第9話
一時の二十分前。僕は余裕を見て、りかちゃんの家に向かって自転車をこぎ始めた。りかちゃんの家は、小学校の向こう側の細い路地を過ぎた場所にある。僕は、そこに行くのは二年ぶりだったけれど、場所の位置と肌の白い新しい家であることはハッキリと記憶していたから、道に迷うということは無かった。
辿り着くと、思ったよりも真っ白な肌で、真っ黒な屋根で、敷地が広かった。特に、庭が広く、車が四台は止められそうだ。僕は、慎重に庭に入り、駐輪場の手前で自転車を置く。自転車の籠の中に入れていたショルダーバッグを取って、僕はそそくさと玄関前に出向いた。
インターフォンを押すと、長い電子音がなり、少しして、はぁい、と機械からりかちゃんの声が聞こえてきた。
「りかちゃん。来たよ」僕はなるべく笑顔で答えた。インターフォンだから、僕の表情はりかちゃんに筒抜けなのだ。
「ん、ちょっと待ってて。今行くね」
少し待つと、目の前の黒い扉が開いた。中からりかちゃんが顔を出している。玄関から冷たい空気が流れてきて、僕の肌を優しくなでた。甘ったるい匂いがした。
「ささ、入って」完全に出てきたりかちゃんは、右手に白い包帯を巻いて、首からつるしていた。僕は一瞬で目を疑う。だが、すぐにそうさせた本人が自分であると気づき、とても厭な気分になった。そう、まるで熱が出た時の気持ち悪さみたいに…。
「怪我…」僕は呟く。
「気にしないで」りかちゃんは僕が言い終わる前に優しく言った。「すぐ治るから」
「でも…」僕は顔を伏せる。後ろからの太陽の暑さが僕を焼けさせるようだった。
「いいからいいから」彼女は笑って、扉を片方の手で限界まで開けた。「さあ、入って。まだふうか来てないよ」
「お邪魔します」僕は渋々玄関に入る。
りかちゃんが、僕の後ろで扉をしめた。
「ふうかはいつ来るの?」僕は訊く。
「うん。たぶん、すぐ来ると思うけど。ともむが早いんだよ。まだ一時までに後十分ある」
りかちゃんが、居間に続く扉を開ける。僕は、靴を綺麗に整理していたから、少し出遅れて、居間に入った。
「そう言えば、ともむは来たことあったけ?家?」りかちゃんが首を後ろに向けて言った。
「う、うん」僕は答えながら、辺りを見渡した。「一度だけ来たことがあるよ。引っ越し祝いのパーティーに参加したんだ」
けど、その時の記憶よりもこの家は新しく見えた。
とくに、居間のスペースが広かった。左手に大きな窓から庭が見え、テレビ、ソファがある。壁には小さな本棚や物置が並んでいて、途中でそれがマッサージ機に変わっている。僕を越えた向こうは、食卓とキッチン。その先に扉が見えた。たぶん、裏口だ。
「そう言えば、そうだったね」りかちゃんは、突然脚を止めた。それから、僕の方を向く。「ごめん、忘れてて…そう言えば、そんなことがあったね…」彼女はとても悲しい声を出した。「楽しかった?」そう言う表情は、とても酷い形相をしていた。
「うん。楽しかったよ」僕は、微笑みながら答える。だけど、内心その話題を出したことを心底後悔していた。当時、りかちゃんは暗い性格をしていて、パーティーをしていても、彼女はなかなか遊ぼうとはせず、お母さんの隣でずっとじっとしていたのだ。だから、僕は、実質一人で遊んでいたようなものだった。りかちゃんはそのパーティーで誰とも遊んでいない。当時、呼ばれた家族は僕だけだった。
りかちゃんは、何を思ってか、速足に前に進んだ。その先には、扉がある。
「家の人は居ないの?」僕は気分転換をかねて、りかちゃんに問う。
「仕事だよ」りかちゃんは静かに答える。彼女は扉を開けた。向こう側に階段が見えた。「お父さんもお母さんもいつも遅いから…」
「そうなんだ…」僕のお父さんとお母さんは休みだった。
りかちゃんは階段を登り始める。
「二階?」僕は聞いた。
「うん。二階。階段登りにくいから、気を付けて」
確かに、一段一段の幅がかなり狭かった。かかとを乗せて上がることは出来そうにない。りかちゃんは、左手で手すりに捕まって階段を登って行った。僕はそのあとを追う。なんだかとても、窮屈な感じだった。
「ここが私の部屋」廊下を少し歩いて、すぐの扉を彼女は元気よく開けた。「綺麗でしょ」
たぶん、彼女はもう気分を切り替えていた。
部屋の奥に、勉強机があって、その左横にベッドが置いてあった。右の壁にはクローゼットがある。正面に、低いテーブルが丸いピンク色の絨毯の上に置かれていた。座布団が正面、左、向かい側に置かれている。目立つごみは何も無く、清潔感が保たれていた。勉強机の隣に、丸い蓋のゴミ箱が置かれて居るのが見えた。
「お邪魔します」僕はゆっくりと部屋に入る。風が涼しかった。右端にあるエアコンが付いている。「何処に座ればいい?」
「どこでもいいよ」後ろからりかちゃんが答えた。「お菓子とか持ってくるね」彼女はそう言って、扉を開けたまま廊下に出た。
僕は最初、素直に何処に座ろうかと考えた。けど、りかちゃんが怪我をしていることを思い出して、片手でお菓子を運べるものかと思い至る。僕はショルダーバッグを床に放り投げて急いで部屋を出た。一階に戻ると、キッチンの所で、りかちゃんが棚からお菓子を出していた。
「手伝うよ」僕は彼女に近づいて言う。
「あ、うん」りかちゃんはポテトチップスを台の上に置いた。「あー、じゃあ、お盆の上に色々用意するから、それを運んでくれないかな?」
「分かった」僕はすぐに頷く。
りかちゃんは要領よく、冷蔵庫の一番下から大きなアクエリアスを取り出して、お盆の上に置いた。そのあと、紙コップが三つ置かれる。
「お願い」りかちゃんが台の上からお盆を少しずらし、僕の方に持っていく。
「うん」僕はお盆をゆっくりと持ち上げた。かなり、重たかった。りかちゃん一人だったら、二階まで運ぶのは絶対に出来なかったはずだ。僕は慎重に居間を出て、二階に上がろうと低く狭い段差に一歩踏み出した。後ろからりかちゃんがついてきていた。
「大丈夫?」りかちゃんが僕に聞く。
「うん。大丈夫」僕は強気で答えた。
その時、ピンポーンと長い電子音が家の中に響いた。ふうかが来たのだ、と僕はすぐに思った。りかちゃんが、行ってくる、と言って、玄関まで歩いていく。僕は、一瞬どちらに以降か迷い、先にお盆を置きに二階に上がることにした。
『いらっしゃい』りかちゃんの声が一階から聞こえる。
『ともむ来てる?』ふうかの声だった。声が低い。
『来てるよ。今、おやつとか二階に運んで貰ってる』
ドンと、扉が閉まる音。丁度、僕は部屋に入り、お盆をテーブルの上に置いた。それからすぐに、足音や物音が一階から聞こえてくる。二つの足音は、すぐ二階に上がってきた。僕は、汗をかく。ふうかと会うことに、とても緊張していた。
「ともむ。りかに謝った?」刺すようなふうかの声が、僕の後ろから聞えた。
「うん」僕は、前を向いたまま答える。
「ふうか、けがは事故だから。気にしないで」りかちゃんがふうかをなだめる。
「でもさぁ。りか。それだと野外活動大丈夫?重要な時期に、怪我をしちゃダメじゃん」
「それは、そうだけど…」りかちゃんの声が落ち込んだ。
「まあ、もう終わったことだけどさぁ」ふうかは呆れて言う。彼女はゆっくりと僕の右の席に座った。彼女は被っていた麦わら帽子を取って、床に置いた。「それで、ともむは何しに来たの?」
「え?」僕は、ふうかを見ないようにしていたから、突然の質問に驚いた。「どうしてって?」
「私、りかに何も訊いてないんだよね。そう言えば、二人は幼馴染だったんだっけ?」
「うん。そうだけど」僕は冷静に答える。
「そうだよ」後ろから、りかちゃんが強く答えた。「今日は二人を誘って遊ぼうと思ってたわけ」りかちゃんはベッドとテーブルの間を通り、僕の向かいに座った。「さて、みんな集まったし、ゲームをしよう」
「ゲーム?」ふうかが怪訝な声を出した。「ゲームって?りか出来るの?」
「出来るよ。右腕がダメになったけど、他は使えるし」
「なんのゲームをするの?」僕は聞いた。
「人生ゲームだよ」りかちゃんは焼けた肌にとても綺麗な笑顔を見せた。「私、一度やってみたかったんだ、こういうの。ほら、いつも私、大勢で遊ぶってことしないから」
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