「マズ、僕の名前ネ、フェイっていうノ。ヨロシクね」


 青年が今更な自己紹介を口にしたのは、りん青燕せいえんで大皿を四、五枚空にした後だった。それでもなお留まることを知らない二人の食欲に若干表情を引きらせながらも、フェイは言葉を続ける。


「僕が探しテルのはネ、僕の『運命のつがい』じゃナクて、ソレを探シテる主の方ナノ」

「主?」

「ソウ。僕の主、番を探しに出てカラ、もうズット帰ってきてなくテ」


『音信不通の消息不明ッテやつヨォ』とフェイは重く溜め息をこぼす。常に笑みの気配が潜む表情がその瞬間だけ心底憂鬱そうに歪んだ辺りから察するに、フェイもこの一件にはかなり手を焼いているのだろう。


「責務ヲほっぽり出し続けるノモ、そろそろ限界ヨ。卓がいくつモ未決済書類で埋モレちゃった。主の御父君も怒っテル。このママじゃ僕の主の地位が危ないノヨ」

「龍族の時間感覚で言えば、百年、二百年ごときでそこまでガタガタ言わないでしょう? どれくらい消息不明なのですか?」

「ザッと八百年クライ?」

「はっ、八百年っ!?」


 予想以上に長かった年月に、凜華は思わず裏返った声を上げた。そのせいで口にしていた点心の欠片が変なところに入ったのか、次の瞬間には激しい咳が込み上げる。


「……なるほど?」


 八百年という数字は、龍の存在に詳しい青燕からしても長いと感じるものだったのだろう。神妙な口調で呟いた青燕は、箸を置くと咳き込む凜華の背中をさすってくれる。


「それで、配下であるあなたが探索に出されたと」

「マァ、そういう感ジ」


 ──できればもっと慌ててほしいんだけど?


 凜華は思わずキッと青燕を睨み付ける。


 青燕は凜華の従者という立場にあるはずなのに、主がここまでむせ込んでいても青燕は心配する言葉のひとつもかけてこない。話の片手間に凜華の背中をさすっているということが、青燕の話し口調と態度と手付きで嫌でも分かってしまう。これはいかがなものだろうか。


 だが眼差しで怒りを訴えたところで一切通じないからこその青燕であり、フェイはそれに輪をかけて空気を読まない。


 結果、フェイと青燕の間で話は勝手に進んでいく。


「デモ、『探して連れてこい』トカ言われてモ、手がかりナシでドウやって探せばいいのサァって感じでネ。途方二暮れてたノヨ」


 フェイいわく、すでにフェイが人界に派遣されて数年が経っているのだという。


 行商人に身をやつしたフェイは、自身の鱗という元手で資金を作り、薬材や珍しい素材を売り歩きながら龍の噂を求めて流離さすらっているという話だった。富帥ふすいを訪れたのも、ちまたに流布する龍の噂を聞きつけてのことであるらしい。


「そこに龍の話をシテル君達が通り掛かったカラさ、お話聞きたくテ」

「だっ、だからって、いきなり斬り掛かってくることはないじゃない!」


 青燕への怒りで無理やり喉を落ち着かせた凜華は、背中をさすり続ける青燕の手をはたき落とすのとフェイに向き直った。


「話しかけるにしても、もうちょっと穏便に話しかけなさいよ」

「ゴメンねぇ、ソコは龍族的な御挨拶ってコトデ!」

「龍族ってのは、随分野蛮なのね」


『そんな話があってたまるか』という思いを込めて凜華は冷たい視線をフェイに注ぐ。だが『テヘッ』とかわい子ぶるフェイには通じている気配がない。


「それで? 結局フェイが私達に絡んできたのは、主の情報を得るためだったの?」


 深く息をついた凜華は、頭を切り替えると話を本筋に戻した。


「だったら申し訳ないけれど、私達は何の情報も持ってないわよ。私達、龍の花嫁に関する調査を始めたばかりだから」

「龍の花嫁? モシかしテそれッテ、『龍の花嫁を探す』ッテいう名目で行われテル、娘さん狩りのコト?」


 市井しせいに溶け込んで主を探しているというフェイは、もちろんその噂も耳にしていたのだろう。糸目をわずかに開いたフェイが探るように凜華を観察しているのが気配で分かる。


 ──何か情報を得られるかしら?


 フェイが本当に主を探して彷徨さまよっている龍であるならば、龍の花嫁の話題に無関心ではいられないはずだ。主は運命の番を探しに出て行方不明だという話であったし、むしろ積極的に関わっていてもおかしくはない。


 ──どこまで話をしたものか、迷いどころね……


 凜華達がフェイの素性を知らないように、フェイも凜華達の素性を知らないはずだ。先程うっかり青燕が凜華の身分を『公主』と明かしてしまったし、青燕がわざを振るう瞬間をフェイは目撃しているからその辺りのことはバレているだろう。だがなぜ凜華達が事件を追っているのか、どの立場から関わっているのかはフェイが知るよしもない話だ。


「……知ってるの?」

「マァネ。主が関わってるカモしれない以上、無関心ではいられないヨ」


 凜華が慎重に口を開くと、フェイは心持ちヒンヤリとした口調で答えた。フェイ自身も龍族であるならば、この話題に嫌悪感や危機感を抱くのも当然のことだ。


「……ア、そうダ!」


 だというのに、次の瞬間、フェイは凜華に視線を据え直すとニパッと屈託なく笑った。


「ネェ、お嬢さん、僕を雇わナイ?」

「はぁ?」


 その表情の変化だけでも意図が読めなかった凜華は、さらに続けられた言葉にとんきょうな声を上げた。


「お嬢さん、アレだけ剣の腕がアルってことハ、ただの公主様じゃないデショ? さしずめ、術師と組んでコノ事件の調査をするように命じられたタ、密使みたいな存在なんじゃナイ?」


 フェイの言葉に、凜華はグッと言葉を詰まらせる。


『勘違いしてもらえるならば、その方が都合が良い』と思ったわけではない。『公主ですが貧乏なので、自宮の金子のやりくりのために自ら出稼ぎをしています』などと口にするのは、さすがにはばかられるだろうととっさに判断したからだ。


 ──ちょっと格好いい感じに勘違いしてくれたみたいだから、真相に気付かれるまでは勘違いしといてもらった方がいいかも……!


「僕、お役に立てると思うンダ。情報有。人脈有。龍だし、剣の腕も立つヨ!」

「見返りに、何を望むの?」


 己の打算を綺麗に腹の中にしまい込んだ凜華は、精一杯の見栄を張って問いを口にした。珍しく青燕も空気を読んだのか、余計な口出しをすることなくフェイに視線を注いでいる。


 そんな二人に相対したフェイは、ニッと口の端を吊り上げながら素直に凜華の問いに答えた。


「お嬢さん達と一緒に事件を追えバ、一人で事件を追うヨリも早く真相に辿り着けるデショウ?」


 ──ただ単に私達の調査に同行したいってこと? 確かに話の筋は通ってる気はするけど……


 見返りなど特に要求しなくても、フェイとしては凜華達に同行できるだけで一定の成果があるということだ。凜華達にしてみても、市井での伝手つてはあるに越したことはない。互いに利を出すことができる取引であるとは言える。


 ただ。


 ──それが分かっていても頭の中で警鐘が鳴り響くくらい胡散うさんくさいけども!


「どう思う? 青燕」


 凜華は思わずスススッと青燕に身を寄せると、口元を手で覆い隠しながら青燕に耳打ちした。


「この話、乗ってもいいと思う? 何だか胡散臭さがプンプンするんだけど……」

「私も同感です。ただ」


 凜華と同じように口元に手を添えて青燕はささやき返してきた。本気で耳をそばだてていれば凜華達の会話など筒抜けだろうに、フェイは呑気な顔で首を傾げている。


 そんなフェイを見据える青燕の瞳が、スッと鋭さを増した。


「話を蹴って、コイツを野放しにしておくのも危険かと」


 ──それもそうなのよね。


 真偽不明な龍の目撃情報が流布し、龍の花嫁を良からぬ者達が探し回っている状況の中で現れた、『自称』龍族。伝説の存在と言われている龍にまつわる事柄がここまで密集していて、フェイだけが無関係であるとは思えない。フェイが語った素性が真実であれ虚偽であれ、だ。


『行動をともにする』ということは、裏を返せば凜華達でフェイの行動を監視できるということでもある。小悪党を地道に潰し、事件の真相に迫ることは他の警邏達でもできるが、人外の相手は神祇官の青燕を相方にしている凜華にしか受け持てない仕事と言えるだろう。


 ──私達が発言と行動に気を付けていれば、現状差し迫った問題は起きないわよね?


「……本当に、報奨のたぐいを要求する気はないのね?」


 心が決まった凜華は、フェイに向き直ると念を押した。『後から請求されても困る』と強く力を込めてフェイを見据えるが、フェイは変わらず薄く笑みを広げたままヒラヒラとお気楽に片手を振る。


「ナイナイ。人界のモノに大して価値なんてないしネ」

「分かった」


 フェイの物言いに引っかかる部分はあったが、フェイが本気で報奨を強請ゆする気がないのだということは凜華も分かった。横目で青燕を確認すれば、凜華に視線を合わせた青燕も小さく顎を引く。


「私は凜華。こっちは青燕」


 凜華は簡単に名前だけを名乗ると、凜とフェイの申し出に答えた。


「フェイ、あなたは今から私達の協力者よ」

「契約成立、ダネ」


 そんな凜華の言葉に、フェイはニッと嬉しそうに笑みを浮かべた。


 それからユルリと伸ばした指で、確かめるように凜華を指差す。


「凜華ちゃんと」


 さらにその指先は、スルリと宙を滑ると青燕にも向けられた。


「青燕様」


 ──青燕


 自分の名前の後ろに続いたのは『ちゃん』という気軽なものだったというのに、青燕には妙に畏まった敬称がついたものだ。


 そのことに凜華は思わず眉を跳ね上げる。


 ──そういえば、青燕にちょっと脅えてた場面もあったような?


 神祇官として己を制することができる青燕には畏敬の念を抱いているのか、と凜華はいぶかしみながらも何となく納得できる理由を見つけ出す。


 対する青燕はピクリと眉尻を跳ね上げたようだった。わずかに温度を下げた瞳には、不快感や鬱陶しさに分類される類の感情がにじんでいるようにも見える。


 ──青燕?


「ソレじゃあシバラク、仲良くしてネ、お二人サン?」


 そんな凜華達に構うことなく、フェイは胡散臭い笑みを深めるように笑っていた。

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