第16話

「…お前ら、もしかして逢い引きか?」

 お父さんは僕たちに近づくと、冗談めかしてそういった。

「ち、違うよ」

 僕は声を貼って否定した。隣りにいるりかちゃんは首を横に振りまくっている。

「まっ、冗談だとしても、どうしたんだこんな夜遅くに?何かあったのか?」

 お父さんは真剣な顔を作って、僕らを見る。僕はその顔に俯いてしまった。

「えっと…りかちゃんの家が…その」

 僕はなんて言ったらいいのかわからない。

 そんな情けない僕を横に、りかちゃんはキリッとこういった。

「あの、ちょっと親と喧嘩してて、ともむに電話して話を聞いてもらってたんです」 

 そのさみしげな決意が籠もったセリフは、夜闇に鋭く響いていた。僕は驚いた。りかちゃんはこんなにもはっきりと発言できたんだって。

「…そうか。親と喧嘩したか…でも、もう夜遅い、九時だ。悪いけど家には帰ってもらうからね」

 お父さんはそれから、ついておいで、と言って公園を出ていく。僕たちはうなずき合ってから、少し残念そうにその後を続いた。

「上がって。今すぐに帰るってのも、気分が悪いだろ」

 お父さんのはからいで、りかちゃんは僕の家に上がることになった。りかちゃんの自転車は自転車置き場の空いたスペースに止めてある。居間の食卓に、僕とりかちゃんが隣り合わせで座った。お父さんが今、ポットを沸かしてお茶を淹れてくれている。そう言えば、りかちゃんを僕の家に招待したのは、今日が初めてだった。お母さんが二階から降りて来て、りかちゃんに挨拶をすると、お父さんに説明を求めた。お父さんが一通りことの顛末を話すと、お母さんはお父さんに任せて二階に戻っていった。

 そんなやり取りの後、僕ら二人に温かいお茶が配られた。

「…それで、喧嘩したって言ってたけど、どうしてそうなったの?」

 お父さんは僕の前に腰掛けて、優しくりかちゃんに質問した。

「え、えっと…」りかちゃんは急な問いに言葉を詰まらせる。「その…でも、家の問題ですので…」

「遠慮しないでいいよ。りかちゃんの主観でもなんでもいいから」

「…両親が、私の将来で喧嘩をしていて…喧嘩っていうのは、私がしたんじゃないんです。ただ、家に居づらくて、逃げ出して…それだけなんです」

「なるほどね…そう言えば、りかちゃんは習い事をしてるんだっけか」

「はい…」

「その杖」

 お父さんはりかちゃんが手に大切に持つ杖を見た。

「あ、えっと…」

「魔法の杖、なんだろ?ともむがあげたっていう」

「はい…知ってるんですか?」

「昔ね、同じものを持っていた記憶があるんだ」

「え⁉️」

 りかちゃんと声がかぶる。お父さんが魔法の杖を持っていたなんて、初耳だった。

「それ、回数制限とかあるんだったよね?違ったっけ…」

「あ、あります、後一回…」

「そっか、後一回か。願い事は決まってるの?」

「え…ええ、一応」

「そっか…迷いが無いうちに願った方がいいよ。そうしないと、願いは届かないから」

「はい…」

 返事を受け、お父さんは微笑んだ。

「よし。それじゃあ、今からお父さんはりかちゃんのご両親に連絡をいれるから。ともむ、りかちゃんと外で待ってて」

「…うん」僕は言われるがまま立ち上がる。「りかちゃん、行こ」

 お父さんが受話器に向かうのを見て、僕はりかちゃんを連れて家から出た。月明かりが駐車場にいる僕らを照らしている。五分ほど、僕らは黙ってお父さんを待った。

「それじゃあ行こうか」お父さんが玄関から出て言った。

「あの、自転車は…」

「送るの別日でいいかな。悪いけど、車には乗せれないからね」

「いえ…そんな」

 お父さんが車に近づく。

「あの、電話には誰が出ましたか?」りかちゃんが追って訊いた。

「お父さんだよ。安心して…」

 りかちゃんはほっと息を吐いて、車に乗車した。

 

 りかちゃんの家まで着くと、玄関の前でりかちゃんのお父さんが待っていた。彼は体つきが細く、顔が少し丸かった。

「どうもすみません。うちの娘がそちらまで…」

 車を玄関前に止めると、りかちゃんのお父さんが運転席まで来て言った。

「いえ。娘さんの考えもあってのことですから」

 僕のお父さんは車から出た。

「あの、少し話しませんか?」りかちゃんのお父さんがこっそりと告げる。

「ええ、そのつもりです」

 大人二人は、僕らにこのまま車の中で待つよう言って、外でタバコを吸っていた。車から距離を取っているのか、会話は聞き取りづらい。


『…ええ。…………そうなんですけどね。ただ………っぱり野外……』


『…………だ……かね?』


『…やっぱり………妻が………ですよ』


「ねぇ、りかちゃん」

 僕は隣に座るりかちゃんに問いかけた。

「なに…」

「りかちゃんの願いって、もっとたくさんあるんじゃないかな?」

「……そうかも、しれない」

「僕に言ってみてよ。僕でも叶えることは、あるかもしれないから…」

 正直、だめもとでしかない。

 野外活動に行きたい、なんて願いは、僕にも叶えられないのだから…。

「そっかぁ…うん。言ってみる」

 りかちゃんは、大きく息を吸って、大きく吐いた。

「私が、叶えたい願いは…声優になりたい。声優になって、私の声がみんなから認められるようになりたい。それで、お母さんに褒められたい。声優になって、なれて偉いねって言われたい。野外活動に行きたい。みんな…ともむと星空を見たい。青いシートを敷いて、その上に寝転んで、それで、夜風に当たりながらいい気分になって…あと、家にいたくない。みんなと仲良くしたい。劣等感をなくしたい。成績がよくないと落胆しちゃう自分が嫌い。もっと…自分に自信を持ちたい…」

 泣き叫ぶ声……吐き出された願いは、葛藤は、僕の耳を痛く突いた。

 つばを飲む。鼓動が鳴ってる。僕は今、すごい緊張している。

 頭の中、ある案が僕の感情を極限まで高めていた。それはりかちゃんの話を聞きながら、思いついたものだった。 

「…一つ、あるかもしれない」僕は再度息を飲む。それから、ゆっくりと息を吸って、覚悟を決めた。「僕達だけで、野外活動に行こうよ」

 そうすれば、りかちゃんは青空を見れるし、家に居なくて住むし、杖に願い事も出来る。願いが叶えば、声優にだってなれるんだ。

 馬鹿げたことを言ってる自覚はあった。そんなこと出来るわけがない。でも、今、それが名案だと思えてしかたがなかったんだ。

「どうかな…」

「…そんな事できるの?」

「できるよ。多分…」

 僕は真剣に返した。

「嬉しい…」

 りかちゃんが僕を見る。その表情は天女のような満面の笑みだった。

 感情が高ぶる。けど、同時にちくちくと頭痛が走る。

 言い切ったはいいけど、やっぱり具体案があるわけじゃない。僕たちの勝手で野外活動の真似事なんて到底できないんだ。大人たちを説得しないと…。

 現実が急にちらつきはじめだ。

 その時、コンコン、とノックがされた。窓を覗くと僕のお父さんが居た。

「…ちょっといいか」

 お父さんが、真剣顔をで僕を見ていた。

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