弐
「……で? 書き上がったのがこれかい?」
目の前に座す大男がニマニマと投げかけてくる問いに、
「ほー、確かに嬢ちゃんが書いたとは思えねぇ優雅な筆致じゃねぇか」
だが大男は構うことなく手にした書面の品評を続けていく。チラリと視線を向けると、その肩と眉がピクピクと震えていた。
「これなら
その
「ッハハハハハハッ!! もう耐えらんねぇっ!! 腹がよじれらぁっ!!」
詰所が建物ごと揺れるくらい豪快に笑う
「笑いたいなら最初っから素直に笑えばいいじゃない。受け取った瞬間から肩が震えてるの、分かってたわよ」
「マージで巻物一本丸々反省文じゃねぇかっ! さっすが
「できあがったのは一本分だけど、実際はそれの五倍は書いたわよ。字が少しでも乱れるとすぐに『書き直しっ!!』って最初からになったんだから」
ムスッとした顔で言い足すと、義了はさらに腹を抱えてゲラゲラと笑う。笑いすぎて呼吸が苦しいのか、目の際にうっすら涙まで浮かべているようだった。
結局、香月による手習い……もとい反省文作成会は夕方過ぎまでずっと続いた。そのせいで昼食を食べ逃した上に一日を潰してしまった凜華だが、
「ちょっと義了、私は笑い者にされるためにここに来たんじゃないわよ。ひとしきり楽しんだなら、きちんと本題に入りなさいよね」
というわけで、本日の凜華は軍部の隣に置かれた警邏詰所にいた。
町中にいたら何をしていなくても通報されそうな
供として連れてきた青燕も系統が違う人間と言えばそうなのだが、凜華の背後に控えた青燕は妙に背景に溶け込んでいる。恐らくここでも気配を消して、自主的に背景と同化しているのだろう。
「おー、そーだそーだ。一昨日の捕物でとっ捕まえたヤツらはどーなったのか、だったな」
「ついでに報酬と、次の仕事もちょうだい」
「報酬はもう用意してあるから、帰りにいつも通り、経理担当から受け取ってくれや。で、とっ捕まえたヤツらなんだけどな……」
巻物を器用に片手で巻き戻して通りすがりの部下に投げ渡した義了は、わずかに顔をしかめると頭を掻きむしった。それだけで何かあったのだと察した凜華は、姿勢を正して義了に向き直る。
「あいつら、当初こっちが考えてた『いつも通りの小悪党』ではなさそうなんだわ」
「どういうこと?」
「いや、小悪党っちゃ小悪党なんだが……どうも親玉格がいるっつーか……」
要領を得ない説明に凜華は顔をしかめる。対する義了は説明の言葉に迷っているのか、それとも凜華を関わらせるには
──義了のこういう態度を見るのは久々ね。
凜華は眉をひそめたまま、義了の次の言葉を待った。
凜華は曲がりなりにも先帝の血を引く公主だ。そんな凜華を大きな事件に引き込み、万が一のことが凜華に起きれば、罰されるのは凜華ではなく凜華を巻き込んだ義了になる。
義了が危ない橋を渡りたくない気持ちは、凜華も分かっているつもりだ。歯がゆくても凜華側から追求したり、説明を強要することはできない。
「あー、……嬢ちゃん。『龍の花嫁』って、知ってっか?」
結局、義了は迷いながらも凜華に話す道を選んだようだった。
困ったようにわずかに眉を下げる義了に、凜華は軽く首を傾げる。
「龍って、あの龍? 神の遣いだとか、神そのものだとか言われてる、あの?」
「そう、その龍だ。で、それの『花嫁』」
「龍そのものは知ってるけれど、……花嫁?」
「ま、それが普通の反応だわなぁー」
義了は椅子の背もたれに体を投げ出しながら投げやりに答えた。安い造りの椅子が義了の重みに耐えかねたかのように鈍く軋みを上げる。
「その『龍の花嫁』がどうしたの?」
「昨日嬢ちゃんがとっ捕まえたやつらな、その『龍の花嫁』とやらを探してたんだとよ」
「は?」
「で、片っ端からそれっぽそうな娘さんを
「はぁ?」
予想もしていなかった言葉に、凜華は眉を跳ね上げた。
龍はおいそれと出会える存在ではない。『存在していない』とまでは言わないが、ほとんどそれと同義の存在だと凜華自身は思っている。
龍そのものがそんな伝説上の存在なのだから、その花嫁とかいう存在だってそうそうお目にかかれるものではないだろう。というよりも、龍が伝説上の存在なのだから、その花嫁だって伝説上の存在ということになるのではないだろうか。
「つまり、あいつらは『龍の花嫁』を見つけるために娘さん達を拐かしていたのであって、初めから人身売買を目的にしていたわけではないってこと? 本命じゃなかった娘さん達を、処分しながら副業的に売っぱらっていたってことなの?」
「そういうことだと、あいつらは言ってる」
いきなり飛び出してきた現実味のない話に、凜華は思いっきり顔をしかめた。そんな話は馬鹿馬鹿しいと切り捨てるのは簡単だが、現に事件になってしまっているのだからそういうわけにもいかないだろう。
わずかに考え込んだ凜華は、根本的な部分に疑問を抱いて再び義了を見据えた。
「そもそも、その『龍の花嫁』って何なの? どんな存在なわけ?」
「あー、俺も聞きかじっただけだから、細けぇことはよく分からねぇんだけどよ」
神そのものとも、神の遣いとも、格の高い妖魔とも言われている龍は、
高い矜持を持ち、人とも同朋とも馴れ合うことを良しとしない龍族は、普段は異界に存在し、人間には姿をさらすことなく生息しているのだとされている。
だが時々、龍は気まぐれにこの世界に現れる。目的は様々あるそうだが、その中で一番多い理由が『運命の
「龍族は、龍以外の伴侶と結ばれることもあるんだってよ。魂の結びつきがどうこうとかっていう話だが、難しい話は俺には分からん。とにかく龍族は生まれてから一定の年月を経ると、その『運命の番』とやらを探して、色んな世界を渡り歩くものらしい」
「人間で言う『運命の花嫁探し』みたいな感じってこと?」
「あー、なんか、そんなに軽いもんじゃねぇみてぇだぞ? なんっつーかこう……自分の失くした半身を探すような、そんな切実というか、切羽詰まった感じなんだとよ」
龍族にとって『運命の番』というのは、己の魂を分けた半身と言えるくらいの存在であるらしい。
ゆえに龍は狂おしいほどに『運命の番』を求めてさまよい、その相手を見つけたならば絶対服従に近い形で相手に尽くすのだという。何からをも番を守り、番の願いならばどんなものでも叶えようとする。
番の方も番の方で己が龍族でなくても番の龍には何か感じるものがあるらしく、龍族と番は大抵円満な関係を築くという。
「古い話で『龍の力を得た~』とか『龍に守護されし~』とかいう英雄や巫女が出てきたりすんだろ? あの『龍憑き』って言われる類の人間が龍の番になった存在だって話だ」
「へー……」
『人間の女が番になると『龍の花嫁』、男が番になりゃ『龍の花婿』ってわけだ』と続ける義了の言葉に相槌を打ちながら、凜華はチラリと青燕に視線を送る。敏感にその視線に気付いた青燕は、浅く顎を引いて凜華が向けた疑問に応えた。
──肯定。つまり義了のここまでの説明は真実を言い当ててるってことね。
青燕からの返答に口の端に笑みを浮かべて応えた凜華は、新たに生まれた疑問を口にすべく義了に視線を据え直す。
「『龍の花嫁』がどういう存在なのかは分かった。でも、あいつらはどうしてそんな突拍子もないことを考えついたわけ?」
凜華と青燕の微かなやり取りに義了は気付いているようだった。
一瞬問いかけるように義了の眉が跳ねるが、凜華は義了が口を開くよりも早く問いを重ねる。
「そもそもいるかどうかも分からないし、仮に本物を拐かしちゃったら、番の龍が怒って大変なんじゃない?」
「俺もふんじばったヤツらが吐いた言葉を聞いただけだ。だから真偽のほどは定かじゃねぇんだが……」
義了は苦い顔で周囲に視線を走らせると、椅子の背に預けていた体を起こして凜華との間に置かれた机の上に身を乗り出した。あまり周囲に聞かれたくないのかと察した凜華も机の上へ身を乗り出せば、義了はひそりと口を開く。
「今、柳華では、番を求めてさまよう龍の姿が度々目撃されているらしい。しかも、この
「はぁ?」
「シッ! 声がデゲェよ!!」
思いっきり呆れの声を上げた凜華の頭を軽くはたきながら、義了はスッと体を引いた。怒るよりも、痛みを与えず衝撃だけを加える器用なはたき方に関心した凜華は、黙って口を閉じると続く義了の言葉を待つ。
「龍なんてそうおいそれとお目にかかれるもんじゃねぇ。こんな噂が富帥中に流れたら、真に受けて大騒ぎする人間は一定数いるだろ。俺は噂の真偽よりも、その騒ぎに乗じて悪さをする人間が出てくるんじゃねぇかってとこを気にしてんだ」
「現に、人攫いに人身売買が起きていた、と」
「おーよ。おまけにどうやらゴロツキどもにそんな噂を流して、『龍の花嫁』を探し出そうと踊らせてる黒幕がいるらしい。似たような事件がすでに起きてると考えて間違いねぇだろうな」
「親玉を捕まえないことには、いつまで経っても事件は終わらないってことね」
「そういうこった」
確かにこれはただの悪党退治より随分と根が深そうだ。
大きな事件に化けそうな気配があるから凜華を巻き込むことを
さて、どうすればいいのだろうか、と考えた凜華は、先程自分が口にした問いの一部に答えをもらっていないことに気付いた。
「ねぇ、義了」
「あ?」
「さっきも疑問に思ったんだけど、『龍の花嫁』って、それこそ龍の逆鱗なのよね? そんな人間を、どうしてわざわざゴロツキ達が探してるの?」
『龍の花嫁』というのは、確かに特殊な存在なのだろうが、単独の存在であればただの人間と変わりがないように思える。龍そのものは強大で稀な存在なのかもしれないが、その番であるというだけで龍と同じ力が振るえるというわけではないのだろう。
ならば『龍の花嫁』というのは、おっかない人外の伴侶がいるただの人間……つまり『触るな危険』『取扱注意』な存在となるわけで、そんな人間をわざわざ探し出してちょっかいをかけようと考える理由が凜華には分からない。
「さぁてな、俺にもそこまでは分からん。何か美味いエサをぶら下げられてんのか、『龍の花嫁』からうまみを絞り出す方法が何かあんのか」
そこを改めて問いただしてみたのだが、どうやら義了もその点に関しては答えを持っていないようだった。もしかしたら一昨日捕まえたやつらをさらに搾り上げて、親玉の情報もろともこれから吐かせる心づもりなのかもしれない。
──まぁ、義了達に分からなくても、私は個人的に知ってそうな人物に心当たりがあったりするんだけども。
凜華はチラリともう一度青燕に視線を向けてみる。だが今度の青燕は眉間にうっすらとシワを寄せていて、凜華の視線には気付いていないようだった。
そんな青燕の様子から『今は正面切って口を開く場面ではない』と判断した凜華は、誰にも覚られないように視線を元に戻す。
──とにかく、今この場で分からないことを追求してみても意味がなさそうね。
胸中で呟いた凜華は、思考とともに話題も切り換えた。
「何となく、事情は分かったわ。それで、警邏所はこれからどうやって動くつもり?」
警邏所は都の治安維持を司っている部署だ。都の中で起きる
町の中で事件が起きれば警邏所に通報が行き、警邏隊が初動で動くことになる。だが捜査が進んで事件が思っていた以上に大きいことが判明した場合や、
他にも事件が妖魔絡みであることが判明すれば、宮中の術師集団である
もっとも、そのことを指して義了は『ハゲタカどもが俺達の成果を横取りする機会を虎視眈々と狙っていやがる』と表しているから、結果的にそうしているだけであって、当人達は決して
「本当に龍が絡んでいるなら、警邏所じゃ扱いきれないから神祇部行きになるんでしょ? 思っている以上に事が大きくて深いなら軍部行きだし」
「あー……。適任は神祇部なんだろうが、捕まっかねぇ、あいつら」
凜華の言葉に顔をしかめた義了は、ガリガリと頭を掻きむしりながらボヤくように呟いた。
「あいつら、用事がある時は気配もなくいきなり登場してきやがるくせに、こっちから接触しようとする時にはまったく尻尾を掴ませねぇんだから」
その言葉に思わず凜華は青燕に視線を向けた。相変わらず背景に溶け込んでしまいそうなくらい気配が薄い青燕は、難しい顔で何事かを考え込んでいる。
「そもそも、普段宮中のどこにいるのかも分からねぇ部署にツナギを取らなきゃなんねぇってのが面倒なんだよなぁ……」
さらに続けられた義了の言葉に、凜華は全身全霊を込めて視線を義了に戻した。対する義了は考え事に意識を持っていかれていたのか、今回の凜華の目配らせには気付いた様子がない。
「まぁ、本当に龍がいるのかいないのか、もうちょい噂を当たってみてからでもいいだろ。もし本当に龍が絡んでるんだったら、そのうち
「……そう、ね」
義了の言葉に思うところがある凜華は、気まずさを噛み殺すように視線をそらした。
そんな凜華の内心が語調に表れてしまったのだろう。凜華の相槌を聞いた義了が太い眉を跳ね上げる。
「あん? 何だか歯切れが悪い返事だな」
「え。あー、いやいや! 私はどこまで関わってもいいのかなぁ~って、判断に困っていたものだからっ!」
そんな義了に凜華は慌てて両手を振ってみせた。何とか笑顔を取り繕ってみせれば、義了はいぶかしむような表情を浮かべながらも凜華に的確な指示を降してくれる。
「今のところ、そんなメチャクチャ危険があるっていう感じもしねぇし、正直なところ人手はほしい。小悪党どもを片っ端から捕まえて馬鹿な妄想から目ェ覚まさせんのと、親玉の情報収集をすんのと、両方を同時に進めたい。手伝ってくれるか?」
「任せてよ! 人のお役に立てて、生活費も稼げるなら万々歳だもの!」
「……ほんっと、あんた、公主ってことを忘れさせるたくましさだよな」
感心しているのか呆れているのか分からない笑みを浮かべる義了とひとしきり打ち合わせをしてから、凜華は青燕を伴って警邏詰所を出た。
詰所の中では空気と化していたから、誰も青燕のいつになく険しい表情に気付く様子はなかった。だが青燕がそんな表情を浮かべる理由に心当たりがある凜華は、青燕のその表情が気になって仕方がない。
──青燕がみんなに隠したがってるから私もあえて口に出さなかったけど……。今回はさすがに、教えてあげた方が良かったのかしら?
「ねぇ、青燕」
詰所からしばらく歩き、王宮と城下町を隔てる城壁近くまで来てから、凜華はそっと青燕に声をかけた。
斜め後ろに従う青燕の方を振り返れば、青燕は若干眉間のシワを解いて凜華へ視線を向ける。
「教えてよ。龍と花嫁のこと、もっと詳しくさ」
周囲に人影はなかったが、それでも細心の注意を払って、凜華は青燕の秘密を口にする。
「専門家なんだから、義了よりよっぽど詳しいんでしょ? 神祇官の青燕さん?」
神祇部
荒事にはてんで向かず、いざという時の空気の読めなさ具合も壊滅的な彼は、これでも出るところに出れば誰もが……場合によっては皇帝さえもが伏し拝む、大変ありがたく強大で、宮中でも数少ない神祇官である、……らしい。
普段その片鱗をまったく感じないし、そもそも何でそんなにすごい人間が給金さえままならない凜華の宮にいるのか、さっぱり事情は分からないのだが。
──宮中でも部署の所在不明、ツナギを取るのが恐らく一番難しいであろう、必要数に対して絶対的に数が足りてなくてどこにでも引っ張りダコな特殊技術職の官吏、実は今、義了の目の前にいるんだけど……なーんて言ってみても、信じてもらえないわよねぇ……
だって、青燕の官職を正しく知っている凜華でさえ、それを信じることができないのだから。
「……普段散々窓際窓際って言っているくせに、こういう時だけ素直に頼るんですね?」
詰所からずっと沈黙を貫いてきた青燕は、わずかに頬を膨らませたまま凜華に答えた。いい歳をした男がそんな表情をしてみたところで、可愛さも何もないのだが。
「だって、実際窓際族なんでしょう? 私の宮にいられるくらいなんだから」
「私を卑下しているのか、自分を卑下しているのか、よく分からない発言ですね」
「ね、ね、そんなに難しい顔をしているってことは、何か青燕には私達以上に分かっていることがあるんでしょう? 教えてよ、ね?」
都合が悪い時はゴリ押しするに限る。
香月も言っていた。『攻撃は時に最大の防御になる』と。
「はぁ……、まぁ、お人好しな姫様が、困っている義了殿に私の官職を暴露しなかった奇跡を祝して、少しお話ししましょうかね」
その理屈が通じたのか、はたまた最初から話してくれるつもりだったのか、青燕は凜華の言葉にあっさりと折れた。同時に、凜華を追い越して城壁の外へ出る隠し通路の扉を開けてくれる。
「ちょっと、そこは素直に『姫様に感謝して』って言えばいいと思うんだけど?」
「はいはい、まぁ、それでもいいですよ」
草木に隠された奥、人が一人、四つん這いになってようやく通れる大きさの小さな木戸を先に潜り抜けた青燕が、城壁の向こうから凜華へ手を差し伸べる。素直にその手をって立ち上がった凜華は、『龍の花嫁』という単語が出てから初めて青燕の表情が緩んだのを見た。
「とにかくまぁ、歩きながらでいいですか?」
その言葉に誘われるようにして、凜華は青燕とともに城下に向かって歩を進め始めたのだった。
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