目の前には、大皿に盛られた料理の数々。広い卓の上には、そんな大皿が所狭しと並べられている。


「はむ! モキュゴキュ…ング、っハグッ!! モキュゴキュ……ッ!!」


 そんな大皿が片っ端から綺麗にさらえらえていく様は、見ていてある意味爽快でもあった。


「……」


 その様子を卓の対面から見ていた凜華りんかは、己の目つきが死んだ魚のような有り様になっていることを先程から自覚していた。隣に並んで座った青燕せいえんも、似たような目になっているから分かる。


 ──ここまで食べるなんて、聞いてない……


 一行がいるのは、馴染みの飯店だった。警邏詰所勤務の父を持つ娘が奉公している店で、店一同凜華の事情を知った上で凜華に協力してくれている。凜華達が街に出て行動する際の活動拠点になっている店のひとつだ。


 だから多少変わった客を連れ込んでも、問題にはならないだろうと思っていたのだが。


「凜華ちゃん」

「ピャッ!? はいっ!!」


 踊るように近付いてきた馴染みの給女、めいぎょくがやけにホクホクした顔で凜華へ木簡を差し出す。受け取らなくてもそこに何が書かれているか分かっている凜華は思わず明玉から視線をらすが、看板娘として幾多の修羅場を潜り抜けてきた明玉がその程度で引いてくれるはずもない。


「すぐに払えなんて言わないわぁ。凜華ちゃんはうちのお得意様だものぉ。今月中……いえ、来月末までのお支払いでいいわよぉ」


 ウフフフフ、とおっとり笑いながらも、凜華の手に代金が列挙された木簡を捻じ込む手の強さは、警邏兵としてでもやっていけるのではないかと思えるほど強かった。


 受取拒否をさらに拒否された凜華は、手に捩じ込まれた木簡へ恐る恐る視線を落とす。


「っっっっっ!?」


 そしてその瞬間目に飛び込んできた数字に、凜華の意識がクラリと揺れた。


「お気を確かに、姫様」


 そのまま背後に倒れそうになる凜華を青燕の腕が支える。だが腕の主である青燕はかたくなに凜華の手元にある木簡を見ようとはしないし、何なら凜華と一緒に倒れていきそうなくらいヘロヘロしている。


「姫様、我々、来月食べていけそうですか?」

「そんなこと訊いてくるくらいなら、青燕もこれ見てよ……。一緒に現実を見ましょ?」

「見た後、気を失わない自信がありません」


 情けないことを無駄にキリッとした顔でのたまう青燕に、凜華は思わず頭を抱えた。めまいを通り越して頭痛がしてきたような気がする。


「青燕、神祇官って稼げる仕事じゃないの?」

「私は窓際族なので……と、言っていられる状況ではなさそうですね。何か稼げそうなアテを探してみます」

「私も、義了ぎりょうにお願いして、もうちょっと仕事もらってくるわ」


 極貧宮の二人がゲンナリした顔でヒソヒソとささやき合うのも気にせず、さらにガツガツと目の前の料理を食べ漁った青年は、凜華の手の中にさらに二枚の木簡を追加したところでようやく箸を止めた。


 その頃には凜華の拳が怒りに震え、青燕の瞳はいつになく乾いていたのだが、丸くなった腹を満足そうに撫でる青年はそのことに全く気付いていない。


「イヤァ、ご馳走様! 久しぶりに美味しいご飯をお腹イッパイ食べさせてもらったヨ!」

「あんったねぇ……っ!!」


 さらに呑気のんきに追加された言葉に、ついに凜華の堪忍袋の緒が切れる。


「話を聞かせる前の腹ごしらえでこんな馬鹿みたいに食べる人間がどこにいるのよっ!! これ、全部私のところに請求が来るのよっ!? 私の宮は今月の米代が足りるかどうかを心配しなきゃいけないような極貧所帯なのよっ!? こんな料理代とてもじゃないけど払えないわよっ!!」


 椅子を蹴って立ち上がり腹の底から叫ぶと、凜華の腹から『くぅ』と情けない音が上がった。


 そう、目の前の正体不明な青年は思いっきりお腹一杯食べたくせに、凜華達はこの席に着いてから水しか飲んでいない。並べられたご馳走は一口も凜華達の口には入らずに消えた。その事実が凜華の怒りにさらに拍車をかける。


「どうしてくれんのよっ!! この料理代っ!!」


 馬鹿みたいな料理代とひもじさとわけが分からないまま巻き込まれた現状と、その全てをひっくるめて八つ当たりも加算した怒りを込めて木簡を青年の前に叩き付ける。


 一方青年はそこまでされてようやく凜華達の怒りに気付いたのか、キョトンと凜華を見上げると口を開いた。


「何言ってるノ? 料理代くらい、自分で出すヨ?」

「そうよ! 料理代は自分で……って、へ?」

「払わせるなんて、一言も言ってナイじゃナイ」

「え? でも、行き倒れてた……」

「探しビトに夢中になってたのト、イイ店を知らなかったからダヨ。元手がナイわけじゃないカラ」


 不服そうに頬を膨らませた青年は、ふところを漁ると何やら小さな粒を取り出した。


 凜華にはそれが何か分からなかったのだが、青燕はそれを見た瞬間に息をむ。


「そんな大粒の砂金、一体どこで……」

「砂金?」

「純金の粒です。南のある地方では、川底の砂をさらうと見つかるとか」

「金の粒が川で見つかるのっ!?」


 聞いたこともない話に凜華は目を丸くした。そんな凜華に頷いた青燕は、信じられない物を見るような目で青年の手の中にある砂金を見つめる。


「都の周辺では、どれだけさらっても見つかりません。ずっと南の、ある一定の範囲でしか見つからないとか」


 砂金採掘が盛んな南方では、貨幣ではなくこの砂金で物の売買が行われているという。つまりこの小さな粒が、貨幣と同等の価値を持っているということだ。


「しかし、こんな大きさの砂金は滅多に見つからないはず……」


 どうやってこれを、と青燕は青年に鋭い視線を据え直す。そんな青燕を見て、ようやく凜華もきな臭い空気をかぎ取った。


 青燕は恐らく、青年が何か後ろめたいことをしてこの砂金を手に入れたと考えているのだろう。


 青燕の説明通りなら、この砂金とやらは金の粒だ。金が具体的にどれくらいの相場でやり取りされているのかは分からない凜華だが、青年が差し出した粒は凜華の小指の先よりも大きい。換金すればかなり纏まった額になるだろう。


 そんな大金の元など、庶民が手に入れられるようなものではない。余程のもうけを上げたと考えるにしても、何を元手にそんな儲けを上げたのか、という話だ。


 ──それこそ、闇商売に手を染めて、お大臣相手に一発、とかやらないと。


 貨幣ならばまだ小金をコツコツ集めたと考えることもできるが、砂金は貨幣のように分割できる物ではない。儲けた証と考えるにしても、これを一括で渡すことができるような富豪が商売相手としていなければ話は始まらないはずだ。そしてこの青年の風体は、どう好意的に見積もってもそんな高額な商売ができるようには見えない。


 ──でも、こいつがもしも、武力を売る商売や、胡散臭いことを稼ぎにしているならば。


 青年の剣技が抜きんでていることは、さっき身をもって知った。あの腕前なら、世間様に言えないような方法でこの砂金を手に入れていてもおかしくはない。


 それこそ、人攫いやら、傭兵業、暗殺業といった業種ならば、あるいは……


「チョットチョット、何疑ってるノ?」


 後ろ暗いことと繋がりがあるならば、締め上げれば何か追っている事件に繋がる情報が出るかもしれない。たとえ繋がらなくても、小悪党を日々地道に潰していくのも警邏兵の務め……引いては警邏詰所の協力者である凜華の務めだ。


「僕はコレを、真っ当なあきないで手に入れたんダヨ?」


 そんな凜華の考えが、表情なり視線なりで分かったのだろう。


 青年は膨れっ面をさらに膨れさせると、もう一度懐を漁った。


「ホラ、コレ」


 大人しくその手の動きを見守っていると、何かを掴み出したらしい青年が凜華の眼前へ指を差し出す。


 そこに何やらキラキラと光る物があることに気付いた凜華は、状況を忘れて身を乗り出すと感嘆の声を上げた。


「わぁ、綺麗……!」


 青年が親指と人差し指の先でつまんでいたのは、魚のうろこを大きくしたような物だった。


 深い赤色の鱗はっすらと透き通っていて、わずかに反対側の景色が透けている。表面は七色の艶を帯びていて、まるで夕焼けの空の中に虹の欠片が躍っているかのようだった。


「これは何?」

「龍の鱗ダヨ」

「……へ?」


 だが凜華が上げた感嘆の声は、すぐに不審を表すものに変わった。


「ちなみに僕の体から落ちた鱗ダカラ、正真正銘、十割十分、本物の龍の鱗ダヨ」


 フンスッ、と、青年は自慢げに鼻を鳴らすが、言葉を受けた凜華はそれどころではない。


 ──何だか今、サラリと物凄いことを言わなかった?


 青年の言葉に理解が追いつかなかった凜華は、思わずそのままの体勢で青燕に視線を投げる。青燕も青燕で驚いているのか、目を丸く見開いたまま固まった青燕の顔からズルリと眼鏡がずれ落ちていた。


 ──あ、青燕もそこまでは見抜けてなかったのね?


 青年の正体がヒトではないと見抜いた青燕も、まさかその正体が龍であるとは思ってもいなかったのだろう。常にどこか抜けている青燕だが、こんな風に驚きを露わにした青燕は凜華も初めて見る。


 ──え? 龍って、伝説の存在じゃなかったの?


 青燕は富帥ふすいに龍がいるという噂は十中八九ガセだと言っていなかっただろうか。伝説上の存在がこんなに神々しさの欠片もない体たらくで許されるのだろうか。行き倒れ寸前だったわけなのだが。威厳とかはどこへ行ってしまったのか。


 ──というか、人相やら状況やらを踏まえて言わせてもらうなら、人外は人外でも狐か狸ってとこじゃない、この人っ!?


「本物の龍の鱗ならば、確かにひと欠片でそれくらいの値打ちは出ますが……」


『まさに今化かされてるっていうかっ!』と凜華が内心で叫んでいる間に、隣にいる青燕が復活していた。


 まだ衝撃が抜けきらない口調ながらも口を開いた青燕は、眼鏡を押し上げて腕を組みながら疑惑の視線を青年に投げる。


「あなたが本物の龍だという証拠は? それっぽい物を龍の鱗と偽って売りつけることなら誰にでもできるでしょう。あなたが詐欺師ではないという証拠の提示を求めます」

「エエェ、それは無理ダヨ。こんなトコで本性さらしたら大騒ぎになるじゃナイ」


 青年は糸目の目尻を下げて困り顔を見せながら、手ぶりで明玉を呼び寄せた。


 凜華が卓に叩き付けた木簡とともに砂金の粒を受け取った明玉は、首を傾げながら青燕に視線を向ける。


「青燕君、この砂金、換金するとどれくらいのになるのかしらぁ?」

「今の相場は砂金小粒みっつで米一斗といったところでしょうか。それくらい大粒の物になると、向こう一年、米代には困らない金額にはなるはずです」


 明玉からの問いに、青燕は困惑を顔に広げながらもはっきりと答えた。


 その言葉に、明玉とともに凜華も驚きの声を上げる。


「こ、米代一年分!?」

「我々の生活費に換算するなら、一年と半分……いえ、二年にギリギリ足りないくらいにはなるでしょうか」

「二年分の生活費っ!?」


 思わず凜華はグリンッと明玉の手元に首を向けた。その動きが不気味すぎたのか、明玉は受け取った砂金を隠すようにサッと手を体の影に隠す。


「信じられないならば、こいつが逃げ出さないようにここで見張っておきますから、今から換金に行ってきてはどうですか?」


 凜華が今にも明玉に飛びかかりそうだとでも思っているのか、青燕はそっと凜華の袖を引き留めるように掴みながら信頼できる両替商の名前を明玉に伝える。本心では『うちの姫様が襲いかかる前に早く離れて』とでも言いたいのかもしれない。


 ──そんなことしないわよ、失礼な。


 内心で文句を呟きながらも『にねんぶんの、せいかつひ……』という単語はいまだにグルグルと脳内を回っている。


 凜華がその単語を必死に頭から追い払っている間に、明玉はいそいそと支度をするとお店を出ていった。厨房で働くいかつい見習いをともなって出ていったから、青燕の勧めに従って両替商の元に向かったのだろう。


「ネェ、イイ加減、僕の話を聴いてくれナイ?」


『道中、危ない目に遭わないといいけど』と明玉を心配していると、正面から不貞腐れた声が飛んでくる。


 凜華がその声で我に返ると、青年は相変わらず頬を膨らませたまま凜華を見ていた。支払額よりもはるかに価値が高い代物をポンッと渡してしまったというのに、青年がそこを気にしている様子は一切ない。釣銭が返ってくるということさえ忘れているかのような……というよりも、目の前の青年に限って言えば、『多額の釣銭が返ってくる』ということをそもそも分かっていない可能性までありそうな気がしてきた。


 ──騒ぎの元になってるのは、全部あんたでしょうが……!


 そんなあくまで呑気な青年にまた怒りが込み上がってきたが、もう何を言っても意味がないのではないかということも薄々分かってしまうから始末が悪い。


 結果、凜華は深呼吸ひとつで胸の内に吹き荒れる感情を鎮め、大人しく青年と向き直る道を選んだ。


「じゃあ、聞かせてちょうだい。あなたが何者で、何のためにここにいて、どうして私に斬りかかってきたのか、その辺りのこともきっちりね」

「あ。姫様、その前に」


 だというのに、なぜか凜華に対してだけ空気を読んでくれない青燕は、話の腰をボッキリとへし折りながら片手を上げた。


 思わず卓に崩れ落ちた凜華は青燕を睨みつける。だがそんな凜華に構わず、青燕は上げた片手を大きく振りながら厨房に立つ店主に向かって声を張った。


「親父さぁ~ん! 点心と餃子、飯物と、あと適当にお願いしま~す!」

「ちょっ、ちょっと青燕っ!?」


『せっかく仕切り直したのに』とか『お腹は空いてるけどそんな豪勢に食べられるほどの経済的余裕は私達には』とか、総じて『空気読めっ!!』という感情が凜華の胸を占拠する。


 そんな凜華へ顔を向けた青燕は、相変わらず乾いた笑みを浮かべたままサラリと腹黒なことをのたまった。


「大丈夫ですよ、姫様。こいつの支払いと一緒に、まとめて払ってもらいますから」


『こいつ』という言葉で目の前の青年に指先を向けた青燕は、言葉だけではなく浮かべた笑みにまで黒い何かをにじませる。


「先程の砂金、こいつの支払いだけではお釣りの方が多くつきます。明玉さん達もお釣りの準備が大変でしょうから、私達の分の支払いも乗せることで、明玉さん達を助けてあげるべきかと。彼も重たい貨幣をたくさん持つのは重くて大変でしょうから、彼の助けにもなりますしね。あぁ、何なら今までの私達のツケも一緒に清算してもらうと良いですね。それでもお釣りの方が重いはずですから、お店で預かってもらって先々のツケの支払いにててもらうと良いかもしれません。そうすれば重い荷物を彼に持たせることもない。ええ、それが良いでしょう」

「ちょっと青燕!?」


 いつになく饒舌に、それこそ『立て板に水』とはこのこととばかりにまくし立てる青燕に、凜華は思わず目を白黒させた。


 言いたいことは色々あるが、ひとまずは。


「全額ぶん捕るなんて、さすがにそんなこと……!」

「ぶん捕る?」


『生活費二年分の大金なのよ!?』凜華は青ざめる。


 そんな凜華に対し、青燕はかつてないほど爽やかに笑ってみせた。


「相談料と、迷惑料ですよ」

「え、いくら何でもぼったくり……」

「姫様は腐っても公主。そんなお方に無理やり話を聞かせて面倒事に巻き込んで、あまつさえこいつは姫様に刃を向けたのですよ? これくらい、正当報酬のうちです」


 いつになく辛辣な青燕は爽やかな笑みを浮かべたまま青年へ視線を向けた。心なしか青ざめた青年は、青燕の視線を受けるとビクリと体を震わせる。


 そんな青年に向かって、青燕はあくまで穏やかに言葉を続けた。


「それに、こいつが本物の龍だというならば、龍の鱗くらい、またいつでもむしり取れます。資源が枯渇しないのだから、いつでも、いくらでも、あれくらいの端金はしたがね、作れますよね?」


 青燕の言葉に青年はガクガクと必死に首を縦に振る。そんな青年に青燕はニコリと笑みを深めた。


「と、いうわけで姫様。腹ごしらえをしながら、こいつの話を聞くことにいたしましょう。先程適当に注文させていただいたので、何か他に食べたい物があったら、遠慮なく追加してくださいね」

「私が公主であることを、この人は知らなかったはずなんだけども……」


 かろうじてそこだけツッコミを入れたのだが、青燕は凜華の声に答えない。普段ぽややんとしているくせに、腹黒さをにじませながら美しく笑う青燕はいつになく凄みがあって、『こうやってしてるとすごく神祇官っぽいのになぁ』と凜華は少しだけどうでもいいことを思う。


 そして胸の内だけで、凜華は小さく呟いた。


 ──青燕、あんた、どこにだかは分からないけど、ものすっごく怒ってたのね……


 こうなった青燕を御すすべを、凜華は知らない。


 久しぶりに見た怒れる青燕に『一体どこにそんなに怒る点があったのだろうか』と首を傾げながらも、凜華はさっそく運ばれてきた炒飯チャーハンさじを入れたのだった。

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