義了ぎりょう殿は『噂の真偽は分からない』とおっしゃっておられましたが、『龍が目撃されている』という話そのものは十中八九ガセでしょうね」


 己の所感を語り始めた青燕せいえんは、まずバッサリと噂を否定した。


「実際に龍がいたとしても、人界での龍は人間に擬態していて龍体をさらすことなど滅多にありません。ですから、傍目から見ただけでヒトと龍の擬人体を見分けることなんてできないんですよ。見分けがつかなければ、龍だと判じることもできないわけです」


 王宮に背を向けた凜華りんかと青燕は、繁華な通りを目指してサクサクと足を進めていた。


 その徒然つれづれに紡がれる言葉に、凜華は素直に耳を傾ける。


「龍の方も馬鹿ではありません。姿を目撃されたと察すれば、騒がれる前に別の界へ姿をくらますはず。騒がれたらつがい探しどころではありませんからね」

「じゃあ、今回のこの噂は、事件の親玉がでっちあげた完全な嘘って判断でいいのね?」

「私はそう考えました。神祇部じんぎぶの方にも何も情報は入っていませんし」


 自他ともに認める窓際族である青燕だが、神祇部に所属する術師であることに変わりはない。神祇部に上がる情報はきちんと掴んでいるのだろうし、自分自身でも何かきざしがあれば感じ取ることができるはずだ、という自信がその発言からは垣間見えた。


 ──でも、青燕が一人で私の宮の外に出ていくのは稀だし、神祇部の本拠地がそもそもどこにあるのかはっきりしていないって話だけれど。


 一体どこで情報交換や相互連絡を付けているのだろうか。身近に青燕という神祇部の関係者を置いているからこそ、謎に包まれた神祇部の存在はますます凜華の中で謎を深めていく。


「ねぇ、青燕。義了は親玉が『龍の花嫁』を手に入れようとしている理由が分かっていないみたいだったけれど、その辺りについて青燕は何か心当たりはないの? 仮に『龍の花嫁』を手に入れられたとしたら、どんな利点があるわけ?」


 ふと思った疑問をとりあえず今は胸にしまい込み、凜華はずっと気になっていた問いを改めて青燕に向けてみた。


 龍も、『龍の花嫁』も、存在自体を怪しむほどに希少な存在で、両者は魂から引かれ合い、お互いを特別な存在だと想い合う。


 そこまでは義了の言葉から分かったが、結局なぜ良からぬやからが『龍の花嫁』を狙おうと考えたのか、その動機が凜華には分からない。


「人間が龍の伴侶となった場合、その人間が龍を言葉ひとつで簡単に操ることができる存在になるからですよ」


 そんな凜華の疑問に、青燕はサラリと答えをくれた。


 妖怪や神に通じ、不思議な力を操るとされる神祇官ならばその方面の話も詳しいだろうと踏んで振った話だったが、案の定青燕は龍と『龍の花嫁』についても詳しく知っていたらしい。


 ──ここまで明確に答えを知ってるなら、詰所で多少教えてあげても良かったんじゃない?


「龍にとって、番は絶対なんです」


 思わず凜華は『青燕って、案外意地悪というか、冷たいところがあるわよね』と皮肉のひとつでも口にしてやろうかと唇を開く。


 だがその言葉は、青燕の重く冷たい一言を聞いた瞬間、喉の奥にもつれるように消えた。


「探したところで、出会えるかどうかさえ分からない。それでも探し求めずにはいられない。魂から引かれ合い、もしも出会えたならば、世界が終ろうとも寄り添い合う」


 独白するように呟く青燕の言葉は、義了が口にしていたよりもずっとずっと重く聞こえた。『運命の番』という言葉から『愛』や『恋』といった甘い感情を想像していた凜華は、青燕の呟きに思わず息を詰める。


「たとえ『運命の番』がすでに人間の伴侶や家族を得ていても関係ない。身分も生まれも生い立ちも追いつけない。理性も理屈も、己の心さえ置き去りにして、ひたすら互いに惹かれ合う」


 そんな凜華を、青燕は流し見た。いつになく冷たく見える横顔に、凜華は思わずコクリと空唾を飲み込む。


「龍の伴侶に手を出せば、国ごとほろびるか、最悪世界が終わることになります」

「そ、そんなにすさまじいの?」

「ええ。何せ、龍にとって、伴侶は魂の片割れですから。……その繋がりの強さは、もはや呪いと言ってもいい代物です」


『呪い』


 青燕の口から滑り落ちてきた言葉に、凜華の背筋がザワリと粟立った。


 ──呪い……って。


「神に近いとも、神そのものとも言われるほどに霊力が高く、矜持も高い龍族ですが、唯一絶対の番には頭が上がらないんです。伴侶に対しては絶対服従に近い」


 淡々と語る青燕の言葉から感情らしきものは見えない。


 そうであるからなのか、あるいはその奥に凜華が勝手に哀切を感じるからなのか……普段は天然でひ弱で空気を読まないという情けなさしか感じない青燕の声が、ヒタリと背中に貼り付くような心地がした。


「大抵の場合は良き夫婦という形に落ち着きますが。……時折、ごく稀に、伴侶の方が龍に惹かれず、情を抱くこともない時が、……魂の繋がりが本物の『呪い』に堕ちる時が、あるんです」


 幸せな形なのだと認識していた話が、ほの暗い色をまとうモノに反転する。


 実は自分が地面だと思っていた場所は、はるか高い場所に渡された切れかけの綱の上だったのだと、唐突に知ってしまったかのような。薬だと信じて毎日飲んでいた代物が、実は毒薬だったのだと囁かれたかのような。


 そんな『知ってしまったからこそ背筋が震える真実』に、凜華は無意識の内にきつく奥歯を噛み締めていた。思わず両腕をさすれば、鳥肌が立っているのが自分で分かる。


 そんな凜華に気付いているのかいないのか、凜華から歩く先へ視線を流した青燕は、いつになく冷めた瞳をさらしたまま続けた。


「龍の伴侶となった人間は、高位の術師でさせ使役することが難しい龍族を、それこそあごで使えるような存在になるんです。……それをきな臭い連中が知ったら、仲間に抱き込もうとしたり、脅して言うことを聞かせようとしたり、そんな人間を商売道具に使って利益を得たりなど、考えてもおかしくはないかと」


 だがそんな状態であっても、続けられた言葉に黙っていることなんて、凜華にはできなかった。


 反射的に顔を跳ね上げた凜華は、震えも忘れて青燕に喰ってかかる。


「そ、そんなこと思いつくなんて……っ!」

「伴侶そのものを手に入れたり、仲間にすることができなかったとしても、誰が龍の伴侶であるかさえ把握してしまえば。龍が伴侶に出会うより先に龍の元へ先回りして、伴侶の身の安全と引き換えだと脅して龍を従わせることもできます」

「な……っ!? そ、そんなことになったら、さすがに龍自身が怒って、その悪党どもをどうにかするんじゃ……っ!?」

「できないんですよ」


 青燕は一際ひそめた声で答えると、不意に足を止めた。


 あと少しで繁華な場所に出るかという、繁華街と屋敷街の境界線上。


 太い路地が交差する四つ辻の傍ら、屋敷の塀の上から枝葉を伸ばす大樹の影に入った青燕は、その影の中に表情を隠すかのように小さく瞳を伏せる。


「たとえ伴侶が己を害する命令を発しようとも。伴侶が口にする望みが世界を壊すことになろうとも」


 伴侶が己を愛していなくても。己を利用しようとする意図が透けて見えていても。


 矜持を踏みにじられ、空を舞う自由を奪われ、無様に地を這うことになろうとも。


「そのことを、全て承知していて。心が張り裂けそうになっても」


 その視線が再び上がって凜華に据えられた時、凜華の耳からはスッと音が遠ざかっていった。


 町を満たす喧騒が、青燕の視線に払われるかのように消えていく。


 その静寂の中、凪いだ水面に一滴の雫を落とし込むかのように、青燕の言葉は静かに凜華の耳に落ちた。


「龍にとって、伴侶は絶対。『龍族不解の呪縛』と呼ばれるくらいに、絶対なんです」


 どれだけ力を持つ存在であろうとも、決して逃げられぬ呪縛。


 見つけてしまえば『伴侶』という名の檻の中に閉じ込められてしまうと分かっているのに、それでも龍は幾重にも重なる世界のどこかにいるであろう伴侶を求めずにはいられない。隔たれた界を幾度も渡り、長き時をかけて旅をしてでも、狂おしいほどに求めてしまうモノ。


 ──どうして、なんだろう。


 正午に近い太陽が落とす光と、光がまぶしければ眩しいほど濃く落ちる影と。


 その世界の狭間に立つかのようにたたずむ青燕の姿が、なぜか鏡の中の虚像を見ているかのように遠く感じる。


 ──まるで、青燕自身の話を聴いているかのように、耳に響く。


 凜華は思わず一歩、青燕の方へ踏み出していた。知らない間に伸びていた手は、青燕がまとう衣の袂を握りしめている。


 まるで、青燕の存在を確かめるかのように。青燕が、どこかへ行ってしまうのを、防ぐかのように。


「……どうなさいましたか?」


 その感触と、凜華の表情に、青燕は何を感じ取ったのだろうか。


 ゆっくりとまぶたを下ろした青燕は、同じくらいゆっくりと瞼を上げた。


 そしていつものように、少し頼りない顔で笑う。


「この一件、手を引きますか?」


 その変化に、凜華はハッと息を呑んでいた。


 だが凜華が口を開くよりも、青燕がいつも以上に情けない顔で泣き言を口にする方が早い。


「というか、龍なんておっかないモノに関わる案件なんてやめときましょうよぉ、姫様ぁ〜! 今からでも遅くはありません、義了殿にやっぱりやめとくと伝えて……」

「な、何言ってるのよ! 今更引くわけないでしょっ!?」


 さっきまで感じていたへだたりというか、空虚感というか、神秘的で少し凛々しささえ感じさせた青燕があっという間にかき消える。


 そのことにホッとしながらも、それを青燕に知られるのは何だかしゃくだ。結果、凜華はペイッとわざと雑に青燕の袂を放り出す。


「むしろ、青燕の話を聞いてやる気が出たわ! 万が一『龍の花嫁』が親玉の手に渡っちゃったら、不幸になる龍が現れるかもしれないってことでしょ? それを知っちゃったのにだんまりなんてできないわよ!」

「ですから、龍の存在は、十中八九デマですって」

「それならそれでいいの。不幸になる存在ヒトが誰もいないってことでしょ?」


 凜華の言葉に青燕がわずかに目をみはる。


 そんな青燕を睨み上げ、凜華は己の腰に両手を置くと強い口調で言葉を続けた。


「龍の存在が本当だったら、龍と花嫁が巻き込まれないように事件を解決する。噂がデマだったら、悪党どもを親玉もろとも取っ捕まえて、巻き込まれる人間の被害を減らす! どちらにしてもめでたしめでたしで終わらせるのよっ!」


 ふんっ! と鼻息荒く宣言した凜華は、強気な態度を崩さないまま腕を組む。そんな凜華を肯定するかのように、高く結い上げた凜華の髪が揺れた。


「だから! 青燕もしっかり協力してよねっ! 青燕がみんなに隠したがってるから義了に神祇官として紹介することはやめといてあげるけど、私は知ってるんだからこき使わせてもらうわよっ!」


 その言葉にさらに大きく目を見開いた青燕は、クシャリと頼りない笑顔を顔中に広げた。嬉しそうとも悲しそうとも言える複雑な表情に面喰った凜華は、そんな内心を万が一にも顔に出さないようにキッと一際強く視線に力を込める。


「ほんっと、姫様には敵いませんね」


 そんな凜華をどう受け止めたのか、青燕は吐息に混ぜるように呟くと小さく顔を伏せた。次に青燕が顔を上げた時には、一瞬だけ顔に浮かんだ複雑な表情は綺麗に消えてしまっている。


「お手柔らかにお願いします」

「うるさい! 荒事はからっきしなんだから、それ以外で役に立てるように頑張りなさいよねっ!」


 ツンッと顔をそむけた凜華はそのままズンズンと先に歩を進め始めた。そんな凜華の後をいつもの困り顔に戻った青燕が追う。


「置いていかないでくださいよぉ、姫様ぁ~! どこへ行くおつもりなんですかぁ~!?」

「うるさい! とにかく噂を集めるにしろ何にしろ、人がいるところに行かなきゃって話でしょ!?」


 いつもの情けない青燕が戻ったことにホッとしながらも、それを覚られないように厳しい表情を作り込んで凜華は青燕を振り返る。


 運動神経のなさが災いしているのか、青燕は思った以上に凜華と離れた場所にいた。大樹の影をとうに抜け出て辻を対角に渡った凜華に対し、青燕の姿はまだ大樹の影の中にある。


「そもそも青燕、あんた、一体どこに行くつもりで王宮を……」


 そのことに不意に不安を覚えながらも、凜華は文句の続きを口にする。


 その瞬間、フッと、大樹の影から分裂するかのように、小さな影が動いた。それを凜華が認識するよりも早く、頭上から軽やかな声が降ってくる。


「ヤアヤア、随分勇ましいお嬢サンだネェ?」

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