第13話
月曜日が始まった。僕は朝から憂鬱さを全身で背負った気分だった。昨日、お父さんとお母さんが用意してくれた宿泊用具を、ボストンバッグに詰める作業を夜遅くまでやっていた。作業中、僕はずっと自分を責め続けていた。りかちゃんを野外活動に行かせないようにした僕は、野外活動に行くべきでは無いんじゃないか。そんな考えが寝る間際まで僕の脳裏にこびりつき、頭痛が起きるほど勢力を拡大し続けていたのだけど、僕の決心は一向に彷徨い続けていた。野外活動というイベントは僕にとって家族旅行くらいの大切さを保っていた。それが憂鬱さの原因だった。
「おはようともむ」
朝、学校に行くと一番にりかちゃんが僕に声をかけてくれた。彼女はいつもよりも早く教室に居て、白いぶら下がった右腕が、朝の温かな陽光に輝いて見えた。僕は驚き、なるべく機嫌よく、おはよう、と声をかけた。その後に紡ぐ言葉を僕は知らなかった。
りかちゃんは、早く学校に来たことを、お母さんの車で来たから早かったのだと説明した。僕は説明を聞きながら、ずっと、その右腕を凝視していた。責任を取りたい、と何度か言おうとしたけど、全部りかちゃんの声がかき消した。
「あのね、魔法の杖だけど、見つかったよ」
「ほんと!良かったぁ」
「ねぇ、ともむはなにかねがい事考えてる?」
「えっ」
僕は急いで考えたけど、すぐに叶えたい願いなど出てこなかった。と言うより、りかちゃんへの謝罪の気持ちしか湧いてこない。
「いいよ。りかちゃんが使って」
「え…いいの?」
「いいよ」
「でも」
りかちゃんは声を上げて、僕に顔を近づける。
「いいよ。全然」
僕は念を押した。
「ありがとう」
りかちゃんは太陽のように微笑んだ。僕もついつい嬉しくなって、テンションが上がる。
「何を願うの?」
「えっと…」りかちゃんは少し言い淀む。「ちょっと、内緒。…明日、早帰りでしょ、野外活動の前日だから、その時」
「その時?」
「その時、カラオケ行かない?みんなには秘密に…ね?」
りかちゃんの火照った頬が、むにょむにょと揺れていた。
「行く!」僕は勢いよく答えた。
「あ…じゃあ、明日の午後二時でいいかな。場所は…」いいながら、りかちゃんは少し顔を下にそむけた。「あそこ?あの、大通りのとこにある…」
「ああ、うん。わかった」
「じゃあ、現地集合でいい?」りかちゃんがそっと顔を上に向ける。
「いいよ。楽しみだなぁ」
僕はすっかり有頂天になる。足とか手とかが踊りそうになった。くるりと首を動かし窓の外を見ると、校庭の中、強く刺す光に照らされ、冷えた空気を纏った生徒が何人か見えた。その中に、ふうかが見えて、僕の心臓はどきりと鳴った。
「よぉ、はえーじゃん」
「あ、雄二」りかちゃんがふわっと声をだした。
僕は急いで振り向く。彼は火照った頬にかすかな汗をかいていた。彼は僕を見つけると、すぐに微笑んだ。その対応の早さが、彼の魅力を一層引き立てる。しかし、彼はすぐりかちゃんの方を向いた。
「りか、腕の調子はどうだ?野外活動、行けそうか?」
「あ…ちょっと無理っぽいかなぁ」りかちゃんは言いにくそうに口を開いた。
「そっかぁ」雄二は軽く頷く。「まぁ、なら、しょうがないな。安静にしろよ」
「あ…うん。ありがとう」
「んで、何話してたんだ?」
「えっと…」
僕は口を閉ざし、おどおどとする。
「秘密」
りかちゃんが小さな口元に人差し指を当て、丁寧に微笑んだ。
「何だそりゃ?」
雄二は面白そうに微笑んだ。
夏の日差しが勢いをます昼放課のことだった。トイレの帰り、廊下でふうかとばったり出会った。
「ともむ。りか、野外活動ほんとに行かないんだってね」
彼女は僕の前に立ちはだかり、きれいな両足をしっかりと地面に着けていた。朝のホームルームできっぱり先生からそう告げられたんだ。
「あ…うん」
「やっぱりさ」彼女は口角を上げ、目線を若干伏せた。「あん時の怪我が原因だよね…私ほんとにりかと行くの楽しみにしてたんだけどなぁ」
「ごめん」
「それ、ちゃんとりかに言ってよね」
「あ、うん」
「じゃあ…」
ふうかは怪訝な表情のまま、僕を追い抜いた。しぼんだ空気のまま教室に戻ると、雄二が扉に背を預け、僕に向けて含み笑いを浮かべていた。
「なんだよ」
「いや…面白いなって思って。ふうかになんか言われたか?」
「あ…ああ。言われたよ」
「なんて?」
「りかの件で、ちょっと嫌味を…。僕が怪我をさせたのは事実だしね」
「やっぱ、そんな感じか」雄二は優しい笑みを作り出した。「俺はともむが絶対悪いとは言わねーけど、まぁ、原因を作ったのはともむだからな。嫌味の一言、言われる覚悟くらいは持たねーとな」
「わかってるよ…今昼放課だろ、サッカーしないの?」
「お前を待ってただけだから、すぐ行くよ。ともむもやるだろ?」
「あ、うん。やるよ」
「じゃあ、早く来いよ」雄二はすぐに、教室を出て廊下を走った。ちょくちょく僕の方を向いて、走ってこないのかと誘っている。
僕は彼の背中を見ながら思った。
あんな人間になりたいな、と。
六限目に野外活動の班での話し合いがあった。それは持ち物の最終確認などを行う時間だったが、その大半はフリー時間でしかなかった。先生も生徒が騒ぎ出したからとって、何かを言うわけではなく見守っている。
周りがうるさい中、僕ら五班だけが空気が重たかった。野外活動に行けないりかちゃんがいるから、みんな何を口にすればいいのかを迷っているのだ。それも、野外活動に行けなくした原因を作った僕なんかは、何も口にするべきではないとすら考えていた。
「みんな、私のことは気にせず楽しんできてよ」りかちゃんが口火を切った。
一斉に、みんなが彼女を注目した。
「まぁ、そうなんだけどよ」雄二が苦笑いをしながら、頭を掻いた。
「りか、野外活動が終わったら一緒に遊ぼ!」ふうかが勢いよく宣言する。
「うん。ありがとう…でも、怪我は事故だからあんまりともむを責めないでね、ふうか」
「そういってもさぁ」ふうかの表情が一瞬で暗くなる。「私はなかなか許せないよ」
「許すとか許さないとかは私、あんまり考えないかなぁ」陽子が若干の鋭さを含んだ声を出した。「責任追及は、もういいんじゃないの?」
「そうそう。ともむも反省してんだし、言い方が悪いが、もうどうにも出来ないことなんだ。攻めるのはなしにしようぜ」雄二が手を二回叩いた。「それで、提案なんだが、りかが野外活動に来れないことには変わりないだろ?だったら、野外活動が終わった後、このメンバーで何かしらパーティーでも開こうぜ。そっちのほうがまだ健全だ」
「え、いいの?」
りかちゃんは体を前のめりにして、その話に食いついた。
「いいんじゃねーの」雄二はりかちゃんの反応を見て、気分を上げた。「みんなはどう思う?」
「やるよ。やるに決まってるじゃん」ふうかが一番に声を出す。「なに雄二、いいアイディア出すじゃない」
「いいね!ナイスアイディア」陽子が華やかな笑顔を作る。「いつやる?野外活動って、確か金曜日に終わるんだよね?じゃあ、土曜日か日曜日かな?」
「そうだな。りか、土日のどっちか、時間空いてる?」
「うん。多分空いてる。用事があっても時間作るよ!すごい嬉しい」
僕にはりかちゃんの瞳が輝いているように見えた。
「よしっ。それじゃあ、どんなパーティーにしようか」
「場所はどこかある?」ふうかが冷静になって言った。「このなかで家が広い人」
誰も手をあげなかった。
雄二がじっくりとその結果を見つめた後、言った。
「りかの家は、ダメか?広いって聞いてるんだが」
「うちは…どうだろう。親に訊いてみないと」
りかちゃんが心配そうな声をだした。
「そうだよなぁ」
「まぁ、でも、りかのパーティーなんだからりかの家でいいんじゃない?もし無理そうなら、狭くても誰かの家でやればいいし」ふうかが言った。
「それより、内容どうするの?パーティーでしょ?トランプとか?」陽子が元気よく叫んだ。
「人生ゲームも」りかちゃんがすかさず追加する。
「案をどんどん出してけ」雄二が口角を上げ、軽く手を上下にふる。
「怪談はどう?夏だし!」陽子が楽しげに言った。
「いいね。それ」りかちゃんが笑顔で答える。
「夏か…あ、夜に花火とかやろ!」
「いいねぇ~」
「ともむはなんかあるか?」雄二が僕に振る。
僕は思考が一瞬硬直した。
「え、えっと…絵しりとりとか」
パッと思いついたのが、僕が描いている漫画だったのだ。
「楽しそう」
りかちゃんが満面な笑みで僕を見つめた。
「それ、ともむ絵がうまいから有利じゃんか」雄二がにやにやと言う。
「え、ともむ絵描けるの?意外!」陽子がおおー、と大袈裟な反応をする。
「私だって絵は得意だよ」負けじとふうかが声を荒げた。
「私は下手だなぁ。絵なんてあんまり描かないから」陽子がつぶやく。
「俺も絵は無理だ」雄二が微笑んだ。
「あ、そう言えばともむ、昔から漫画描いてたんだっけ」りかちゃんが言った。
「え?」ふうかと陽子の声がハモった。
僕は頬が真っ赤になりそうだった。僕が漫画を描いていることは、まだふうかにも陽子にも言っていないことだ。みんなには秘密なのに…。
二人が好奇心溢れた視線を僕に向ける。
「えぇー、漫画描いていたの?すごいじゃん!」陽子が僕の顔を見て言った。「今度見せてよ。私、漫画最近ハマってるんだ」今にも発車寸前の汽車みたいな勢いだった。
「へぇ、意外じゃん」とふうか。
「ともむ、絵めっちゃうまいよ」雄二がニヤニヤしながら言う。
確かに、僕は小学二年のときから絵を描いてきたから、それなりに画力はある…と思う。
「あれ、雄二は知ってたの?」りかちゃんが聞く。
「ん、ああ。前に引き出しに閉まってたのを俺が勝手に見てな、ソンで知った」
「私も見せてもらおうかなぁ」
「おう。よめよめ!漫画描いてんだから、読んでもらわなきゃ話になんねーぜ」
「まぁ、機会があれば」僕はきょどって声が高くなった。
「パーティーんときに持ってこいよ。いい機会だし」
僕はちらりとりかちゃんを見る。彼女はうんうんと頷いていた。
「じゃあ、そうするよ」
その後、頬が溶けるような甘い時間が続いた。チャイムがなり、最後の授業が終わる。家につくと、玄関の隅にボストンバッグが置かれていた。その中には、明後日の野外活動で必要なものがすべて入っている。僕はふと、ボストンバッグの小さなチャックから、当日の予定表を取り出した。そこに、星空を見る時刻が書いているはずだ。
一日目の午後八時から二十分間小高い山の頂上で星を眺める時間が設けられている。この時間を、りかちゃんは楽しみにしてたんだっけ。
僕は息を吐く。
もし、願いを叶える杖があるのなら、りかちゃんにこの星空を見てほしかったな。
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