悔の気持ちを抑えることができなかった。

 狩猟官からは、特に罰は下されなかった。犬たちも相変わらず可愛がられ、大切に飼育されている。

 犬たちが殺されなかったことに、猟犬係は安堵し、けれど、少し意外に思った。






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