第15話
夜九時のことだった。一階から大きな声でお母さんが言った。
「ともむ、りかちゃんから電話だよ」
心臓が跳ねた。僕はすぐに階段を駆け下りて、受話器を取った。
数秒のイントロのあと、はい、と冷たい声が聞こえた。
『ともむ?』
『うん。どうし…』
『あのさ、杖って願いが叶う時、光るんだよね?』
りかちゃんの声は焦っていた。
『え…』
『前のときは、光ったからさ…。そうだよね?』
『あ、うん。そうだよ』
僕はとっさに頷いてしまった。でも、りかちゃんが言うのなら、きっとそうなんだろう。
『だよね。…ねぇ、願いを叶えるときってさ、願うだけでいいんだよね?』
『そのはずだけど…』
他に方法があるのかな?
おばあちゃんに訊いておけばよかった…。
『だよね…』
沈黙が続く。
『どうしたの?』
『…願い、叶えられないのかなって思っちゃって』
『え?』
りかちゃんは、涙声だった。
『あ、あのね。今日嫌なことがあって、それで、ちょっと違うことをお願いしたの』
『うん…』
『で、でね。…杖が光らなくて…願いも叶いそうになくて…』
『それは…』僕は、なんて言えばいいのだろう。
『…叶わなかったってことは、杖に、そんなちから、なかったのかなって…』
『そんなことないよ…』
『じゃあ、なんで、叶わないの、かな?』
『ねぇ、どんなお願いをしたの?』
『お父さんとお母さんが、仲良くなりますようにって』
『…それは、本心?』
『本心だよ!』
『じゃなきゃ、お願いなんかしないよ!』
『…そうだよね』
『あ……ごめん。言い過ぎた』
『いいよ、別に…あの。りか…』
『ねぇ、ともむ。お願いが、あるの』
『な、なに?』
『今から、会えない?』
『え?』
『…なんで?』
『あの…』
その時、電話の奥で何かが破裂する音が聞こえた。
『え?』
『あ…ううん。大丈夫』
『ほんとに大丈夫なの!』
『…会ってくれる?』
『会うよ』
僕は即答した。
小さな手のひらが僕の頭の中で流れていた。どうしてかはわからない。僕は今、土曜日、みんなと遊んだ公園に居た。そこは僕の家から距離が近い。りかちゃんの家の近くにも公園があったけれど、そう提案すると遠くが良いと言われた。
真夜中の公園に、僕だけがポツリと存在していた。お母さんとお父さんには黙って出てきてしまった。ちょうど居間に居なかったから…でも、ドアの開く音とか聞こえたかな?
少し待つと、りかちゃんが自転車で公園に入ってきた。鼓動が高鳴った。
「おまたせ」
りかちゃんは僕の数メートル前で自転車から降りると、駆け足で僕の元まで走った。
「りかちゃん…片手運転」
僕はポツリと口にした。
「急いでたの…ちょっとね、話そ」
急ぎ足で、りかちゃんは黙って、木の下のベンチに向かっていった。木々がなだらかなに揺れていた。僕はりかちゃんを追いかけて、彼女の横に静かに腰掛けた。
「あのね」りかちゃんは前を向いたまま口を開いた。強がっていたが、涙声だった。「突然、お母さんが怒り出して、今、お父さんと喧嘩中なの」
「…うん」
「それで、私、止めようと思ったんだけど…できなかった」
「どうして、喧嘩なんか…」
「私の将来についてだと思うけど…よくわかんない。でも、お母さんすごく怒ってた。それで、暴力的になったから、私、逃げてきたの。さっきも、ともむが電話くれなかったら、どうしようかと思って…」
りかちゃんは唇を噛み、肩を震わせた。夜空の冷たさの中、僕はその姿にかける言葉を迷った。
「あの…杖を、使おうとしたんだね?」
「…うん。できなかったけど」
「……」
「…ねぇ、ともむ。私、野外活動行きたかったよ…」
「え⁉️」
「もう、あんな家に帰りたくない…」
「……」
「ねぇ、ともむ。なんとかできない?」
りかちゃんが、顔をくしゃくしゃにして僕を覗き見る。
「…なんとかって…」
言葉に詰まる。
そんなこと、僕にだってできない。どうにも…。
「………」
「……」
「…」
ミーンミンミン………。ミーンミンミン……。
りかちゃんが立ち上がった。自転車の籠から、何かを取り出し、戻ってきた。
「それ、杖?」
、僕はりかちゃんの右手に持つものを見た。
「…うん」りかちゃんは僕の眼の前で目を閉じた。「もう一度、お願いをしてみる」
りかちゃんはぎゅっと、杖を握る。
数秒が経って、りかちゃんは目を開けた。
それから数秒が経っても、杖は光る気配はなかった。
「…失敗、だよね?」
りかちゃんが最後の希望だというように僕の瞳を覗き見た。
「多分…」
僕は答える知恵を持たなかった。
「……なんか、ごめんね」
りかちゃんの声は達観していた。
「え?」
「急に、こんな夜に呼び出しちゃって」
「…なにを」
「もう帰る。うん」
「え…」
「ごめん。杖のことも忘れるね」
「なんで?杖は、ちゃんと力があるよ」
「そう思ってただけかもしれないじゃない!」
りかちゃんは叫んだ。
その悲鳴は夜闇にツンと響き渡り、木々をグラグラと揺らしていく…。
「やっぱ魔法なんて嘘だよ。あのときのことだってどうせ偶然だよ……もう、信じた私が馬鹿だった」
「そんなことないよ」
「だったら…だったら、どうしてこの杖は、何の反応も示さないのかな?」
「…それは、願い事が本心じゃないから」
…言いたくない言葉だった。
「本心だよ。本音だよ」
りかちゃんは叫び続ける。
「…そもそも、本心って何?私はずっと、いろんなことを考えてるよ。いつも周りを見て、ビクビクしながら生きてきたよ。最近もずっとそうだよ。ともむと久しぶりに同じクラスになった時、また話してくれるのか不安だったんだよ。仲良くしてもらえて嬉しかったけど、今度は嫌われないか怖かった…。杖のことを言い出すときだって、緊張してたんだから…変なこと言い出したな、なんて思われないか…。私はずっと、いろんなことを考えて、不安に思って、いろんな希望を予想しながら、それでもビクビクして行動してるの!本心なんて、その時時で、変わるものじゃないの?」
「…僕にだってわからないよ、そんなこと」僕は叫んでいた。「でも、願いが叶わないのは、しょうがないじゃん。その願いがりかちゃんの本心からじゃないってことだよ。そりゃ、その時によって、本心なんて、願い事なんて変わるのかもしれない。だけど、本心からって、本当にずっとずうぅと叶えたかった、自分の奥深くにある願いなんじゃないかな?」
「そんなのわかんないよ!」
「声優になりたいんじゃないの!?」
「…っ」
「声優になりたいから、叶わないんじゃないの?」
「そんなこと…」
「僕はそう思うよ」
「……」
「……」
「そんなこと、わかってるよ…。でも、その願いだって、叶わなかったじゃん」
「え…」
「…やっぱり私、野外活動行きたいよ」
「……」
「みんなと、山に登って、キレイな星空を見たかった…」
僕は本当に、本当に、次の言葉が頭に思い浮かばなかった。
野外活動に行けない原因を作った張本人は、この僕なのだから。
そして、そんな僕がりかちゃんにしてやれることは、もうなにもないのだから…。
「…りかちゃんの親が、反対してるんだよね?」
「うん…」
そんなこと訊いたって、何も変わったりはしない。野外活動だって、もう明日だ。今から準備している時間なんてない…。
その時、声が聞こえた。
「おーい。そこにいるのかぁ?」
僕のお父さんの声だった。懐中電灯が、僕ら二人を遠くから照らす。
「ん?あれは……りかちゃんか?」
僕ら二人は、呆然とその眩しい光の中でただ沈黙を守っていた…。
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