第15話 ワルツ


 向き合って右半身だけを合わせ、目線は左側に外す。プリンスは左腕を、クラウスは右腕を伸ばし、互いに手先を軽く合わせる。


 「1・2・3、2・2・3、3・2・3……」


 クラウスの左手はプリンスの肩に回されている。クラウスの方が身長があるので、腕の長さがだぶついてしまっている。

 プリンスの右手は、クラウスの背中へと回されている。手のひらから緊張が伝わり、背中がこそばゆい。左脇の当たりを、プリンスの腕が通っている。その位置が上過ぎて、どうかすると脇をくすぐる。


「……7・2・3、8・2・3、」


 クラウスの声が、広い練習場に淡々と響く。右回りにターンをしながら、広いフロアを、反時計回りに回っていく。


 「フォワードチェンジ、はい、リバースターン……」

 ステップを踏みかえ、今度は左回りに回る。

「7・2・3、8・2・3、コントラチェックからナチュラルフレッカール!」


 背中に当てられたプリンスの手が外される。クラウスの右手に添えられただけだったプリンスの左手が、彼の手をぎゅっと握りしめた。そのまま、互いに握られた手を支点にして、プリンスはクラウスをくるくると回し始めた。


 「ナチュラルターンから……エンディング!」

 二人、正面を向いてお辞儀をする。


 「どう? どうだった?」

 目を輝かせてエドゥアルドが尋ねる。

「プリンス……」

 クラウスは答えた。情けないことに、息が上がってしまっている。

「パートナーを、そんなに力いっぱい回転させないで下さい」

「だって、全然まだまだ平気じゃないか」

「私じゃありません! あなたの相手は、か弱い女性なんですよ? それに女性の靴は華奢なんです」

「でもお前は……」

「舞踏会では、プリンスのお相手は女性です! それも、深窓で育てられた令嬢達なんです! 容赦なく振り回す人がありますか!」


 クラウスがプリンスの相手をするようになってから、数ヶ月が経過していた。それなのに、未だ基本のワルツばかり繰り返している。

 初めのうちは、ディートリッヒ先生も同席していた。新入りのクラウスが、いまいち信用できなかったのだ。

 ワルツは、民衆の間から出てきた新しいダンスだ。メヌエット世代のディートリッヒ先生は、悪口ばかり言っていた。まず第一に、男女が正面に向き合って踊るのがけしからん。その上、体を密着させて踊るなんて卑猥ではないか。謹厳実直な教師の口から出た「卑猥」という言葉に、プリンスがもじもじと居心地悪そうにしていた。

 ディートリッヒ先生はまた、3拍子のリズムにも馴染めなかった。ついには、くるくる回転するプリンスとクラウスを見ていて目を回してしまった。車酔い状態になり、気分の悪くなった彼は、この頃は練習場に出てこなくなった。


 練習場には他に人の出入りはない。時折、ピアノ教師が伴奏をしてくれるが、今日は、クラウスとエドゥアルドの二人きりである。


  「……また怒られた」

しゅん、と、エドゥアルドは肩を落とした。

「一生懸命やっているのに、お前はちっとも褒めてくれない」

「当たり前です! ダンスは力技じゃないんです。もっと優雅に上品に、パートナーに優しく踊って下さい」

「舞踏会の時はちゃんとやるよ。今日はお前が相手だから」

「練習でやっているように、本番でも踊ってしまうものなんです。だから、私をどこかの令嬢だと思って踊って下さい」

「無理だ。だって、お前はお前だもの」

「……」

「お前はクラウスだもん。他の人になんか見れないよ」

 クラウスが何か言おうとした時、高い声が響き渡った。

「あら、こんなところに!」

「メリッサ」

振り返って、エドゥアルドが名を呼んだ。

 美しい女性が近づいてきた。焦げ茶の髪を緩く巻いて結い上げている。豪奢なドレスを身にまとっていた。

 メリッサは、フランティクス皇帝の次男フラノ大公の妻だ。エドゥアルドには、叔父の妻に当たる。遠く、エルヌ王国から嫁いできた。年齢はエドゥアルドより6つ上。「エルヌの薔薇」とまで讃えられた、評判の美妃である。


 「探したわ、エドゥ。何をしているの?」

「ダンスの練習だよ。クラウスに相手をしてもらってるんだ」

「ふうん。この人が、あなたの練習相手なのね」

 大きなハシバミ色の目で、メリッサはクラウスを上から下まで眺め回し、それからすっと視線を外した。

「ダンスのお相手なら私が務めてあげてよ、エドゥ」

「ありがとう、メリッサ。でも、クラウスは凄く教え方がうまいんだ」

「だって、身長が、」

おかしそうにメリッサは笑った。

「それに彼は、手や足が長すぎるわ! 体もごつごつしているし。とてもじゃないけど、女扱いなんてできないでしょ」

「うん。それでいつも怒られてる」


「殿下」

遠慮がちに、クラウスは申し出た。

「メリッサ大公妃とお話しでしたら、私は退出させて頂きます」

「駄目だよ。お前はまだここにいるんだ、クラウス」


 「ねえ、エドゥ。あなたに見せたいものがあるの」

クラウスの存在を無視してメリッサが言った。

「オリハルンからね、素敵な陶器の壺が届いたの。青磁というそうよ。すごく大きいの。人が一人、中に入れるくらい」

「へえ、それは凄いね」

 明らかにうわの空で、エドゥアルドは答える。メリッサは気がつかないふりをした。

釉薬うわぐすりをかけて焼くの。青みを帯びた美しい色で、値がつけられないくらい高価なのよ! オリハルンのチャイ国の皇帝から贈られてきたの」

「また今度、ゆっくり見せてもらうよ。僕はクラウスともう少し練習を……」

「駄目よ。あなたに一番に見せるって、決めたの!」

「一番? そりゃ、叔父上じゃなくちゃ。君の御夫君であるフラノ大公より先に、僕が見るわけにはいかないよ」

「あなたじゃなくちゃ、ダメなの!」

メリッサはエドゥアルドの腕を掴んだ。

「行くわよ、エドゥアルド」

 プリンスは、クラウスに目をやった。

「すまない、メリッサ。でもどうしても、今日中にマスターしておきたいステップがあるから」

「いいじゃない、そんなの、いつでも」

「今日でなくちゃダメなんだ。だって予定より大幅に遅れてるからね。なかなかマスターできなくて」

 そっと、メリッサの手から腕を引き抜く。メリッサは口を尖らせた。

「相変わらず貴方は真面目ね。そんなに予定通りに進めなくてもいいのよ、物事は」

 ちらっとクラウスを見る。無言でクラウスは頭を下げた。傲然と、メリッサは顎を上げた。

「じゃ、今日のところは許してあげる。後で何か埋め合わせをするのよ、エドゥ」

長いドレスの裾を引きずるようにして、彼女は去っていった。


 「別に、今日でなくてもよかったのに」

彼女の姿が見えなくなるとクラウスは言った。

「今日はもう、練習を終わりにしてもよかったんですよ?」

「せっかくお前が来る日なのに?」

エドゥアルドは言って、拗ねたような目でクラウスを見た。

「毎回、僕がどんなに楽しみにしてるか、わかってる?」

「楽しみ? 怒られてばかりじゃないですか」

「そうだ。お前はひどいよ。前回お前が来た時より、うまくなってただろ? お前が来ない間に、一人で練習したんだもん。今日は一度もステップを踏み間違えてはいない。少しは褒めてくれたっていいじゃないか」

「……力技だなんて言って悪かったです。謝ります、プリンス」

 クラウスは言った。さっきは、ちょっと言い過ぎたと思った。だが、エドゥアルドはしつこかった。

「褒めて?」

「それは、また今度。ご婦人の誘いを断ると、後々大変です。今からでも遅くはありません、メリッサ大公妃のところへお行きなさい」

「いやだ」

「あなたの為です、プリンス」

「いいから」

 エドゥアルドは言った。

 クラウスに向き直る。右半身をしっかりと密着させた。だが、作法通りに目をそらさなかった。まっすぐにクラウスの瞳をのぞき込む。

「もう一度。ね。最初から」

 左手でクラウスの右手を捉え、長く伸ばす。右手を彼の背に回した。

 ため息をつき、クラウスは、左手をエドゥアルドの肩に乗せた。




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