見栄や虚勢というものは、大概長くは続かないものだ。


「エ? 公主様なの二自分で稼いでル? 報奨金目当てで捕物してル?」


 公主としての体面を保つためにあえて訂正しなかったささやかな勘違いにフェイが気付いてしまったのは、行動をともにするようになって五日目のことだった。


 例によって青燕せいえんがうっかりこぼした『これだけ案件を捌いていたら、来月のやり繰りはだいぶ楽になるんじゃないですか?』という言葉にフェイが『ン? ドユコト?』と首を傾げ、その後上手く誤魔化すこともできず、今に至る。


「エ? チョット龍族でも意味分からナイ。公主様って、贅沢三昧して暮らしてるんじゃないノ?」

「それは御母様の実家が裕福で、きちんと権力争いに食い込めてる公主様に限られる、かな……?」


 気絶させた小悪党どもに片足を置き、荷物よろしくギュッギュッと縄をかけていた凜華りんかは、作業の手を止めることなく視線を泳がせた。語尾が曖昧になってしまうのは、凜華が実際にそういった『公主らしい公主』を見たことがないからである。


 ──いや、私、他の公主様や皇子様方との交流もないから、さ……


 風の噂でそういったきらびやかな世界の話は知っていても、凜華自身がそういった煌びやかな世界に足を踏み入れたことは一度もない。煌びやかな世界に生きる尊い方々と顔を合わせたこともない。


 ──あれ? 私、本当に公主を名乗っていてもいいのかしら?


「エエエ……? じゃあむしろ何で今でも後宮で暮らしテルのヨ? 市井に降りた方がまだ穏やかに暮らせるんじゃナイ?」


 思わず凜華は己の身分に疑問を抱く。そんな凜華に追い打ちをかけるかのようにフェイはコテリと首を傾げた。ちなみにそんなフェイの足元にも、凜華と同じく縄を打たれた小悪党が転がされている。


 この五日間、凜華と青燕は……より正確に言うならば『青燕を引き連れた凜華』は、フェイからもたらされる情報を元に『龍の花嫁』を探し回っている小悪党どもの根城を片っ端から潰して回っていた。


 今のところ、どいつもこいつも『金になるって話を聞いたから』と言うばかりで親玉に繋がるような情報は一切得られていない。もっとも、『犯罪撲滅、治安改善、ついでに生活費入手』という目的を持つ凜華としては、この地道な作業も苦ではないのだが。


 ──主にたどり着くことを目的にしているフェイにとっては、不服な状況かもしれないけども。


 とはいえ青燕に『百年や二百年ごときでそこまでガタガタ言われない』と言い表された龍族は、その言葉通りに人間とは違う時間感覚を持っているようだった。今のところフェイは空振り続けている状況に特に不満を見せることもなく、凜華に協力してくれている。


 そんなことを頭の片隅で考えながら、凜華はフェイの言葉に答えた。


「そう簡単な話じゃないわよ。私、腐っても先帝の血を引いているわけだし」


 先帝の御子が多かろうとも、凜華の存在が宮廷から忘れ去られていようとも、凜華が先帝の遺児である以上、帝位継承権は凜華にも発生している。


 凜華が玉座に就くことはほぼないと断言したいところだが、何が起きるか分からないのが世の常だ。凜華よりも帝位継承権が高い御子達が仮に全滅したとなれば話は別だし、当代でそんなことが起きなくても子孫の代では分からない。


 凜華の軽はずみな行動で子孫に災禍を残すことがあってはならない。そう凜華を教育してくれたのは香月こうげつだ。身を守るためのすべを叩き込まれたのも、もとを正せば『満足に護衛を雇える状況でないならば、己の身は己で守れるようになっていただかなくては』という考えに由来している。


「デモ、凜華ちゃんのコト、誰も気にしてナイんデショ? 出奔しちゃっテモ誰も気付かないんじゃナイ?」


 とはいえ、フェイの言葉にも一理ある。


 ──青燕がこの場にいたら、ここまでのことは言わせなかっただろうな。


 ズバズバと遠慮なく斬り込んでくるフェイに、凜華は思わず苦笑を浮かべた。


 荒事の役に立たないどころか、失言から凜華の見栄を見事にボロボロにしてしまった青燕は、凜華に蹴り出される形でこの場から追い出されている。今は別室に捕らえられていた娘達を解放し、事情をいて回っているはずだ。青燕がこの場にいたらかなり早い段階でフェイに無言の圧がかけられていただろうし、それに震え上がったフェイはここまで無遠慮なことは言えなかっただろう。


 ──空気は読まないし、特別私を敬うこともないけれども。


 それでも青燕は、凜華が本当に困っていれば見過ごしはしない。こんな状況に置かれて、凜華は改めてそのことを実感する。


「今の状況なら、そうかもしれないわ。でもそんな状態が未来永劫続く保証はどこにもないの。本気で出奔したいなら、きちんとそれなりの手続きを踏まないと」


 その事実を噛み締めながら、凜華は苦笑とは異なる笑みを口元に浮かべた。


「市井に降りても、自力で稼がなきゃ生きていけないのは同じでしょう? 私にとっては、後宮が『家』なのよ。私が帰るのを待っていてくれる人が、そこにいるの」

「ソノ人達も連れて行けばイイじゃナイ」

「連れていけない人がいるの」


 凜華はキッパリと答えると、視線の先を足蹴にした小悪党に戻した。ギリギリと縄を引き結び、絶対に抜けられないように力を込めて小悪党の体をふん縛る。


「あの場にいなきゃ、逢えない人がいるの」


 正直、後宮の外に出ることを考えたことがないわけではない。公主という身分を捨て、本格的に警邏隊に籍を置き、一兵卒として生きることはできないかと何度か考えたこともある。


 だがそのことを考えるたびに、脳裏をぎるのは一度も姿を見たことがない、凜華の宮の後見人のことだった。


 ──私が後宮を出てしまったら、白銀の君との繋がりはなくなってしまう。


 凜華から白銀の君に繋ぎを取るすべはない。仮に凜華が後宮を出ることを決めても、それを伝える手段が凜華にはないのだ。


 そもそも白銀の君が凜華を支援してくれているのは、凜華が『後宮に暮らす公主』であるからだ。凜華が後宮から出奔して公主という身分を捨てれば、白銀の君との繋がりはどのみち絶たれてしまう。


 ──それは、嫌だ。


 白銀の君に頼り切りにはなりたくない。自力で生きていける力がほしい。そう思っていながらも、繋がり続けるためには支援を受け続ける他に手段がない。


 そんな矛盾に、凜華はキュッと唇を噛み締める。


 だが凜華はすぐに己の意志で口元に笑みを浮かべてみせた。


「だから私は、あそこに帰る。いずれは出て行かなきゃいけないだろうけども、今じゃないわ」

「ふーん?」


 そんな凜華の内心が理解できているのかいないのか、フェイは気のない声を上げる。


 その声に、ハッと凜華は我に返った。


 ──私、話す必要のないことまでペラペラ喋っちゃってない?


『こんな口の軽さじゃ青燕を叱れないわ』と気付いてしまった凜華は、一度唇を引き締めてからフェイへ顔を向ける。


「私の事情はいいのよ。それよりもこいつらを……」

「何ダカ、窮屈そうダネ」


 その瞬間、フェイは気のない口調のまま、不意に凜華に言葉を投げて寄越した。


「凜華チャンも、凜華チャンの周囲の人モ」


 凜華が顔を向けても、フェイの視線は足蹴にした悪党達に据えられたままだった。縄を打つ手に淀みはなく、本当にただの雑談として言葉を口にしているのがその態度から分かる。


「ミンナ『後宮』って檻ニ、閉じ込められてるミタイ。ン? 『後宮』っていうよりモ、その『連れていけない人』ニ縛られテルのカナ?」

「どういう意味?」

「ダッテ、そうデショ?」


 問うた声は、意図せず険を帯びていた。それが分かったのか、フェイはようやく顔を上げると凜華へ視線を向ける。


 その顔には薄っすらと笑みが浮いていた。初見で凜華に斬り掛かってきた時にフェイの顔に浮いていた笑みと今の笑みは、どこか雰囲気が似ている。


 そのことに、ゾクリと背筋に寒気が走ったような気がした。


「凜華チャンはいつだって後宮カラ出て行けるノニ、ソノ人がいるカラ出ていかナイ。凜華チャンがソウ判断しているカラ、青燕様も後宮カラ出ていけナイ」


 まるで呪いのようだと思った。


 そんな意図などフェイにはないはずだ。それでもそんな風に凜華が感じてしまったのは、凜華の無意識の中にもフェイが指摘したような考えがすでにあったからなのかもしれない。


「ソレって、ドコか、龍と一緒だネ。縛ッテ、縛らレテ、ミーンナ雁字搦め」


 ──縛られている?


 自分が、白銀の君に。自分の巻き添えになっている、青燕や、香月も。


 たが一瞬そんなことを考えた凜華は、激しく首を横へ振った。


 ──違う! 白銀の君にそんな考えはないっ!!


 凜華が後宮を出奔しないのは、凜華の意思だ。凜華の意思で白銀の君と繋がり続けることを望んでいる。凜華の自由を縛るような言動を白銀の君がしたことなど一度もない。


 ──確かに、私が白銀の君への思いを断ち切って、後宮から出奔することを決めれば、みんな自由になれるのかもしれないけど。でも……


 そこまで考えてから、ふと凜華はとある疑問にぶつかった。


 ──私が後宮から出ることになったら。……青燕は、どうするのかしら?


 香月は、凜華についてきてくれるだろう。香月は『凜華の宮』に仕えているのではなく、『凜華』に仕えてくれている。そう確信できるだけの思いを、香月は日々凜華に注いでくれている。


 だが、青燕は。


 ──青燕は、どうして、私の傍にいてくれるの?


 王宮でも絶対的に頭数が足りないと言われている神祇官。出るところに出れば、皇帝さえもが伏し拝むというのが、その本来の立場であるという。神祇官の本分は、じゃじゃ馬姫のお供でもなければ、貧乏宮の雑用でもない。


 思えば凜華は、青燕が凜華の宮にやってきた理由を、青燕の口から聞いたことがなかった。いつの間にか青燕は凜華の宮にいて、凜華もいつの間にか青燕が神祇官であることを知っていた。全てが曖昧なまま、今まで時間が過ぎてしまっている。


 その違和感に、凜華の背に再びゾクリと寒気が走ったような気がした。


 ──え? あれ? 何、この気持ち悪い感覚……


『自分が後宮を出奔した場合、青燕はどう行動するのか』『自分の宮に縛られていない方が、青燕は幸せなのではないか』という部分を考えていたはずなのに、思考はいつの間にか『そもそも青燕はいつから、どんな経緯で自身に仕えるようになったのか』という部分に囚われている。


 さらにその部分に関する記憶は、凜華の中で酷く曖昧だった。陽炎かげろうのように揺らいでいて、手を伸ばしてみても捕まらない。


 ──青燕は、


「ネェ、凜華チャン」


 凜華が混乱していると、フェイには手に取るように分かるのだろう。凜華の方へ身を乗り出すフェイは、顔に浮かべていた笑みを深くする。


「君が青燕様を……」


 だがフェイの言葉は完結しなかった。


 パンッ、という鋭い音が、まるでその場の空気を切り裂くかのように響き渡る。その音に凜華は無意識に肩を跳ね上げてからハッと我に返った。それはフェイも同じだったのか、ビクリと震えたフェイが音の出どころを振り返る。


「何を姫様に不必要な考えを吹き込んでいるのです?」


 そこに立っていたのは青燕だった。打ち鳴らした手もそのままに、青燕は冷たい視線をフェイに注いでいる。


 そんな青燕が醸す圧に、凜華は思わずコクリと空唾を飲み込んだ。


 ──青燕?


 まるで青燕を中心に空気が重さを変えたかのような。ただ視線を注がれているだけでジワリと喉を締め上げられるような圧が、今の青燕からは容赦なく放出されている。こんな青燕は凜華も見たことがない。


 恐らく無意識なのだろう。フェイの手が醸される圧におびえるかのようにソロリと腰の柳葉刀に伸ばされる。


 その手に気付いているのか、青燕は眼鏡の下に押し込められた目をスッとすがめると、ボソリと一言付け足した。


「……っ!」


 声は小さくとも、静まり返った空間に青燕の言葉はジワリと染み入るように広がった。


 その声に物理的に打たれたかのように、フェイはビクリと手の動きを止める。


「憶測で余計な発言をするな」


 その反応だけで、フェイの反撃は封じられたと判断したのだろう。青燕は両手を離すと、凜華達の方へ歩を進め始める。同時に放たれた不機嫌な声に、フェイは喉を締め上げられたかのような短いうめき声をこぼした。


「悪い癖だと、お前の主は叱責してくれなかったのか?」


 まるで青燕の方がはるかに格上であるかのような。


 そんな物言いをされても、フェイは小さく震えているだけで反論を口にしない。いや、できないのだということは、サッと青くなったフェイの顔色を見ていれば察することができた。


 ──この怯え方は何?


 こんな見た目と性格だが、フェイは龍であるという話だ。機嫌を損ねれば国のひとつやふたつ、気まぐれに消し飛ばせるような存在を相手に『消されたいか』やら『お前』やらと発言するのは、いくら神祇官であってもマズいのではないかと凜華は思う。


 だが実際のところ、力関係は明らかに青燕の方が上だ。このフェイの怯え方は演技などではないと、日々小悪党達を相手に立ち回っている凜華には分かる。


 ──青燕って、一体……


 ただの窓際族の神祇官。


 龍族をひと睨みで震え上がらせる人間が、本当にそれだけの存在であるのだろうか。


 ──私には、そう言っているだけで。本当は、青燕は……


 もしかしら、もっとすごい人なのかもしれない。


『凜華』という存在は、そんな青燕を今の立場に括り付ける枷になっているのかもしれない。


 ふと、フェイによって落とされたもやが、そんな言葉となって凜華の心に絡みつく。


「お前は己の役割を全うしろ。それ以外に首を突っ込むな」


 怒りとともにフェイに言い放つ青燕を前に、凜華の心には冥色を帯びた靄が広がっていた。

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