第11話 喉に刺さった棘
「君が引き受けるとはね」
納得いかないという風に、体育科のロッシは唸った。
正確には、ロッシは教師ではない。卒業後も大学に残り、クラウスと同じく大学の助手として働いている。彼は体格に恵まれていた。まさに運動をする為に生まれてきたような体つきだ。立場が同じせいもあって、クラウスとは気が合っていた。
「まさか君が、公爵の講師を希望するなんて。……ギルベルトは賛成しているのか」
エドゥアルド・ロートリンゲン公爵にワルツを教える仕事は、このロッシから回ってきた。彼が足に怪我をしたからだ。
クラウスは友人の家を転々としていた。ギルベルトの家は飛び出したままだ。あれ以来、彼とは会っていない。学内でも会わないように注意している。
「ギルベルトは結婚する。俺がいたら、邪魔なんだ」
「その話は本当なのか? 本当に彼は、『踊る犬』亭のハンナと?」
「らしいね」
「らしい?」
「ともかくそれで、緊急に、俺は家を出る必要があったんだ」
ロッシの下宿にも転がり込みたいところだった。だが、足に怪我をしているというので遠慮したのだ。
ロッシが鼻を鳴らした。
「ははん。クラウス、とうとうお前、追い出されたのか」
「こっちから追い出たんだ」
「……相手が相手だからなあ。俺も、ハンナはどうかと思うよ。でも、こういうのは本人同士の問題だからね。周りがとやかく言っても、どうしようもない。前向きに考えろよ、クラウス。一人立ちするいい機会じゃないか」
ひょい、と立ち上がった。部屋の隅にある台に向かって歩いていく。
「ロッシ……」
思わずクラウスは声をかけた。
「なんだい?」
どぼどぼとお茶を器に注いでいたロッシが振り返った。
「君、足を怪我したって……」
「おっと、これはこれは」
ぐっと、カップのお茶を飲みほした。にわかに片足をひきずって、ロッシが戻ってくる。
「そういうわけだから、君のお茶は自分で持ってきてくれたまえ」
「……足の怪我は嘘だったのか?」
「まあ、ご覧の通りだ」
「なんでまた、そんな嘘を!」
「しっ、声が大きい!」
ロッシはクラウスを制した。小声でささやく。
「俺は、メトフェッセルの為に働くのなんざ、まっぴらごめんだからな」
「メトフェッセル? ウィスタリアの宰相のことか?」
なぜ宰相の名が出て来るのか、クラウスにはわけがわからない。
「だってこれは、エドゥアルド・ロートリンゲン公にダンスを教える仕事じゃなかったのか?」
「採用元は、メトフェッセルの執務室だ。つまりこの仕事は、メトフェッセルの息のかかった役職、ということになる」
「言ってることがよくわからない」
「いいか、クラウス」
ロッシはクラウスの前に腰を下ろした。
「オーディン・マークスは、確かにこの国を戦争に巻き込んだ。大勢の人が死に、あるいは没落した。その混乱を鎮めたのは、この国の宰相メトフェッセルだ。でも、彼のやり方は……」
クラウスの方に屈みこみ、よりいっそう声を潜める。
「やつのやり方は、古い政治の復活だ。貴族だけが潤う、王政への回帰に過ぎない。民衆は相変わらず貧困にあえいでいる。都市に出てきても、安い賃金で劣悪な環境でこき使われるだけだ。そして、一部の貴族だけが優雅に暮らしている」
「昔に戻っただけだろ?」
「昔に戻るなんて、できないよ。俺たちは教えられた。オーディン・マークスに。俺らにだって、豊かになる権利があるってね。もう、もとには戻れない」
「だが……」
「メトフェッセルのやり方に、昔に戻るという時代錯誤的な政策に、俺は賛成できない。ここの学生の大部分も同じ意見だ。ギルベルトだってそうじゃないのか?」
「彼のことはよくわからない」
「ふん。まあいい。この仕事は、とにかく誰かが引き受けなくちゃならないからな」
「ロートリンゲン公にダンスを教えるだけだろ? 何をそんなに構えている?」
クラウスは首を傾げた。重々しい声でロッシが答える。
「エドゥアルド・ロートリンゲン公爵は、メトフェッセルにとって、喉に刺さった棘だと言われている」
「16歳だろ? まだ子どもじゃないか」
「ただの子どもじゃない。オーディン・マークスの血を受け継いだ子だ。この仕事は、クラウス。もっともっと裏がある。気をつけてかかることだ」
「どうだっていい。メトフェッセルとかオーディン・マークスとか。旧体制とか民衆とか。オーディンの血筋って、何だ?」
クラウスは立ち上がった。
「何にしろ俺は、この大学を離れて、シェルブルン宮の近くに引っ越す。その、エドゥアルド公という子どもに何の思い入れもなければ、メトフェッセル宰相に素直に従うつもりもない。もし、そういうことが知りたかったのなら。ただ、ロッシ、あんたに礼が言いたかったんだ。仕事を譲ってもらったわけだから」
「義理堅いことだ」
ロッシが嘯く。
「もうひとつ、お前は俺に恩があるんだぜ。学長が、お前にとって不名誉な噂を丸呑みしてたから、否定しておいてやった」
「は?」
「礼はいらん。もしどうしてもというなら、時折、大学にも顔を出せ」
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